♯3 ザ・ウザ美少女
初めて会ったその日から
電話番号とメッセンジャーアプリのIDを交換して別れて、家に着いたその瞬間からメッセージ、メッセージ、メッセージ。
夕飯を済ませたくつろぎの時間にすかさず電話。とびきり長い電話。
お風呂からあがればまたメッセージ。締めはおやすみなさいのコール。
そして、翌朝モーニングコール。これが毎日。ひっきりなし。
もう回線がぱんっぱんになるくらいお電話いただいておりまっすーう。
『この服、可愛いと思わない? あたしに似合うかなあ』
知るか。
でもあれだけ可愛い千尋ならどんな服も着こなしてしまうんだろうと考えると、ちょっと悔しい。
『いまお風呂あがったとこだよ。すべすべの肌になりました!』
なんなん誘惑してるつもりなん? 人のお肌ステータスとか知らんし。
『おやすみ。夢の中に
わたしは夢も見ないくらい熟睡したい。
『郁美ちゃんおはよ。いつも何時くらいに起きるの? おんなじ時間に目が覚めるのとかって、ちょっといいよね』
怖っ!
ヤバかった。端的に言って千尋は郁美を愛してしまっていた。
怒濤のラブコールに郁美の脳は理解を拒んだが、それすらも埋め尽くすように「だいすき」が頭に押し込まれる。
胃がもたれるくらいに過剰な愛が供給されていた。市場原理を完全に無視した圧倒的な愛の押し売りに、需要と供給の神話は崩壊寸前だった。
それは最近お仕事が一気に増えて大変なスマホだけに留まらず、例えば下校時に「偶然」出会って、その偶然が運命と称されるのを超え必然と言われるようになるという形で表出するようになった。
あかん。
さすがに危険を感じ、怪しまれない程度にこっそりと
今年の四月に東京からここ京都に引っ越してきたが、東京で在学していた中学でも、京都で入学した高校でも、さらりと「ふつうの」友人関係を築いていたらしい。
あの子よっぽど郁美ちゃんのことが気に入ったのね、などとのんきに(しかもちょっと嬉しそうに)笑う尋子に愛想笑いを返しながら、郁美は冷や汗を
これはもう、単に元々そういう子だというのではない。
なぜかわからないけれど、知らないうちにあの子に運命の稲妻を叩きつけてしまったのかもしれない……。
ヤバいヤバいと思っているうちにちゃくちゃくと外堀は埋められていた。
互いの娘の対面が良好すぎるくらい良好に終わって大人二人の仲はいっそう接近。愛想も良くときおり甘えてくれちゃったりする千尋にアホな父・
どうにかしたいがどうしたいかもどうすればよいのかもわからない郁美がただただ困惑しているうちに、千尋がこんにちはーとか言って休日に遊びに来るようになんかなったりして、佐倉家は陥落寸前だった。
もともとあったのかなかったのかもよくわからない堀は全て埋められ裸の城。ああ平成の大坂夏の陣。
そしてめでたく再婚が決定した。
谷家はそれまで暮らしていた賃貸を引き払うことが決まり、新居は当然佐倉家一戸建てである。さっそく同居に向けて諸々の準備が始まり、梱包や片付け、不用品の処分などに追われながら互いの家を行き来する日々。
そしてとんとん拍子に進んだ一週間前、まだまだ残暑の厳しい九月のある日。幸輔の口から衝撃の「明日から千尋ちゃんも郁美と同じ高校に通うことになったから」発言が飛び出た。
このおうちからだと前の高校遠いし、と言いつつちらちら意味深な笑顔を向けてはにかむ千尋。郁美の知らない間に、こっそり手続きを終えていたらしい。
はよ言えや。サプライズのつもりか。
心の中でそう毒づく。
まさにその通り、驚く顔が見たかったのと言わんばかりの千尋の表情にイラッとくる。
ていうか、ちょおほんまやめぇやなんでわたしから「えーっ、嬉しいなー」的発言を引き出そうとすんのこの空気!
