第3話 わたしと私




 誰もいない。


 薄暗い思考をめぐらせながら、機械仕掛けで動く人形の中をひたすらに歩く。


 私が、どこにもいない。


 こんなにも沢山のものを認識できるのに、私だけが見つからない。


 誰か、私を見つけて。


 今私がどこにいて、どこを目指して歩いているのか、分からなくなる。


 雑踏の中、様々な情報が行き交い、それぞれが今を生きているのにも関わらず、私だけが死んだように止まっている。


 立ち尽くす。


 ここから見える景色は、なんだか淀んでいて、少し気分が悪くなる。


 止まってしまった私を、動く雑踏は意にも介さず行き続ける。


 思考する。


 内側にのみ意識を注ぐその行為は、私の心を安らげる。


 薄汚れた心理をやさしく抱きかかえるように、傷つかないようにそっと撫でる。


 ふとそこで思う、ここが私のいる場所なのかもしれないと。


 私が見つからないのは、私がここにいないから。


 私がここにいないのは、この雑踏と同じ時間を生きていないから。


 気分が悪くなるのは、ここがどうしたって私の居場所ではなく。


 私自身が内に抱えるこの光景のみが、私の居場所なんだと。


 寂しさも、苦しさも、辛さも、胸を締め付けて痛々しいほどの感情をすべて包容したこの心こそが、私の生きるべき世界なのだと。


 歩き始める。


 淀んで歪んだ世界を、無数の雑踏が闊歩するこの世界を。


 少しずつ、小さなものから順番に切り捨てて。


 何もかもを諦めて。


 灰色に染まりきった世界を、ただひたすら歩き続ける。


 末端から、意識が失われていって。


 表情から、起伏が失われて。


 感情から、色を失われていく。


 どれだけ無くしてきただろう。


 どれだけ奪われてきただろう。


 得られたものは、ひとつだけ。


 そのひとつも、今はもう私の手元にない。


 どれだけ絶望しても、どれほどもがき足掻こうとも、日常は始まり続け。


 どれだけ傷つけられても、どこまでも追い詰められていても、世界は動き続ける。


 私はそこにはいない。


 私はどこにもいない。


 私は、ここにしかいない。


「――――――」


 ――声が、聞こえた気がした。


 顔をあげる。


 前から横から後ろから、あらゆる方向から聞こえる声の中、聞き覚えのある声が、懐かしくて聞きなれた声が、私の耳に届く。


 どこ? 私を呼ぶ声は、どこ?


「――――え!」


 だんだんと声が近づいてくる。


 けれど私は未だ声の主を見つけられない。


 雑踏。雑踏。雑踏。雑踏。


 私にとって無意味な音だけが、やたらうるさくて。


 目まぐるしく移り行く世界の景色を、私は必死に探す。


「――なえ!」


 すぐそこで、私を呼ぶ声が聞こえた。


 けれど、私は見つけることができない。


 灰色に塗りたくられた光景。動きを止めない世界と雑踏。どれもこれも邪魔だった。


 見たいものすら、もう満足に見ることができない。


 色こころの失われた、私の瞳では。


「かなえ!」


 手を掴まれ、世界が反転する。


 その末端から、意識がよみがえる。


 表情が、心を映し出す。


 感情が、私を支配する。


 どれだけ無くしたとしても。


 どれだけ奪われたとしても。


 得られたものは、決してなくさないようにと。


 今までずっと我慢してきた。


 だから、そっとやさしく撫でるように。


 そのものを慈しむように。


 私は握られた手を、同じ力で握り返す。


 もう二度と、無くしてしまわないように。見失わないように。


 かすれた声で、言葉を返す。


「おかえり、わたし」

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