第15話 第四章「みんなの誕生日」2
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ネネルは困惑していた。
せっかくアメレとスノへのプレゼントもラジオに決まったというのに、一夜二夜で表情も固くなってしまい、品物に悩んでいた時よりも、水底に沈み、さらに悩みが深くなっていた。
「……高いんだよなぁ……」
仕事の合間に電器店へ訪れ、ラジオの値段を調べて、絶望にも似たものを味わってしまったのだ。新品のラジオというのは、想像を超えた値段で、到底この前の花の報酬で足りるどころか、十倍しても、まだまだ満たない。
「はぁ……やっと決まったのに……」
昨日の買い付けで出向いた先が、雨上がりのぬかるみばかりだったために、盛大に車体へと巻き上げた泥とホースからの水を武器に格闘しながらの、独り言だった。
「どうしたよネネル、暗い顔して」
「何だ、ふらふらインスか。それともぶらぶらインスか?」
「どっちでもねぇから。これは視察だってば」
トラックから少し離れた場所からかかった声は、朝からお気楽そうなインスであり、落ちない泥も相まって、態度に苛立ってしまった。
「まぁいいや……僕は忙しいんだから、適当に視察したら帰れよ」
「おいおい、つれないな……何だよ、せっかく助言してやったのに、まだプレゼントが決まらねぇのか?」
「……そんなんじゃないよ」
突き放すような言いようで、自分でも棘があるのがわかっていた。だがインスはそうされても、諦めた様子はない。ただ両手を広げた姿をとり、短いため息を吐いてみせた。
「お、八つ当たりか。面白いな、ネネルがそんなことまでやってくるとは……この際だ、どんと来いよ」
冗談なのか、本心なのか……本心ならば、心強いのだが……インスのそれはよくわからない。けれど、他に相談する相手もなく、突破口になる期待などは乗せることなく、しぶしぶに口を開いた。
「プレゼントは決まったんだけど、ね……」
「何だよ、遠慮せずに、このインス様に相談してみろって」
「うん……プレゼントはラジオにしたんだけど、新品を買おうと思って、値段調べたら……とてもじゃないけど、僕には買えないものだったから」
「ふぅん、なるほどなぁ……」
インスはじゃばじゃばと流れるホースの水を飛び退けるようにして、隣にやってきた。なるほどなと繰り返しながら、インスは何か対策を考えている風でもなかった。やはり、相談はしても、そのこたえをくれるとは限らない。期待せずいて、よかったというものだ。
「ネネルは、どうしてもラジオを贈りたいのか?」
「うん。インスが言ってただろ。楽しそうな顔をするのを思い浮かべればいいって。ちょっと違うけど、ラジオがあると、きっとその空間が楽しいだろうなって思ったんだ」
「なるほどな……ネネルらしいっていえばネネルらしいか」
「まぁそうだけど……今、大事なのは僕らしいかとかじゃないんだよ。インス、何かいいアイデア出せよ。それ以外はいらないの。もしくは金を出せ、いや金を出せ」
「はは……何かネネルいつになく怖いな……まぁいいや、ちょっと待てよ、考えるから」
そう返してくると、インスは自宅の庭にある池の前で彼方を見るように、空の遠くを見つめだした。どうやら、それはインスが考え事をする時の癖なのだろう。窓の外ばかり見て勉強していないと、学校では怒られていたが、その時だって、インスはインスなりに、何かを考えていたのかもしれない。
「うし……じゃあネネルは今どのくらいだったら出せるんだ?」
「出せるって金か? ほとんどないね……この前インスからもらった花の代金に、ほんの少し上乗せ出来るくらい」
「そりゃまた、乏しいな……まぁどう頑張っても新品は無理だな。でも、新品じゃなけりゃどうだ?」
「……中古……誰かから、譲ってもらうってこと?」
「正解! ただ、ネネルが今いった金額だと、中古でも厳しいのが現実だ」
「現実って、厳しすぎるな……久しぶりに、生きてるのが嫌になるよ」
