第13話 第三章「君の好きな場所」3
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ネネルはアメレの髪尻尾を追いかけて店を出ると、スノが横に並んだ。スノも当然、花までの道は既知で、姉妹二人の背中を見ながらの旅が進むのだと思っていた。
「スノは花の場所知らないの?」
「そんなことないですよ。お姉ちゃんが連れて行くっていうなら、きっとあそこです」
そう笑って答えられては、それ以上の理由を聞くことはできなかった。
だが、きっと、道逸れることないように、寄り添ってくれているのだ。
アメレはそんなことは我関せずと、商店が並ぶ通りを歩いて行く。夕闇の足音が聞こえ始めたせいなのか、通りに人影は少ない。どの人も夕げの準備に台所で忙しくしているのだろうか。島にどれほどの人数が住んでいるのかという正確な数は知らないが、店を出てからすれ違った人が二人と考えると、それほどの数ではないのかもしれない。
人とすれ違う度に、アメレもスノも丁寧に会釈して通り抜ける。それは知り合いだから、顔見知りだから……もちろんそれもあるだろうが、それ以上の絆のようなものも感じた。自分もそれに倣い会釈はしたが、どこか反応にぎこちなさを感じる。それはどこか、アメレたちの間にあった空気とは違い、儀礼的なただの挨拶にすぎないようだった。それをまとめて、名称という括弧で無理やりにくくろうとすれば、家族の絆とでも言うのだろうか。
ネネルはまだ、ここが地元ではないと、改めて知ることになった。
「ネネルくん、お店以外の島を見るのって初めてですか?」
「うん、そうだね……」
「仕事やるだけで精一杯ぎりぎりなネネルにそんな余裕はないのよ、スノ。余裕がない男は嫌だね~ダメだねぇ~あー、ダメだダメだ」
あはははと、軽い嘲笑にも似たものを、顔が見えないのをいいことに、アメレは豪快に飛ばす。
「さて、こっから少し登っていくから、疲れたら言うんだよ、スノ。ネネルは気合いでついてきなさい。あんたのために休憩は取らないからね」
もちろん反論の許されない命令が終わると、アメレは通りから折れて、脇道に入った。脇道といっても、雑貨のパードの裏手になる、トラックがゆうに駐車できるほど大きな脇道ではない。人と人が行き交うことに適している、生活道と呼ぶにふさわしい道幅のものだ。風景も、生活感があふれる住宅街に入ったようだった。間口が並ぶ表通りから移ったさきは、家々を隔てる壁が順路を造り、勝手口や排気の煙突に遮られる狭苦しい空は息苦しいのに、ワントーン落ちた景色の色はくすぶっているというよりも、安心感と、あたたかみがあった。
「……よく見たら、どれも同じような家なんだね……」
「ここらは古い居住区だからかもね……昔は家も家の中の家具とかも、全部同じようなものだったらしいし。ウチにあるのも、ラウドさんのお古とかあるから、似たようなもんかもね」
アメレは足を休めることなく、そう教えてくれた。
「何で似たようなものだったの?」
「それはですね、ネネルくん。自分たちが選んだものじゃなくて、与えられた支給品だったからですよ」
隣に並んで歩くスノは指を立て、古典音楽を指揮でもするように、宙で振りながら教えてくれる。だが、それは歌のように語っていいものなのだろうか。支給されるというのは、黙っていても与えられるということだが、言い換えれば選択の余地はないということだ。置き換えるとして、甘いとしか言いようがなくとも、それは欲しいと言っていたおもちゃと違うものを買ってこられて、それで我慢しろと言われた誕生日のようなものだろう。
「支給品……」
「昔はそうだったってだけよ。またあんたは辛気くさいんだから。ほら、坂を登るわよ、ちゃんとついてきなさい」
