◆四、お前が殺した

 少年は教室の自分の席に座っていた。自分の机の上には木組みの箱が置かれていた。蓋を開けてみると、中には水色の玉が入っていた。

 少年が席に座ったまま教室の中を眺めまわしてみると、誰もがみな、机の上に箱を置いていた。子どもたちの持っていた箱は、少年の持っていた木箱よりもずっと大きいもので、木ではなくプラスチックか金属でできているような、つるつるとした光沢のある不思議な素材でできていた。

 子どもたちが箱の中を覗き込み、ぶつぶつと話しかけたり笑いかけたりすると、箱はかたかたと音を立てて震えたり、左右に動いたり、軽く跳ね上がったり、ぶよぶよと揺れたりした。中には表面の色の変わる箱もあった。


 少年が教室の中のその光景を眺めていると、教壇に立っていた教師が少年を指して問いかけた。

 「君のクラムボンはいったいどのようなものですか?」

 教室中の子どもたちの視線が少年に集中した。少年は思わず木箱を持って立ち上がったが、視線を泳がせて口をぱくぱくさせただけで、何も言うことができなかった。

 「君のクラムボンはどのようなものですか?」

 少年は教師に何を要求されているのか、何を言えばいいのか、それがさっぱり分からず、ただ焦燥感を募らせていった。

 「私の言っていることが分からないのですか?」

 「ごめんなさい……」

 子どもたちは「分からないんだって」「馬鹿なんだよ」「かわいそう」などと言って声を立てずに笑った。

 「箱の中に入っているものはどのようになっていますか?」

 少年は木箱の中身をちらと覗き込んでから答えた。

 「星です」

 すると、突然教室がしんとなった。少年を見つめる子どもたちも、教師も、みな目を丸くしていた。

 「君、それは本当なのですか?」

 「本当です」

 「先生をからかっちゃいけません」

 「本当です」

 「いいかげんにしないと先生怒りますよ」

 「だから本当だって言ってるじゃないですか! 箱の中に入ってるのは星なんです!」

 教師は口を開いたまま唖然としていた。

 「芦川君、よく聞きなさい。君のクラムボンは死んだのです。星はクラムボンの遺骸なのです」

 教師の言葉が少年の頭にがんと響いた。

 「君はクラムボンの世話を怠ったのではないですか? 世話を怠るとクラムボンは死んでしまいます。君が死なせてしまったのです。君だけのクラムボンだったのですよ……」

 少年は教師のまなざしから逃れるように目を逸らし、力なく落ちるようにして椅子に座りこんだ。少年の胸の内は罪悪感でいっぱいだった。


 少年が椅子に座ると、教師は少年の隣の男の子を指して、クラムボンについて話すように要求した。隣の男の子は、つやつやとした黄色の箱を手に持って立ち上がった。

 「僕のクラムボンは跳ねて笑っています」

 「よろしい」

 教師は安心したようににっこりとほほ笑みかけた。男の子が着席すると、また別の子どもが指された。その子どもは赤色でぶよぶよした柔らかそうな箱を手に持って立ち上がった。

 「私のクラムボンはかぷかぷ笑っています」

 「よろしい」

 そのようなやり取りが何人もの間で繰り広げられた。


 少年の心には疑問が生じ始めていた。少年はその疑問を口にしてよいものかどうか自信がなかったが、どうしても聞いてみたいという気持ちを抑え込むことはできなかった。胸を打つ心臓の鼓動が強くなり、少年の体を強張らせた。

 少年が手を挙げると、教室中の視線が少年に集中した。

 「芦川君、どうしたのですか?」

 「質問があるんです……」

 「何ですか?」

 少年は全身が硬直してしまいそうだったが、机に手をついて何とか立ち上がり、口を開いた。

 「クラムボンって一体何なのですか? 僕…… クラムボンを飼ってるだなんて、知らなかったんです。いつの間に飼い始めたんですか? どうしてみんなは知っているんですか? みんなの箱の中には何が入っているんですか? クラムボンを、僕が殺しただなんて…… だって、僕…… 知らなかったんです!」

 少年はいったん口を開くと、どんどん早口になり、大声になって行った。最後の方はほとんど叫び声に近いほどだった。少年は今にも泣き出しそうな顔をしていた。

 「いっぺんに質問しないでください。質問の要点は何ですか?」

 「僕は知らなかったんです!」

 教師はため息をつき、ほとんど呆れ返っていた。

 「芦川君は一年生からやり直したいですか?」

 教室に笑いの渦が生じた。「一年生だって」「やり直しだ」「やっぱり馬鹿だったんだ」「やり直せ!」教師は子どもたちを制さなかった。

 「こんなことは一年生でも知っていることですよ。本当に知らないんですか?」

 「知らない! 僕は聞いてない!」

 少年は顔を真っ赤にし、目から大粒の涙を溢れさせ、肩を震わせていた。

 「こんなことを六年生にもなった人にお話しする日が来るなんて、夢にも思っていませんでした」

 教師はそのように前置きしてから、再度ため息をついて話し始めた。

 「いいですか? 人はみなクラムボンを持って生まれてくるのです。その人だけのクラムボンです。人はクラムボンとともに成長します。ですが、人が成長するだけではだめです。クラムボンの世話をして、クラムボンを人が育てなければなりません。栄養を与えたり、愛情を注いだり、様々な経験を積ませたりしなければならないのです。言っていることが分かりますか? これは一年生でも当然のように知っていることですからね。それからもう一つ重要なことがあります。クラムボンはその人だけのものです。いいですか? ですから、それを他人に見せてはいけませんし、他人のクラムボンを見てもいけません。世話を怠ればクラムボンは死にますが、他人に見せてもクラムボンは死んでしまいます。分かりましたか?」

 教師の話を聞いているうちに、少年の顔はどんどん青ざめて行った。少年の様子がおかしいことに教師が気づいた。

 「君、顔が青いですよ。大丈夫ですか?」

 その言葉はまるで少年の耳には届いていないようだった。それから教師ははっとして何かに思い至ったようだった。

 「芦川君…… 君はもしかして自分のクラムボンを誰かに見せたりしたのですか……?」

 少年はまるで雷に撃たれたかのような衝撃を受けた。少年の全身は硬直し、短く荒い呼吸を繰り返して息を吐くことができなくなっていた。体が自由にならず、視覚がぐるぐると回転して落下してゆくような気がした。

 教室の中を見回すと、誰もが少年に対して嘲笑を浴びせているように思われたが、その中でたった一人、三つ編みの少女だけが少年を悲しげに見つめていた。その手の中には少年のものとよく似た木組みの箱があった。眼鏡越しに少女の目元がきらりと光ったが、そのことに気づくか気づかないかのうちに、少年は意識を失った。

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