心の欠片、果ての記憶

和菓子屋和歌

第1話 そして今日も嘘を吐く


 私は嘘吐きであると、自覚している。


 言葉も、行動も、心も、思いも、きっと私を構成する全てのものが嘘で。


 そして嘘で作られた私は、きっと嘘吐きで間違いない。


 だから、この想いも嘘でなければいけない。


 私は、嘘吐きだから。




 ――0――


 嘘みたいに何もない日常。

 停滞した雰囲気が漂いながらも、居心地が良く、流されるようなこの雰囲気は意外と好き。

 何も考えなくても、何も起こさなくても、何も出来なくても生きていける。この日常が、堪らなく愛おしくて。

 そして私は少しずつ自分の存在意義を見失っていく。

「……なんて、感傷に浸りたくなるような天気ですよね」

 誰に同意を求めたわけでもない言葉が、自室に空しく響く。

 部屋の窓から見る外の景色は、冗談のように白く、歪みきった私の心でさえ美しいと思えるほど綺麗な光景だった。

「結露してるくらいだし、外寒いだろうなぁ」

 私は独り憂鬱になりながらも、そそくさと学校に行く準備をする。

 今年初の雪が降った今日。


 それはきっと忘れられない日になると、私の心はどこかで確信していた。




 ――1――


 寒いのは嫌いだ。

 だから冬という季節は一年の中で一番嫌いな季節である。

 でも。

「マフラーは意外と好きなんだよねぇ」

 首に巻いているマフラーの端を弄びながら、独り言をぶつぶつと呟く。

 真っ白に化粧した景色の中、独り不規則な足跡を付けて学校へと向かう。

「それにしても、一体どれだけ降るんだろう」

 未だ深々と降る雪を見て、私の気分は益々憂鬱になり、歩くペースが落ちていく。

「あんまり人が歩いてないけど、学校お休みとかじゃないよね?」

 普段であればこの辺りは学生が多く、鬱陶しいくらいなのに。今は私独りしかいない。なんだか私独りを残してみんなどこか行ってしまったみたいに。

「そんなこと、ありえないよね」

 自分のありえない思考を一蹴し、私はひたすら歩を進める作業を繰り返す。

「はぁ、めんどい」




 ――2――


 冷たい雰囲気が辺りを満たし、まさしく時が停まり誰にも使われなくなった建物のように寂しい空気が、今日の学校にはあった。

 天候一つでこんなにも雰囲気が変わってしまうことに、私は少しだけ驚く。

 正門前で呆然と学校を見ていると、ちらほらと学生や教師などが入っていくのが見えた。私の乏しい想像のように、誰一人いなくなってしまったようではないらしい。

 そう思うとここまで頑張って来た甲斐があったというもの。これで休校なんかになってたら、本当に憂鬱だっただろう。

「さて、こんな場所で立ってると凍え死ぬから、早く教室行こう」

 少し足取りが軽くなった私は、雪を踏む感覚を楽しみながら昇降口を目指す。




 ――3――


 その景色だけが、どこか現実離れしていた。

 家から学校までの光景もどこか夢のようだったが、私が在籍するクラスの教室はまた一段と幻想的だった。


 そこには、一人の少女がいた。


 雪のような魅力と儚さを併せ持ち、触れてしまえば融けてしまいそうな存在。少し色素の抜けた髪が風に揺れて、粒子を吐き出すように輝きを放つ。

 私は、目を奪われずにはいられなかった。


「あら、おはよう卯月さん」


 少女は私に気付き、声をかけてくる。

「今日は早いんだね。いつもは遅刻ぎりぎりなのに」

「うるさいな。いつもなら二度寝をするところを、今日は寒くて目が覚めちゃったんだよ。だから仕方なくこの時間に登校」

「今日は雪の影響で公共機関が麻痺してるから一時間目と二時間目をなくして、三時間目から登校でいいみたいだよ」

「えー。ならもっと寝れたじゃないか」

 私はかろうじでいつもの調子を取り戻し、言葉を返す。

「ふふ、そうだね。私ももうちょっと寝てたかったかな」

