第11話 第三章「君の好きな場所」1

 第三章 「君の好きな場所」


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 ネネルが島へ行こうかとするとき、ふらふらとインスがやってくることは、日常になりかけていた。

 しかし、島へ行くようになって一ヶ月と半分が過ぎるようになったこの日は、少々勝手が違っていた。前日に電話がかかってきたかと思うと、インスは話があるから島へ出る前に家へ来てくれとだけ言うとすぐに切ってしまった。ネネルは仕方なく、いつもより早く支度をして、インスのところへ出向くことにした。

「ったく……自分勝手な……」

 文句をいいながらも、体は既にルブ家の敷地に入っていた。門から続く庭には、よく手入れされた木々や花々が美しい調和を見せて並んでいる。四季折々、来る度に花の種類は変わり、小さな別世界がこの庭に存在していた。秋も段々と深まるなか、庭木の葉も少しずつ紅く色づき始めていた。その赤と緑の隙間に立ち、インスが手を振っていた。

「何だよ、朝っぱらから呼び出して……いつもみたいにインスが来ればいいだろ」

「まぁそう言うなって。ちょっとした話があったんだよ、ネネルだけにさ」

 インスは何かいたずらでも思いついたような顔をしている。こういう時は、経験上ろくなことはなかった。

「警戒すんなよぉ」

「いや、その顔にイイコトなんかない。僕は忙しいから帰る」

「待った待った! 話も聞かないで帰るなんて、商人にあるまじき行為だぞネネル!」

 そう言われてしまうと、足を止めるしかなく、話を聞くことにした。

「で、何だよ……そこまで言うんだから、いい話なんだよね?」

「まあな。島にはさすがに慣れたよな?」

「うん、色々あったけど……あったから慣れたのかな」

「結構結構。それでこそネネルだぜ。それに待ってたかいがあった」

 インスはまた一般的に見ると小ずるい顔をして、指先をあごへとあてがった。

「で、だ……島へ行くことのできるネネル君に、頼み事があるわけだよ」

「君とか、気持ち悪いなぁ……めんどくさいのは嫌だぞ」

 あからさまに乗り気ではないことを示しておかないと、断るときも断りづらくなる。それに相手はインスだという心づもりがあるため、ぞんざいでも構わないという態度が言葉になって、あらわれていた。

「ネネル、オレの趣味って知ってるよな」

「うん、珍しいもの集めだったっけ……他にもあったような気もするけど」

「ひとつ大当たり。その珍しいものが、あの島にはあるんだよ! それをネネルには持って帰って来て欲しい」

「やだよ」「少しは考えろよ!」

 一呼吸もないやりとりで、話し合いは終わった。そのまま足を自宅へと向け、さぁ仕事だと頭を切り換える。

「だから、話くらい聞けって!」

「仕方ないなぁ……」

 根負けしたと言えばそうかもしれないが、無碍にし続けることも友情に亀裂が入ることにならないかと、インスの言うとおり、話を聞いてから決めることにした。

「やっと聞く気になったかよ……親友の話は無条件で聞くもんだぜ」

「はいはい……じゃあ言ってみなよ、親友のインス君」

「花が欲しいんだ」

 聞くと言った途端に、インスはそう短く言い放った。花とインスなど、およそ似つかわしくなく、同じ額縁に入った絵でもあったなら、思わず失笑を誘うだろう。

「おいおい、表情から言いたいことがもれてるぞ……ったく、オレが欲しがるんだから、ただの花じゃないってくらいはわかってるんだろ?」

「わかってない」

「酷いなネネル……それでも親友かよぉ」

 インスはがっくりと肩を落として、水の足りない花になってしまった。話を棒にふることで、友情を危ぶみはしたが、会話がはじまってしまえば、それに歯に衣着せぬ物言いこそが、友情の証だろう。

「まぁいいから、続き話してよ」

「ったく……まぁいいや。そんな時間かけらんないしな。要するに、俺が欲しい、あの島にしか咲かないっていう花を島から持って来て欲しいんだよ」

「自分で行ってよ……インスは世界中どこにだって行けるだろ?」

「ああ、俺なら行ける……あの島以外はな」

「何で行けないんだよ……」

「ネネル、嫌な言い方だけど、世の中大概のことは金でカタがつく。けど、金じゃどうにもならないことだってあるんだ……オレとネネルの関係だって、金出したって買えないだろ。島はそういう場所なんだよ」

 インスは庭の端にある暗がりを見つめるように、表情に影を付ける。黄昏にも似た、もの悲しい雰囲気だ。

「そっか、じゃあそういうことで、僕は帰るから」

「どういうことだよ! この雰囲気からの流れだったら、僕が何でもきくよ、インス! って感じで万事うまくいくはずだろっ!」

「だって、僕に何の利益があるんだよ。今のとこ、めんどくさいのしか浮かんでこないよ」

 聞いたのだから、義は果たしたと、また足を家路へと進ませようとした。

「これはれっきとした商談なんだぞ、ネネル!」

「商談……?」

 その言葉には、足が止まる魔法の力がこもっていた。

「やっとちゃんと聞く気になったか。ネネルも商人の子ってことだな、安心したぜ」

 うんうんと腕まで組んで、インスは頷く。確かに言われるとおりで、いくら抜けているとアメレに言われ続け、微妙な言葉の端から人の機微をすくい上げることは困難でも、直接的で迷いない言葉で言われれば、理解も生まれ、聞く態度にもなる。

「まぁ、もうちょっと聞いてもいいかなって思っただけだよ……」

「そうこなくっちゃ。前のネネルならこんな風にしなくっても、すぐ聞いてくれたのになぁ……」

「う……そ、そんなことないよ……」

 インスの指摘は変化を指しているのだとしたら、それはアメレに望まれたことに反する。それでは約束を守れなくなってしまう。島を知ったからといって、そのために島の外でも変わってしまうことを望んで、アメレはああ言ったわけではないだろう。

「まぁいいや。そんな難しい顔すんなって。さっき言った通り、あの島にしかない花を買い付けるなりして、俺に渡してくれればいい。簡単だろ?」

「簡単って言われれば簡単に聞こえるけどさ……」

 それは言葉通りのみのことで、全てが終わればの話である。島にはまだまだ、自分には知らないことが多いだろう。たかが花一つの買い付けだとしても、困難を想像するのは容易だった。だが、そこも何とか己の力で、ひとつひとつやることが成長に繋がるのかもしれないと、とらえることも出来る。

「じゃ、頼んだぜ。必要経費はネネル持ちで、花を持ってきてくれたら、成功報酬ってことでそれも一緒に払う、でいいか?」

 一見、こちらが不利な契約内容に見えるが、花を持って帰るのに、それほど道具などは必要ないだろう。せいぜい箱くらいで、それならば目に見えて分の悪いものではない。こういうのは信用で成り立つ。この場合信用というのは、経費は持ち出しして見せる事だ。初対面同士ならあり得ない事だが、そこはインスを信じる事にする。

「ああ、わかった。花は一本でいいんだろ?」

「ああ、十分だ……頼んだぜ、ネネル」

 インスは商談成立だと言わんばかりに、手を差し伸べてきたので、その手をとり、固く握手を交わした。契約書はない口約束だとしても、握手を交わした以上、立派な契約成立であり、反故にするには、それなりの罰があることも覚悟しなければならない。

 だが、インスはそんなものどこ吹く風と、後ろ向きで手を振って、豪奢な母屋のほうへと消えていった。

「よし……じゃあ僕も帰って準備だ」

 今はただ、初めての商談をまとめたという感慨に身が震えて、島への道中を想像し、胸が躍った。

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