#7 ふたりはともだち


 佐倉さくら郁美いくみは優等生である。


 成績は学年でも上位をキープしており、素行についても優良であるというのが教師の評価だ。家庭の事情であまり放課後の時間がとれなかったため、特に部活動やクラス委員などの役職に関わってはいないが、人当たりがよく真面目、でも真面目すぎないというポイントを押さえた人柄から、周囲からはそれなりの敬意を払われていると言っていい。


 スカートの長さは平均。わりとおしゃれに気をつかっているグループにとけ込めるくらいには丈を詰めているが、校則にうるさい教師に見とがめられない程度の長さはある。

 髪に色は入れていないが、卵形の顔をかたどるようなマッシュショートはなかなか可愛らしい。

 メリハリのある体型と言うわけではないが、脚のきれいさはときどきうらやましがられる。


 悪目立わるめだちはしないが、軽んじられない程度の存在感は示す。

 郁美の立ち居振る舞いは完璧に近い。といっても、それはちょっと目端の利く子なら誰でもやっていることで、特に窮屈に感じるわけでもない。


 一方で千尋ちひろは少しちがった。


 千尋には華がある。その太陽のような存在感は否応なく人を惹きつける。


 千尋が転入してきてから栗色セミロングにふわふわパーマの生徒が増えたのは偶然ではない。女子校の中で自然と流行を生み出すような生徒が千尋だ。みんな可愛い子の髪型を真似たがるし、その子が制服の上に羽織るカーディガンは季節のマストアイテムになる。

 千尋は転入して一ヶ月も経たないうちに、一年生の間のファッションリーダーとでも言うべき存在になっていた。


 郁美が千尋に不釣り合いというのではない。

 むしろ、千尋が公然と好意を表したことで郁美に払われる敬意はいっそう増したようだった。「あの佐倉千尋が愛してやまない佐倉郁美は素晴らしい人間にちがいない」。単純なゆえに馴染みやすい論理だ。


 だから、周囲からの反応という観点においては郁美が千尋のせいで迷惑を被っているというのは不正確である。むしろ利益があるというほうが正しい。もちろん千尋がそんなことを意識しているわけはなく、郁美もそれをありがたがることなどなかったが。


 そういう意味で、郁美が千尋を迷惑がる原因はただただ郁美自身の気持ちにおいてのみ存在するのだった。

 ウザったさと、気疲れと、そしていつも心の隅を占領する正体のわからない違和感。

 何かがおかしい。何かがちがう。何かが釈然としない。ここのところずっと、つかみ所のない違和感が郁美の頭の中を占めていた。


「まーた呆けて、あれやんな。幸せボケ?」


 とりとめもない思考を中断させたのは姫子ひめこの声だ。

 朝のショートホームルーム前、頬杖をついて心ここにあらずという様子の郁美はここ数日の定番だった。基本的にきびきびとして明朗な郁美が、こうも隙だらけな様子を見せるのは珍しい。


「やめてよ。からかわんといて」


 フッと笑って「幸せボケ」を否定するが、内心は笑い事ではないという気持ちだった。

 自分にもはっきりとしない理由で人を嫌うなんてフェアじゃないと思うが、不快なのは事実だ。そして、不快感の理由が自分にもはっきりとしないという別の事実がまた郁美を悩ませる。

 近頃は予習復習も手に付かない。いまはまだいいが、こういうのが期末試験のときにボディブローのように効いてくるにちがいない。


「ちょっと、こう、残暑終わってさむなったし、調子が出ない感じ?」

「ほお。まあどんどん寒い寒いなるしね」


 とりあえず口に出たごまかしに姫子は相槌を打ってくれるが、その表情はまるきり信用していませんと物語っていた。気を遣ってくれているのか、追及はしてこない。


 そのまま冬物の服の話にでも持っていこうとしたところを、頬杖をついていた右手にそっと姫子の手が絡められて驚く。

 姫子の手は同い年とは思えないくらい小さくて、そのくせ爪はきちんと手入れがされてなめらかで大人っぽかった。


「あんまり無理したらあかんよ」


 こんなに真剣な姫子の目を見たのは初めてで、郁美はうっかり見とれてしまった。眉根は切なげにほんの少し歪められ、頬にかかる髪が揺れるのが可愛らしい。


 やっぱりこの髪型は姫子によく似合っている。


 入学式前の春休み、心機一転してイメチェンを図ると宣言した姫子に付き合ったのを思い出す。長い髪をばっさり切ろうとする姫子を止めて、「ちょっとカフェ店員風の」ふんわりお団子を提案したのは郁美だった。


「……クミ?」

「あ、うん。……ありがとお」


 姫子の心配そうな顔をよそに変な方向に思考が飛んでしまっていたのに気づいて、郁美は一人で恥ずかしくなって照れ隠しの笑みを浮かべる。それを感謝によるものと解釈したのか、姫子は笑顔になって一瞬ぎゅっと手を握る力を強め、すぐパッと離した。


「力になるし。まかしといて!」


 おどけたように笑う姫子がまぶしくて、郁美は目を細めた。


 でも、こんなにすてきな笑い方をする子だからこそ、自分の身勝手な苛立ちを伝えるのはためらわれた。まっすぐな善意にはそれに見合うきれいな心で応えたかったし、本意ではないにせよ人の悪口を語ることで姫子に嫌われたくなんてなかった。


