第4話

 望月さんの頼みを引き受けてから、彩華ちゃんと共に過ごした時間は考えるのも億劫なほどになっている。そして、気付いたら彩華ちゃんとの時間がとても大切な、欠かすことの出来ないものになっていった。

 そして、数日前、彩華ちゃんがスマホの画面を見せながら「ここ、一緒に行ってもらえませんか?」と言ってきた。それは駅前にある総合アミューズメント施設で、十五周年記念限定スイーツがカップル限定で食べられるらしい。カップル限定、と言っても男女ペアであるなら親子、兄妹、なんでもいいらしいが。

 その約束の日が今日。いつも通りバイクに乗って駅に向かっている。しかし、俺の心は激しく乱れていた。彩華ちゃんとのデートが原因ではない。いや、そのことに高揚している自分がいるのは不覚ながら自覚している。女性と出掛けることがほとんどないからだ。いや、彼女の場合は女性と言うよりも、女の子、と言った方が適切かもしれない。ただ、惹かれているかどうかと聞かれたら、俺は彼女に惹かれているのかもしれない。

 と、目の前の信号が赤になったから止まった。すると、背中に今まで感じていた感触が不意になくなった。俺は安堵と共に、少し残念な気持ちになった。

 控えめではあるが、確かに感じていた柔らかさ。そう、今後ろには彼女が乗っている。そして、俺の腰に手を回し、抱きつくような形で密着している。するとどうしても背中に胸の感触があり、それが俺の心を乱していたのだ。

 変な気持ちを起こすつもりは毛頭ない。してしまえば晴れて犯罪者の一員だ。しかし、意識せずにはいられなかった。

「あ、あの、やっぱり、二人乗りって迷惑でしたか?」

「いや、そんなことはないよ。ただ……」

 俺の様子がおかしいと思ったのか、彼女が聞いてきた。

 今回、バイクに乗ってみたい、と彼女が言ったから乗せてあげることになった。そのことに対する申し訳なさから言ったのだろうが、実際はその事自体には問題は何もなかった。背中の感触を除けば。いや、それを俺がここまで意識してしまうことを除けば、と言った方が正しいか。しかし、そんなことを正直に伝える気にはなれない。伝えればきっと、今のこの空気が変になる。いや、それだけならまだましだ。変に警戒され、母親に言われたら通報されかねない。

 彼女は黙ってその先の言葉を待ってくれている。不自然にならないような、それでいて説得力のある理由を作り上げ、俺は続けた。

「いつも以上に安全運転を心掛けてるからかな。普段、ここまで交通量の多いところで二人乗りはあまりしないから」

 実際、これは事実だ。バイト先は反対方向だし、駅に来るときはいつも一人だった。

彼女が何か言おうとしたが、その前に信号が青になった。

「ほら、捕まって。行くよ」

 再び密着してきたのを感じて、俺は進み始めた。


 煩悩を振り払うように運転に集中していたら、それ以降会話もなく、無事に着いた。まぁ、運転中は会話なんて出来ないから、普通のことかもしれないが。

 バイクから彼女が降りる際、身体が離れていくことを寂しく感じる自分がいた。いや、別に、胸の感触をもっと味わいたいとかそんなやましい気持ちは決してない、つもりだ。

「あ、田中さん、久し振りです」

 と、声をかけられてそちらを見ると、松本さんがいた。彼女がバイトをやめて以来だから本当に久しぶりな気がする。

「あ、もしかして、デート中でした?」

 彩華ちゃんに気付いたのか、そんな言葉を口にした。俺はその言葉に動揺した。

「いや、彼女が来たいって言うから、付き添ってるだけだよ」

 彩華ちゃんを手で指しながらそう言うと、松本さんは値踏みでもするように彩華ちゃんを見た。

「ふぅん。田中さんって、こういう娘がタイプなんですね。これじゃ、わたしがフラれるのも当然ですよね?」

 いたずらをする子供のように笑いながら言った。彩華ちゃんを横目で見ると、恥ずかしそうにうつむいていた。

 どう答えるべきか分からず、黙っていたら、松本さんが更なる追撃をして来た。

「でも、田中さんがロリコンだとは知りませんでしたよ。こんな、中学生?くらいの娘とデートだなんて。これは拡散するしかないですね」

「いや、本当に違うから。たまたま近所の娘ってだけで。彼女も俺のことなんてそんな風には見てないだろうし」

「あ、その言い方だと田中さんはそう思ってるってことですか?じゃぁ、田中さんが犯罪者になったらしっかりと言っておきますね。いつかやると思ってまして、って」

「あ、あの、田中さんは、そんな人じゃ、ない、です」

 今まで黙っていた彩華ちゃんが下を向きながらもかばってくれた。最後の方は声が消えそうなほどに小さかったけれども。

 でも、俺はそのことがすごく嬉しかったが、それと同時に、松本さんに対する誤解を解かなくては、とも思った。

「彩華ちゃん…」

 俺が何か言おうとすると、松本さんはそれをさえぎって彩華ちゃんに話しかけた。ひとまずは松本さんに任せることにした。

「えと、ごめんね。わたしも本気で言ってるわけじゃないの。えと、彩華ちゃん、でいいんだよね?」

 俺が一瞬言った名前を聞き逃さなかったのか、松本さんは名前を呼んだ。彩華ちゃんは小さく、しかし確かに頷いた。

「うん、それでね、彩華ちゃん。本当に冗談で言っただけだから。気にしないでね」

「でも、それでも、あの……」

 彩華ちゃんは松本さんの言ってることは理解したのだろう。しかし、まだ何か言いたいのか何度も口を開きかける。それでもなかなか言葉にできないでいた。

 言葉を待つ間、松本さんが話し始めた。

「うん、わたしもね、田中さんがそんなことをする人じゃないって知ってる。でも、あんなことを言ったのはわたしの単なる嫉妬。だって、そうでしょ。わたしは田中さんにフラれた。それで久々に会ったと思ったら知らない、しかも、わたしとは全然違うタイプの女の子と一緒にいる。嫉妬しない方がおかしいよ。この気持ち、彩華ちゃんなら、きっと、分かるよね?」

