第3話

 起きると、日はすでに高かった。どうやら爆睡していたみたいだ。だが、今日は休み。予定も何一つない。と言っても、大学までの友人は就職とともに様々な場所に引越し疎遠になったし、寂しいことに彼女がいたためしもない。そんな俺にそもそも予定など入るはずもないのだが。でも、もし、あの日、想いを伝えていたら、最原さんと付き合うことができていたら、何か変わっていたのだろうか?

 とそんな事を考えていると、トントントン、とドアがノックされた。

 うちに用のある人なんていないだろうし、通販で何か頼んでいたか?と疑問に思いながらドアを開けると、そこには望月さんが立っていた。

「こんにちわ。今日って、何か予定とかありますか?」

「いえ、特にはないですけれど…」

 このあと何を言われるか分からないが、正直に答えた。もし、面倒ごとに巻き込まれるようならば、用事を忘れていた、と嘘でも言って逃げればいいだろう。

 望月さんはそんな俺の心境に気づく様子もなく、少し安心したように言った。

「実は、娘のことで頼みたいことがあるんです。お昼、まだならご馳走しますから、話だけでも聞いてくれませんか?」

 どうやら、面倒事のようだった。これは断る一択だろう。誰がどう考えてもそうだ。実際、俺もそう考えていた。しかし、俺の口から出たのは真逆の言葉だった。

「いいですよ。俺にできることなら、力になります。で、今起きたばかりなので、準備させてもらってもいいですか?」

「ありがとうございます。お昼の準備もまだ終わってないですし、それが終わる頃に娘に迎えに来てもらいますね。あ、ご馳走すると言っても、我が家のなので、そんな準備とかはいらないですよ」

「分かりました」

「では、また」

 そう言うと、望月さんは戻っていった。

 今のやり取りが自分でも意味不明でその場でしばらく立ち尽くしていた。気付けば断ろうと思ったお願いを何故か快諾していた。いや内容を聞いてから断ったって遅くはないはずだ。そう、食費を一食分浮かせるために無意識にそう答えていたんだ。「娘のことで頼みたいことがあるんです」その言葉が原因などではない。そう、たまたま隣に引っ越してきた女子中学生のことなんて関係ないはず。

 俺は、とりあえずそう結論付けた。それが本心を騙していることに薄々ながら気付いていながら。


 それから、寝癖を直し、髭を剃り、洗濯したてのまだまともな服に着替えた頃、再びドアがノックされた。どこかに出掛けるわけでもないのに、なんでこんな服に着替えてるんだ、と自問しつつドアを開けた。

「あ、こ、こんにちわ。その、準備が終わるので、その、迎えに来ました」

 さっきの言葉通り、娘の方が迎えに来ていた。今もおどおどしてるし、恥ずかしいのか、顔を伏せぎみにして、目を合わせようとしない。

 だが、そんな彼女の雰囲気と服装は異なっていた。頑張ってお洒落をしてみました、そんな感じが見え隠れしていた。他人のことは言えないが、そんなことをする必要性があるのだろうか?まぁ、俺とは違って、彼女はこの後出掛けるのかもしれないが。

「うん、分かった。行こうか」

 そう言って彼女に連れられて壁一枚挟んだだけの隣の望月さん宅へとお邪魔した。

「お邪魔します」

「はい、どうぞ。まだ片付け終わってないから散らかってますけど」

 中に入ると俺と同じ間取りの1K。父親は見かけていないから二人なのだろうけれども、それでも少し狭いのではないかと他人事ながら心配になる。そして、望月さんが言った通り、まだいくつかの段ボールが未開封のまま置いてあった。

