第16話 第四章「みんなの誕生日」3


 ネネルが心待ちにしていた誕生会が行われる日は、すぐにやってきた。

橋の中程である休憩所で昼食をとったあと、テイチの運転するトラックの助手席で、道程ラジオを撫でながら、ひとり笑みを浮かべていた。

「気持ち悪ぃなぁ……そのうち、にやけ面が染みついてとれなくなるぞ」

「そんなことないよぉ~、父さんは変なこと言うなぁ」

「お前の顔が変だって言ってんだ……まぁいいか。仕事さえきっちりやりゃあ、後は何でもいい」

「父さんだって結構、島では甘いじゃないか。普段はだらだらするな、遊ぶなって言うくせに」

 ラジオを撫でながらの反論に、テイチは少し考えてから答えを返してきたようだった。

「そうだな……あそこには、それくらいの楽しみってやつがあっても許される……いや、許されるなんて言うのはダメだな……あるべき……あったほうがいい……ち、言葉ってやつは難しくて厄介だな」

 テイチはハンドルから片手を外し、頭をわしわしとかくと、歯を食いしばったように、そのまま押し黙ってしまった。しばらく、ハンドルの上でタバコを探すように指を踊らせていたが、観念して、テイチは口を開いた。

「まぁなんだ……島に行って、仕事以外の時は、アメレやスノと、楽しいことやりゃいいんだってことだ」

「すごい回り道した言い方だね」

「俺にもわからねぇことなんか、いくらでもあんだよ……これはそういうもんだ」

 何かわざと難しい言い方をされて、ごまかされてしまった気がする。だが、それはテイチからもアメレとスノと誕生会を催すことについての許しが出たという意味でもあるとネネルは飲み込んだ。

「これ、喜んでもらえるといいなぁ……」

「まぁ世話ねぇだろ。お前のにやけた面見てたら、何だろうが怒るに怒れねぇだろうしな」

「だといいな……」

 海を白波立てて渡る風は、スノが作るケーキにのっているだろう、白いクリームに見立てることは容易だった。たったそれだけのことなのに、幼い頃に戻って、ナナがおやつにと食卓に運んできてくれる、手作りの小さなケーキを待つように心が高揚していく。

「にやけっぱなしなのはいいんだが、ちゃんと仕事もしろよ」

「もちろんだよ」

 答えている間に、守衛が待つ橋の端にある事務所にトラックは行き当たる。

「おぅ、テイチにネネル。今日も元気そうじゃな」

「はい、守衛さんもお元気そうで、何よりです!」

「ははは、わしは死ぬまで元気じゃぞ!」

「当たり前だろジィさん……」

「当たり前のことは、たまに確認せにゃ忘れちまうもんなんじゃ。ほれ、さっさと仕事に行かんか」

「あいよ……今日は帰る時間が、少し遅れるかもしれねぇけど、気にとめといてくれ」

 テイチは誕生会のことを言っているのだろう。守衛の前を通り過ぎる時、頭を下げて上げると、いつものように、しわの深い笑み守衛は浮かべていてくれた。もちろん守衛が誕生会のことなど知るはずもないが、三人の誕生日を祝ってくれているように思えた。

 きっと、嬉しいことが心にあると、世界の全ては色を増して見えるのだと、ネネルは口笛を吹きたくなる。だが、そこまでするとさすがのテイチに口先をつままれそうなので我慢した。

 程なくして、トラックは定位置へと停車され、納品の仕事が始まる。いつものように納品書の束を持ち、雑貨のパードの玄関へと回り、中のアメレへと手渡す。

「はい、確かに……」

 だがアメレは素っ気ない態度で、まるで今日が何もない日だと言いたいようだ。

「何? まだなんかあんの?」

「ううん……じゃあ倉庫の方に商品入れてくるね」

「ん、お願いね」

 やはりアメレは気にする様子もなく、後ろ手を振ると、早く行けとばかりに示した。

「ちぇ、何だよ……誕生日会なんかどうでもいいみたいじゃないかよ……」

 独り言の暗さから、楽しくふくらませていた気持ちがしぼんだように思えてしまう。インスから譲り受けてから、毎日のように磨いた、今はトラックの助手席で出番を待つラジオが一気にくすんでしまったようだ。

