第5話

 学校に着いたわたしはトイレに走り込んで鏡を見た。風が強かったから予想はしていたけれど、髪がボサボサになっていた。

「うぅ~、風のバカ!こんな日にそんなに強くなくたっていいじゃん!」

 グチりながら髪をなんとか整えると、そのあとは表情。可愛らしく、笑顔で。

 いつもより時間がかかっちゃったからきっと、田中君はもう来てる。だから、最初から最高の笑顔でいかないと!

 教室に行くと、予想通り、田中君はいた。そして、他には誰もいない。

 毎朝、他の誰かが来るまでの間、それだけがわたしと田中君と過ごせる唯一の時間。他の人がいても何も問題はないんだろうけど、その、恥ずかしいし…。ううん、二人きりの方が別の意味では恥ずかしいんだけれど……。でも……。

 もう一度、表情をセットする。笑顔で、明るく、元気なわたし。

 よし、と気合を入れて、話しかけた。

「田中君、おはよう」

「あ、最原さん、おはよう」

 田中君が笑顔で返してくれた。それだけでわたしは幸せになれた。でも、そんな幸せに浸かっている時間はない。今日が最後のチャンスなんだから!他の人が来る前に。

 バッグから取り出しやすいようにしておいたちらしを出して田中君の机に置いた。

「ねぇ、これ、おいしそうじゃない?」

「え?うん、そうだね」

「だよねぇ。で、でさ、お願いなんだけど、一緒に行ってくれないかなぁ、なんて」

 新しくできた総合アミューズメント施設のちらし。そこに書いてあるのは中にあるカフェの限定スイーツ。ただし、カップル限定なんて書いてある。

 付き合ってはいないけど、そんなの、誰もきっと確認なんてしない。本当は、付き合って、正々堂々とカップルとして行きたいんだけど、告白する勇気なんて…。でも、もし、いいよって言ってくれたら……。

 田中君はそのカップル限定の文字に気付いたのか、顔を赤く染めた。あれ?もしかして、意識してくれてるのかな?だとしたら嬉しいけど。

「さ、最原さんだったら、その、そういう人いるんじゃないの?」

「い、いないよ!」

 思わず大きな声が出てしまった。わたしは田中君が…。て、ヤバイ。わたしまで顔赤くなっちゃいそう。

「わ、わたし、誰とも付き合ってないし。それに、その、誰かいるところで誘ったりしたら勘違いされそうじゃない?だから、その、どうかな?」

 これじゃ、誰でもいいけど、都合のいいのが田中君だから誘った、みたいになってんじゃん!違うの!田中君と一緒がいいのに!何で正直に言えないんだろう…。

「えと、俺なんかでいいなら行ってもいいよ」

「本当?ありがとう!それで、急だけど、もうすぐ終わっちゃうし、その、明日が最後の休みなんだけど、どうかな?」

「明日?うん、いいよ」

 え?本当に?こんなに順調でいいの?このちらしを見てからずっとどうやって誘おうか、とか、断られたらどうしよう、とか色々考えてたのにそれなのに、こんなにあっけなくていいの?何か、悪いことでも起きるのかな?ダメダメ。そんな変なことを考えない!明日は精一杯楽しむんだ!

「やった!それじゃ、楽しみにしてるね」

「うん。それで、何時にする?」

「え?あ、時間ね。いつもこうしてるから、なんか待ち合わせするの変な感じだね。えと、わたしは何時でもいいけど、どうする?どうせなら、他にも色々楽しみたいなぁってわたしは思うんだけど」

 う、これじゃまるでデートみたいじゃない!わたしは一人でそのつもりでいるんだけど、田中君はそんなんじゃないよね、きっと。うぅ…。

「それじゃ、十時に駅前で、ってことでどうかな?」

「うんうん、それで!」

「ところで、これって、やっぱり、二人きりで行くんだよね?」

「え?もちろんそのつもりだけど、嫌だった?」

「ううん、そんなことないよ。その、と、とにかく、明日、俺も楽しみにしてるよ」

「うん!」

 田中君も二人きりが嫌じゃないって!これは脈あり、なのかな?期待してもいいのかな?

 と考えてたら、戸が開く音がした。残念ながら今日の会話はこれで終了みたい。でも、約束はできたし、わたし的には大満足!

「それじゃ、明日ね」

 田中君は小さくうなずいてくれた。

 戸の方を見ると、親友の亜美ちゃんが入ってきていた。

「亜美ちゃん、おはよう!」

 田中君がOKしてくれたこともあって、変なテンションになってたのか、亜美ちゃんに走り寄って抱きついた。

「ちょ、何?離れてよ」

 迷惑そうにしたけれど、わたしがVサインをすると、気付いてくれたみたいだった。

「そっか、おめでと。でも、そんなにくっついていられるとわたしも動けないから、早く離れて」


 しばらくすると他のクラスメイトたちも入ってきて教室内はみんなの話し声で包まれた。これなら田中君に聞こえないかな、と思って亜美ちゃんに相談することにした。

「えとね、明日、行くことになったんだ。それで、どんな服で行ったらいいと思う?」

「どんな服って、好きな服で行ったらいいんじゃないの?デート、ってわけでもないんだし」

「そうなんだけど、でも、わたしはデートのつもりなの。それに、少しでも可愛く思われたいじゃん!私服がダサい、なんて思われたくないし」

 亜美ちゃんはわたしが田中君のことを好きだって知ってる唯一の人。だから、こうして相談にのってもらったりもしてるんだけど、いつも冷静。そんな感じなんだよね。でも、だから、頼りになるんだけど。

「まぁ、わたしから見たらあいつもあやのこと、気になってると思うから、本当に何でもいいって思うんだけどね。でも、一つ、アドバイスするなら、」

 そこで顔を近づけて耳打ちをして来た。

「下着は可愛いのでね」

 その言葉にわたしは顔を真っ赤にしていた。いや、だって、下着って!え?何?見せるの?見せないよね?そりゃ、付き合ったりしたらいずれはそういうこともあるかもしれないけど、その、まだわたしたち中学生だし、それに、まだ付き合ってもいないんだし。でも、え?は、初めての時って、どうしたらいいの?