おい笑うな幸輔、お前なんで微笑ましい光景みたいな感じやねん、おかしいやろこれ前の高校かてバスですぐやん、もうスーッてなもんやん、ていうか尋子さんちょっぴり目を潤ませて幸せねみたいな演出やめて、ほんま胸痛むからやめてほんま。
……という郁美の心の叫びが届くわけもなく、また口に出せるわけもなく。
「えっ、えへへへ……。う、嬉しいわあ。一緒の高校やね。おんなし制服で、おそろいやねー」
「喜んでくれて嬉しい! あたしも郁美ちゃんと一緒で嬉しいよー! おそろいの制服で、毎朝一緒に学校行こうねっ!」
郁美はあっさりとプレッシャーに負け、しかも妙なサービス精神が働いて「おそろい」とかいう余計な単語をくっつけた結果、千尋の喜び具合といったらもう有頂天を超えてなんか初めて雪を見てハシャいでテンションがおかしなことになっている犬のようだった。
ぽちゃん。
天井から垂れてきた水滴が水面を揺らし、回想から引き戻される。
あの犬のような喜びを見て生涯絶対に犬を飼わないことを決意してからはや一週間。
いまだに脳裏に焼き付いているあの茶番の残念さをしみじみと噛みしめ、郁美は今日何度目か数えるのもおっくうな長いため息をついた。
いまだに事態を正確に把握できている自信がなかった。
はっきりしているのはこういう日々がこれから日常になるということと、自分は好む好まざるに関わらずこの生活に慣れていかなければならないということだ。
でも。
なんだって自分はこんなにイライラするのだろう。
千尋はウザい(いや、超ウザい)けれど、決して悪い人間ではないはずだ。思春期の多感な時期に母の再婚なんて反発してもおかしくないのに、それを歓迎して積極的に新たな環境にとけ込もうとしている。
今日だって引っ越しで疲れているだろうに率先して夕食を作っていた。郁美がやろうとしたのを押しとどめて「いいからいいから」なんて言って、嫌な顔をしないどころか嬉々としてやっていた。
はっきり言って千尋はかなりのいい子だ。
いきなり家族が増えるという状況でこんなによくできた子が相手なのは、郁美にとっては幸運と言っていい。うっとうしいというのを差し引いても、夕食のときみたいに怒りを覚えるほどではないはずだ。
あの子はとてもいい子で、しかも自分を好いてくれている。それなのに、なぜ自分はあの子がイヤでしかたないのだろう。自分はこんなに性格の悪い人間だったのだろうか。
わずらわしさは自己嫌悪に形を変えて郁美の心にのしかかっていた。
わたしは、あの子を好きにならなあかん。
郁美はそう決意する。
いまは態度に出さずに済んでいるけれど、こんなふうにずっと嫌だ嫌だと思っていたらそのうちボロが出るに決まっている。
そうなったら父は悲しむだろう。
祝福されるべき家庭には重い空気が立ちこめる。
なにより、無邪気な千尋の心をずたずたに引き裂くような真似は気がとがめた。自分がその気になればいともたやすく人を傷つけられるなんて、考えるだけで手が震えて吐きそうになる。
そんなの、こっちが耐えられない。
郁美は頭を振って思考にストップをかけた。
「あかん、そんなん考えてもしゃあない。さっさと頭洗ってさっぱりしよ」
意識的に声に出すことで、自分に言い聞かせる。
切り替えたところでバスタブからあがり、浴室の隅のカゴに手を伸ばそうとすると、見慣れないボトルが目に入った。いつも使っているシャンプーとは別の、透明なボトル。白い液体が入っているのを見るとシャンプーのようだが……?
「郁美ちゃーん!」
「んわっ!?」
ちょうど真後ろから声をかけられて跳び上がりそうになった。背後の
「えっとお、あたしのシャンプー置いてると思うけど、よかったら使ってもらってもかまわないからね。えへ。おそろいとか、ちょっといいかも、なんて。あっ、じゃごゆっくりー」
なんやねんアレ、どっかに監視カメラでもついてるんちゃうやろな……。
郁美は空恐ろしい考えを振り払うと、いつもの使い慣れたシャンプーボトルのほうを手に取った。
やっぱり、あの子イヤや。
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