「きっとスノなら、こんなことないよね……わくわくして、昨日なんかろくに眠ってないかもしれないし」

 そうであって欲しいと願いを込めて、テイチの手でトラックから降ろされ、積まれている商品のひとつを持ち上げて思った。

 そんな風に、ひとつひとつの商品を持ち上げ、倉庫に運び納める度に、アメレの態度を考えたり、まだ見てもいないスノの喜ぶ顔を想像したりと、往復しているうちに、商品の山はなくなっていた。

「終わった……僕ってやれば出来るんだな」

 額に光る汗を袖でぬぐい、一息つく。もうやることはない――そうなれば、お待ちかねであるラジオの出番だ。だが、まだラジオを助手席から降ろすのは早い。まずは店に回って、倉庫への搬入が終わったことを伝えに行かなければならない。そういう手順や作業をないがしろにすれば、アメレの表情は曇りから雷になって、げんこつの雨が降る。

「雨ならいいけど、大雨だろうし……」

 険しい表情で、拳を振りかぶるアメレの姿が脳裏に浮かんで、思わず身を引いてしまった。それでも仕事なのだからと、気とは裏腹に笑う膝に手を打って言うことをきかせ、表に回った。

「アメレさん、倉庫に商品入れ終わったよ」

「そう、ありがと。じゃあちょっと休憩したら、奥に来なさいね……あ、あと来る前に表にこれ出しといて」

「あ、うん……」

 答えると、アメレはそそくさと奥に消えていってしまった。アメレが表に出すように言ったのは、臨時休業と書かれた看板だった。

「……アメレさん、どうしたの?」

 椅子に座って、談話の最中であるラウドとテイチに不思議すぎて、聞いてみる。

「なんじゃ……アメレにとっても初めてじゃから、どんな態度をしたらええかわからんのじゃろ。変に喜んどっても違うし、緊張しとっても違うと思うんじゃろ、むずかしぃもんじゃ」

「結果、いつもより無愛想ってことになるわけか……めんどくせぇな、女ってのはいくつでも」

 二人が教えてくれた話を組み合わせて考えると、アメレは誕生日会のことを気にしていないわけではないようだ。気にしていないどころか、気にしすぎているから、ああなっているということになる。

「なんだ……楽しみなら、楽しみって言えばいいのに……素直じゃないなぁ」

「そこがアメレなんじゃ。いいとこでも悪いとこでもあるんじゃがな……年の近いネネルの前じゃ、もっと普通でええと思うんじゃがのぉ。うまくはいかんなぁ、年上のプライドっちゅうやつじゃ」

「そういうことだ。俺たちも後で覗くから、お前はさっさと看板出して、裏に行ってこい」

「わかったよ……ちゃんとプレゼントも持って行かなきゃ」

「ネネル、二人のプレゼントは何にしたんじゃ?」

「見てのお楽しみだよ!」

 ラウドに言い残し、アメレから指示された看板を持って、表へ飛び出る。入り口の取っ手に看板を下げると、その足でトラックまで走った。助手席にのぼると、ラジオを抱いて、石畳の道に飛び降りる。少し足から衝撃が背に上ったが、そんなことは些細だと気にせず、店へと舞い戻る。

「じゃあ僕は裏に行くね」

「大事そうに抱えとるそれがプレゼントか? それは……もしかしてラジオか?」

「うん! あれ……もしかして、ダメだったかな……」

木目の美しい外観のラジオを見て、ラウドの表情が一瞬変わった気がして、足を止めてしまった。

「そうじゃな……昔はダメじゃったもんのひとつじゃ。じゃけど、安心せぇ。今は大丈夫じゃ」

「うん、よかった! けど、何で昔はダメだったの?」

「ラジオの電波は遠くまで届くからな。ここでラジオをつければ、島以外の情報も聞けちまうからな……お偉方は、それが嫌だったんだろうな」

「…………そういうものなんだね」

島のことを知った今では、それは憤りつつも受け止められることだった。楽しい気持ちに水を差すには十分な情報だが、今は許されているというのなら、これを渡すことで、アメレとスノ、ラウドにも笑顔が溢れてくれることを想像するほうが、建設的だ。