 襟元からチラッと中を見る。何の変哲もない真っ白な下着と平均的な大きさだと自分では思う膨らみが目に入る。

「なんて、冗談。まぁ、でも、スカートで行くなら不慮の事故で見えちゃうこともあるかもね」

 う、本気にしちゃったじゃん!真顔でそんなこと言うんだから!

 亜美ちゃんをにらんでみるけれど、そんな反応を楽しんでいるのか、笑うだけだった。

「もう、わたしは真面目に悩んでるの!ちゃんと答えてよ!」

「だから、さっきも言ったけど、何でもいいんだって。何着てても可愛い、って思ってくれるはず。文は元がいいんだし。それに、いくら考えても行くのは明日なんでしょ?新しい服を買いにいけるわけでもないんだし、どうしようもないでしょ。でも、この前一緒に買いに行った服、このためじゃなかったの?」

 確かに、この前亜美ちゃんと一緒に買った服は田中君とデートできるなら着たいなぁ、って選んだけど、でも、それ、ミニスカートなんだよ。さっき、亜美ちゃんも言ったけど、不慮の事故があったら……。恥ずかしいよ!きっと、身体も動かすし……。

「ねぇ、本当に、大丈夫?スカート、結構短かったけど……」

「大丈夫。わたしが保証する。文は可愛いんだから変なこと考えなくてもいいの。それに、不慮の事故なんて言ったけど、そうそう見えるものじゃないでしょ」

「うん、分かった。亜美ちゃんを信じる!」

 何の根拠もないけど、亜美ちゃんが保証してくれるって言うなら大丈夫な気がしてきた。

 そこでちょうど担任の先生が入ってきたので、お礼を言って席に戻った。



 目が覚めて時計を見ると針は九時を指していた。予定よりかなり遅く起きたわたしは焦った。昨日は服を選んで、でも選びきれず、悩んでたら遅くなってベッドに入った。それから楽しみでしばらく寝付けなかったのは覚えている。

 でも、だからって、寝坊することないじゃん!うわぁ、どうしよう。でも、まだ間に合うはず!家から駅まで三十分。と言うことは、九時半に家を出れば間に合う。本当はこんなギリギリに行くなんて嫌だったけど、仕方ない。ごめんね、田中君。

 あと三十分。

 えと、まずは、そう、服。昨日の亜美ちゃんのアドバイスを思い出そう。そう、下着は可愛く!タンスを開けて可愛い下着を………って違う!見せるつもりはないから!でも、それでも、可愛いなぁ、と思うのを選んだ。

 服は、昨日最後まで悩んでいた二つのうち、亜美ちゃんと買った大胆なミニスカートの方を選んだ。「不慮の事故で見えちゃうこともあるかもね」って言葉を思い出したけど、そういうつもりで選んだんじゃないから!ただ、こっちの方が可愛いし、自信が持てるだけなんだから!

 バッグに必要なものを入れて、洗面台に行って急いで髪を整える。

 本当はこの後、化粧もしたいけど、したことないし、練習も全然してないから、きっと、変になっちゃうだけだろうし……。あ!時間!

 時計を見ると、九時三十分。ヤバい!もうギリギリじゃん!急いで家を出ようとすると、お母さんに止められた。

「文香、出掛けるの?ご飯食べて行きなさいよ」

「お母さん、ごめん!今急いでるから!」

 本当は朝ご飯食べてから行きたかったけど、そんな時間はないから謝って家を出た。


 途中の信号のない十字路。左右を確認せずにわたしは渡った。その次の瞬間、身体に強い衝撃。そして、浮遊感。一瞬遅れて、あ、車来てたんだ、って気付いた。

 とても長い時間、飛ばされていたような気がする。その間思い出すのは大好きな田中君のこと。いつの頃からか始まった朝の教室での二人きりの時間。次第に好きになっていったのはどうしてだろう?理由なんてないのかもしれない。でも、幸せだった。

 そして、今日は初めてのデート。田中君はそう思ってないかもしれないけど、わたしにとってはそう。時間はなかったけど、お洒落もしたつもり。可愛いね、なんて言ってくれるかな。でも、きっとそんなことは恥ずかしがって言わないだろうな。

 走馬灯のように田中君のことを思い出し、今日のことを考えてたら、わたしの身体は地面に激突した。


 全身の力が抜けていくのがわかる。身体に力が入らない。わたし、死んじゃうのかな?


 楽しみにしてたのに、こんな、急に、行けなくなって、ごめんね………。


 嫌だよ、まだ、死に、たくない…。

 したい……ことだって………まだ……ある………のに………。


 せめ     て         もう


    一  度               たな



     か    くん



         に   あい     た



                 かっ



          たよ




    ま      だ




            すき



   だ  っ          て



          つ       た



      え



              て






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