空っぽ少女

咲弥生

空っぽ少女


 壹


 とあるところに、形の無いモノが存在しました。

 そう。形の無いモノ。つまり、目には見えないモノです。

 ですが、件の目に見えないモノは、人の手によって作られたのです。

 形の無いそれは、人の手によって、人が持つ能力によって作られたのです。

 人々は、それを自らが作りながらも、忌み嫌いました。

 それを使う者を嫌い、迫害し、遠ざけようとしました。

 しかし、遠ざけ、突き放すことは出来なかったのです。

 何故なら、それの表すかのような存在が現れたからです。


 存在は言いました。様々な人に広く伝えました。


 それより勝るモノは無し。それは時として、対極になる。と。


 貳


 とあるところに、色々な街を練り歩き、話を売るという少年がおりました。少年は、話を求める客に話をするのです。色々な場所を回ってきた街での話を。


 巨人と出会った時の話。悪魔と戦った話。家族の話。好きな人との話。今まで訪れた街の話。そんな色々な話をあらゆる人々に伝えていました。そんな奇妙な話が実際に起きたように話すのです。


 全てが嘘で作られたそんな少年の話は、行く街々で喜ばれました。とても喜ばれました。時には小さな子供に。時には大きな大人に。時には老人に。時には主婦に。


 そんな中、少年は、街ゆく人々に一つの話をしました。一人のサーカスに所属するマヌケな少年のピエロのお話を。


 自分と同じように常に薄ら笑いを浮かべて、相手を笑わそうと必死なピエロのお話を。


 蔘


 とても小さな街に、とても大きな街にあるとても有名なサーカス団がやって来ました。大きなテントを山の目の前に立て、公演日までの間、そこで練習をしておりました。


 そんな中、サーカス団の団長がサーカス団のメンバーに言いました。街で適当に遊んで、お客を引き寄せて来い。と。


 メンバーは、それは良いと賛同し、やる気満々に飛び出しました。ナイフ投げは銀のナイフを片手に持ち。猛獣使いは可愛い犬を連れて。綱渡りは一本のロープを手にして。一人のピエロは道具箱一つ持っていって。


 街の子どもたちは、サーカス団が街に来て、色々な人物が目の前で小さなショーをして、キラキラした目で見ておりました。


 ナイフ投げは、一人の男性を木の前に立たせ、頭と両手には林檎を持たせ、三つの林檎にナイフを投げ刺す妙技を見せました。猛獣使いは、連れてきた可愛い犬と、その場にいた女の子と一緒に踊りました。綱渡りは、街で一番高い塔にロープを取り付け、命綱も付けずに渡りました。


 ピエロはと言うと、他のメンバーが到着してからしばらくして、街の中にある小さな公園に行きました。赤と青の奇妙な帽子を被り、薄ら笑いを浮かべてる仮面を被り、帽子と同じ、赤と青の、目がチカチカするような服を着て。


 ピエロが来たと子どもたちは喜び、大人たちもピエロのそばに集まりました。しかしピエロは、そんな状況が悲しかったのです。相手を無理矢理にでも笑わさないといけないと。目の前に立つ人々を、偽りで笑わさないといけないと。


 そして今日もまた、悲しみの心を、薄ら笑いという仮面で隠したのです。嘘の心を、表情という真で偽ったのです。


 肆


 少年は、言葉を紡ぎ続けました。まるで、その小さな子供の一人にいたかの様に。身振り手振りを使って。声のトーンを変えて。声の質を変えて。


 物語が語り終わると、聞きに来た人が、全員の人が拍手をしてほめました。面白いと。素晴らしいと。そして、少年はそれが嬉しかったのです。


 大勢を、騙すことが出来たと。自分のことに気付かなかったと。


 少年は、快感の笑顔を安堵の笑顔に移し替え、大層満足すると、地面に置いた帽子に、お金を入れてもらいました。そして、十分な量が集まると、街のみんなに別れを告げ、違う街へと旅立ちました。


 伍


 二つの王国の間にある山間部の村に、一つの裕福な家庭がありました。そう、裕福な家でした。とても、とても裕福な家庭でした。しかし、その家庭には、一つの悩み事があったのです。それは、子供が出来ない。という悩み事でした。