アメレは心にかかった雲を払ってくれるように言うと、体をまた脇道へと向ける。向けた先はさらに道幅が狭くなり、もうスノと並んで歩くことが出来なかった。スノを先に行かせ、望みだったのかはわからないが、姉妹の背中を追う。先頭に髪尻尾、その次には歩く度、外はねの髪が羽ばたく。自分にはそのようになるものはなく、付け耳が申し訳ないように、揺れるだけだった。
息荒く登る道は石畳の舗装も終り、土と草が剥き出しで、気を抜くと靴底を滑らせて転んでしまいそうな角度になっていた。しかしアメレやスノは、どこにそんな体力と脚力があるのかという速度で坂道を登っていく。足運びは幾百と繰り返した、通い慣れた道を歩くようだった。
「ネネル~置いてくわよ~さっさと登ってきなさい~!」
ぼんやりと二人の幼い姿を想像しているうちに、声も遠く見上げるほど、二人との距離が出来てしまっていた。腕には花のケースも抱いているのだ、無理はないかもしれない。坂の切れ目で少しだけ待っていたアメレだったが、やがて追いついたスノを伴って、諦めたように先へ進んでいった。道は一本道であり、アメレたちが消えた場所がこの坂の行き着く場所……頂上と言っていいだろう場所なので、迷うことはない。足がこれほどまでに言うことをきかないでいるのは、アメレとの交換条件が地味にこたえているのだろう。斜面は日陰であり、空は一刻と暮れていく。自分の体を闇が包み始めているような夜の感覚が迫り、心には鞭が打たれた。早く、二人の姿を視界に入れたくて、歯を食いしばり、足を速めた。
「遅い! ったく、体力ないわねぇ」
「仕方ないよ……ネネルくんはお姉ちゃんの言いつけしたあとなんだから」
「はは、ごめんね……」
絶え絶えの呼吸の隙間からは、そうこたえることが精一杯で、辺りを見る余裕はなかった。ただ自分の呼吸だけが耳の中で強調され、湯船に顔をつけたように、二人の声も聞き取りづらい。息が荒いばかりで、膝に手を置き、下ばかり見つめていた。靴にまとわりつく土は黒く、少し粘りけのある質感で、額から落ちる汗も黒く滲むことなく吸い取られていく。
「いつまで下向いてんのよ。前向いてまわり見てみなさいって」
アメレは落ちた肩を叩いてきて、そのまま掴まれると、無理やりのように上を向かされた。
「あ……」
だが、そうされてもいいなと、一瞬で思えた。
目の前にはアメレがいる。その少し向こうにスノ。自分が立つ黒い土から、三歩先に進めば、そこからは、見渡す限りの花房が海風に揺れていた。すらりとした茎に薄い黄色の花弁がいくつも咲き誇る。花付き葉付きは菜の花のようだが、似ていて非なるのは一見でわかるほど、存在感があった。
その花々の向こうには、海が見えた。
坂を上り、行き着いた頂上は陸側からは小高い丘のようであり、海側からは切り立った崖になっていたのだ。
「す、すごい……」
花の中へと足を進め、遠く見える海へと向く。暮れ始め傾いた陽の光は、黄色の花弁に薄紅を落とし、海に輝く菱形の光を連ねた橋をかけ、それは島の橋を割るように、遠く水平線の海の彼方にまで続いていた。
「ここからの景色、すごく綺麗でしょう?」
「うん……綺麗だね……」
スノは花の中を踊るように歩き、手に触れる花房を撫でてまわる。ふわりとした服装も手伝って、花を渡る蝶のようにも見えた。
「ここはね……まぁそのなんだ……あたし……あたしたちの好きな場所ってやつなのよ」
アメレは視線をどこにも定めず、紫を溶かした空を見ていた。夕日の朱に染めたのか、頬は紅く、唇を尖らせている。
「そっかぁ……いい場所だね」
「あんたにもここのよさがわかるか、うんうん」
アメレは向き直り、視線をあわせると、もういつも通りの顔だった。