 そう言う少女は、薄く微笑みながら私を見る。

 その表情は、私の心を掻き乱すには十分だった。

 私のお腹の底の奥の方から湧きあがるこの感情は、一体なんて名前の感情なのだろう。懐かしいような、それでいていつも抱いていたような暖かい想い。

 それは――

「ねぇ」

 自席に鞄を置き、私は少女と向き合うように座る。

「雪は、好き?」

 私は少女と目を合わせることが出来ず、窓の外を見ながら問いかける。

「好きだよ。なんだか見慣れて退屈な景色も、雪が降ると途端に現実離れする。まるで小説に出てくるファンタジーの世界に迷い込んだみたいで、私は好きだよ」

 そう。と私は小さく呟き、空を見上げる。

 雪と共に空から降り、足元を絡め取る私のこの感情。

 しかし積もったところで、溢れることのない感情。

 やがては融けてなくなり、いずれ消えていく想い。

 儚く脆く、だからこそ何よりも美しい感情。

「好き、ねぇ」

 私が思わず口に出したその言葉に、少女はさらに笑顔になりながら続ける。

「好きって感情は雪のように幻想的で、しかし互いの熱で溶かされていく。溶け切ったその後に、何が残るか卯月さんは知ってる?」

「知らないよ。そもそも人を好きになったことなんて一度もない」

「それはね、愛したという記憶」

 どこか苦しそうに語る少女は、両手を胸の位置で重ねながら続きを語る。

「愛し愛され、愛し続け愛され続けたという記憶だけ。誰を、どれだけ、どこまで愛したかではなく。ただただ愛という記憶が、傷跡がそこに残るの。戻ることの許されない感情、残すことの許されない感情。だからこそ、美しく純粋なままでいつまでも持つことの許される感情。それはやがて思い出すことも、忘れることも出来ず、永遠に己を縛り付ける記憶になる」

 嘘を、吐いている。

 少女はきっとそうは思っていない。

 ただ、そう思わなければならないことがあったのだろう。

 少女の今にも泣き出しそうな表情を見て、私はそう悟った。

 なら。

「それは、幸せなことじゃない。愛して愛されて、愛し続けて愛され続けた記憶が、自分の中に残るのであれば、それはきっと幸せなことだ。だってそれはきっとそれだけ純粋で、それくらい想いが強かったってことだから。そんな感情を抱いて生きていけるのであれば、十分に幸せさ。だから、そんな哀しそうな顔しないでくれ。見てるこっちが哀しくなる」

 私は精一杯の笑顔を作り、少女を見る。

 一瞬だけ驚いた表情になった後、満面の笑みを浮かべて「そうだね、きっとそう」と自らに言い聞かせるように呟く。

 嘘を、吐き続けるために、嘘を重ねる。

 私には、少女がそんな風に見える。

 けれど、その生き方を私は否定することが出来ない。

 この世は嘘だけが私達に優しい。嘘だけが私達に寄り添ってくれる。それが一時の癒しであっても、私達はそれを頼る他に、この世界を生き抜く術を持たない。寄り添ってくれるものがなければ、たやすく消えてなくなり、忘れ去られる。


「ありがとう。卯月さん」


 優しい嘘を、ありがとう。

 そう、言われている気がした。




 ――4――


 嘘だらけの世界で、唯一の真実は、きっとこの感情。


 誰かを想い、誰かに寄り添い、誰かから与えられ、また与えることの出来る感情。


 私自身を守り、私が想うたった一人と共有できる感情。


 溢れ、溺れ、見失うこともあるだろう。


 埋もれ、古くなり、ぼろぼろになることもあるだろう。


 けれど、私はそれを抱き続けて生きていく。


 その感情すらも嘘だったとしても、私はもうそれを手放すことは出来ない。


 優しく暖かい、私達に唯一与えられた真実。


 愛。というたった一つの、純粋で綺麗な感情。


 だから、私は今日も嘘を吐く。


 優しい嘘を、優しい愛を吐き続ける。


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