 ですが、夫人は身籠ることが出来ました。相手と結婚して五年。念願の子供が、彼女の腹の中に出来たのです。夫人は少女のような笑顔をして喜ぶと同時に、不安になりました。もしかすれば、我が子を見ることなく自らの身が崩れるのでは? と。


 生まれつき体の弱かった彼女は、子供を身籠るとよく体調を崩すようになりました。医者から、子供を身籠れば、下手すれば死んでしまう。そう言われていたのではありますが、自分が死んでも、彼女は子供を産むつもりでした。不安と闘いながらそれでも進むことを決めました。それを了承した彼女の旦那は、精一杯の手伝いをしたのです。


 まず、旦那は今までしたことのない料理の勉強を仕事の間に行い始めました、朝昼晩、彼女が食べる料理をすべて自分で作れるように、努力を惜しみませんでした。体を温める生姜を使った料理や、スタミナがつく料理を作り続けたのです。何か異変があれば、自分の状況など気にせず、自分の仕事をほっぽりだして、愛する妻がいる部屋に飛んでいきました。


 そんな日々はすぐに過ぎ去り、夫人のお腹は、ゆっくりと、だが、着実に大きく膨らみました。子供が腹の中にいるようになって十ヶ月が経った。十月十日後と言われる出産予定の日まで十日と迫った中、悲しいことに、彼女の体調が急変したのです。


 お腹の子に何かが起きのだと医者が判断し、急遽、そのまま出産が始まりました。昼から始まったそれは、気がつけば日が暮れ、月が煌めき、日付が変わって朝日が上っていたのです。


 そして、やっとその時が来たのです。日付を跨いだ夜、可愛らしい女の子が生まれました。子供を産むのに、残っていたすべての体力を使った夫人は、自分の子を抱き抱えると、笑いながら息を引き取ったそうです。


 陸 


 女の子が生まれてから数年後。山間部の村に、一人の少女が住んでおりました。その村に住む者たちの中で一番裕福な、あの家で育っている少女は自分の屋敷から出たことがありませんでした。自分の屋敷にある庭にも出たことがありませんでした。それどころか、自室に隣接する廊下。それにすら立ったことがありませんでした。なぜなら、自分を生んだ時に亡くなった自分の母と同じく、体が弱かったのです。


 少女は、常に同じことをして過ごしていました。毎日毎日同じことをして生きていました



 ベッドの上で目覚めたら、メイドが窓を開け、涼しい風を見に受ける。雲ひとつない快晴の空を眺める日があれば、雲が表す形を見つめる日があれば、雲しか見えない、奇妙な禍々しさを孕んだ曇天を眺める日があれば、閉じた窓に打ち付けられる雨粒の一つ一つを見つめる日もありました。


 ベッドの上から動くことをしない少女。いや、動くことができない少女には、何もなかった。そう、何もなかったのです。父親が用意した本を手に取ることも無く、使用人たちが用意した遊び道具でも遊ばなかった。話すこともできない少女には、何もなかったのです。


 少女の頭の中には何も無かったのです。考えるべき事象も、するべき義務も、磨くべき知識も。もしかすれば、生きる目的すら無かったのかもしれません。


 耳は聞こえている反応があるのですが、一言も喋らない。父親や使用人が少女に向かって話すのに対して反応するため、言葉は知っているはずなのだが。何も返答を返さないのです。


 何にも興味を示さず、何にも反応をしない。最愛の妻と瓜二つの娘が何を考えているのか、少女の父親。旦那には分からず、どう相手にすれば良いのか考え続け、悩み続けました。


 しかし、答えは出ませんでした。使用人たちに相談しても、街に住む知人に相談しても、俺には、私には分からないと答えるだけでした。本屋で調べてみても、似たようなことはありませんでした。


 少女のことを考え続けても、少女の父親には、全くいい案は思いつきませんでした。自分が少女と話しても、使用人が話しても、少女は全く反応せず、最近は、食事を取る量も少なくなりました。一日に三食しっかりと食べていた少女は、一日に二食しか食べなくなってしまいました。


