第6話 第二章「島という場所」2

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 アメレが増えて三人になった店内は、手狭にさえ感じるが、スノが連れてきたケーキの甘い香りは生きていて、ケーキ店とまごうばかりだった。

「ったく、あんた仕事は半人前のくせに、女の子といちゃつくのだけは、ちゃっかり一人前なんだから」

 理由はわからないが、ネネルはアメレからげんこつを二発もいただき、耳の奥がまだきんきんと響いている。

店番をしてはいたが、その間に来客はなく、現れたのはアメレの妹であるスノだけだったのだから、そこまで怒る必要はないだろうと思う。事実スノに不満はないらしいのだから、接客としても二重丸をもらってもおかしくはない。

「お姉ちゃん、そんなに言ったら悪いよ。それにげんこつだなんて……」

「いいのいいの。あたしがこうすることは、テイチさんの了承済みなんだから。ちょーっと甘い顔するとこれなんだから、バシバシいかなきゃダメなのよ」

 きつとした表情で、アメレはにらみあげてくる。心なしか、頭の耳も毛を逆立てているようだった。

「もういいでしょ。僕だってちゃんと店番してたんだから」

「ほぉ~ちゃんと店番してた人が、なぁ~んで、こんなもの作ってるのかなぁ?」

 めざといアメレは、カウンターの上に置いておいた、不細工な折り紙のツルを見て、唇の端を斜め上、美しく整ったつり目にあわせてつり上げる。

「すごい、折り紙ですね。上手だよ、お姉ちゃん」

 とことこと、床を鳴らしてカウンターへ行ったスノは、出来損ないを拾い上げると、手の上にのせて、四方から眺めて目を輝かせている。

「そんなの折れても、何の足しにもならないのー。ったく、手悪さしてるヒマがあったんなら、商品の棚でも見て、空いてるトコに裏から補充するとかしなさいよ」

「す、すみません……」

 ごもっともすぎる指摘は、耳に痛いだけでなく、げんこつよりも、頭と心に響く。

「そんなにネネルくんを責めちゃだめだよ、お姉ちゃん。留守の間、ちゃんと店番しててくれたんだから、まずはそこに感謝しなくちゃ」

「うぐ……むぅ……スノにはかなわないわ。ネネル感謝しなさい、このあたしが、感謝、してあげるんだから!」

 その口ぶりのどこに感謝がこもっているのかは、少々理解困難なものだった。だが、アメレは頭をさげ、耳まで下げているのだ。それで十分にしておかなければならない。さらにそう弁護してくれたスノには、こちらが頭を下げなければならないほどだ。

「でも、お姉ちゃんはなんでお店あけてたの? ネネルくんたちが商品を今日もってくるっていうのは、前々からわかってたことでしょう?」

 スノの指摘はもっともだった。休業日でもない限り、店長がいきなり店を開けることは少ないだろう。しかし、考えを逆さにすれば、個人経営の小店舗だからこそ、そういう小回りがきくものだ。結局のところ、その理由さえ頷けるものならば、いいのかもしれない。

「あぁ、今日はほら……定期検診の日なんだよ。そっちをころっと忘れちゃっててね、焦った焦った」

 アメレは苦笑いをして見せて、頭をかき、恥ずかしそうにケモノ耳をなでつけた。その仕草は妙にしおらしく、初めてアメレを女性なのだという目で見た瞬間だった。

「定期検診かぁ。アメレさんも自分の体のことはしっかり手入れして、気にしてるんだね。この仕事は体が資本だもんなぁ」

「あぁ……うん……うん、そうだね。まぁあたしらのは、ちょっとそういうのと理由が違うけど」

 なぜかアメレの表情に陰りが出来てしまった。そして、それはついさっきも誰かに見たように思えるものだ。だが、アメレの陰りは、ほんの一瞬、それも凝視していたからこそ気づけた程度のもので、即座に消えて、顔色は元の健康的な肌色になり、頬は薄く桃色になる。

