第4話 第一章「初仕事」3


 想像というものは、悪いものはよく的中するものだ。そして数珠つなぎに重なり、いいことはかすかなきらめきである。

ネネルは歩く地面に、汗の黒い染みを作りながら思う。

トラックとの往復数さえ忘れてしまう時間を費やして、荷物を倉庫へ収めきった時には、アメレの言っていたお茶の時間とやらは終わっていたらしい。

「はい、お疲れ様。今度はアメレさんとの楽しいおしゃべりの時間がとれるくらいになれればいいわね。まぁ次からはどの商品をどこへ置くかっていうのが、あたし居なくてもわかるだろうから、少しは早く終わるわよ」

 言葉のあとには、はははと軽い笑いがくっついた。

ネネルはアメレからの仕打ちに見せず歯がみしたが、汗に溺れて今すぐに水分補給をしなければ、仕事初日を終える前に、倒れてしまいそうだった。感情よりも肉体的救済が急務だ。今まで経験してきたアルバイトも、同等に体力を使うことは多々あったが、疲れの度合いやそれが体にたまる速度がまるで違った。

これが家業、か。

「一日二日で終わることと、これからずっと続けていくことの違いかぁ……」

「何か言った? まぁいいわ……じゃあご褒美あげる」

 最後の荷物を重ねた倉庫の中、アメレは出口の逆光を背負ってこちらを指差してくる。その姿を見ると、今もっとも贈られたいご褒美とは違うものをアメレが用意していると思えた。

「ではご褒美の発表です!」

「わぁ~嬉しいなぁ~」

「なぁに、気のない返事しちゃって。ご褒美が欲しくないの?」

「いやぁ~だから、嬉しいなって言ってるじゃないですか~」

 生気がない返事をするネネルに、アメレはぴくんと耳を動かした――気がした。

何よりもただ一杯の水が欲しい。もちろん、甘いジュースでも紅茶でもいいのだが、そんなことでアメレの話の腰を折ることは、いち早い水分補給の妨げになるぞと、色々な成分が足りていないだろう脳が、最後だぞと言わんばかりに思考を吐き出してくれた。

「はい、一部ノリの悪い人がいますが、発表!」

「わぁ~ぱちぱち」

 手を叩くにも、腕は労働の証として、重く鉛のようになっているので、口で拍手もしてしまう。自分に「さん付け」しなかっただけでげんこつを降らせるアメレならば、こんなことをしようものなら、両手で交互にげんこつを降らせてきそうだが、今そうされても回避する事はできそうになく、諦めて受け入れた。

「失礼は今だけ横っちょに置いといたげるわ……それではお待ちかねのご褒美は……あたしとタメ口で話せる権利です!」

 やはり……期待とは大きく外れたものだった。アメレの耳は生き生きと天を向き、かきあげた前髪の隙間から、人の形の耳も見える。どうでもいい瞬間に、島に来るときにあった、疑問が晴れた気がする。アメレもまた、自分と同じく付け耳をしていて、あの耳をつけることは、やはりこの島や街、集落におけるしきたりだったのだ。だが、そんなネネルの持っていた疑問の氷解にも、この頭にある耳は、一滴の水も与えられていない、夏昼下がりの花のようだろう。生きていないケモノの耳が、あれほど自由に動いて見えるのは、きっとアメレの奔放な性格が手伝ってのものなのだ。