 漆


 どんなことが楽しいことがあっても、どんな悲しいことがあっても、時間に向かって、止まれと叫んでも、日々は無情に過ぎていきました。


 一年。二年。三年。段々と時間は積み重なり、少女は成長していきました。白かった肌はますます白くなり、白薔薇のように美しくなりました。窓から差し込む光を受けた金髪は、光を受け止めて、向日葵のような明るい黄金を映し出しました。顔は凛と整い、窓の外を見つめる姿は、言葉通り、深窓の令嬢のようでした。


 ですが、少女は、遂に、一日に一食しか食べなくなりました。1日に一食。パンとスープだけの食事。それを、父親の手から食べていました。少女の父親はそのことに嘆き悲しみました。このままでは、自分の娘が死んでしまうと。気がついた頃には、少女の父親は、少女の部屋で、寝起きを共にするようになったのです。


 少女の父親は、毎日毎日話しかけました。どんな些細なことも少女に話しかけました。朝、目が覚めればおはようと。朝食を持って来てもらうとありがとうと。食事を取る前にはいいただきますと。窓を開けて、良い天気だねと。昔に自分が読んでいたお伽話を読み聞かせ、少女が話せるように努めました。笑いもしない少女が笑えるようにと。


 しかし、少女は、話すことなく、笑うことなく、一年を過ごしてしまったのです。少女の父親は考えてしまったのです。このままでは、愛する娘の声も聞けぬまま、少女が亡くなってしまうのでは? と。愛する娘の笑顔も見れぬまま、少女が亡くなってしまうのでは? と。


 捌


 少女が眠ってから、少女の父親は、夫人が眠るの墓へと足を運びました。屋敷の庭に、自らの手で作った、小高い丘にある彼女の墓に。少女の父親は、墓前に百合の花束を置くと、かつて、彼女が生きていた時と同じように話し始めたのです。


 少女が喋らないこと。少女が笑わないこと。少女が泣かないこと。少女が食べないこと。少女が動かないこと。少女が……。 少女が……。 少女が……。 少女が……。 少女が……。 少女が……。 少女が……。 少女が……。 少女が……。


 少女が……………………………………………………………………………………。


 少女の父親は、空が白けていたことに気が付きました。そして、自分の両目から、静かな涙が溢れていたことに気が付きました。


 自分が悩んでいることを、少女の母親である夫人に全てを伝えた少女の父親は、一人の女性の姿を見つけました。純白なワンピースを身に纏い、太陽の下で揺れる髪が、神々しいほどに輝く彼女を。


 見間違えるわけがない。最愛の妻の姿だ。少女の父親は断定した。そして、少女の父親は、夫人の元へ走ろうとした。しかし、動かなかった。全く動かなかったのです。仕方なしに彼女の姿を見つめていると、婦人は口を動かし、何かを伝えようとしたのです。


 玖


「                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                          」 

 風の音や人の声。目覚めた、動き出した、歩きだした街が、彼女の声をかき消した。いや、かき消したのではなく、声が無かったのかもしれない。だが、少女の父親にはどうでも良かった。


 嘘でいい。偽りでいい。幻でいい。夢でいい。ただ、少女のことを愛せばいい。そう考えたそうです。


 壱拾


 そんな時、一人の少年の噂を聞いたのです。


 右目の無い、隻眼の少年。髪の毛は、根元が黒く、毛先に行くに連れて段々と白くなるのが特徴。その少年には名前が無く、しかし、それを楽しんでいる。そんな少年をの噂を。


 少女の父親は、その少年を探し出すと、屋敷に呼ぼうとしました。この少年であれば、少女を笑わせれるのではないのか? 話してくれるのではないか? とそんな気がして。


 たとえ、笑わせることは出来なくても、少女の友達になってくれるのでは? と。結果は後で着いてくる。そう思ったから。


 数日がして、噂通りの身形をしていた少年を少女の父親は見つけ出しました。街で話をしていた少年に対して、少女の父親は、直談判しました。自分の娘を笑わしてくれ。と。少年は、快く引き受けると、少女の父親は、依頼の内容を伝えました。


