第7話 第二章「島という場所」3

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 ネネルはアメレから発注書を受け取り、すぐに帰路へとつくことになった。テイチの運転するトラックはすでに島を出て、橋の上を進んでいる。

 傾きを変えた光は世界を朱色と青色がせめぐ時間と風景を作り出し、水平線へ沈みかける太陽からは、穏やかな波の海を渡り伸びる、光の白い道が走る橋と十字に交差していた。

 トラックの運転席は、島を出てからずっと無言に包まれている。道の小突起から拾う衝撃に体を揺らしながら、時間だけが過ぎていく。

「どうしたネネル……黙ったまんまだな。何かあったのか?」

 ついに口割ったテイチの問いかけにも、なかなかこたえることができなかった。言葉を選びすぎている間に、呼吸が先に出てしまい、会話にはならないで終わってしまうということが、短い間隔で繰り返す。

「……言いにくいことなのか?」

「……僕は……知らなかったんだ……」

 やっと絞り出した言葉はそれだけだった。続けるには勇気がいると脳は判断し、全身からじっとりと汗が吹き出してくる。父であるテイチに話すのならば、それほど覚悟のいるものではないはずなのだ。それでも力を必要とするのだと、脳内に立つ幾人かのネネルが囁き、欲せと耳打ちしてくるのは、黙されていたという憤りからだ。

「何を知らなかったんだ? だから、俺は何でも聞くんじゃなくて、自分で……」

「自分で学んだよ! だけど、教えておいて欲しかったこともあるんだっ!」

「何だ……仕事のことで、俺が教えた通りやって、失敗したことでもあったのか」

「そうじゃないよ! そうじゃないんだ……仕事じゃないよ……」

 一度噴出したものは、まだ形にして伝えてもいないのに、少しだけ勢いを弱めた。テイチを責めて、それが解決するのかと、ふと思ってしまったからだ。その迷いが流ちょうだった語気を弱めた。

「そうか……なら問題ねぇだろ。何がそんなに気に入らないんだ」

「気に入らないってわけでもない……ただ、ちゃんと知っていたかっただけなんだ……この耳のことと、あの島のこと」

 前を向き、運転を続けるテイチを助手席からしかと見つめ、そう伝えた。伝えた瞬間でも、テイチの表情は動かなかったように、ここからは見えた。それが、大人の反応なのか、テイチだから出来る顔なのか、ネネルにはわからない。

 トラックの前ガラスを白い海鳥が連れ立って横切っていった。風にのり、光を翼に乗せて沖へと行く姿は、線になる海の向こうから、誰かに呼ばれたように神々しい。

 ほんの、ひと瞬きにも満たない、ゆっくりとした時間だった。

「そうか……色々知ったってわけか」

「うん……付け耳は僕らのだけだったんだね。アメレさんやスノ、ラウドさんに守衛さんのも……全部本物で、頭から生えてるんだって……それにその病気になった人だけが、あの島に集められてるってことも」

「そうか……」

 テイチは低くつぶやくと、運転席の窓を全開にして、夕凪のなか、トラックの走行が作る風を車内に取り込んだ。

「こういう時は、タバコをやめちまったことをちょっと、後悔するな……」

 口寂しいだけのような、しかしタバコでも口元にないと、語るに足りないような口ぶりだった。それとも、タバコの持っている成分で脳や肺を満たさないと難しいのだろうか。

テイチの目はずっと橋の先、まだ遠くにある、故郷を見ているようだった。

「ネネル……お前は今日、島の意味を知った。そこに住んでる人たちの抱えてるもんの一部も知った……で、どうなんだ?」

「どうって……何がなの」

「お前がどう感じたか、考えたかってこった。寂しいだろうなとか、かわいそうだなとか、そんなことを考えたのかって聞いてんだ」

「それは……」

 すぐに言葉は出てこなかった。続ける言葉が見つからないまま、トラックは風きりの音だけを車内に連れ込む。

「知ってたら、お前はどうだったんだ?」

 テイチに、銀のナイフを心臓に立てられ、とどめを刺された気分になる。

 一瞬、呼吸の仕方を忘れた。

知っていたら……事前に知っていたら、アメレやスノと、今のような関係になれただろうか。

 知っていたとして、壁を作らずにいられた自信が、今はなかった。ラウドに与えられた言葉が心の中で響き、今テイチに突きつけられた言葉と重なり反響して、トラックのエンジン音よりも大きくなっていく。

「僕は……」

 車内を埋める風で、クリップで留めた発注書が、ばさばさと暴れ始めた。それは全てアメレが書いたものだが、今日はその中に、折り紙の発注書も入っているはずだ。

「……父さん……今日さ、折り紙の発注があったんだ。僕が母さんに教えてもらったツルを折って見せたら、アメレさんがいいなって言ってくれて……それで発注してくれたんだ」

「そうか……」

 テイチは前を向いたままだ。だが、横から腕が伸びてきて、頭の上に置かれた。手は久しく感じていなかった感触を髪に残してはがれて、またハンドルを握った。

 ただ、それだけのことなのに、何かを許され認められた気分になってしまう。それでよかったんだと、言ってもらえたように、安心してしまうのだ。

「今回は小さな商品一個だが、お前にしちゃ上出来だ。今度はもっとデカイもん買ってもらえるようにガンバレよ」

「……うん」

 はぐらかされたような言い方だったが、それでいいのかもしれない。テイチが言うように、与えられなかったからこそ、アメレやスノたちとの関係は得られたのだと思えたからだ。

 トラックの行く先は長く、家までにはまだ時間がかかる。ラジオの音はなく、窓からの海風を切る音だけが、家路への音楽だとしても、それで構わないと思えた。今はゆっくりと、ナナが作る夕飯の献立は何だろうと想像するだけでいい。それだけが今考えられる全ててでいいと思えた……思いたかった。


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