「じゃあ、僕は行くね」

「ああ」

後押しされて、カウンターを抜けると、二度目となる、居住部分へのドアを開いた。だが、アメレには裏に来いとは言われたが、そのどこへ行けばいいかという指示は受けていない。足を止めて、視線だけを様々に散らす。

前にも見たはずだが、改めて見直すと、まだまだ室内には新鮮さが残っている。生活感というのは、人に懐かしい感覚を与えるのかもしれない。柱や床、クローゼットの角にある傷ひとつ、雨漏りか何かが作った小さな染みさえも、眺めているうちに愛しくなってくる。そのひとつひとつが歴史であり、想い出でもあるからだろうか。

「また、あんたは家の中をじろじろ見て……やらしいわね」

「アメレさん! そ、そんなこと言われたって、どこに来いって言われてないから、どこか探してただけじゃないか」

「はいはい。いいからこっちおいで」

痛い痛いと反抗するのを無視して、アメレは付け耳ではない耳をつまむと、ずるずると引きずる。そうして連れて行かれたのは、この前は通り過ぎただけだった、居間と台所の機能をあわせたような部屋だった。

「ネネルくん! いらっしゃいませ」

そこで待っていたのは、スノの笑顔と礼儀正しい挨拶だった。部屋をみると、ささやかではあるが、誕生日会のためにと、紙で作った輪が連なる装飾がされていたり、テーブルには丘に咲いていた花が生けられている。アメレとスノが、どんな風にそれを用意したかと考えると、それだけで温かくなれる。スノに手伝ってと言われたアメレが、文句を返しながらも、おとなしく手を動かしている姿が浮かんで和んでしまう。

「お招きありがとう。アメレさんにスノ」

「はい、うれしいです! じゃあネネルくん、そこに座ってくださいね。お姉ちゃんも早く」

勧められた椅子に座ると、アメレも同じように席に着く。スノはそれを確認してから、自分も席に着いた。三人が三人とも席についてしまって、顔を見合わせる。

「あの……これからどうしたらいいんでしょう……お姉ちゃんとする以外のお誕生日会って私、初めてなので」

「あたしもわかんない……ネネル、教えなよ」

「いや……僕もちゃんとした誕生日会って初めてで……これから何したらいいんだろう……家ではいつも……」

しばらく三人で、唸って考えていたが、いつかにインスが自分の誕生日のことを話していたことを思い出した。

「そうだ、料理食べたりするんだよ」

「あ、そうでした。お姉ちゃんとの誕生日会もそうです! でも今日は、時間が時間ですから、お料理って用意してないんです……それに」

何かを言いたげだったスノだが、料理を望んだのに料理がないことを悔いたのか、しょげてしまった。

「ネネル、楽しい日にスノいじめんなっ!」

「ご、ごめん。そんなつもりじゃないから、スノも気にしないで!」

アメレからげんこつが落ちなかっただけよしとしなければならない。膝の上でスノに対する物言いを恥じて拳を握ったところに、ラジオが触れた。

「そ、そうだ。プレゼント! 僕のプレゼント見て欲しいんだ。二人に持ってきたから!」

場の雰囲気を何とか上向かせようと、後のあとに取っておいて、驚かせようと思っていたプレゼントをここで出すことにした。

「あんたにしちゃ気が利いてるね。見たげるからだしなさいよ」

「お姉ちゃん、そんな言い方ダメでしょ。ネネルくんは、私たちのために用意してくれたんですよ」

「はいはい、でも別にあんただけが用意してるわけじゃないんだからね」

「え、じゃあアメレさんもスノも?」

「それは後のお楽しみですよ」

「だから、今はあんたの見せなさいってこと」

アメレとスノの視線が集まる中、膝に抱いていたラジオをテーブルの上に置いた。

「じゃじゃーん!」

「……じゃじゃーんはいいけど……これ何?」

「……私もわかりません……」

「え……」

と、漏らしてから、先ほど店でラウドが話していたことが、頭の隅に引っかかる。昔は禁じられていて、今は許されている……それは、昔からないものなら、今許されたからといって、存在が知識の中で、当たり前になっているというわけではないのだ。