 自分の娘を、動かず、喋らず、笑わない愛娘の、凍ってしまった心を、溶かして欲しいと。柄にもなく、頭を下げて。


 少年は、出来る限り頑張ります。とだけ伝えると、お屋敷を訪ねる日にちだけを決めると、少年は、人ごみの中に消えていきました。


 そして一週間後、 少女と少年は、初めて出会ったのでした。


 ここから、二人の物語が始まるのです。


 壱拾壱


  少年は、少女の父親に案内されて、少女の部屋にやって来ました。特に荷物も持たず、妙に溶け込んだ笑顔を浮かべて。少女の部屋は、まるで、開かずの扉のように、ギギギギと鈍い音を立てて、開きました。完全に扉が開くと、少年は少女の部屋へ入りました。


 部屋は大きなワンルームでした。ドーム状に、丸く作られた部屋の中で、少女は一人、ポツンと、窓から見える景色を眺めていました。その姿は美しく、光を浴びた髪が、白く透き通る肌が、少年の目に焼き付きました。


 そんな少女の姿を見た少年は、少女を見て、一つの箱を思い浮かべました。何も無い、空気だけしか入っていない。むしろして空気すらも入っていない箱。


 空っぽ。


 少年は、そんな言葉を、無意識のうちに呟いてたのです。何のつもりもなく、ただ、心の中で思っていたものが、表へとこぼれ落ちたのです。


 無意識に、故意もなくこぼれたその言葉を、耳にした者はいませんでした。本人である、少年自身も気づいておりませんでした。


 しかし、少女だけは、しっかりと両方の耳を使って、少年の呟きを聞いていたのです。空っぽ。という意味をが、自分のことであることに気づいたのです。そして、自分のことを正確に言い当てた人物が気になったのです。


 やあ。初めまして。お嬢さん。


 少年は、少女が振り向こうと動く前に、そう呼びかけました。まるで、少女の父親が少女に挨拶するように。なんの違和感も無く。


 しかし、少女は、少年の声だけを聞いて気付きました。恐らく彼は、眩いほどの笑顔を被っていると。そう思うと、身体を、躰を、躯を、体を動かすことが出来なくなってしまいました。


 こっちを見てくれないだなんて、相当な恥ずかしがり屋なのかな? それとも、僕があまりにも眩しすぎて直視できないということなのかな?


 飄々と、少年は話し続けました。少女が聞いていないのを全く気にせずに、ただただ話し続けたのです。そんなことはどうでも良い。というかのように。


 彼は、違う。熱意ある父とは違う。頑固な執事とは違う。心配性なメイドとは違う。 少年の言葉を借りれば、空っぽな 私とは違う。少女は、声だけで、彼という存在を認識したのでした。


 壱拾弐


 まあ今日は良いよ。顔合わせのつもりだから。って言っても、君が顔を向けてくれないから、どうしようも無いっていうのが事実なんだけど。


 少年は、少女に声をかけ、少女の父親は、その状況を両手を合わせながら見守る。頼む。少女を動かしてくれ、凍った心を溶かしてくれと。


 しかし、少女は、窓から目を離さない。いや、この表現は正しくないのだ。少女は、得体の知れない少年のことを、見ることができなかったのだ。


 自分と同じ、ものは、モノは、物は、者はいない。存在しない。世界にある基本的なルール。そんなことは少女もわかっていた。だからこそ、酷似している。似通っている。類している。そんな木枠に入っていない少年を恐がり、怖がっていたのである。


 壱拾参


 それから、少年は毎日、彼女のもとへ通いました。雇い主である屋敷の旦那やメイドには、絶対に入ってくるなと。そう言って。


 少年がしたことは単純なことでした。


 ただただ、少女の座るベッドの縁に腰を掛け、少女のために用意された本を、かなりのハイペースで読むだけでした。


 それを朗読する訳でもなく、読んだ感想を伝える訳でもなく、少年は、ずっと少女の隣にいるだけでした。


 そんな日々が十日ほどした昼下がり。少年は再び屋敷へと訪れました。再び少女と話すために、いや、話すための準備をするために訪れたのです。


 僕の話を聞いてもらう準備をすると少女の父親に伝えると、いつもと同じように、少年は少女の部屋の前までやって来ました。少女の父親が、後ろをついて来ているのに気づきながらも、少年は気にせずに、バン! と扉を開いた。


