#8 わるだくみ


千尋ちひろ姫子ひめこにくっつけよう作戦」はごく地味な活動から始まった。


 とにかく学校にいる間は常に姫子と一緒に千尋と会うように心がける。千尋にはことあるごとに姫子の良い評判を吹き込む。

 こういった地道な宣伝活動を続けることでじわじわと千尋を洗脳していくつもりだった。

 千里の道も一歩から。ちりも積もれば山となる。成功に近道なし。

 数多あまたの格言も郁美いくみの考えを支持してくれている。


「姫子はちっこいけど運動も得意で、けっこういろんな運動部からスカウトされてたんよー」

「そうなんだー。すごいねえ」


 夕飯を終えたあと、郁美と千尋は二人でリビングのソファに座って談笑していた。千尋はニコニコと嬉しそうに話を聞いている。手元にはほうじ茶。近所のお茶屋さんで買っている、郁美のお気に入りだ。


「郁美ちゃんは運動得意なの?」

「えっと、わたしはそんな得意ってわけとちがうけど……。苦手ではない、かな」


 謙遜だ。実際には、体育祭でクラス対抗リレーをするなら確実にメンバー入りするくらいには運動はできる。

 といっても部活などで本格的に運動をしているわけではないし、千尋の前で胸を張って得意というのもなんだかな、と思うので適当にごまかすことにする。


「あたしはちょっと苦手かなー。とろくて。でも郁美ちゃんの運動してる姿はさまになりそう!」


 わりと予想通りの言葉とともに、なにやらきらきらと目を輝かせる千尋。今日も絶好調に突っ走っている。


「いやまあ、それは……うん。あっ! そういえばあの子いっつもまとめてるから気づかんけど、けっこう髪長くて。千尋さんより長いかなあ、なかなかきれいなんよ」


 苦しい話題転換。しかし話し相手は気にする様子もなくふつうについてくる。


「きれいっていうなら郁美ちゃんの髪すごくきれいだよね。黒くてまっすぐストレートでさらさらで。あたしくせっ毛だからうらやましいよー。あこがれちゃう」


 人差し指で自分のふわふわの栗毛をもてあそびながら千尋が言う。

 郁美からすれば、千尋の西洋人形みたいなゆるふわヘアーもあこがれる人が多いだろうにと思う。もっとも西洋人形というやつを実際に見たことなんて一度もないのだが。


「え、えへへ……。あっ、そういや姫子んちって焼肉屋さんやっててー、ピビンバがまた美味しいんやけど」


 強引すぎる再度の話題転換は、もはやアピールポイントだかなんだかわからない。


「焼肉かー。あたしはカルビが好きだけど、郁美ちゃんは何が好き?」

「ハチノスです……」

「蜂の巣?」


 蜂の巣とちがいます、ハチノスです……。牛の二番目の胃で、見た目ややグロやけど意外にあっさりした味わいのニクい奴です……。


 わかってはいたが、千尋はひたすらに手強かった。

 どんな話をふっても即座に郁美の話に結びつけてしまう。こちらの意図を察して故意にやっているわけではなく、天然で……つまり、もうただ郁美のことが知りたくて知りたくてしかたがないゆえの行動というのがまたおそろしい。


 いつになく話が弾み、大好きな郁美のこともたくさん知ることができていよいよ千尋は満足げである。やぶ蛇という言葉が頭に浮かぶが、弱気を振り払い、こんなことでくじけてはいけないと自分に言い聞かせる。


 ずずっとほうじ茶をすすってひと息。どんなときも変わらずこのお茶は美味しい。


「こ、今週の日曜、三人で遊び行こ」

「すごい! すてき!」


 大丈夫、作戦はまだはじまったばかり。


 両手を組んで神様にお祈りするみたいに歓喜する千尋は、その容姿もあいまってなんだかミュージカルの一場面のようだ。与えてはいけない餌を与えてしまったような気もする。

 やることなすことが裏目裏目に出ているのではないかという確信に近い予感は押し殺して、それでも郁美は次の計画に移る。


 後戻りなんて、できない。




 四条通り、寺町京極てらまちきょうごく商店街入口。

 日曜の午後、人出も多く賑わう繁華街の一角に郁美はいた。


 隣には千尋。花柄ワンピに薄い水色のカーディガンを合わせたガーリーな装いは今日も絶好調に美少女。道行く人の視線を集める輝きっぷりに、無難なパンツルックの自分が霞むようでちょっといたたまれない。


 休日に三人で出かけ、適度に席を外して姫子と千尋二人でいる時間を増やす。それが今日の目的である。

 学校以外で会うことで親密度はぐっと増すはず。本当は頃合いを見て消えてしまいたいのだが、そうすると二人は遊ぶどころではなく郁美を探すだろう。いまはまだ時期ではない。


