#5 山田果歩
結局、お昼は保健室で
「きれいなお弁当やね」
「そやね。そう思う」
果歩の言った通り、郁美の弁当は彩り豊かで食欲をそそる丁寧なものだった。ミニトマトにブロッコリー、アスパラのベーコン巻き、ふんわり卵焼き、唐揚げ……。
今朝の千尋の横顔を思い出す。
「わたし、誰かの作ったお弁当なんてひさしぶりに食べたかも」
「いつもはどうしてるん?」
「自分で。うち、お母さんいいひんかったし」
「ああ。……そういえば、そうやんね」
果歩はもくもくとサンドイッチを食べている。購買の野菜サンド。
なんとなくイメージ通りというか、この人は肉とか動物性たんぱく質は食べないんじゃないかとすら思えてくる。パンをそっとつかむ指は細くて長い。
遠くのほうで誰かの笑い声が聞こえる。
窓の外で、木の枝になにか鳥が留まったような気配がする。
射し込む日差しは暖かくもどこか硬質で、冬がそう遠くないことを実感させた。
二人きりの保健室は世界から切り離されたみたいに静かで、目を伏せてサンドイッチを口に運ぶ果歩は森の奥の小屋で糸を紡ぐ少女のような……。
「……あんまり見られると、食べにくい、かも」
「あっ!」
言いにくそうにぽそりと口にする果歩の頬はほんのわずか朱に染まっていた。それを見て、やっと自分が果歩を見つめていたのだときづき、思わず郁美のほうも赤面してしまう。
なんやこの空気……!
「ご、ごめん! その、えっと、購買のサンドイッチもええなー、なんて思って! ほら、普段わたし購買ってあんま使わへんから」
「そう……」
なんでちょっと不思議な空気になってんのこれ!
ちょおもーなんなん恥ずかしいわあ、と郁美が取り繕った笑顔の裏で猛烈に焦っていると、思わぬ追撃があった。
白い手で口元近くにそっと差し出されたサンドイッチ。
「じゃあ、食べてみる……?」
「ふおっ……!」
いわゆる「あーん」てやつですかこれ、と固まってしまう。
いやあかん落ち着け、べつにおかしなことちゃうし。
ていうか女子同士やったらわりとふつうにやってるやん。
この前かて姫子がわたしの箸からタケノコの木の芽焼きをぱくっと、いやあれは姫子が勝手に食いついたんやった。そういえばあいつ今度お返しにアイスおごる言うたのにまだおごってもらってへんし……。
「ふふっ」
果歩の
う、うおお……?
「べつにからかったわけちゃうけど……。ふふ、佐倉さんもそういう顔するんやね」
「ふわっ?」
反射的に両手で頬を押さえる。
なんだかすごい顔をしていたかもしれない、そう自覚すると余計に恥ずかしくなってくる。というか微妙に色っぽい顔で笑うのはやめてほしい。
果歩はこほん、と軽く咳払いすると、改めて「よかったらどうぞ」とサンドイッチをひとつ、今度はビニールの包装袋を敷いてこちらによこしてくる。郁美も慌てて平常心を呼び戻し、アスパラベーコン巻きにプチトマトも付けてお返ししてトレード完了。
いたってふつうの、ありがちなランチタイムイベント・おかず交換。
「あのね」
ふう、と息をついて郁美がようやく落ち着きを取り戻したころに果歩は言った。
「なんていうんかな。佐倉さんて、自分のペースをあまり崩さないように見えたんよ。マイペースっていうんとはちがう。自分に、自分の領域には踏み込ませない……は言い過ぎかな。自分の領域をきちんと保ちたい、ていうか」
ぽつりぽつりとつぶやく果歩の姿に、郁美は返事も忘れて静かに聞き入ってしまう。
「でも、近頃は少しちがう。さっきみたいな、少し崩れた……あ、へんな意味ちゃうよ? 色んな表情するようになった、と思う。まあ、佐倉さんとほとんど話したことない私が言うのもおかしいかもしれへんけど」
「……そうかな」
「佐倉……千尋さん、やね。あの子が来てから、佐倉さんの表情、いろいろ増えたと思う。だからそれがよかった、って言うんは無責任すぎるけど。でも、私としては」
伏し目がちに淡々と話していた果歩は、少し声を止めてこちらにちらりと視線をよこし、また自分の手元に戻す。
「いろいろな表情を見られるようになって、ちょっとお得な感じ……かも」
わずかにはにかみながら、しょぼしょぼと消えそうな声で語尾を濁す。
この子、思ってたより可愛らしいタイプの子なんかもしれん、しかし美人がこういう顔すると破壊力えらいことなるな……と、郁美はあらぬ方向に行きかけた思考を慌てて引き戻す。
果歩の言っていることはたぶん事実なのだろう。郁美にもそれはわかった。
千尋が来てから郁美の心の平穏が乱されっぱなしなのは間違いないし、それが表情に出ていたというのは(いくら郁美自身が表に出すまいと努力していたといっても)当然といえば当然である。
そして、果歩が抱いていたという郁美の印象。
自分の領域に踏み込ませたくないというのは、たぶん千尋に対してだけでなく、郁美が自分の中の軸のようなものとして持っているものだ。
柱、
かつて幼かった郁美にはとにかくそういうものが必要で、誰かに邪魔されず自分の考えで生きるという「基本方針」は、わりと信頼のおける指針に思えたのだ。
郁美はそうやって生きてきた。いつのころからか。
「母がいなくなったあの日から」なんて思いたくないけれど、とにかくいつのころからか。
この子はよく見ている。
「でも」
そう、でも。
「じき、慣れると思う。いまは変化に戸惑ってるだけで、いずれ戻る。もとの、わたしに」
そうなのだ。郁美はそう簡単に自分を手放すわけにはいかない。
騒がしい
自分は自分のまま、以前のペースを取り戻さなくてはいけない。もちろん生活自体が変わってしまったのはどうしようもない。しかし、自分のあり方まで変化に身を任せてしまうわけにはいかない。
家庭は乱さない、自分も崩さない。いつまでも「急な変化だから」なんて言い訳に甘えているわけにはいかない。
「そう」
果歩は残念ともがんばってとも言わず、ただ静かで穏やかなまなざしで郁美を見つめていた。
それならそれでいい、お前はお前の道を
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