「まぁそう深刻になるなって」
インスは冗談だとわかっているから、そう返したのだろうが、割と本気で嫌になっていた。贈りたいプレゼントも贈れない事情が金銭というのは、非常に情けないものだ。プレゼントは金額ではないとわかっているが、今回は、本心で喜んでくれるだろう品物が、たまたま高価だったのだ。そしてそれがどうやっても今の自分の懐に見合わないことも情けなさを掛け合わせていた。
「……んじゃ、こうするか、ネネル」
「何だよ……また僕にとってあんまりな商談とかじゃないだろうな」
「いやいや、今回はソンさせねぇぜ。しかも親友だから、特別っていうおまけつきだし。今のネネルにはこれしかないっていう手だぜ?」
既に、伸るか反るかではなく、のれという勢いで突っ込んでくるインスだったが、まずは話を聞いてみないことには、始まらない。
「まぁ即決は出来ないね。とりあえずどんなのか聞かせてくれよ」
「ち、しゃーねぇなぁ。経験から賢くなりやがって……いいか、ネネルの持ち金は中古も買えねぇくらいしかない。ならどうする」
「バイトでもするか、賭け事でもやってみるしか……」
「ネネル、普通に働いてるやつが、バイトなんかするヒマあるわけねぇだろ。休みまで仕事に使っちまったら、本業がおろそかになること請け合いだぜ。しかも賭け事なんざ、ネネルには早すぎだ。あんなもん余裕のあるやつがするもんだ」
「じゃあどうするんだよっ!」
「キレるなって……ちゃんとオレが打開策ってのを用意しといてやったから。ネネルには特別だぜ」
そう語るインスの顔は、いつか見た時のように、何かを企んでいるように見えた。
そう感じても、やはり話にのるしか方法がない。金がないだけで、これだけ選択が狭まり、息が出来ないほどの苦痛を味わうのだと知らしめられた。
「で、インスの策ってのは何なの?」
「よしよし、安心しろ。悪いようにはしねぇからな。中古のアテならあるんだよ、ほら目の前に」
「目の前って、インスしかいないけど……」
「そう、オレだ。オレがネネルにラジオの中古を譲ってやるって言ってんの」
「そうきたか……」
やはりインスが最終的には得をするように出来ているようだ。なぜかインスの手のひらの上で必死に雨乞いダンスを踊っている気さえしてくる。
「まぁそう言うなよ、その代わり破格で譲ってやろうって言うんだから」
「破格ってどのくらいだよ。親友ならくれたっていいだろ」
「まぁそこはタダってわけにはいかないね。オレも商人の息子だしな。ネネルだって、タダでもらったんじゃ、すっきししねぇだろ」
「どんな小利もむさぼるってのか、この人でなしっ! こんな貧乏な僕から、まだ搾り取ろうって言うんだから、インスは悪魔だなっ、くそっ」
息荒げて思いに募ったものを吐き出した。
「ははは、なかなか面白いぜネネル。気は済んだだろうから、具体的な話していいか?」
「う、うん……」
インスの反応は肩すかしもいいところで、悪態よりも、話を先へと進めたがっているようだった。
「実は、そろそろ新しいラジオ買おうと思ってたんだよ、オレはね。だから、今すぐ取りに来てくれ。そうすりゃ、この前の花の代金と、ネネルが今出せる分で、ラジオ譲ってやっから」
「い、今すぐ?」
いくらなんでも急な話で、今日は仕事が休みというわけではない。だが、今日出向く場所は、昼食をとった後であり、時間に余裕がないとも言い切れない。インスに、そのことは言っていないが、見透かされているのだろうか。
「そ、今すぐ。中古引き取り料金含みで、破格ってわけだ。ほら、トラックの運転練習もしなきゃいけねぇんだろ? オレん家までは、道も広いし、ちょうどいいだろ。それに、そういう理由を噛ますならオヤジさんだって、悪い顔しねぇはずだ」
「まぁ確かに……」
こういう時だけ、頭の回転が速いインスは、悪巧みという言葉がぴったりとはまる顔をしている。
否、これが商人としての素養なのかもしれない。
「わかったよ……じゃあ父さんに言ってくる」