「……はい」

「本当にごめんなさい。わたしの醜い嫉妬で二人を嫌な思いにさせちゃって。わたしはもう行くね。一緒にいるとまた変なこと言っちゃいそうだから。彩華ちゃん、頑張ってね」

「え?あ、はい……」

 松本さんは手を振りながら気まずそうな表情で立ち去っていった。俺もそれに手を振り返し、彩華ちゃんの方を見ると、複雑な表情をしていた。

 最後の頑張って、と何か関係あるのだろうか?そもそも、頑張るって彼女が何を頑張るんだ?

 疑問ではあったが、誤解は解けたようなので安心した。俺が言っていたらどうなっていたかは分からない。やはり、松本さんに任せたのが正解だった。ただ俺は逃げただけ、とも言えるかもしれないが。

 気を取り直し、歩き始めると、右手に柔らかい感触がした。見ると、彩華ちゃんが俺の手を握っていた。

「その、ごめんなさい」

 慌てて手を離そうとするのを俺は握り返すことで阻止した。

「俺の方こそごめん。松本さん、あ、さっきの人ね。いい人なんだけど、たまに悪ふざけが過ぎるときがあって。会うことはないかもしれないけど、嫌いにならないでくれると嬉しいかな」

「はい、大丈夫です。その、いい人だってことは分かりましたから。でも、その、あの人をフったって本当ですか?」

「……本当だよ」

 一言だけ返した。この話題は何だか気まずい。握った手をわずかに強く握り、彼女を先導するように俺はゆっくりと歩き始めた。彼女は何も言わずついてきてくれた。


 目的のカフェに入ると中はカップルで一杯だった。少し気まずい気分になりながらも俺は禁煙席を選択し、席へと案内された。何度も挑戦しようとして失敗していた禁煙は彩華ちゃんの応援を思い出すだけで簡単に成功した。

 あの時言っていたご褒美はまだもらっていない。まぁ、中学生に物をねだるわけにもいかないから、渡されても困るのだけれども。

 手早く注文を済ませると、何かを言いたそうにしているのに気付いた。

 しばらく待っても何も言い出さず、微妙な沈黙が続く中、注文した品が運ばれてきた。彩華ちゃんはとても愛しいものかのようにその限定スイーツを見ていた。

「あの、十五年前のこと、覚えてますか?」

 十五年前、といきなり言われても何のことなのか分からない。ここが十五周年だから、できた頃の話なのだろうか?答えに貧していると、彩華ちゃんは話を変えた。

「田中さんはここ、来たことあるんですか?」

「来たことは、ないかな。来ようと思ったことはあるけど」

「そうですか。わたしもなんです」

 彩華ちゃんは儚げに笑った。紅茶を一口飲んで、小さく息を吐くと、しっかりと俺の目を見て、はっきりと言った。


さんって覚えてるんですよね?」


 一瞬、何を言われているのか分からなかった。それほどに予想外の言葉だった。

 最原さんのことは最近は思い出すことは少なくなっているが、たしかに覚えている。しかし、なぜ彼女がその名前を知っている?同じ名前のクラスメイトがいたことは話したことがある。でも、名字までは言ってなかったはずだ。仮に言っていたとしても、なぜその名前が今ここで出てくる?

 さっきの質問。十五年前、この場所、最原さん。この三つが一つに繋がるものがあるのか?

 はっきりと思い出す。いや、忘れるわけがない。ただ思い出さないようにしていただけだ。何せ、俺は十五年前の今日、最原さんと一緒にここに来る予定だった。そして……。

「あ、ごめんなさい。嫌なことを思い出させたかった訳じゃないんです。ただ、話したいこと、ううん、話さなきゃいけないことがあって…」

 辛い記憶を思い出し、渋い表情になっていたのだろう、そう言ってくれた。

「いや、大丈夫。最原さんは中学時代、数少ない異性の友達だったけど、その話さなきゃいけないことって最原さんと関係があるの?」

「はい。十五年前のちょうど今日、この場所で田中さんに伝えたいことがあったんです」

 おそらくは最原さんの話なのだろう。でも、その口調は自分のことを話しているかのようだった。

「ここに誘うのもすごい勇気がいりました。誘ったあとも言うのをやめよう、そう何度も思ったんです。でも、それじゃダメだ、言わなかったらきっと一生言えなくなる、そう思いました。だから、言います」

 気持ちを落ち着かせるためか、深く深呼吸をして、彼女は続けた。


「わたし、は田中君のことがずっと好きでした」


 ?どういうことだ?たしかに、最原さんの話をしていた。でも、と言った。そして、俺のことも、田中さん、でなく最原さんと同じ、田中君、と呼んだ。困惑していると、彼女も少し困ったような顔をして、語り始めた。

「いきなりでごめんなさい。でも、これが話さなきゃいけないことの一つ目なんです。どうしてわたしが会ったこともあるはずのない最原さんのことを知っているか、そして、どうしてそれを話したのか、その理由がもう一つの話さなきゃいけないことなんです」

 彼女は昔を思い出すようにゆっくりと、それでも確かな口調で話し始めた。それは、今から十五年前の実際にあった最原さんの話だった。

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