「ええと……僕、何かおかしなこと言っちゃったかな……」

「ネネルくん……もしかして、知らないの……?」

「え……何のこと?」

 スノは知らないことが珍しく、知っていて当然だと言いたげだった。だが、いったいそれが何を差しているのか、見当もつかない。

「ああ、そっかそっか。スノ、そんな顔しないの……ほら、ネネル触ってみな」

「え、いきなり何言い出すの!」

「何を触れると思ったんだ、このドすけべネネル!」

 頭にもれなくげんこつが命中した。その言葉だけに焦ったが、内容を示すようにアメレは頭を下げてこちらに差し出していた。

「耳だよ耳……触ってみな」

「耳……こう?」

 自分の耳と同じ位置の耳たぶを指先でつまんでみた。ふかふかと柔らかく、ナナの作るダンゴというものに似ていて、なぜかいつまでも触っていたい心地よさだった。

「はぁ……違う違う……そっちの耳じゃなくて」

「え? じゃあ頭の上にあるほう? それは付け耳なんだから、僕のと同じ感触だろ?」

「……そう思うんだったら、触ってみな」

 アメレはしつこくいい、頭を下げたままだった。それ以上したら、頭に血が上って、気持ち悪くなるだろうと、アメレを早く開放する意味でも触ってみた。

「……え……あったかい……?」

 毛並みは付け耳のものとは比べものにならないくらいに、なめらかでやわらかく、指先は磨いた床に氷を走らせるように、ひっかかりなく毛の中を進み、人の命が通ったあたたかさを返してくる。

「え……ど、どういう……この耳は、この島のしきたりで付けてるんじゃなかったの? え、え……」

 耳のぬくもりとやわらかく心地よい感触とは裏腹に、感情は構築し結論づけていた思考をばらばらに打ち砕いていく。さぁっと、世界が一瞬で凍りついて、灰色の低い空が包む北の国の冬を思い出した。

「ネネル、この耳はね、付けてるわけじゃないんだよ。あたしたち自身から、生えてるんだ」

 この耳を触らずに言われれば、何を馬鹿げたことをと返しただろう。言葉からは逃れられても、この指先の感触から逃れることはできない。

「ス、スノ……」

 それでもと、投げかけてみた助けへの懇願は、ゆっくりと左右に振られる顔に阻まれてしまった。アメレの耳を撫でていた手が、自然と離れていき、わけもわからぬままに拳を作っていた。

「じゃあ……本当に……アメレさんのもスノの耳も、守衛のおじいさんもラウドさんだって……みんな、あの耳は……」

「みんな、生えてるんだよ……」

 無情な風ではなく、アメレはそれがどこか当たり前のことのように、落ち着いて、とても平坦で、平穏で平静に言っていた。まるで、子どもに言い聞かせているようにも感じる。

「そんな……なんで……じゃあ、アメレさんたちは耳が最初から生えてて、僕らとは違う種族だとかっていうの?」

「…………」

 まさかとしか言いようのない、想定の外にある考えだが、受け入れているというアメレの態度を考えると、生まれつきのものだとしか思えない。だが、アメレもスノもそれには口をつぐんだままだった。聞いてはいけないことだったのだろうか……付け耳をしているという事で、自分はそれを受け入れているという了解の元、平静でいなければいけなかったのだろうか。どれが間違いで、どれが正しいのかわからなくなってくる。

「じゃあ尻尾は? 耳があるんだから、尻尾も生えるでしょ?」

 だが、アメレにもスノにも尻尾は見あたらない。頭にケモノの耳があるだけだ。

「じゃあ、どうして耳だけ生えてるの!」

「落ち着くんじゃ、ネネル」

 震えだしていた肩を両手で掴まれて、目の前に、ラウドがいることに気づいた。

「ラウドさん……どうして……」

「こっちこそ、どうしたんなら。何があったんなら、ネネル?」

 真剣なラウドの表情の向こう、入り口が閉まる瞬間に、その隙間からテイチの顔が見えた。だが、テイチは何も言うことなく、入り口は閉まり、外の世界とわかたれてしまった。

「ラウドさん……アメレさんが……耳は生えてるって……付け耳じゃないって……」

「なんと、それでか……ネネルは知らなんだんじゃな……アメレ、ちょっとイスを持ってきて、ネネルを座らせてやれ」

「うん……はい、ネネル座んなさい」

 すぐに体を動かして、アメレはカウンターの後ろからイスを持って来てくれた。少しだけ落ち着き、囲んでくれている顔を見てみると、ラウドやアメレはもちろん、年下で今日初めて会ったスノにまで心配をかけてしまっていることがわかった。

