#21 家族になる
川沿いに植えられている柳のそばで寂しそうにたたずんでいる、というならロマンチックにも見えるのだろうが、現実には全身しょぼくれた様子で体育座りをして小さくなっている少女がいるだけだ。
だけど、そんなみっともない姿だからこそ、本当にどん底までへこんでしまっているというのが
「あんがい、すぐ、見つけられた……」
「千尋……。ごめん」
息を切らしてそばに立つ千尋に謝罪の言葉を投げるが、いったい何に対する「ごめん」なのか郁美自身にもよくわかっていなかった。
いろいろ謝るべきことがあるとは思うのだけれど。
息を整えると、千尋が隣にくっつくように座り込む。
汗をかいているくせに、不思議と甘い匂いがした。
「……またやってしもた」
「爆発、するよね。郁美ちゃんて。火山みたい」
「うん……」
軽口に返す元気もない。
「さっきのはさ。お母さんが悪かったよ、やっぱり。しつこかったもん。あたしから見ても、タチ悪かった」
「でも」
「ごめんね。あの人、ふだんはしっかりしたキャリアウーマンですみたいな顔してるけど、ばかなの。ホントはかなり」
あくまで明るい千尋の声は、優しい。
「お父さんが追いかけようとしたの、代わってもらったんだ。あたしが郁美ちゃんのそばに行きたかったから」
父が郁美を気にかけていることを伝えようとしたのだろう、千尋が笑って言う。
その顔を見て、いちばん来てほしい相手が来てくれたのかもしれないと、郁美は思う。
「……うちの両親が離婚したの、知ってるやろ。わたしが小学生くらいのときやった。お母さんはふつうに別のところで暮らしてて、たまに手紙とかくれたりする」
「うん」
「わたしにとっては、やっぱりお母さんはお母さんなんよ。お母さんには、ええ思い出ばっかりやし、優しかった。いまでも優しい。わたし、お母さん好きなんよ」
「……うん」
「
寂しげに笑う郁美の顔を、月の光が照らしている。
前髪が目にかかっているのが気になって反射的に伸ばした千尋の手を、郁美は振り払わなかった。
「でも、お母さんとはよう呼ばん。だって、お母さんは、お母さんやもん」
「そうだね」
千尋はなんのてらいもなしに、
それは千尋にとってはすでに自然なことになっていて、もうなんの構えもなかった。
そもそも、郁美は「お父さん」という言葉以外で千尋が幸輔を呼ぶところを見たことがない。
でも、郁美はちがうのだ。
千尋を見るたびに感じていた違和感が、やっとわかった。
結局、自分はそれまでの
かつて母と父、自分の三人で暮らしていたあの頃の家族。失われてしまったそれを、心のどこかでまた取り戻せると思っていた。
そのあるかどうかもわからない可能性を、再婚という形で否定されて。
再婚の象徴である千尋を見るたびに、それを突きつけられるようで。
中途半端にいい子ちゃんな郁美は再婚相手に当たるなんてこともできず、見栄を張って祝福して、自分を巧妙に騙して、すべて千尋への苛立ちに変えてしまっていたのだ。
もちろん、自分に付きまとう千尋個人をうっとうしく思う気持ちは別にあったけれど。
でも、それだけではなかった。
つまり、自分は子どもみたいに駄々をこねていただけだった。
再婚が嫌でむくれるなんて、あまりにも定番で、陳腐だ。
自分はもっと賢く分別のある人間だと思っていたのに、蓋を開けてみればなんてことはない、救いようもないくらい「よくある」話だった。
「アホやなあ、わたし」
「……そんなことないよ」
「そんなことあるよ」
「もうっ」
再度の否定の代わりに、千尋が怒ったように肩をぶつけてくる。ぷくっと頬を膨らませて。
リスみたいな千尋の顔を眺めるうちにパーカーのフードが裏返しになってしまっているのに気づいて、直してやる。郁美を追いかけるためにとっさに羽織ってきたのだろう。首元から垂れ下がった紐が千尋のふわふわの髪に絡まってしまっているのも、きちんとほどいてやった。
「えへ、ありがと」
「……べつに」
最近、郁美は気がつくと千尋の服の乱れを直してやったりしている。
ほとんど無意識に世話を焼いていて、おせっかいな自分に呆れる。
あれだけうざったく思っていたのに、いつの間にか隣に千尋がいることが当たり前になっていた。
大切なものを踏み荒らすように郁美の中に入ってきたはずの千尋。
その千尋が隣にいることが、いまは自然で。
認めるのは照れくさいけれど、心地よかった。
「あたしはね、お父さんの、あ、実のお父さんのほうね。そのお父さんの顔、知らないの」
千尋がとつとつと話し出す。
「もちろん、写真とかでは見たことあるよ。でも、物心つく前に死んじゃって、だからあたしはお父さんを知らない。わたしの生活の中に、お父さんはいなかったの」