「ああ、待ってるぜ。オレが助手席に乗ってやるから、安心してくれって言っといてくれ……あと、ラジオの金持ってくんの忘れんなよ」
インスの声を背中にして、トラックの練習がてら、インスの家まで行ってくると、テイチに伝えると、気をつけてなと昼までには戻れよと言われただけだった。ほぼ初めて自分が見ていないところで、息子が運転しようというのに、無頓着に見えるのは、今まで自分が示してきた運転に自負があるからだろうか。それとも信じているからだろうか。
「いいって?」
「うん、昼までには戻れだって」
「はは、そりゃいいや。昼までには戻れる速さで運転してこいってことだな。帰りはネネルひとりなわけだから、気合い入れねぇとな」
帰りのことまでは考えていなかったので、自分の顔から、血の気が引く音を聞いた。まだ自信を持って一人で大丈夫だなどと言えるほどに経験は豊富ではない。
「ネネル、早くエンジンかけて出発しろよ。そんなビビらなくても、道広いし対向車も来やしねぇから」
「う、うん……そ、そんな焦らすなよ」
早速トラックに乗り込んだインスが助手席からしてくる指示のひとつひとつに、汗が噴き出す。トラックの運転なぞ、いつかは当たり前に出来なければいけないことなのだ。だが、今経験として積んでいるのは、せいぜい庭の中で頭とお尻を入れ替える、方向転換程度だ。
「これで、いいな……」
キーをまわし、エンジンに火を入れると、鈍く低い音が足下から響いてくる。ゆっくりとアクセルペダルを踏み込むと、それにあわせてエンジン音が高くなっていく。
「感動してねぇで、早く進めってば」
「わかってるから!」
ついに次の動作がやってくる。クラッチペダルを踏み込み、ギアを一速へと入れ、アクセルを入れつつ、クラッチを少しずつ離していく。最も苦手で、最も慎重になる動作だ。
「よし、ゆっくりなネネル。そのままアクセルだ……」
インスの助言の通り、クラッチをあげつつアクセルの量を増やしていくと、少しずつだがトラックが前進し始めた。
「うし、もう一速はいいぞ。二速に変えろ」
「ああ……わかってるよ……こうだな」
ギアを二速に変えると、スムーズにトラックは走り出す。まだまだ床までアクセルを踏む勇気はないが、それでも一速のぎこちない走りとは大きく違う。
「んじゃ、そのまま道に出るぞ。ハンドル切れよ」
「ハンドル、ハンドルっと……」
ギア操作に比べて、ハンドルの操作は楽な印象を受ける。だが、スピードがあがれば、ギア操作をしながら、ハンドルにも注意しなければならない場面も出てくる。現状でそれは、これから積むであろう慣れでなんとかしたいと思った。
しかも今は荷台が空なのだ。その重量分、トラックは随分と取り回ししやすくなっているはずである。荷台に満載し、遠距離を走るいつのかの日に、ネネルの手には汗が滲んだ。
「おぉ、ネネルやるじゃん。道に出たから、そろそろ三速に変えて、出来れば四速だ。スピードが出てんのに、低いギアでずっと走ってると、燃料がガツって減るぞ」
「そこまで気にする余裕が、今の僕にあると思ってんのか、インス!」
「はは、わりぃわりぃ……続けてくれ」
インスは両手をあげてお手上げをしめし、口を閉じた。
いつもは徒歩で行く道を、トラックの運転席という高く見晴らしのいい場所から眺め、角度の違う風景から、様々なものを感じ取る余裕があれば、さぞ楽しいだろう。だが、それは軽やかなギア操作と同じく、いつかに取っておくことにする。
「なかなか快適だぞネネル~。慣れれば、いい運転手になるぜ? 家の仕事飽きたら、オレん家の運転手の口紹介してやっからな」
「食うに困ったらお願いするよ……それまでそのクチはとっといて……」
やっと話の相手が出来る程度の余裕が出てきた。しかし、まだ気は抜けない。ルブ家への道のりは徒歩だと二十分近くかかってしまうが、トラックだと五分程度だ。走り始めたら、すぐに今度は止まることを考えなくてはならない。
「ほらネネル、もうオレの家つくぞ」
