#15 ラベリング


「マリメッコ!」

「……なん、それ」

「新しい挨拶。ないしょやけど流行はやるで。使ってもええよ」

「遠慮しとくわ」

「ないしょやけど」

「しつこい」


 朝から珍妙な挨拶で教室に入ってくる姫子ひめこを、郁美いくみは冷たい目でもって迎えた。

 好意的に見ればユニークでキュート、冷静に見れば若干イタい。高校という外界から隔絶された閉鎖環境だからこそ許される、期間限定の可愛さ。


 しかし他のクラスメイトたちは案外好意的な反応で、さすがに「マリメッコ!」と返しはしないものの、通り過ぎざまハイタッチしたりしている。

 これが人徳か、けっこう役に立たん感じやな……と郁美は多少ズレた角度から感心させられる。


 さらに、斜め前の席の大槻おおつきさんなどは物好きなことにマリメッコという単語自体に興味を抱いた様子で話しかけている。

 だめ、それは禁忌。安易に餌を与えるような真似はつつしんで。


「ていうかなんやったっけ、それなんやったっけ」

「知らん。なんか四条しじょうの地下で見かけた気がする。広告的な何かを」

「自分で言うてて知らんて。なんや、その、ブランドとかとちゃう? アパレル?」

「えっ。ということは、うちが挨拶するたび売り上げが倍々に。倍・倍に。貢献してしまっている……?」

「アドバタイズメント!」

「ステルスマーケティング!」


 大槻さんと大変残念な感じに、率直に言って頭の悪い会話を繰り広げる姫子は、いつも通りさわやかに笑っていた。くだんの「マリメッコ!」も決してやけっぱちの空元気というわけではなく、ごく自然なユーモアの発露である。それはそれでとても遺憾ではあるのだが。


 果歩かほに捨て身で諭されたあと、郁美は姫子にきちんと謝った。姫子も取り乱して決まりの悪い思いをしていたのか、言い過ぎたことを謝ってきた。

 それでも間違ったことは言ってないつもり、と口調は穏やかながら決然と言う姫子に対し、きちんと千尋ちひろに言いたいことを言う、と約束した。それで二人は和解し、郁美は新たな決意を胸に帰宅した。


 その、はずだったのだが。


「ほんで、どやったん」

「…………」

「ん? なんや言いにくい? やっぱプライベートな部分はNG? 恥ずかしさとトキメキが同居する甘酸っぱい何か?」

「……なんや今日絶好調やな、あかんほうに」

「はあ、それはえらいすんまへんなあ。これで平常運転ですけれども。……で?」

「……まだ、言ってない」


 小さく小さくなってようやくぼそりと吐き出されたひと言に、また姫子が「はあー!?」と叫びかけるが、声が出る前に自分で気づいて慌てて口を押さえた。学習している。

 反省の甲斐あってさほど興奮はしていないものの、かわりに心底呆れたという顔で姫子が見てくる。

 わかっている。郁美自身にも言わんとすることはよくわかっていた。


「アホやろ、自分」


 だからわかってるて。


「なんやのもーお! うちな、今日はな、けっこう祝福モードやったんよ? ようやく佐倉家に真の平和が、いやさクミとちっひーの間に美しい友愛が生まれるとな、それを期待していました。それがなんやの。『マダ、イッテマセン……』て。内気か!」

「あんたちょっとうるさい」

「ああん!?」

「いや、なんでもないです、スミマセン。かんにんしてください」


 親友としてだだスベりな感じを止めてあげたい気持ちはあったのだが、姫子の主張はしごくもっともだったのでおとなしく謝罪しておく。

 たしかに、どう考えても非はこちらにある。ぐうの音も出ない。


「はーっ。思い立ったが屹立きつりつ? やったっけ」

吉日きちじつ

「そう、吉日。いちばんいいタイミングやん。それ逃したらどんどん言いにくい言いにくいなるやろ?」


 ちょくちょく笑いを挟んでくるのは(と言っても、それをおもしろいと感じているのは言っている本人だけ、というのは否めないが)姫子なりに深刻になりすぎないよう気を遣っているのだろう。若干趣味に走りすぎている感はあったが、彼女なりの優しさではあった。