「ネネル、少しは落ち着きな。こんなことくらいで取り乱して、みっともないわよ」

「まぁアメレ、そういうんじゃねぇ。ネネルは知らなかったんじゃ、仕方ねぇがな」

「その……僕は、何を知らないんですか……耳が生えてるものだっていうのは、わかったけど……いや、わかったなんてまだ言えないだろうけど……」

「ふむ、少し話してやろう。この耳はな、ええ言い方じゃあねぇが、病気みたいなもんなんじゃ」

「ううん、病気だよ。魔女の呪い、魔女からの贈り物……色んないい方があるわ。ある年齢までに発症しちゃう特別な病気なんだよ。その年齢を過ぎると、もうかからない。運悪くかかっちゃうと、一晩のうちに耳がはえてきて……ここに来なきゃいけなくなる。病気だけど、ただこのケモノの耳が頭ににょきって生えちゃうもの」

「……アメレの言う通りじゃが、だけってわけじゃねぇがな。この病気になると、他の病気にもなりやすくなるし、この耳特有で出ちまう病気もある。それが出ちまうと、治りにくく、治療が困難にもなるもんじゃ……それに、一番はこの見かけじゃ……家族じゃろうがなんじゃろうが、人と違ういうんは、ひでぇもんじゃ。友達だったやつも、恋人も、家族も親戚も……だぁれもたすけてくれん。そうして、それまでの場所には住みにくぅなるんじゃ……じゃから、この国中から耳が生えたもんが島に集められた」

 ラウドの話はとても衝撃的なものだった。アメレの言いようでは、それは季節の変わり目によくある風邪のようなものに聞こえる。だが、本質がまるで違う。ラウドの言葉は深さが違うのだ。そしてその深さは、また別の何かを語っているようにも聞こえ、背筋が冷たくなってしまう迫力があった。

「まぁいいじゃない。もう今はかかる人いないしね」

「そうですよ。何せ私が最後なんですから!」

「どういうことなの?」

「今はもう生まれる前に予防接種をすると、この病気は予防できるんですよ。私が生まれた一週間後に必ず予防接種を受けるように決まったそうですよ」

 アメレやスノが自分に発する告白に似たものは、きっと励ましなのだ。病気のことを知れば、励まされる立場ではないのに、それに甘えているのは、酷く情けない。気丈でいなければならないのは、どちらなのだ。

「あんたがそんなに気にすることじゃないでしょ。たまたまなのよ……何を考えても、恨んでもはじまりゃしないの。それにスノより年上のあんたは、病気になった可能性だってあるの」

 アメレは軽口をたたいて、笑顔でいる。スノも、それに倣って笑っている。ラウドはしわの深い顔のままだったが、アメレたちと同じだと思えた。もし自分が、ある日突然に病気になってしまったら、それには憤り、暗い毎日を過ごすかもしれないし、何かを恨むかもしれない。もちろん、今ここでそれは知れないだけで、アメレにもスノにもラウドにも、笑えるまでの時間に、そういうものがあったに違いない。違いないと決めつけることさえ、おこがましいかもしれないが、それでも何かはあったのだ。

「じゃないと、笑えるわけないもん……」

「だから、あんまり深く考えるなっ!」

「ぎゃんっ!」

 思い至ったところに、不意を突いて、アメレのげんこつが降ってきた。その威力で頭の付け耳がずれそうになってしまう。

「うじうじうじうじ、あんたが下向くことじゃないのっ!」

「お姉ちゃん、乱暴はダメだよ! そんなにぽんぽん頭叩いてたら、ネネルくんがおバカになっちゃうじゃない」

「いいのいいの。こういう、うじうじむしはぶっ叩いて、気合い入れてやんなきゃ、しゃきっとしないのっ!」

「まぁその辺にしとくんじゃアメレ。しかしな、ネネル……」

「はい……」

 ラウドは正面に立ち、節くれ立った指の厚い手を、頭の上にのせてくる。重なった視線のもとである瞳は、底がないように色深く綺麗で、それでいて怖くて、吸い込まれそうだった。

「お前さんは、今日いろんなことを知った……この島のこと、病気のこと、アメレやスノのこと……そんで、色んなことを考えるじゃろ。しかしな、それを知った上で、どうするかは、ネネル……お前さん次第じゃ」