 相変わらず外を見続けている少女に、少年は言ったのです。


 さぁて。僕は君と話に来たんだ。出来れば、こっちを向いてくれないかなぁ? 僕は君の顔を見てみたいんだ。太陽の様に明るく、月の様に美しい君の顔をね。


 少女の父親は、少年と少女を見守ることにしました。少年がどう喋らせるのか、どう笑わせるのか。ただ、見守ったのです。


 いつまで外を見ているんだい? 僕の顔ほど、僕の髪ほど面白いものは無いと思うんだけどね。


 自分の奇妙な髪をイジりながら、少年は言う。しかし、少女は気にも止めずに空に浮かぶ雲を眺めていました。とうとう堪えられなくなった少年は、少女に尋ねました。


 ねえお嬢さん。参考程度に、何で僕の方を、僕たちの方を見ないのか教えてもらっても良いかな。


 薄ら笑いを浮かべる少年に、少女は、窓の外を見るのを止めて少年の方を見ると、ゆっくりお口を開いた。


 ……カ……メン………………アナ……タ…………ウソ……ツ……キ……


 その言葉は、少女が初めて声にした言葉であり、それと一緒にに流した涙は、彼女が初めて表した感情だったのです。


 壱拾四


 何だこれは。と少女の父親は思いました。自分の娘が言葉を発してくれたのは嬉しかった。長年使ってこなかった器官を動かし、苦しむ様に吐き出したか弱いながらも透き通るような声は、愛する妻のそれと同じだった。だが、そんなことはどうでも良く、その発言の内容が問題だったのです。


 ……カ……メン………………アナ……タ…………ウソ……ツ……キ……


 仮面。あなた。嘘つき。それは、恐らく目の前の少年に対しての言葉であったのでしょう。しかし、少女がどう判断してそう言ったのか分からないのです。自分の目の前に立つ少年は、そんな言葉を浴びせられても驚いた様子はなく、最初と同じ笑みを浮かべたままでした。


 お嬢さん? 何を言ってるのかな。僕には全く分からないんだが、空っぽの君が何を言っている。


 怒っている訳ではない。声の優しさから、そのことが十二分に伝わりました。しかし、少女の父親は、少年が放った『空っぽ』という言葉が気になりました。


 まあいいや。今日はこのぐらいにしておくよ。お嬢さん。明日には笑わせてあげるから


 少年はそう言うと、少女の父親挨拶もせずに部屋から出ていきます。少女の父親は止めることもできず、バタンと閉まった扉を見た少女は、興味も無くなったかの様に再び窓の外へ顔を向けました。


 壱拾五


 何だったんだ? あの少女は。屋敷から出た少年はそう思いました。ただ薄ら笑いを浮かべていただけ。それなのに、あの少女は僕のことを、仮面と、嘘つきと言った。そのことが気になったのです。


 まだ何も言っていない。戯言すら言っていない。嘘も言っていない。それなのに。と。


 少年は、少女のことが怖くなっていました。本質を見抜いた少女を。仕事だからと我慢することはできる。実際、彼女は喋った。本来ならば、今日でこの仕事は終わりだ。


 でも、ここで去れない。少年はなぜか、そう思ったのです。


 壱拾六


 少女は思いました。毒されると。あの少年は人ではないと。人などと言う、人間などと言う生半可な生き物では無い。そんな風に。


 少女は泣き続けました。初めて会った自分ではない子供が、自分と同じ人では無いことに。そして、自分のことを、『空っぽ』と見抜いたことに。


 ……カ……ラッ、ポ…………カ……


 明日来ると少年は言った。その時に話そう。少女は密かにそう思ったのです。


 壱拾七


 次の日の夜。屋敷の前には、あの少年がいました。少女と最後の話をするために、何も無い右目を隠すこともなく、むしろ見えるように髪を束ねた状態で立っていました。自分の正体を覗こうとしている少女と話すために。


 しばらくすると、お屋敷に使えるメイドがやって来ました。自分の右目に驚いた様子だったのですが、気にせずに無理矢理屋敷の中に入って行きました。


 ズカズカと進んでいく少年は、通い慣れた道を進み、少女の部屋に入っていきました。何にも臆せずに、気にせずに。


 やあ。お嬢さん。昨日ぶりだね。


 少年は、昨日と同じような顔を、薄ら笑いを浮かべてそう言いました。いつも通りの挨拶。


 ……ツク……リ……ワ……ラ、イ……


 少年の声を聞いた少女が、窓から視線を外さずにそう言った。全く見てもいないのに、少年が笑っているのを見抜いて。


 アナ、タハ……ヒ……トナ……ノ……?