「そっか……ごめんね、これはラジオってものなんだ。これで、音楽とかおしゃべりとか聞こえるんだよ」

「へぇ~この中に何か入ってて、音楽が聞けるんですか?」

スノはいきなり難しい質問をしてくる。特に何かが入っているというわけではないが、電波を受信してそれを音にすると言って、わかってもらえるだろうか。

「うーん……こうしたらわかるかな」

どんな説明をするよりも、ラジオというものを理解するなら、これが一番だろう。テーブルの中央、花が生けられた花瓶の横に、ラジオを置き、スイッチを入れた。

「あ、あれ? 何で聞こえてこないんだろ……」

「なぁに、あんた壊れたものあたしたちに押しつけようとしてんの?」

「ち、違うよ! おかしいな……コードがついてないから、電池かと思ったのに……」

慌てて、鳴らないラジオを持ち上げて、四方を念入りに見てみる。

「あ、こんなとこに……アメレさん、コンセントってどこにあるの?」

「ああ、あそこよ」

アメレが示してくれたのは、白い小さな棚が置いてある脇だった。そこへと椅子から立って行き、小さな棚の上にラジオを設置すると、ラジオ本体の一部にあった、取り外せるようになっている蓋を外して、コードを取り出して、差し込んだ。

「これでよし……じゃあいくよ」

アメレとスノの視線が集まり、小さな緊張の山がやってきた。ただスイッチを押すだけで、それ以外の功績など、自分にはないというのに、二人の視線が期待に変わって、降り注ぐ。

「あれ……音楽、ですか?」

スイッチを押した途端に、緩やかな音楽が流れてきた。チューニングは操作していないので、インスが聞いていたものが、ここでも受信できたということなのだろう。

「わわ、すごいです! お姉ちゃん、音楽が聞こえてきますよ!」

「う、うん……」

あのアメレが面食らっている様子は、新鮮で、なぜか気分がよかった。

「えとね、こっちのスイッチが電源で、こっちのスイッチを回すと、他にも聞けるんだよ」

チューニングを緩やかに変えていくと、話し声が聞こえたり、また激しい音楽が聞こえたりと、放送局が切り替わっていく。それをアメレもスノも目を見開いたままで、頷きながら聞いていた。

「すごすぎて、私ため息が出ちゃいます。あ、でも私は一番はじめに聞いた音楽が好きです!」

「じゃあそこにチューニング合わせておくね」

スノが好きだと言った音楽を流しているのは、実家でナナがいつも好んで聞いている放送局と同じだった。インスが設定したままだったチューニングで、音楽が届き、ナナが好きな放送局を好きだというスノ。ここは島かもしれないが、決して世界と切り離されているわけではなく、繋がっている。

 同じ世界なのだ。

ラジオのことだけで、そんな風に言ってしまうのは、大げさかもしれないが、ラジオをプレゼントしたことが、よかったことだったのだと知れた気がした。

「ま、まぁネネルにしちゃ、気が利いたプレゼントじゃない。喜んだげるわ」

アメレは表情を読み取られないようにか、顔を背けて、腕まで組んでお礼に似たものを口にする。その口も、どこか口笛でも吹くのかというとがり方をしている。本当は踊り出したいのを我慢しているだけかもしれない。案外、かわいいところもあるものだ。

「じゃあ今度はあたしのプレゼントね」

アメレはラジオからの音楽が緩やかに流れる中、独り言のようにつぶやくと、一度部屋をダンスステップを踏んで出て行く。しかし、呼吸ひとつする程度の時間で折り返してきた。そして帰ってきたアメレは、足下とは別にもっと口元をとがらせ、視線を大きく外していた。

「こ、これ……あんたとスノにプレゼント」

スノには丁寧に、こちらにはぶっきらぼうに、それぞれ色気のない茶色い紙袋を差し出すアメレの視線は、まだ明後日を向いたままだ。

「ありがとう、お姉ちゃん」

「アメレさんありがと……あけていいかな?」

「仕方ないわね……きょ、許可するわ」

アメレはここまで来ても、まだ目を背けたままだった。もしや目を背けていなくてはいけないほどの何かが、この紙袋から出てくる予定なのだろうか。スノへのプレゼントが、その類のものであるはずがないので、びっくり箱のような仕掛けがあるとするならば、この紙袋に違いない。