風で柳が揺れ、葉のこすれ合う音が夜の川辺に響く。
秋の柳はずいぶん葉を落として痩せてしまって、じきに訪れる冬を予感させた。
「だから、再婚するって決まったときはどきどきした。わくわくもした。初めて会ったお父さんは優しそうなすてきな人で、嬉しかった。すぐ郁美ちゃんのほうに目を奪われちゃったから、説得力ないかもしれないけど。……ほんとだよ?」
千尋が幸輔を心底慕っているのは、郁美にもわかる。再婚が決まってすぐ、幸輔を「お父さん」と呼ぶようになったし、夕飯には幸輔の好きなメニューを聞いて織り込んだりもしていた。
千尋は、それぞれに程度の差こそあれ、郁美と幸輔の佐倉家二人をどちらも好きになってくれたのだ。
「あのとき、わたしにもお父さんができるんだって思ったの。だから、お父さんがわたしにとっての『お父さん』なの。あ、お母さんとの暮らしは好きだったよ。わたし、お母さんのこと大好きだもん。……ちょっとばかなところはあるけど」
ふふっ、と二人で顔を見合わせて笑う。
「だけど、すてきなお父さんと、可愛くてかっこよくて、ひと目で好きになっちゃった郁美ちゃんと、それからお母さんと。四人で家族になれるのは、とても幸せなことだと思ったの」
「家族……」
「そうだよう。あたしたちは、家族なんだよ」
郁美は父子家庭、千尋は母子家庭。どちらも片親だということは共通していて、年齢も同じで、家事の一切を担当していた。
でも、そういう共通点の多さがそのまま考えてることの類似性につながるなんてことは、やっぱりない。
どこかで、千尋だったらわかるはずなのに、と思っていたのかもしれない。
自分とたくさんの共通点を持っているくせに、千尋は自分とはまるで違う。さっさと家族にとけこんでしまって、ぐいぐいと人のスペースに入り込んできて。
だから気に食わなかった。
大切なものを踏み荒らされるような気持ちになって。大切にしていたものが変わってしまうのはお前だって同じじゃないかと決めつけて。
郁美と千尋は同じなはずなのに、なぜ千尋だけ迷いもなく笑っているのか。
悔しくて、うらやましくて、わかってくれないと勝手にすねて。
でも、そうじゃない。
千尋が郁美と同じだからわかるはずなんて、間違っていた。
「郁美ちゃんが、あたしのこと『おねえちゃん』て呼ぶことは、たぶんないんだろうね」
「うん」
離れてしまったほうの親が存命かどうかとか、そういう違いの問題でもない。
そういう環境の差異に関わらず、郁美と千尋はもともと別の人間だった。
「それでもいい。郁美ちゃんはあたしのこと千尋って呼ぶし、あたしは郁美ちゃんのこと郁美ちゃんって呼ぶ。お父さんのことはお父さんって呼んで、ばかなお母さんのことはお母さんって呼ぶ」
「わたしは千尋のことをおねえちゃんとは呼ばんけど、でも千尋って呼ぶ。……たくさん、呼ぶ。お父さんのことはお父さんって呼んで、お母さんのことはやっぱりお母さんて呼んで。……尋子さんのことは、尋子さんて呼ぶ」
環境が似てるからわかり合えるなんてことがなくてよかった。
片親同士だからわかり合えるなんてわけじゃなくてよかった。
共通点がなきゃわかり合えないなんて、あんまりにも寂しすぎる。
そんなの関係なしに出会って、ちゃんとお互いのことをわかり合いたい。
関係のないところで生まれた、共通点のまったくない二人だったとしても、出会って、それから好き合えるんだと思いたい。
「尋子さんのことを、お母さんとは呼べへん。千尋のこと、おねえちゃんとは呼ばへん。でも、わたしたちは家族で……うん、わたしたちは、家族なんやね」
「うん。四人で、家族なんだよ」
最初からわかっていたはずのことに、ずいぶん遠回りしてしまったものだと思う。
自分たち四人が家族なんて、とっくの昔にわかっていたことなのに。
でも、きっとちがう。
今日初めて、わたしは千尋たちと家族になったんや。
「帰ろっかあ」
「そやね、帰ろ帰ろ」
二人そろって立ち上がる。さりげなく握ってきた手を、今日は振りほどかない。
ぎゅっと握り返したのは、ちょっとした気まぐれだ。
「素直な郁美ちゃんも可愛い」
「るっさい」
すぐ、こいつは調子に乗る。
「ねえ」
「ん?」
月明かりに照らされる千尋は、いつもとちがう美しさがあったけれど。
やっぱりこの子には、明るい太陽の下が似合うと思う。
「お母さんのこと、ビンタ一発くらいで許してあげてね」
「わたしが叩く前提なん……?」
「最近あたしよく叩かれるもん……」
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