 そして、壁にかけられていた制服。それは、一週間前に告白をしてきた少女が着ていたものと同じ、ように見えた。制服に詳しいわけではないから、確かなことは言えないが。

「こっち、どうぞ」

 娘さんに勧められた座布団に座った。座るとき、ミニスカートから覗く太ももが目に入り、ドキッとした。いや、変な意味ではない。決して。

 意識を逸らすように机の上を見ると、どこか懐かしさを覚えるような家庭の手料理、そんな感じの料理がすでに並べられていた。

「お口に合うといいんですけれど」

 望月さんが謙遜してそう言うが、見た目はどれも美味しそうで、見ているだけで空腹感を思い出された。

「いただきます」

 俺はそう言って一口、口にした。

「美味しいですね。最近、こう言ういかにも家庭料理って言うの、食べてないから懐かしいです」

「そう言ってもらえると、嬉しいです」

 お世辞でもなく、正直な感想を伝えると、望月さんは笑顔でそう言った。娘の方は顔を伏せ、恥ずかしげに少しずつ食べている。目が合うと、急に顔を赤らめ、余計に俯いてしまった。男に食事中の姿を見られるのが恥ずかしいのだろうか?思春期の女の子のことなんて俺には分からないが、とりあえず、あまり見ないことにした。

 さて、俺はこの食事と引き換えに何かを頼まれるはずだ。自分から聞いた方がいいのだろうか、それとも、何も言わず、話してくれるのを待つべきか。しばらくそんなことを考えていたが、話し始める様子がない。ならば、こちらから聞くべきだろうか、と思い口を開いた。

「それで、その、頼みたいこと、っていうのは?」

「それは食後に、ということで」

 そう言われたら追求はできない。あとは黙々と久々の手料理を堪能した。しかし、その場には会話がほとんどなく、どこか気まずい雰囲気がその場を支配していたように思えた。

 特に、望月さんは俺を値踏みでもするかのように見ていたような気がする。娘の方に助けを求めようと思っても、知らない男がいて緊張しているのか、それとも恥ずかしいのか、顔を上げてくれる様子はなかった。


 そんな食事が終わり、望月さんが食器を片付けたあと、もとの位置に座り、話し始めた。

「それで、頼みなんですけれど、さっきも言いましたけど、この子のことなんです」

 その言葉に促され、娘の方を見ると、今にも消えてしまいそうなほど、小さくなっていた。その姿を見ると、どんな無理難題でもやってあげたい、何故かそんなことを思ってしまった。

「わたしたち、二人で暮らしている訳なんですけれど、仕事の都合上、帰りが遅くなることもあるんですよ。それで、娘一人をここに残しておくのも少し、不安なところもありまして。もう、そんな子供じゃない、というのは分かっているんですけど、親にとっては子供はいつまでも子供ですから」

 娘さんはその言葉を聞きながら、時折何かを言おうと口を開きかけるが、実際は何も言わず、聞いていた。そんな様子を見ると、たしかに、一人にしておくのは少し、不安になるなぁ、と感じた。

「それで、たまに、でいいんですけれど、帰りの遅いときはこの子の面倒を見てやってもらえないですか?田中さんの都合のいい日だけでも構わないんです。お礼は、こうやって食事を用意してあげることくらいしかできませんが。会ったばかりの人にこんなことを頼むのもどうかと思うんですけど、どうでしょうか?」

 俺は、考える振りをする。答えはすでに決まっている。そもそも面倒ごとなら引き受けないつもりだった。しかし、なぜか、引き受ける自分しかいないことに気づいていた。

「その、娘さんがよければ、引き受けますよ」

「あの、わたしは構いません。それと、その、わたしのことは、彩華、って呼んでもらえると、その、嬉しいです」

「それじゃ、彩華…ちゃん?」

「はい」

 当の本人から名前で呼んでほしいと言われたが、呼び捨てにするのはどうかと思い、彩華ちゃん、と呼んだ。彩華さん、とどちらがいいか一瞬悩んだが、彼女の雰囲気から受ける印象では彩華ちゃん、の方が自然だった。

 名前を呼んだときの彼女は照れ臭そうに笑った。その表情はとても可愛かった。

「本人同士の了承も得られたし、これからよろしくお願いします」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 頭を下げる望月さんに倣って、俺も頭を下げた。ちらりと彩華ちゃんを見ると、彼女も頭を下げていた。