だが、アメレから受け取り、触る紙袋は適度な重みを持ち、柔らかな質感を返してくる。その感覚から、それほど危険を感じるようなものではないと推測は出来る。

「じゃあ、開けるね……」

ごそごそと紙袋を開けて、中に手を差し込むと、やはり柔らかな質感が手肌を押し返してきた。取り出して広げると、それはエプロンだった。

「わぁ、私のはミトンです!」

スノへのプレゼントの内容も知れたところで、アメレはやっと外し続けていた視線を交わらせた。

「その……ネネルのエプロンもちょっとくたびれてきてたし、スノのミトンも使い込んでる感じがしたから……新品買いたかったんだけど、売ってないから……いや、あ、あたしの思うとおりに作りたかったからっ、だから、あたしの古着で作ったの」

「つ、作った? あのアメレさんが!」

「どのアメレさんよっ!」

もちろん、事あるごとにげんこつを落とす乱暴者のアメレなのだが、そんなことは口が裂けても言うわけにはいかない。心からこぼれ落ちないようにするだけで精一杯だ。しかし、そのアメレが自分の古着からこれだけのものを作り出せるというのは、想い描いている像の中には存在しないことだ。エプロンは、しっかりとした作りで、売り物と言われても判別はつかない。それはスノが両手にはめて喜んでいるミトンも同じだ。

「アメレさんって、意外と女の子っぽいとこあるんだね……」

「意外って、どういう意味よっ!」

「ぎゃっ! こういう意味だよっ!」

今日はないだろうと踏んでいたのに、やはりげんこつが降ってきた。

「ネネルくん、お姉ちゃんはこう見えても、結構女の子なんですよ? ベッドにはいつも自分で作ったぬいぐるみさんもいますから」

「ス、スノまで何てこと言うのよ! も、もう……」

アメレはスノに指摘されたことを知られてしまったことが余程恥ずかしかったのか、俯き顔を真っ赤にして、頭の黒い耳まで真っ赤にしているように見えた。

「でも、これすごいね……つけてみようかな……」

エプロンは、今身につけているものと似た型で、前掛けの部分の長さもほぼ同じだった。それなのに、今のもので、あと一歩ここにこれがあればというポケットが追加されている。

それに感心しながら、エプロンを外し、新しいエプロンを腰につける。アメレは古着だと言ったが、布地もしっかりとしていて、どこにして出ても恥ずかしくない、仕事着だった。

「うん、すごくいいよ……ありがとう、アメレさん」

「そんなあらたまって言わないでよ、恥ずかしい……それにあたしの古着だからってヘンな気起こすんじゃないわよ、変態ネネル」

「変態かどうかは、そういうことを実際にしてから言ってよ!」

「ふふ、お姉ちゃんもネネルくんも仲良しですね。私も入れてください!」

スノは両手にミトンをはめたまま、間を割るように飛び込んでくる。ラジオから流れる音楽に乗って踊り戯れるスノは、今までの何かを忘れるために、体の隅々までが楽しいという感情で満たしているようだった。両手のミトンも人形劇の様相で、それぞれ歌い出しそうだ。

