第2話

「田中さん、好きです。付き合ってください」

 バイトの帰り、今日でやめる後輩をバイクで送っての別れ際、突然告白をされた。

 正直、彼女は魅力的な女性だ。見た目もキレイ系で、不思議と人を引き付けるような印象を受ける。内面も、気さくで、細かい気配りもでき、バイト先でも看板娘のような存在だった。

 そんな彼女に告白をされて嬉しくないはずがない。ここで断るなんてそんな選択肢はないはずだ。

 しかし、俺の頭の中には一人の少女が浮かび上がってくる。今まで何人かの人に告白をされたことがあるが、その度に頭に浮かぶ一人の少女。彼女、最原さんは中学時代のクラスメイトで、登校するのが偶然誰よりも早かった。そして、俺も最原さんに会いたいがために早く登校していた。そして、友人たちが来るまでの少しの間、二人で何気ない会話をしていた。

 そんな記憶を思い出し、その結果、俺が答えるのはいつも同じ言葉だった。

「ごめん。松本さんは、その、すごい、素敵な女性だと思う。でも、付き合えない」

「何で?今付き合ってる人、いないんですよね?誰か、気になる人がいるんですか?」

「そういうわけじゃないけど…。ごめん」

「そうですか。じゃぁ、わたしは今よりもっともっとキレイになってフったこと、後悔させてあげますね。そのときに、なっても、知りません、からね」

 そう言うと、彼女は走り去っていった。振り返り様、彼女の頬に光るものが見えた気がした。

 彼女にそんな思いをさせるくらいなら、付き合ってもよかったんじゃないか、そんな気にもなってくる。でも、もし、付き合ったとしても、きっと、最原さんのことを思い出してしまう気がする。そうなると今以上に傷つけてしまう。そんな気がするから俺の選択肢はいつも一つだけだった。

 俺の初恋の相手で、今はもう会えない、そして、今でも想っている最原さんのことを俺はどうしても忘れることができない。

 思えば、一週間前のあの日、街中で突然告白をされたときも最原さんとはまったく違う声なのに、そうだと感じたのも彼女を無意識に思い出したからなのかもしれない。



 アパートに帰ると、引越し業者のトラックが停まっていた。どうやら、新しく引っ越してくる人がいるみたいだ。ただ、運が悪いのか、俺の隣の部屋で、ちょうど荷物を入れている最中で、部屋には入れそうにない。

 仕方がないので、タバコを吸いながら一段落するのを待つことにした。タバコと一緒にスマホも取り出し、ツイッターをチェックすると、

『今日がバイトの最後の日だから、先輩に思いきって告白したらフラれたよ~。』

と、松本さんが呟いていた。ただ、明るい感じで呟いてはいるが、最後の表情を思い出すと、きっと、無理をしているんだろう。なんか、申し訳ない気分になったが、それに対して俺が何か返すのも違う気もしたから、心の中で謝るだけにした。本当、ごめん。

「あ、あの…」

 そうしていると、いきなり話しかけられた。顔を上げると、そこには一週間前、街中で突然告白をしてきたのとよく似た雰囲気の少女がいた。いや、あれは本当に告白だったのかは今となっては分からないけれども。

「えと、あの…、ここに、住んでるんですか?」

 一週間前とは異なり、その声に覇気はなかった。それでも、一瞬、目の前の少女が最原さんに見えた。

 最原さんは彼女とは違い、髪は短く、地毛で少し茶色が入っていた。そして、話し方も快活で、話しているだけでこちらが元気を分けてもらえるような、そんな人だった。

 なのに、何故…?

「あ、そ、その、ごめんなさい」

 俺が黙っていたのが機嫌の損ねたからと勘違いたのか、謝ってきた。

「あ、ごめん、俺も考え事してたから。今、引越しの人がいる隣の部屋、202号室に住んでるけど」

 と答えて、部屋までは言う必要なかったかな、とも思ったけれども、言ったものは取り消せないし、大して問題でもないだろうから、そのままにした。

「あ、そうなんですか。わたし、その隣の部屋に今日引っ越してきた望月彩華もちづきあやかっていいます。よろしくお願いします」

 そう言って少女、望月さんは深々と頭を下げた。

「俺は田中隆志。こちらこそ、よろしく」

「はい」

 望月さんは嬉しそうに、しかし、どこか恥ずかしげに微笑んだ。

 まただ。また最原さんと姿がかぶる。記憶の中の最原さんと目の前の望月さんとの共通項なんて年齢くらいしかないようにも見える。いや、もう一つあった。最原さんの名前は最原文香あやかだ。そして、望月さんもと名乗らなかったか?