 あまりまともに責めるとまた自分のからにこもってしょぼくれてしまう、と思われているのかもしれない。

 そう思うと、なにかこう尻の辺りがむずむずするような気持ちになる。


「だいたい、うち昨日先に帰ったし、うちらがどうしたかの説明をまずせなあかんやん」

「それは、したよ。ちゃんと、仲直りしたって。えらい青ざめた顔してるから、仲直りしたから安心して、って」


 昼休みから気が気でなかったのだろう、昨日の千尋はこの世の終わりのような顔をしていた。顔は青ざめ、足はまっすぐ歩くことすらおぼつかない。手は所在なくあっちに行ったりこっちに行ったり、空を掴むようにふらふらと落ち着かなかった。


 よくもまあ他人のことでこんなに取り乱すことができるものだ、と自分が原因のくせに罰当たりな考えが一瞬頭をよぎったりもしたが、ともかく見ていられない。震える肩に両手を置いてやって落ち着かせ、一語一語ゆっくり噛んで含めるように話して聞かせた。

 それでやっと納得して調子を取り戻したのだ。


「ほんで?」


 回想にひたりかけていたところで、姫子が先をうながす。


「ならよかったーって、例の調子でふにゃーって笑って。そんで、なんかえらい嬉しそうやったから。つい、言えずに」


 だんだんと声が小さくなる郁美に、姫子はわざとらしく大きなため息をついた。


「あんたも意志が弱いっていうか、はっきり言うて意気地いくじがないな」

「わたしも、ほんまに思い知った」

「…………」


 姫子は呆れを通り越して同情すらし始めた様子でこちらを見つめてくる。さすがに何か言いたいが、反論できない。


 二人が揃って肩を落として暗い雰囲気を発し出したとき、ちょうど教室の戸を開けて果歩が入ってきた。そのまま自分の席に向かおうとしたところを、姫子が呼び止める。


「あっ、山田……ちゃん、おはよ!」

「……おはよう」


 山田ちゃん。姫子らしいフランクな呼びかただが、果歩は特に気にする様子もなく無表情で挨拶を返す。内心はわからないが。


「昨日は、その、おおきに。みっともないところをお見せして。ありがとうね」

「……べつに」


 柄にもなくぼそぼそと話す姫子に対し、果歩はクールさを保ったまま表情を崩さない。

 一見すると不機嫌にすら思えるが、郁美の目にはいきなり差し出された手をじっと見つめる野良猫のように見えた。

 警戒しているというか、単純にどうしていいのかわからないのだろう。経験がないのだ。


 姫子も姫子で、普段ほとんど話さない孤高の存在相手にどう接していいか戸惑っているようだった。誰にでも気さくで馴れ馴れしい姫子には珍しい。

 もっとも、この場合は昨日の気恥ずかしさが先立ってしまっていつものように振る舞えないというのが大きいのだろう。


 正反対の二人だが、実際は同じような年相応の戸惑いを抱いているというのが郁美だけにはわかって、なんだかおかしかった。


「なにニヤニヤしとんねん」


 照れ隠しなのかぶっきらぼうな口調の姫子に小突こづかれる。


「いいえー、べつに」

「……しかし、クミと山田ちゃん仲良かったんやな。知らんかったー。クミってばいつの間に取り入ったん? わがクラスの姫に」

「姫?」


 不可解な単語に果歩が反応する。


「あ、姫ーいうてもうちのことちゃうよ。まあうちはご覧のとおりナチュラル・ボーン・姫! ですけれども。名前から見た目まであふれて隠し切れない姫オーラが! って感じですけれども」


 郁美と果歩は無反応。


「こほん。……なんや、ややこしいな。あれ、プリンセス。そうプリンセス! ミス一年一組的な何か!」


 姫子の言葉は付け足せば付け足すほど安っぽく響いたが、郁美はとりあえず納得し「あー」などと言って手を叩く。

 しかし、果歩の方はそうはいかない。


「プリンセスて……。そんなん言うなら、あの子……千尋さんのほうがまさに、そのものなんとちがう?」


 これにもまた「あー」と納得する郁美。一緒になって姫子も納得しかけるが、我に返って否定する。


「いや、あの子は三組やし。わが一組にとっては外様とざまやし。国内外来種はウチの姫とは認められません。それになんて言うん? ちっひーがお花畑系お姫さまやとしたら、うちらの姫はいばら姫やから。もっとこう、高嶺たかねの花って感じの」