「はは、はぁ……ちょっとはしゃぎすぎですね、私……あ、次は私のプレゼントを持ってこなきゃ!」

わずかな時間で踊り疲れて、肩で息をしていたスノは、まだミトンを両手にしたままで、自分が経営しているケーキ店の厨房へと向かった。

「そういえば、スノはケーキ焼いてくれるって言ってたよね」

「しぃ、黙って待ってな。スノが持ってきて、見せる前にケーキでしょとか言ったら、ぶん殴るわよ」

「わ、わかってるよ……僕だって、そこまでぼーっとしてないから」

「どうだか……」

「何だ、盛り上がってるな。スノはどうした」

内緒だと言わん話をしていた背中に、いきなりテイチの声がかかった。

「父さん、いきなり入って来ないでよ」

「ノックはしたぞ。反応がないから、勝手に入っただけだ」

「まぁいいじゃろテイチ。楽しいことしとるのに、ガミガミ言うのはいけんぞ」

「わぁったよ……で、スノはどこ行ったんだ?」

「スノは今プレゼント取りに行ってるよ。僕はアメレさんにこれもらったんだ」

そうして、早速身につけているエプロンを見せると、テイチは物言わずも、ひとつ大きく頷いてみせた。

「ま、まぁ仕事頑張ってるみたいだから、特別にね……」

「アメレは手先が器用じゃから、ほれそこのカーテンやクロスもアメレの手作りじゃぞ」

「わ、そんなこと教えなくていいからっ!」

「お持たせしました!」

談笑の場を割って、スノの声が厨房と繋がるドアの向こうから響いてくる。

「あ、すみません……手がふさがってるので、ドアを開けてくれませんか?」

「ネネル、開けてやれ」

テイチに言われ、エプロンをつかんでいた手を離してドアへと寄り、スノを迎え入れる。

「ちょっとはりきり過ぎちゃいまして……」

照れ笑いを浮かべつつ、スノはワゴンを押して入ってきた。そして、その上には立派な……立派すぎるケーキがのっていた。

「こりゃ頑張ったなスノ……三人分じゃから三段か?」

「はい、そうなんです。だって、せっかくなんですから、ひとりひとつじゃないといけませんよね!」

スノはにこりと笑って、一段目はアメレを想像して、こんな味にした、二段目は三段目は……と、年齢順に大きさが並んでいることも説明していく。

「あとは、ろうそくを立てれば完成ですよ」

「全員の年齢分立てたら、すごい数になっちゃうんじゃない。ケーキがろうそくだらけだわ」

アメレは指折り数えていたが、途中で指が足りなくなって、そう片付けた。

「ある分だけ立てればいいだろ。スノ、ろうそくはあるのか?」

「はい、ここにありますよ」

スノはテイチに言われ、細いケーキ用のろうそくを差し出す。

「よしよし、わしが立ててやろう」

しわ深く節くれだった手で、ラウドはろうそくを受け取ると、一本一本を三段のケーキに配分よく立てていく。

「よし、これでええな。テイチ、火をつけてやってくれ。ネネルにアメレはカーテンを閉めるんじゃ」

的確な指示に各自が動き、カーテンを閉めると、昼間から切り離された室内は薄暗くなり、優しい夕闇をつくる。ろうそくの火が室内の壁により濃く姿を映し、影人の動きに姿を揺るがせる。

「ここまできたらやることはひとつじゃぞ。ろうそくを吹き消すんじゃ」

「え、誰が……」

アメレを見ると、顔を勢いよく頭の耳まで揺れるほどに振って否定を返してくる。一方、スノに視線を移すと、そこには余程気に入ったのか、ミトンのままで両手を祈るように組み合わせ、乙女の笑みを浮かべている。

「じゃあスノが吹き消してくれる?」

「い、いいんですかネネルくん! お姉ちゃんも、私がしていいの? あとで文句言ってきても、知りませんよ?」

「いいよ、スノがやんな」

アメレからも許しが出たことで、スノは大きく笑顔を弾けさせて、頭の耳までぴんと張り上げて、喜びを全身で表現する。

「うれしいです! じゃ、じゃあいつ消したらいいんですか?」

「そうだな……こういう時は歌でも歌ってから消すもんだが、まぁいいだろ……」

「テイチさん、恥ずかしいんですよねぇ~そういうとこネネルとそっくりですよね」

「う、うるせぇ、さっさとやれスノ」

「ふふ、わかりました。じゃあネネルくんが合図してください。みんなお誕生日おめでとうって言ってください」

本当にそれでいいのかと、回りに同意を求めるように、見渡してみると、頷きがもれなく返ってきた。

「え、えと……じゃあいくよ」

呼吸を整え、ひとつ大きく息を吸い込む。そして三人の出会いや誕生や、今日という日に思いを込めながら吐き出す。

「みんなのお誕生日おめでとう!」

声の終わりに合わせて、息を吸い込んでいたスノが、盛大にケーキへと配されたろうそくを吹き消していく。

いくはずだった。

しばらくしても、ろうそくの火は生暖かく壁に揺らいだままで、いつまでもその灯りを消すことはなかった。

「スノ? 僕何か間違っちゃったかな……」

だから、スノはいつまでもろうそくを消さないでいるのだと思い、問い返した。だがそれに答えはない。答えはないばかりか、周りの音も、何か聞こえにくい。突然、水を張った水槽にひとりだけ閉じ込められたようだ。