「わ、わかってるから!」
動き出すのに苦労すれば、止まるのにも苦労することは、必然だった。それはまたギア操作があるからに他ならない。
「ブレーキで減速しつつ、ギアを落として……」
「いいぞ、高いギアの時は楽だけど、低速をいきなりつなぐと……」
「つなぐとって、うあぁっ!」
インスの忠告を待たずして、トラックは頭をがくがくと振るように揺れる。
「こうなるぞって、言おうとしたんだけど、まぁこういう失敗も必要だから気にすんなよ」
それでも、何とかトラックはルブ家に到着し、へたくそに停車した。どこかインスは危なっかしい運転を楽しんでさえいるようで、笑いながら家へと入っていった。
「くぅ……はぁ……運転、絶対うまくなって、インスの上から目線を覆してやる……」
ギア操作のない車ならば、今でもインスよりうまく運転出来る自信はあったが、そんな車は非常に高価で、伝え聞くものがあるだけで、まだ身近に実物はなかった。
「絶対……うまくなってやる……」
「ネネル、お待たせ~持ってきたぞ」
呪詛のようにつぶやいていたためか、待たせたと言われるほどの時間がたっていたのかと思ったが、それは単なる定型の挨拶だったようだ。
「これがネネルに譲るっていうラジオだ」
インスが小型の荷車に乗せてきたのは、実家の台所に設置してあるものにも勝るほどの一品だった。
「オレが自分の部屋で使ってたんだけど、新しいのが出るんで、そっちが欲しくってね。なんせ、新しいのはスピーカーの出力が、これの倍だからな」
「ははは……まぁ今ほどインスが金持ちでよかったって思ったことはないよ」
「ほらネネル、貸しは作っとくもんだって言っただろ?」
インスは言葉に傷つく様子もなく、ラジオをもっていけと差し出してきた。
「……うん、ありがとう。じゃあこれ、僕の全財産」
花の代金と、貯金箱に入っていた、全部をインスに手渡す。
「ほい、毎度あり……名残惜しそうにいつまでもげんこつ握ってないで、さっさと開け」
「だって、これ開いたら、僕は来月まで無一文なんだよ! 少しは融通してくれよ!」
「ダメダメ。ほらそういうトコは、はっきりしてないと、友情ってのは長続きしねぇもんなんだよ。それに、このラジオだってこのままネネルが質屋にでも持ち込めば、今払ったのより、高い金もらえるんだぞ」
「え……そうなの?」
「そうそう。オレ様は優しいので、親友の手助けに一肌脱いだってわけだ」
そう言われると、一変して尊敬しかけていたまなざしが、ひどく落ちていく。何かまたインスに乗せられてしまっているのではないかという欺瞞が瞳をつくる。
「おいおい、嘘だって思うなら、質屋に行ってみろよ~。でも、質屋でもらった金でも、中古のラジオは買えねぇぞ? 質屋ってのは、そういう風に出来てっからな」
「うぐぐ……」
それが本当かを調べる術は、実行しかないが、プレゼントとして欲しがったもので、そんなことをするつもりはなかった。
「わかった、わかったよ! ありがとう、僕はインスと親友でいられて、とても幸せだよ! これでいい?」
「ああ、最初っから、そういえばいいんだよ、ネネル! オレたちはこれからも親友だぜ、ずっとな!」
破顔したインスは、わざとらしく肩をばんばんと叩いてきて、高笑いをあげる。このうさんくさささえなければ、付き合っていてすがすがしいのがインス・ルブだった。
「僕、もう帰るよ……昼からの仕事もあるから」
「おう、またな、ネネル!」
見送るインスを背にして、ラジオを助手席に積むと、何とかトラックを家へと走らせはじめる。誰も横に乗っていないというのは、思うほか緊張が解けて、余裕も生まれ、トラックの挙動で揺れるラジオを見ることも出来た。
木目のラジオは、昼へと上る陽の光を浴び、艶やかに美しい縞模様を浮かび上がらせて、笑顔と談笑の溢れる場で活躍を早くとせがんでいるようだった。
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