 少年の方を向いた少女は、今日も泣いていた。二筋の涙を頬に伝わらせながら、少年にそう聞いた。


 そして、少年はその質問に答えた。


 僕の戯言を聞いて考えろ。空っぽ。


 壱拾八


 昔々、あるところに、一人の少年がおりました。長年子供が出来なかった少年の両親は、少年の誕生に喜びました。盛大に喜びました。向こう三軒両隣を巻き込み、盛大なパーティをするほどに。そして、少年には名前がつけられました。しかし、少年は名前を奪われます。たった一つの出来事の結末として。


 その少年の中には、もう一人の少年がいました。滅多には表には出てこないもう一人が。少年は、真面目な子でした。親に口答えせず、言うことを聞く真面目な子でした。しかし、その少年は死んでしまいました。もう一人によって。


 もう一人の少年は、とある日に夢の中に出てきました。そして、少年にこう言いました。『つまらない』と。そして、もう一人の少年は、夢の中で少年を刺しました。刺し続けました。


 指を、手の甲を、腕を肘を、二の腕を、肩を、足首を、脛を、膕を、太腿を、股間を、腰を、腹を、脇腹を、肺を、目を、鼻を、耳を、口を、首を、心臓を、脳を。


 もう一人の少年は、何度も何度も刺し続けました。息をしなくなっても、体が動かなくなっても、自分の心が締め付けられるような痛みが、傷みがあっても。


 少年は、目を覚ましました。そして、自分が、もう一人の、嘘と偽りで出来た少年が立っていました。少年は、自分の前に横たわる人を見ましたのです。無惨に刺殺された、原型を全く留めていない姿になった自分の母を見ました。


 少年は笑いました。盛大に笑いました。目の前で無惨に死んでいる母を見て、狂ったように笑いました。そして、嘘と偽りでしかない自分は、自分の父親を殺しました。眠っている父親を安らかに、苦しませないように、母が使っていた包丁を持って、首を切り落としましたとさ。


 壱拾九


 さあ。この物語は終わりだよ。お嬢さん。もう準備は出来ているよね?


 少年は静かにそう言いました。左目を閉じ、空虚でしか無い右目で少女を見つめながらそう言いました。


 ミギメハ?


 その少年は静かに、自分の右目を抉り取りました。それが、どちらの意志だったかは分かりません。ですが、両親を殺した少年は自分の存在を、痛みという、傷みという、それらを感じることが出来る存在であることを確かめるために。


 少女は、静かにうん。と頷くと、少年に向かって謝りました。涙を、盛大な涙を流しながら謝りました。


 わたしに、あなたを、あなたというそんざいをとりもどせるものがない

からっぽなそんざいでごめんなさい。


 君のその笑顔が見れた。それだけで十分だよ。


 最後に、貴方の名前を教えて。私の名前はエリー。貴方は?


 僕の名前はーーーーーー


 廿


 バン! と壊す勢いで少女の部屋の扉が開き、少女の父親とメイドがやって来ました。そして、少女の父親は目の前に広がる光景を見て落胆しました。絶望しました。


 ベッドの上には、少年と少女が座っていたのです。手を組み合わせ、少女は少年の肩に頭を載せ、少年は少女の頭に頭を寄せて。笑顔で座っていたのです。


 にこやかな表情をしているの二人の体には、一本ずつ、折れた木の棒が突き刺さっていました。血が噴き出し、ベッドの上と床には、赤く、どす黒い血溜まりがあり、口元には血の筋がありました。


 少女の父親は嘆きました。その声は咆哮となり、夜の街にこだましたそうです。

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空っぽ少女 咲弥生 @thanatos

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