それでも、何もしないわけにはいかない。まずはスノになぜろうそくを消さないのか聞かなければ……そう思い、手を伸ばし見つめた先には、ケーキがあるだけだった。ろうそくの炎は揺らめいたまま、スノの姿だけが消えていた。

「スノ?」

伸ばした手を追うように、一歩二歩と足が進む。その足が進む速度さえ、世界と切り離されたように、遅い。時間の流れが体の周囲だけ違うようだった。足にまとわりつく泥をかき分け、やっとスノが立っていた場所に至る。たった数歩の距離が旅と表現しなければならないほどだった。

「ネネル、しっかりしな! スノ、スノっ!」

隣にいつの間にアメレはやってきたのだろう。反対側の脇を見ると、そこにはテイチもラウドもいる。そして、自分だけが立っていた。

「あれ、どうして僕だけ……」

見下ろした先、アメレにラウドにテイチが膝をつき囲む中心に、スノがいた。だが、スノは笑顔でケーキを前にしているわけではなかった。

スノはろうそくを吹き消すために吸い込んだ、肺一杯の息を、荒々しく変えて、短く繰り返し吐き続けている。

「どうして……スノ……」

まだ、何が起こっているのかわからない。スノはどうして床に寝ていて、病気みたいに荒く息を続けているのだろう。

「病気……」

「そうよ、スノいきなり倒れたのよ、ネネルしっかりしなさい!」

「え、でも……さっきまで元気にはしゃいでたじゃないか。冗談だってきついよ、アメレさん」

「ネネル……しっかり、しなさいっ!」

心と力がこもった声がしたかと思うと、ゆっくりと自分の頬をアメレの平手が打っていた。げんこつに比べればたいしたことのない威力だった。頬に止まった羽虫を追い払う程度の、何てことないものだ。

だがそれは、心にぴしゃりと届く音を響かせた。

「アメレさん、僕……」

「わかってるから……でも、今はスノを……」

立ち上がったアメレの後ろ、そこに横たわるスノの傍らで、ラウドとテイチが、肩を叩いたりして、スノを呼んでいる。

「僕も……スノを呼ばないと……」

まだ自分には何が起きて、スノがケーキのワゴンの後ろで横たわっているのか、把握出来ていない。あまりにも突然で、夢と現実を混ぜてしまった緩い土壌の場所に立っているようだった。

「スノ、スノ……どうしたの、スノ!」

「……倒れたんだよ、ろうそくを吹き消そうとした瞬間に、そのまま後ろに」

アメレはやけに落ち着いた抑揚のない声で話している。いや、これはつい先ほどわかったではないか。アメレはどうしたらいいかわからないから、こんな風に何も感じていないように話すのだと。

「アメレさん……」

よく見ると、アメレの指先は小さな振れ幅で震え続けているとわかった。自分だけではない、アメレもまた、突然のことに困惑し、または憤りながらもどうしていいかわからずにいたのだ。それでも意識をどこかへ避難させることもなく、ただ現実を受け止めていた。そこだけがネネルとは違っていた。

「くそう……僕は……父さん、ラウドさん、どしたらいいの!」

「意識が戻らねぇようなら、医者を呼ぶしかねぇ」

「じゃが、この家には……いや、この島の家ほとんどには電話なんぞありゃせん……連れて行くしかないんじゃ」

「そんな……スノ、スノ! しっかりしてスノ!」

アメレにしてもらったように、頬を打つわけにはいかない。ならば、呼び続けるしかないと思えた。

「スノ、スノ!」

「……ぅ、ネ、ネネルくん……どうしたんですか……?」

「スノ!」「よかった……」「気がついたか……」「じゃが安心はできんぞ」

スノの荒い呼吸の隙間を縫って、口々に短い言葉で、一時の安堵が飛び交う。

「あれ、私……どうして、こんなところで、転んでるんで、しょう……お姉、ちゃん? ネネル、くん?」

切れ切れの言葉が、カーテンを閉め切ったろうそくだけが揺らめく中で、今にも消えそうに響いている。


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