 ややアホくさい口上こうじょうだが、一理ある。さきほどから納得しっぱなしの郁美がちらりと横をうかがうと、果歩はいつもの無表情で沈黙していた。


「…………」


 よく見ると耳がほんのり赤い。もしかしたら、面と向かって「姫」だとか「プリンセス」だとか言われ、照れているのかもしれない。

 しかし、果歩と接した経験の少ない姫子は、かんばしい反応が得られないことに「あれ、外した?」と動揺しているようだった。ちなみに外したかどうかで言えばさっきから外しっぱなしではある。


 郁美がフォローしようかどうか迷ったあたりで始業を告げるチャイムが鳴った。

 それにハッとして「じゃあ、また」などともごもご言って果歩が机を離れて行く。タイミングを逃してしまったようだ。


「えっと、まずったやろか……?」


 助けを求めるような目で見る姫子に、郁美は「大丈夫、姫だから。下々しもじもの者のことなんて二秒で忘れるから」と、フォローになっているのかなっていないのか微妙な言葉をかけた。




 朝の茶番はともかく。

 実際、事態は何も進行していなかった。


 とにかく回りくどいことをやめて、ちゃんと自分の思っていることを千尋にぶつける、というのは決めた。

 それだけは、たぶん自分の責任としてやらなきゃいけないことだ。自分のためにも、姫子や果歩のためにも。出会ったときからずっとまっすぐ郁美に気持ちをぶつけてくれていた、千尋のためにも。


 しかし、その自分の思っていること、というのがまだふわふわとしてつかみ所がない。

 正直言って千尋の好き好き攻勢がうざったい、というのはある。かといって決して嫌いなわけじゃない、というのも。

 そこまではわかっている。


 でも、千尋といるときの、なにか自分にもわからないざわざわとした気持ち。たぶん、不快感に近いなにか。それの正体が、いまだによくわからない。


 だいたい、世界はわからないことで満ちていると思う。


 母のこと。

「すてきな奥さん」という言葉のままのイメージで疑うことなく、母が本当はどんなことを考えていたかなんて考えもしなかった。ただ良妻賢母的な、穏やかな主婦の役割に押し込めてしまっていた。

 そのことは、自分も反省していた。人を勝手なイメージでわかった気にはなるまい。そう決心していたつもりでいた。

 でも、実際は何も変わっていなかったと思う。


 果歩のこと。

 孤高のクールビューティは、実際はとてもシャイなだけだった。大人っぽい美しさとは真逆の可愛らしさがいっぱいで、自らを「俗物」と称するように、等身大の少女らしさを胸の内に秘めていた。


 姫子のこと。

 へらへらと明るく人を笑わせてばかりの能天気さに、真摯しんしに友達を想う心を持ち合わせていた。郁美のためにあんなふうに怒る激しさがあった。

 なんでもない友達付き合いの裏で、「関わらせてくれないこと」への不安と不満を持たせてしまっていた。


「クール」だとか、「お気楽」だとか、そういうわかりやすいラベルを貼ってその人をわかった気になって、そんないい加減さで接していたのだ。


 そういう意味では、千尋のことだってわかっているかは怪しかった。

 あの子の行動の源をいぶかしんだことはあったが、どこかでその奥をのぞき込むのを避けていたような気もする。ただ、とにかく「変な子」とか「ゆるふわ」とかそういう言葉でお茶を濁していた。

 あんなにまっすぐな気持ちを見つめるのは、怖かった。


 キャラクターだとか、そういうラベルで人を分類して理解するのは、きっとあんまりよいことではないのだ。たぶん、本来は許されないことなのだ。


 そんなふうに思っていたせいなのだろうか。

 千尋が発したそのラベルそのものの言葉に、郁美が自分のことを棚に上げて爆発してしまったのは。

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