 この子とずっと友達でいたい。


「頼りにしてる」


 本心から言った言葉だったけれど、姫子は困ったように少しだけ眉根を寄せて笑った。

 担任が教室に入ってきたため話はそこで打ち切られ、姫子も席に戻っていく。お団子ヘアはきれいなうなじがよく見えて、後れ毛がちょっと色っぽかった。




 思考が姫子の髪型から自分の新しい髪型の構想に飛び、せっかくならばっさり短くしてフランス映画っぽい感じに冒険してみてもいいかもしれない、などと考えているうちに昼休みになった。

 例によって何がそんなに嬉しいのかというくらい幸せそうな笑顔の千尋がやってきて、そこに姫子も加わってお弁当の時間だ。


 放課後の寄り道の一件以来、昼ごはんには姫子も加わるようになっていた。

 二人きりではなくなったが千尋は別段不満そうな顔はせず、むしろ歓迎している様子で、郁美にとっても千尋と二人きりよりは第三者がいてくれるほうがありがたかった。


「あ、それうまっそやな。ミートボール。冷食?」


 佐倉家そろいのお弁当を姫子が物欲しそうな顔でのぞきこむ。


「ううん、作ったの。前の晩に冷凍したやつだけど」

「おー、偉い。うちの正子まさこにも見習ってほしいわー」

「そんなら自分で作ったらええやん」


 残念ながら姫子の母・正子に娘の弁当を作る習慣はない。姫子はいつもコンビニの惣菜パンや菓子パン、果てはカップ麺などジャンクなメニューで昼ごはんを済ませている。今日は衣のふやけたコロッケパンだ。


「そんなんようせんわ。一秒でも長く布団に籠もってたいし」


 悪びれず言う姫子を見ながら、郁美は自分から千尋を引き離す作戦について考えていた。

 千尋のことがどうしても気に入らないのは、もうこのさいしかたがない。好きになれればみんな幸せになれるのだろうが、自分の中にもやもやとわからない気持ちがくすぶっている以上、やはりそれは難しい。


 どうしたものか。


 郁美が思いにふけっていると、その隙を見て姫子がミートボールに手を伸ばしてくるので、すかさずはたき落とす。


「うー、しぶちん」

「あんた手癖悪いで」

「ええやん、もう。自分ばっかり素敵ランチ食べて」


 小柄な姫子が頬をぷくっと膨らませて抗議するのは正直ちょっと可愛らしかったが、甘やかしたら際限なく要求が続くので黙殺しておく。というか以前おかずと引き替えにおごってくれると言っていたアイスの約束はいったいどうなったのか。契約不履行。


 二人のやりとりを見ていた千尋は何が嬉しいのかいっそう機嫌良さそうにニコニコ笑って、姫子に自分のぶんのミートボールをお裾分けしてあげている。


「はい、これどうぞー」

「わー、優しいわあ。どっかのケチな桜井さんとはちゃうわー」

「誰が桜井さんや」

「佐倉さんちにはほんま器量よしのええお嫁さんがきたもんやねえ。あ、うまっ」

「えへへ、お嫁さんだなんて、もう。うふ」


 わざとらしくザ・おばちゃんスタイルに「ねえ奥さん」という感じで手をくねくねさせる姫子と、心底嬉しそうに照れ笑いする千尋。意外と相性が良いのかもしれない。


 そんな二人のやりとりを内心ちょっとうんざりしながら見ているうちに、一筋の悪魔的な思いつきが郁美の脳に閃いた。


 千尋のなつく対象を自分から姫子に移し替えてしまえばよいのではなかろうか……!


 ごく控えめに言ってもわりとゲスい考えではあったが、しかしそれゆえになかなかの妙案にも思えた。友人を売るのかと郁美の良心はほとんど罵りに近いくらいの勢いで制止の声を挙げていたが、なにも姫子を酷い目に遭わせようと言うのではないと脳内弁護団が怜悧に笑う。

 郁美が千尋の愛を迷惑に思うのは自身の個人的な事情に拠るものであって、一般的にはむしろ嬉しく思うくらいのものであるはずだ。幸いにして二人の相性は良さそうだったし、むしろ三方損なしでみんなが幸せになれる考えなのでは……?


 距離が適切になりさえすれば千尋のことだってもう少し好きになれるかもしれない、などと虫のいい考えすら涌いてきて、もはや郁美を止められるものなどどこにもなかった。


 いける……!

 わたしの心の平穏のため、千尋の正常な学校生活のため、そして佐倉家の明るい未来のため。姫子、あんたには一肌脱いでもらうで……!


 朝の美しい友情はどこへやら、郁美は黒い企みをぎらぎらとたぎらせながらミートボールの最後のひとつを口に運ぶのだった。うん、ちょっと味は濃いけど美味しい。


「おー、なんかクミ嬉しそう。それうまかったしなあ」

「えへへ、あたし嬉しい」


 友人が自分を売ろうとしているのにはまったく気づかず、姫子は千尋と一緒にニコニコと太平楽な笑顔を浮かべていた。

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