「ははは……嬉しいなぁ……」

「嬉しくなさそうだっ!」

「ふぎゃっ!」

 素早く振り上げられた手は、山の端に沈みかける太陽をもぎ取るように拳へと握られ、そのままげんこつは高速で脳天を直撃した。

「このあたしが、タメ口きいていいって言ってるのよ? 店長のあたしが下っ端のネネルに! これを喜ばずしてどうするのよっ!」

「だから、嬉しいなぁっていったじゃないですか……」

「心がここにないっ!」

「ぎゃうぅっ!」

 もう一回げんこつが落ちた。アメレのほうが身長は高く、常に見下ろす状態にあることが、げんこつ誘発に拍車をかけているに違いない。

「ああいったらこういって、僕を殴るんだから……アメレは酷いよ」

「さんはどうしたっ!」

 あわよくばもう一発という体勢をアメレはとって、構える。

「さっき、タメ口でいいっていったじゃないか!」

「それはそれ、これはこれっ!」

 では、一体どこの部分でタメ口が許されたのだろう。そもそも対等という意味でのものではないのだろうか。

「許したのは、普通に話してるとき。あんたヘンに敬語じゃない。それを許そうってわけよ、あたしそういうの嫌いだから」

 アメレは掲げていた腕を胸の前で組んでおさめ、うんうんと頷いて髪の尻尾を揺らす。

「じゃあ、普通に話していいけど、アメレさんって呼べって事?」

「かみ砕くとそんな感じね」

「面倒だなぁ……」

「何かいった? だいたいねぇ~あたしがあんたと同じ歳より前には、もうラウドさんからこの店を受け継いで、バリバリに店長だったわけよ。でも最初は、そりゃもうラウドさんにびしびし鍛えられたもんなの」

 話が長くなる前触れなのか、アメレはまた空の木箱に腰掛けてしまい、大仰に長い足を組んでみせた。

「そもそも、ずっとこの店の手伝いはしてたんだけど、やっぱ手伝いと経営者じゃぜんっぜん違うわけよ」

「それは少しわかるけど……」

 おつかいと仕事の違い……そんなものを感じたのが今日の感想として、一番にくるものだからだった。雄弁に語り続けるアメレは、ケモノの耳をぴんぴんと揺らし、自分の過去を見るように目を閉じては開いた。

「だーかーら、あんたにも初めはビシバシいっとかないといけないわけよ。テイチさんにもいろんなこと教えてもらって鍛えてもらったから、あんたに厳しいのは、その恩返しってことなの」

 そんな理由で、げんこつの雨が降るなら、ごめん被りたいと言いたかったが、何とか奇跡的に水の代わりに飲み込むことが出来た。そもそも荷物運びの間中、アメレは何をしていたというのだ。運ばれてくる荷物をただ待って、あそこだここだと倉庫の中を指していただけじゃないのかと、げんこつの生み出す痛みの恐怖よりも、腹立たしさが勝ってきた。

「おい、ネネルっ! まだ荷物運びやってんのか!」

 怒りが心に張られた柵を乗り越えようとしたとき、表の方からテイチの声が聞こえてきた。とても優しく呼ぶというようなものではない。

「お呼びがかかったね。ネネル今日最後の仕事だよ」

 仕事は倉庫へと荷物を運ぶことで終わったと思っていた。それがいつ用意されていたのかわからないが、アメレの腰掛けた木箱の横には、いくつかの商品が入った籠が置かれている。それらは、今日運んだ箱入りの商品群の中身から拾い上げたものでもある。

「これ、どうして……」

「どうしてって、これだけが今、表に足りない分とか、あとちょっとで棚が空きそうな商品だからよ。さすがに陳列までやらせる気ないから、安心なさい」

 アメレは指図するだけで、何もせずに時間だけをぼんやりと費やしたと思っていた。そのくせ、新人いびりにかこつけて、ことあるごとに殴って、日頃の鬱積解消の道具にでもしているのかと思っていた。だが、アメレは知らないところで、しっかりと店主の仕事を全うしていた。逆に、作業を今まで通りテイチがしていれば、もっとすんなりと進み、陳列や商品補充もとうに終わり、ラウドの店番も交代時間が来ていたのかもしれない。

 全てが自分のために、通常回転のリズムが遅まきに崩れているんじゃないかとさえ思えてきた。

「ほらほら、これで最後なんだから、そんな思いつめて死んだような目にならないの。表に行ったら、お茶くらいはあげるから。そんくらいテイチさんも許してくれるわよ」

 あははと笑いを連れて、アメレは先に倉庫を出て行ってしまった。残された商品たっぷりの籠を抱えて立ち上がると、先に揺れる尻尾を追う。そして、ネネルは思う……当分、この尻尾に頭があがることはないだろうと、またアメレは自分の目標になる人物なのかもしれないと、頭の中にあるメモ帳へと、性格乱暴、得意技げんこつと特記した項目の次に書き留めた。

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