 とにかく今日は姫子と千尋の二人を接近させる。そのための重要な一歩だった。

 しかし。


「姫ちゃん、遅いね~」


 待ち合わせの時間をすでに十五分過ぎていたが、姫子はまだ現れなかった。

 一応、『ごめん ちょっと遅れる かんにん』というメッセージがスマホに送られてきていたが、そのちょっとがどのくらいになるのかはまだわからない。べつに大したことではないといえばそうだが、少しでも姫子の印象を良くしたい郁美としては気が気ではなかった。


 さいわい、千尋は特に苛立った様子もなくニコニコしている。

 すぐそばのケーキ屋のショーケースをのぞき込んではあのタルトが美味しそうだとか、まだこのあたりのことを知らないから今日は楽しみだとか、上機嫌な様子で話しかけてくる。

 というか、朝からずっと「郁美ちゃんとお出かけ!」とはりきりっぱなしなのだった。


「ねね、郁美ちゃんはこのへんよく来るの?」

「ん? そやね、まあそこそこ。遊ぶんやったらここらがいちばん近いし」

「そうなんだー。うちの高校の子はみんなそうなのかな」

「うん、たぶん。梅田とかまで行く子いるけど。阪急はんきゅう乗ったら一本やしね。でもすぐってほどでもないから、ここらで済ますんちゃうかな」

「梅田……。あっ、大阪ね、大阪!」


 何でもない雑談なのに、千尋はいちいち嬉しそうに笑顔で話す。楽しくてしかたがない、という顔。まだ待ち合わせでしかないのに。


「うん。あ、あっちのほうからかよってくる子らはまたちがうかもしれへん。高槻たかつき市とか、枚方ひらかた市とか。でも、やっぱり乗る駅はここらになるから一緒かな」

「たかつき……? ひらかた……?」

「あっ、えーと、阪急線とか京阪けいはん線とか沿いの、えーと……まあ大阪のほうやね」

「大阪ね! オオサカ!」


 まだ関西の地理に慣れていない千尋は聞きなれない地名をいちいち必死に覚えようとしている。郁美だって高槻市や枚方市は名前を知っているだけで一度も行ったことがないので、実際そんなにがんばって覚える必要はないのだが。


「枚方のほうなら、遊園地があるね」

「遊園地! すてきー! 行ってみたい」

「遊園地好きなん?」

「行ってみたい! 郁美ちゃんと!」

「あはは。……さよか」


 相変わらず隙を見てはぐいぐいくる。


「わたしは東京のほうのテーマパークに行きたいなあ。東京の子らはみんなよう行くんやろ?」

「千葉だよ」

「え?」

「千葉にあるんだよ」

「でも東京て」

「千葉だよ」


 なぜそこまでかたくなに主張するのか。いや、おそらく言っていることはまぎれもない事実だろうからまったく間違ってはいないのだけれど。


「千葉でもヒラカタでも、郁美ちゃんと行ったら楽しいだろうなあ……」


 千尋が意味ありげに流し目を送ってくるのには気づかないふりをする。

 ヘタに同意したりすると、翌日にはお手製の「旅のしおり」を渡されかねない。ここは強靭な精神で必死に見ざる・聞かざる・言わざる。


「楽しいだろうなあ……」


 聞こえない。そしてしつこい。


 それにしても、姫子は遅い。

 なぜ千尋と二人きりの時間のほうが増えているのか、と笑顔の裏に苛立ちが混ざりはじめたあたりで、横断歩行の向こう側で手を振る少女の姿が目に入った。

 のんきな笑顔でぶんぶん手を振る姫子に、こちらもふにゃっとした笑顔で千尋がぶんぶん手を振り返す。


「ごっめーん、待ったあ?」

「んーん、いま来たとこ~」

「アホ言いな、もう二十分も過ぎてるやん」


 青信号を小走りで渡ってきた姫子は、甘ったるく作った声でぶりぶりとのたまった。それにノリノリで返す千尋。茶番を繰り広げる二人に対し、郁美は冷たく突っ込む。

 いや、いけない。二人が仲良さげなのだからこれはこれでいいはず。


「ごめんごめん。ちょおっと電車乗り過ごしてしまって。かんにん」


 悪びれた様子もなく笑顔で言う姫子は「働き者」と相撲の番付風の字体で書かれたTシャツを着ていた。全体は草木染め風のロングスカートやラベンダー色のショールなどで可愛くまとめているものの、いったいそれはどういうセンスなのか理解に苦しむ。不思議と似合ってはいるけれど。


「だいじょうぶ。待ってる間も楽しかったし~」

「まー、この子可愛いこと言うわ。でもま、それはそうやんな。なっ!」

「ねっ!」


 意味不明の符号で笑い合う様子に、二人が通じ合っているのはいいことのはずなのになぜか郁美はあまり喜べなかった。嫉妬しているとかそういうことではなく、「待っている間も楽しかった」という部分がなにか道のりの遠さを示唆しさしているようで気力を萎えさせる。


 とにかく、これから。これからが作戦の本番だ。

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