 ぽんぽんと二度、優しく頭を叩いた手は離れていき、腰の後ろへとおさまった。そのままラウドは杖を鳴らして、店外へと出て行ってしまった。

「じゃあ私も、お店に戻りますね。ネネルくん、今度来たときは私のお店にも寄ってくださいね」

「おーおー、もうそんな仲になったか、半人前のネネルさんはねぇ~」

「もぉ、お姉ちゃんはネネルくんイジメて楽しまないの! ネネルくんも、されるがままじゃダメだよ?」

 言い残すと、スノは丁寧なお辞儀をして、店を出て行った。見送り残ったアメレは、うーんと大きな呼吸で背伸びをすると、カウンターの後ろへと入る。

「ほら、あんたもいつまでも座ってないでイス返しなさいよ。あたしが座れないでしょうが」

「あ、ごめん……」

 まだ少し震えたままの足を立たせて、イスをアメレに譲った。それを受け取ると、アメレはどかっと長い足を組んで、座る。

 会話はない。ただ緩やかな、この島では当たり前の空気が店内を包み、窓外からは、かすかに商店を巡る人たちのやりとりが漏れ聞こえてくる。何事もない凪の海のようだった。

「あの……」「さて……」

 発した声が重なってしまった。一瞬顔を見合わせたが、アメレはそのまま構わずに続けてきた。

「客来ないし、あんたちょっと折り紙でも教えなさいよ。今日は搬入数も少ないし、テイチさんならもう終わってるだろうからね。このまま休憩しても怒られやしないわ」

「う、うん……」

 アメレが差し出してきたメモ用紙を受け取ると、折り紙にする下準備から教えていく。

「へぇ~そんなとっからはじめるんだねぇ」

「長方形の紙からは、作りにくいから……折り紙なら、最初から正方形なんだけどね」

 長方形のメモ用紙から切り出した正方形をアメレに差しだし、もう一枚正方形を作ると、ツルの折り方を一からアメレに教えていった。

「ほうほう……案外、難しいもんね……スノなら簡単にやっちゃいそうだけど」

「スノって手先が器用なんだね。ケーキも作るんでしょ?」

「そうそう、自分で作って、自分で売ってるのよ。あんたよりエライ店主様なのよ。スノもあたしもね。存分に尊敬しなさい」

「うぐ……」

「まぁ今度スノのケーキでも買って、食べてみなさい」

「そこは、納品のお茶時間におやつとして用意するわとか言えないの……店主、さま?」

「ほほぅ……言うねぇネネルちゃん~ほら、出来たっと」

 アメレはお茶の時間はお茶だけだと話の腰を折り、出来上がったツルを見せた。初めてにしては上出来だろうと言えるもので、翼の分量が多く、やけに勇ましいツルで、アメレの性格をよく表していた。

「ふむふむ……折り紙ってのもいいもんね……今度の仕入れで入れてもらおうか」

「ん、何か言った?」

 自分のツルとアメレのツルを見比べることに精一杯で、聞き逃してしまった。

「はぁ~前途多難ねぇあんた……今のは、あたし相手じゃなきゃ、商談一個潰したのも同じよ?」

「な、なんで……アメレさんもう一回!」

「仕方ないわねぇ……今度は、折り紙をあんたに発注するって言ったのよ。あとで発注書にも書いといてあげるから……ったく、あたしも甘いわねぇ」

 アメレは足を大仰に組み替えて、芝居のように溜息をついてみせる。なぜかそれは貸しでも作ってしまったかのような錯覚を見るものでもあった。

「まぁ、最初はツルでも折って、お客さんに買い物たんびに配って、折り紙の宣伝でもするかなぁ」

「いいね、それ! きっと売れるよ!」

 理由はないが、雑貨のパードを出て行くお客さんの手にはツルがあり、それを見て微笑んでいる姿が思い浮かんでしまった。

 それは、思い浮かんだというものよりも、希望のようなものなのかもしれない。この島はそうあって欲しいという、個人的な願望のような……耳の話を聞いて産まれてしまった、身勝手な想像なのかもしれない。

「おいネネル、そろそろ帰るぞ……」

 入り口のカウベルが鳴り、想像をぱっと頭の中から消して、テイチの声が現実を連れてきてしまった。

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