「それじゃ、あとは若い二人に任せてわたしは少し出てくるわね」

 望月さんはそれだけ言うと足早に出かけていった。

 若い二人に、ってお見合いみたいじゃないか。それに、若いと言っても俺は彩華ちゃんより望月さんの方に歳は近いはずだ。少なくとも見た目的にはそう見える。

 彩華ちゃんの方を見ると、耳まで真っ赤にして俯いてしまっている。

 二人の間になんともいいがたい微妙な沈黙が続いている。ここは、年長者である俺が何とかするべきか、と考え、当たり障りのない話題を……思いつかないが、それっぽい話題を探す。

「えと、彩華ちゃんは……今は中学生?」

「あ、はい。中学三年です」

 …

 ……

 ………

 再び沈黙。いや、この流れだったら、学校のこととか、受験とか、色々話広げれただろ。なのに……。今さらそこに話を戻すのもおかしいし、どうしたらいいんだ。

 とりあえず、落ち着かせるためにポケットからタバコを取り出し、いつものように吸おうとした。

「あ、タバコ……」

 しかし、その一言でここが他人の部屋であることを思い出し、勝手に吸うのもどうかと思い、火をつけるのは止めた。

「あぁ、ごめん。つい」

「あの、やめようとは、思わないんですか?あ、わたしなんかが、その、すみません」

「いいよ。でも、せっかくの機会だし、禁煙してみるか」

「あ、わたし、応援します!頑張ってください!」

 まっすぐ俺の方を見て、真剣そのものの表情で言ってくれた。その一言で俺は禁煙を決意した。今までは三日坊主どころか、一日坊主にもなってなかったりもしたけれど、今回はできる気がした。

「彩華ちゃんの応援が無駄にならないように頑張るよ」

「ちゃんと禁煙できたら、わたしが何かご褒美あげます」

 頬は赤く染まり、恥ずかしげに笑うその表情は恋する乙女のようで見ているこちらがドキッとしてしまった。

 でも、恋する乙女って、相手は俺なのか?一週間前のこともあるし。いや、それは自意識過剰だろ。それに、この子があの少女だとは決まったわけではないんだから。

 そこでふと思い出した。女子中学生と二人きりの空間。何気ない会話。そう、中学時代の最原さんとのかけがえのない大切だった時間を。

「わたしがご褒美って、やっぱり、おかしかったですよね。ごめんなさい」

 思わず、笑っていたのか、そして、それを自分の発言のせいだと思ったのか、彩華ちゃんは謝ってきた。

「いや、そんなことはないよ。ただ、ちょっと昔を思い出して、懐かしい気分になっただけ」

 彩華ちゃんは安心したように微笑んだ。

「中学生の頃、漢字は違うけど、彩華ちゃんと同じ名前のクラスメイトがいて、その人と話してたときのことをね。たまたま俺も彼女も学校に着くのが早かったから、友達が来るまでの少しの時間、二人で話してたりして」

 そのとき、彩華ちゃんはまるであり得ないものを見たかのように驚愕の表情を浮かべた。しかし、それは一瞬で、すぐに、顔を伏せてしまった。表情はうかがえないが、少し、様子がおかしいように見えた。

「彩華ちゃん、どうかした?」

「いえ、大丈夫です。その、一人でも、平気なので、田中さんは帰ってもらっても、大丈夫ですよ」

 しかし、その言葉とは反対に声は少し震えていた。心配になって声をかけようとするが、

「本当に、その、大、丈夫、ですから…」

と、先に言われてしまった。

 声の震えは先ほどよりも強くなっているし、心配ではあるが、本人がそこまで言うなら、帰ることにした。

「分かった。今日はもう帰るね。でも、もし何かあったら俺を頼ってくれてもいいから。それと、これ」

 最後に一言声をかけ、近くにおいてあったメモに俺の連絡先を書いて渡しておいた。

 そのメモを両手で大事そうに握りしめ、小さくうなずいたのを確認してから、俺は自分の部屋へと戻っていった。


 その後も、何かあったのか聞いたが、答えを聞くことはなかった。

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