Monochrome
白日朝日
Monochrome
「ねぇ、お兄ちゃん」
雪が降っている。
今年二度目の雪は、母さんの墓の灰色を白く染めるよう。
モノクロームの空は幾つもの牡丹雪を落とし、薄く濡れた地面に影を付ける。
「なに」
妹はぼくと父が違う。
そして、ぼくらの父も今やモノクロの空の向こう。
「この雪、お母さんの涙かな?」
「……さてね」
一拍。言葉に詰まる。
感傷的なレトリックはぼくの好みじゃないから。
「ねぇ、お兄ちゃん」
雪が降っている。
妹はぼくに話しかける。
「なに」
「出会った時のこと、覚えてる?」
お母さんの通夜。こんな雪の日のことだったね。あの頃の君は、まるで捨て猫みたいだった。
「あぁ」
――ねぇ、あの、すみませんっ。
笑いそうになる。
「あの頃はかわいかったな」
「あの頃は?」
「今ほど、ぼくのことが好きじゃなかったろ」
『絶対に名前なんて呼ぶものか。お兄ちゃんなんて言うもんか』そんな気持ちが伝わってくるような、あの頃の妹の態度。
「そのくせさ、そばにいる誰かを欲しがる顔をしてるんだ」
「違うよ」
妹は墓に積もりはじめた雪を払う。彼女の手はきっと冷たい。ぼくはその手を握る。
「……恥ずかしかっただけ」
そう言って、上目遣いでぼくを見る。妹の顔が赤いのは、寒いせいかな。
「今は、堂々と兄の手を受け入れる妹になっちゃったな」
「だって――大好きだから」
その声を虚空に向けて。顔色は見えないけど、彼女のそれはきっと真っ赤だろう。
「もう一回言って」
「こんなに胸の苦しくなる言葉、何度も言えない」
「さっきの言葉は、兄妹として?」
「当ててみてよ」
いたずらっぽい顔でこっちを振り向いた彼女の頬に、ぼくは懐炉をあてる。
「ぶー」
妹のほっぺがやわらかく変形して、ちょっとだけ不細工な顔。彼女はそのままふくれてみせる。
「嫌いになった?」
「別に……」
そうして、彼女は懐炉を当てられた頬をぼくにくっつける。
「あったかいな」
「うん。あったかい」
一つの傘で収まる距離に二人、肩を寄せ合い。
「そろそろ、行こう?」
妹は告げる。
「ああ」
母とのお別れは、これが最後。
車を海岸に停める。
――ねぇ、お兄ちゃん、って呼んでも、良い?
「はじめて、お前がお兄ちゃんって呼んだ時のこと覚えてるか?」
「覚えてないわけない」
愚問と言いたがるような表情。
「呼んでもらえるまで、何ヶ月も掛かったんだ」
「知ってる」
砂浜に降り立ち、風と戯れる少女。
「あのとき、ようやく妹に認められた、って気分になったよ」
「そーじゃなく」
動きを止め、後ろを歩くぼくに振り向いて。
「なに?」
「……てたから」
「潮風で聞こえない」
「恋、してたから。好きな人をお兄ちゃんと呼べなかったの」
「今は?」
「愛……だと思う」
恥ずかしいことを言う妹を持ってしまったものだ。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なに」
「泳ぐ?」
「冗談。だって冬だよ」
牡丹雪は水平線をぼかし、はらはらと散る。
「寒いんだから、どこ行っても同じだよ」
「かもね」
「なんで、ここまで来たんだっけ」
「さぁ」
妹の横に並び、もう一度手を握る。
「海って広いね」
「うん」
「色んな国に繋がってる」
「行けるとしたらどこに行く?」
「でもね、パスポート無しで行けるのは天国だけだよ」
恥ずかしいことだけじゃなく、冗談も上手くなったと思う。
「ふーん」
「お兄ちゃん。なんか淡白な反応」
「感傷的なレトリックは好きじゃない」
「そうだったっけね」
「あと……出来れば、二人じゃなきゃ行けないところが良い」
「じゃあさ、お兄ちゃん、座って」
ほんの少しだけ足を曲げ、砂浜に腰を下ろす。デニムのポケットに入り込む砂が、少しだけ気持ち悪い。
「よっこいせ」
そうして、妹はぼくの太腿に腰かけて。
「なんか、おばさんくさい」
「いいの。お兄ちゃんの前ではおばさんにでも悪女でも妹でも恋人にでもなれるの」
「そう」
「ねぇ、お兄ちゃん」
「なに」
「このまま。潮が満ちるのを待とうよ」
干満の差が激しい場所だから、潮が満ちれば、ぼくらの座っている場所は海の底。
「……」
ぼくは何も言わない。
ぼくと影を一つにした妹を、少しだけ強く抱きしめた。
「ねぇ、お兄ちゃん――大好き」
空からは牡丹の涙。海からは天国行きの船が近づく。
モノクロームの景色は、雪の中で、波の泡沫で、ぼやけた。
Monochrome 白日朝日 @halciondaze
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