第2話 誕生日
無くしたものは、いったいなんだっただろう。
当たり前のように持っていたそれを、僕は気付かぬうちにどこかへ落としてしまったようだ。
探しても、探しても、探しても、探し続けて探し果てても、それは見つかることはなかった。
ふと思う。
僕は何を探しているのだろう。
探すことばかりに集中してしまい、自分が何を探して、何を無くしたのかをすっかり忘れてしまった。
有形か無形かもわからない。見つけてどうするかもわからない。はたしてそれは無くてはいけないものなのか。僕は考える。今はそれしかできないから。
無くした現在でも、ちゃんと僕は生きていけてる。平凡で凡庸な人生を送っている。支障はない。ならばなぜ僕は必死に、あたかもそれがないと生きていけないくらい懸命に、それを探しているのだろうか。
ふと思う。
ならば、どうして僕は今こうして生を謳歌できているのだろう。きっと生きていく上では不要な物なのだ。けれど僕はそれを大切に、大事に守って生きてきた。でも、どこかでそれの中身が無くなっていることに気付き、慌てて探している最中といったところか。
ふと思い出す。
僕はこの数年、何かに感動したことが、心動かされたことがあっただろうか。
いや、そんなこと思い出さずとも理解できていた。
僕はそういった綺麗なもの、美しいもの、透き通ったものを、それのみならず汚れたもの、歪なもの、濁りきったものでさえ、同様に無価値と切り捨ててきた。
何もいらなかったのかもしれない。僕がずっと願ってきたのは、求めてきたものは、そんな上澄みだけを塗り固めた贋作ではないから。
それしかいらなかった。その他はことごとく捨てて生きてきた。
きっと、そういう有象無象に答えがあったのかもしれない。
思考を戻す。
僕が探していたもの。
贋作ではない、真作。
それはいったいなんだったのか。
今はもう、わからなかった。
考えたって、探したって、どこにもなかった。
今の僕では、それが目の前にあったとしても、それが答えだと思わないだろう。
ふと、昔を思い出す。
人見知りだったことを除けば、きっとどこにでもいるような子供だった。
物心ついたときから、きっと判断してきたのだろう。
人見知りという言葉を口実に、自分にとって不利益な、非効率な他人を取り除いては切り捨てて。
紙よりも薄い友人関係を築いては、いらなくなれば捨てることを躊躇わず。
誰よりも自分を忌み嫌い。
誰よりも、そんな自分を溺愛していた。
自らには徹底的に非情になれるのに、相手に対してはつい甘くなってしまう。
狂おしいほどの矛盾を抱え生きて、発狂するほどの重責を背負ってなお、僕は普通に生きることを選ぶ。
吐き出すことが出来ず、溜め込み続けた感情は。
やがて自らの心を蝕み、気付かないくらい遅速で輪郭から削り取られていく。
かくして、一人の完璧な人間が生まれる。
感情を一切無くし、相手の心の機微を感じ取り、最適の言動をする、一人の人間が。
はたして、それは人間と呼べるのだろうか。
もはや、人形。
または、機械。
その内側では気付いてほしいと泣き叫び、這いつくばってなお救いの光に手を伸ばし続け。
誰にも気付かれること無く、伸ばした手はどこにも届かず空を掴み。
やがては何もかもを諦めた表情へと変化する。
そんな僕を他人は、大人だと言う。
違う。子供であることを諦め、大人になることもままならず、ただそこで立ち尽くし、くずおれてを繰り返しているだけだ。
そんなものを大人とは言わない。大人とは言えない。
何も得ることが出来なかったから、せめて何物も失わないようにと努めてきただけだ。
けれど、無くしてしまった。
何かを。または何もかもを。
再びの、問い。
僕はいったい何を無くしたのだろう。
訂正。
僕はいったい、何を得られなかったのだろう。
僕は今日という、自らの誕生日にこの問いを贈呈したのだろう。
きっと、これが答えなのかもしれない。
目の前に広がる光景は、広大で、壮大で、幻想的ですらあった。
いつもであれば、きっと何も感じなかった。
でも、今日は、今日ばかりは。
その景色に、涙してしまった。
美しいと思った。綺麗だとも、澄んでいるとも思った。
目に映る総てが、悲しいくらいに秀麗だった。
泣かずにはいられなかった。堪えることが出来なかった。
どうしようもなくらい泣き続けて。泣き果てた先に、微かな光を見た。
僕が無くしたもの。僕が求めていたもの。
この景色のように有形と無形が合わさった唯一無二の存在だったのかもしれない。
まだ掴めなかったけれど、まだ届かなかったけれど。
確かに、答えはあった。
今は、それだけで充分。
明日からは、きっともっと世界が綺麗に見える。
だって、この世界を作り上げているのは、他ならない僕の心なのだから。
そしてその世界の先に、答えは待っている。
僕は、そう信じて。
今日もまた、嘘を吐き続ける。
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