「景色綺麗だからね。僕だってそれを感じるくらいの心ってのはあるよ」
「まぁ綺麗ってだけじゃないけどね……」
アメレは背を見せて、海へと向く。西日を受けて背は黒く、髪尻尾と耳が風に揺れる。
「辛いこととかあると、よくここには来るわけよ……」
「辛いこと……?」
「もちろん、生きてりゃそんなもん、いくらでも出てくるわよね。例えばあんたが持ってるそれをうきうき気分で発注したけど、よく考えたら島の人が、誰も買うわけないって気づいたときとかね。それに、島の外から来た人が……ううん、人なんて来ないんだって思った時とか」
顔を見せないまま、アメレは乾いた笑いを風に溶かした。辛いことと言われて想起するのは、そんなことでない。もっともっと辛いこと……島に来たことや耳のこと、スノのこともあるかもしれない。だが、今ここでそれを発注の失敗を例にあげたアメレの心に、それ以上迫ることは出来なかった。
「ねぇアメレさん、みんなにも島ってこんな綺麗な場所があるって知ってもらえたらいいね、観光客がたくさん来て、ここで露店でも出して、お祭りなんかもあって……」
「はは……そうだね。難しいけど……そんな時が来てもいいかもね」
ネネルが必至に楽しい舞を見せても、アメレはそれでも振り向かず、美しの海よりも、花の中で踊るスノから目を離さずにいるようだった。
「そういえば、これどうやって使うの?」
花と海と空の綺麗さに忘れていたが、腕に抱く本来の目的を思い出した。
「ああ、それは横についてるスイッチ入れて、その辺の花にかぶせるようにしたら、あとは全部ケースがやってくれるわよ。何にもロクに出来ないネネルにも優しい仕様よね」
「な、何にも出来ないだけ余計だよ!」
一応の反論はしておいて、言われた通り探るとスイッチに手が触れたので、それを付ける。そして、二歩進み、辺りのうちで、一番花ぶりが立派な一輪を定めて、上からケースをかぶせていった。
ケースはお尻が花房に触れるかというところで、自動で底が開き、そのまま土までかぶせることが出来た。そこからはアメレの助言通り、ケース任せで全ては進行する。土についたケースは抜けた底が自動で閉じたのか、黒い土をすくい上げて、ひとりで花を閉じ込めて立ち上がった。
「うん、それでいいわ。でもそのケース使っても、一ヶ月くらいしか生きてないらしいわよ。そんなもの欲しがるなんて、よっぽど変わってるわね」
「まぁ変わってるって言えば変わってるやつだよ……はは」
インスはおそらく、一ヶ月もこの花を見られれば満足なのだろう。そして、その一ヶ月という命だからこそ、尊いなどと語るに違いない。雄弁な顔が浮かんできて、少し憎らしくなった。
「はぁ、やっぱりここに来ると、色んなモノがすっきりします。ネネルくんもお花手に入れたんですね」
花の中で遊んでいたスノは、笑顔をさらに崩して、ケースに入った花を眺めると、よかったですねと、もう一度祝ってくれた。
「持って帰って、渡すまで気が抜けないけどね。ケースが割れでもしたら、そこで枯れちゃうし……」
「きっと大丈夫ですよ。この花は命を意味するんですから」
「命?」
「花言葉ってやつだよ……この花の花言葉は、生まれてきてくれてありがとう、だからね」
「へぇ~」
花のもつ意味にも感心したが、それをアメレの口から聞いたことに、感嘆が漏れた。人は見た目によらず、その人目によらぬところを発揮すると、その人の魅力は何倍にも増すようだ。げんこつをくれてばかりのアメレが、今一番にかわいらしく見えてしまった。
「な、何よ……なんか言いたげじゃない」
表情から読み取られたのか、アメレは訝しみつつ聞いてくる。だが、それにはこたえないでいた。ネネルにしては賢明な判断だ。
「生まれてきてくれて、ありがとうかぁ……あれ、そういえば……」