 ただ、年齢と名前が同じというだけで同一視してしまったのか、というと自分でも疑問だ。しかし、他にも何かあるのか、と言われると何も思い付かない。

 女子中学生とこうやって親しく(?)会話することも普段はない。そして、ついさっき最原さんのことを思い出したばかりだからなのだろうと、とりあえずは結論付けた。

「彩華、いつまでも外にいないで……。あ、えぇと、貴方は?」

 と、そこにおそらくは望月さんの母親であろう女性がやってきた。その表情にはわずかにだが、不信感が見えた。

「えと、隣の部屋の田中隆志です」

 とりあえず、不審者と思われないよう、ここにいる理由を簡単に添えて名乗った。後ろにはバイク。そして、女子中学生と話す見ず知らずの男。これだけ見ると不審者扱いされてもおかしくないな。問答無用で通報されなくて本当によかった。

「この度、ここに引っ越してきた望月です。よろしくお願いしますね」

 そう言って右手を差し出してきたので、握手を交わす。とりあえず、不審者ではないと思ってくれたようだ。

 望月さんの母親はとても中学生の娘がいるようには見えず、自分と同世代と言っても十分通じるのではないか、と思った。

「でも、いくら娘が可愛いからって、こんなところでナンパは許せないですよ?」

「え?ナンパ、ですか?いえ、してないですよ。むしろ、娘さんの方から話しかけてきたんですから」

 これは、もしかしたら、本当に不審者として通報される一歩手前だったのではないか?中学生をナンパする三十手前の男。ヤバすぎるだろ!

 母親を見ると、驚いたように娘の方を見ていた。

「本当に?あらあら、珍しいこともあるものね。名前とは反対に大人しいし、人見知りするから、自分から話しかけるなんて滅多にないのに」

「え?名前と反対に…?」

 名前は望月、と名乗ってなかったか?それと反対?どう言うことだ?

「あら、まだ名前言ってなかったの?」

「ううん、言ったよ。望月って。あ、あの、漢字。彩り華やか、って書くんです。わたしみたいに地味な子には、その、似合わないですよね…?」

 恥ずかしそうに彼女は言った。

 ああ、そういうことか。最原さんのイメージのせいでついと勘違いしていたわけだ。

「いや、そんなことはないよ。十分、素敵な名前だと思うよ」

 思ったことをそのまま口にした。ただし、似合わない、という意見には同意するが。

「どうやら、娘もあなたのことが気に入ったみたいですし、仲良くしてくださいね。ただし、変な気は起こさないでくださいね」

「お、お母さん、や、止めてよ」

 母親の方は冗談っぽくはあるが、その目は真剣だった。娘の方は恥ずかしさを隠すようにそう言った。とても仲が良さそうなのが伝わってきて、微笑ましい気持ちになった。

「はい、顔を合わすことがあれば、それ相応には仲良くしますよ。ただし、一線を越えない程度に」

 母親に合わせて、社交辞令とともに冗談で返した。母親は満足したようにうなずくと、娘の方に顔を向けた。

「ほら、片付けしないと寝るところもないんだから、早く行くよ」

 最後にこちらに軽く会釈をして、立ち去っていった。

「えと、田中さん、また、ね」

 顔を真っ赤にしながら、そう言うと、娘の方も立ち去っていった。

 またね、か。隣に住むのだから、顔を合わせることはこれから何度もあるだろう。ただ、それは他の住人たちと同じで挨拶も何もない、無彩色の本当に顔を合わせるだけのものでなく、彼女とのそれは彩り華やかになる気がした。彼女の名前の通りの。



 その日の夜。俺は一人、缶ビールを飲みながら、一日を振り返っていた。

 いつものようにバイトに行き、家に帰り、何をするでもなく退屈な一日になるはずだった。それが、実際はどうだ。帰りには後輩に告白され、帰れば一週間前に告白をしてきたと思われる少女が引っ越してきた。まるで、ドラマか小説のような展開じゃないか。もし、これが創作物だったら、どうなるんだろうか?あの少女と付き合う?まさかな…。思わず、笑えてきた。

 そして、思い出す。最原さん、中学時代に出会った文香のことを。

 いつも笑顔で眩しかった。俺みたいな人間が彼女と話すこと、それ自体が罪だと思えるほどに。明るく、元気で話していてもとても楽しかった。

 教室での二人きりの時間。

……

………

 《彩華》…?何故?俺は今、最原さんのことを思い出していたはずじゃないのか?なのに、何故今日出会ったあの少女のことを?

 疑問は頭から消えなかったが、何故か嫌な気分にはならなかった。

 ビールの残りを一気に飲み干すと、窓を開け、タバコに火を着けた。

 もう会うことはない最原さんを俺はいまだに想っている。否定をするつもりは今はもうない。そして、偶然現れた同じ年頃、漢字は違うが同じ名前、その少女にその面影を無理矢理重ねているだけなのかもしれない。それでも、何故か、また彼女と会うのを楽しみにしている自分がいた。

 まぁ、恋愛などではなく、郷愁の思いからだろうな、と思いながら、空に上っていく煙をぼんやりと眺めた。

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