「どうしたのよ。ケースにひびでも入ってた? 入ってたとしても、もう使用済みだから返品には応じないわよ」
「はは、ちゃっかりしてる……そうじゃなくてね、誕生日のこと思い出したんだ」
「え、誕生日?」
なぜかつぶやきにスノが驚きの声をあげ、アメレと顔を見合わせている。そして、アメレとひそひそという程度にしか漏れ聞こえない会話をしはじめた。
「あの……僕、何か変なこと言ったかな……」
ネネルは失言していたとして、その理由がわからず、不安になる。もしや、この島では誕生日のことを話題にあげることは、耳の病を語る事と等しく禁忌なのだろうか。
「ううん、違うの。ネネルくんは何も変なこと言ってないですよ。ただ、私たちの誕生日が二週間後なんです」
「あたしとスノは二年と二日違いだからね。毎年一緒にお祝いするのよ」
「そうなんだ……あの……」
姉妹だけで回る会話に立ち入るのには勇気が必要だった。だが誕生日と聞いて、このままでいられない。それに、この場にいる以上、会話に立ち入る権利もあるはずだ。
「ちょっと、あの、聞いて欲しいんだけど……」
「何よ、これから楽しい誕生日会の話をスノとするとこなんだから」
「だから、その誕生日なんだけど……実は僕も誕生日すぐ近くなんだ!」
「ふーん……よかったわね」
「ちょっと、それだけ? 自分たちはすごい盛り上がってるのに!」
「はいはい、おめでとうって言って欲しいのね、おめでとう」
心などどこにこもっているのか、見つけるだけで絵本の大冒険になりそうなアメレの言いようだった。
「もうちょっと、こう何かないわけ……自分たちと誕生日近いんだよ? 僕は二週間とちょっと後だけど……」
そう告げても、まだアメレはどこ吹く風と、はいはいとなだめすかすように、手を振るだけだった。
「……いいこと思いついちゃいました!」
アメレとのやり取りに、我関せずと俯き黙していたスノが、突然声を上げて、大きな丸い目をさらに見開いて、喜びをあらわにして、見つめてくる。
「ど、どうしたのスノ?」
「みんなでしましょう!」
スノは質問に答えることもせず、手まで胸の前で組んで、すでに自分が白紙に描いた夢を見ているようだった。
「スノ、何をネネルとあたしと一緒にするの?」
「お誕生日会に決まってるでしょ、お姉ちゃん。みんなでやればきっともっと楽しいです!」
「でも、そんな……ネネルとだよ?」
「ネネルくんだって、私たちとお誕生日近いんですよ。ひとりだけ仲間はずれなんてダメです」
「ううう……ほ、ほらネネルだって色々あって無理だよね?」
「そんなことないけど……きっと大丈夫だよ」
本心からはそう思い、そう言葉にのせたが、アメレは気に入らなかったのか、キッと耳を逆立て睨まれてしまった。
「じゃあ決まりです! みんなでお誕生会しましょうね。いつがいいですかね~やっぱりネネルくんが島に来る日じゃないとダメですよね!」
スノの中では、すでに当日の景色が見えているのだろう。アメレもそれに水を差すことは出来ないらしく、夢に旅立ったスノの姿をあきれ顔で見守るだけだった。
「プレゼント交換……うん、それもしなきゃいけないですね、楽しみがいっぱいですよ!」
夕日を背に、スノは三人の誕生日を同時に祝えることを、心から喜んでいるようだった。アメレもその姿には勝てず、話は暮れる日のように滞りなく進み、アメレは意見を主張することもなく、次に島へやってくるとき、その会が催されることになった。
ネネルは、その約束がアメレとスノの好きなこの場所で、この花を前に交わされたことが、なぜか誇らしく、夕焼けが予言する明日の晴れも、信じられる気がした。
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