萬福屋 〜まんぷくや〜

@HA-NA

第1話

「すみません、これいただけますか」

しんと静まり返った店内に男の低い声が響く。

その声に反応して和服姿の少女がショーケースの奥から顔をあげた。



ここは、和菓子処『萬福屋』

店内には他に客はおらず、今いるのはその男だけだ。


平日の真昼間に黒いスーツ姿の男が和菓子屋に。


妙な違和感を覚えるが、そんなことはお構いなしに店の看板娘である少女が男に向かってニコリと微笑んだ。



男の指差す先にあるのは

【店長のオススメ 25000円】

というポップ。


少女はそのポップを目で確認すると男に言った。

「お客様、こちらの【店長のオススメ 25000円】のご注文でございますね」


「えぇ、お願いします」


その答えに少女は一瞬だけスッと目を伏せる。

再び視線を上げると


「かしこまりました。少々お待ち下さいませ」

と返答しながら深々と頭を下げた。


そして踵を返し店の奥へと姿を消した。



一時も置かずに、店の奥に居るらしい別人へ話しかけている少女の声が、かすかに聞こえてきた。



男は、その声を遠くに聞きながら店内をぐるりと見渡した。


『萬福屋』は和風平屋の建物で、そこそこの広さがある。



まんじゅう、せんべいなどの定番商品は季節に関係なく何種類か置いてあり、その他に季節限定商品が何種類か置いてある。

今、季節限定商品のショーケースに置かれているのは冷菓だ。

色とりどりの冷菓は、店内の照明に照らされてキラキラと輝き、一目見れば買わずにはいられない衝動に駆られる。



最も安いものは、まんじゅう一個90円。この店で一番高い商品が、この男が注文した【店長のオススメ 25000円】だ。



男は少女を待つために、店内の片隅に設置されている椅子にドカッっと腰を下ろした。


そして店の外へ目を向ける。



店の外では太陽がギラギラと照りつけていて、アスファルトにはあまりの熱気にゆらゆらとした陽炎が出現していた。

木々は生命力で溢れ、緑の葉をより遠くへと力強く伸ばしているように見えた。



不意に聞こえてきたパタパタと走る音に、男は店内へと視線を戻した。

見ると少女が若い男性を連れて戻ってくるところだった。


スーツ姿の男はすっと立ち上がり、二人の元へ歩み寄った。


それに気づいた若い男が口を開く

「お待たせして申し訳ありません。わたくしが当店、店長でございます」


少女は、店長という若い男のななめ後ろに控えるようにして立っていた。


店長が話を続ける。

「25000円のオススメのご注文でございますね。こちらにご用意させていただきました」


男は用意したという品を目で確認すると言った。

「配送を、お願いできますか」


その言葉に店長は男と視線を交わし、宅配用の住所記入用紙を手渡した。

「もちろんです。お手数ですが、ここに配送先のご住所の記入をお願いいたします」

「はい」


男がそう言うと同時に少女が男にペンを差し出す。

それを受け取り、男は住所を記入し始めた。


男の記入を待つ店長の後ろで、少女は品物が入る大きさの箱を取り出していた。



「この住所に、お願いいたします」

男が記入を終わらせ、用紙を戻す。


  ○○県○○市○○○○ 56-4

いつの間にか店長の横に立っていた少女も、店長と一緒に記入された住所を確認していた。


「すみませんが、品物と一緒にこの封筒も入れていただけませんか」

そう言って男は自らのカバンの中から茶封筒を取り出し、異様に厚みのあるそれを店長へと差し出す。

店長はそれを受け取ると

「配送金額が変わってしまうかもしれませんので、重さを量りますね」

と言って背中を向け、店の奥へと入って行った。



再び置き去りにされてしまった男の元へ、少女が冷たいお茶を運んできた。

「外はずいぶんと暑そうですね。これからお仕事に戻られるのですか」

「本当に。この暑さは人間には酷ですね」

男は冷たいお茶でのどを潤すと、本当にうんざりだというように頭を振った。


そんな男の気持ちを無視して、店内の空調機の前に飾られた風鈴が冷房の風を受けるたびにチリンチリンと涼しげな音色を響かせていた。



少しの間、外の喧騒から離れ風鈴の音色に酔いしれる。

日本人としての気質のせいか、和風の建物は老若男女問わず心を落ち着かせる効果があるようだ。

男もまったりと、店内の空気になじんでいた。


少女は、くつろぐ男に頭を下げると店の奥へと去って行った。


男はその間も時折鳴る風鈴の音や和の雰囲気に浸っていた。


やがて店長とともに少女が戻ってきて「お下げ致します」

と、空になったグラスを男の元から下げた。



その様子を見届けて店長は、にこやかに男に話しかける。

「あの封筒なら問題ありませんでした。品物と一緒にお預かりいたします」


男は、店長のその言葉に安堵の表情を浮かべ支払いを済ませると

「それでは、よろしくお願いいたします」

と言い、店を後にした。


少女は男の後について店の外まで出た。


深々と頭を下げ、

「ありがとうございました」

そう言って、可愛らしい微笑みで男を見送る。



微笑みを浮かべたままの少女は炎天下の中、店の駐車場に置かれていた黒塗りの車に男が乗り込む様子に視線を向けた。



そして、車が完全に視界から消えるまで見届けると、くるりと踵を返して店へと戻っていった。




「ご苦労さん、かえで

店内へ戻ってきた少女に、店長は声をかけた。

店長は、先ほど男から手渡された封筒を開封し中身を改めているところだった。


その様子を確認して、楓という名の少女は口を開いた。

「新規のお客様ですか」

「大体が新規だろう?ほら、今夜の依頼だ」



店長は分厚い茶封筒から、一枚の紙を取り出すと楓に手渡した。

「今のうちに確認しておけ」

「はい」


楓はその紙を受け取ると、内容にざっと目を通した。

その瞳は、先ほど男を見送ったものとはまったく別のものだった。

輝きを失った瞳。

何かを見下すような、冷酷な瞳。



ひんやりとした空気が二人を包む。

それは、空調のせいなのか。

依頼内容のせいなのか。

どちらにしても、この二人にとっては大差ないことだった。



「あまり、難しそうな依頼ではないですね」

「そうだな。相手も悪くない」


淡々と話す二人にとって『夜の仕事』は日常業務の一つにすぎなかった。


なんてことはない。


ほぼ毎日訪れる『夜の仕事』を依頼していく客は、ほぼ毎回違う依頼主で、こうして茶封筒に依頼内容を書いた紙を入れておくのがマナーだ。


「それで、前回の報酬はちゃんと入っていましたか」

「今、確認中だ」


店長は楓の方を向くことなく答え、茶封筒の中から札束を取り出して枚数を確認していた。



その様子を見つめながら、楓は昨夜の依頼遂行時の様子を思い返していた。


昨夜は、相手が悪かった。

ターゲットであるその相手は、重要な秘書だったらしくSPが付いていた。

まさか、秘書にまでSPが付いているとは思わず、一対一のつもりで楓は相手の心臓を狙った。

しかし、物陰から飛び出した瞬間に楓はSPの男にぶつかってしまったのだ。

「キャッ」そう言って、地面に転がった。

楓はSPの男に手を差し伸べられて立ち上がった。

辛うじて、凶器は長袖のパーカーの手元に隠したままだったので楓はそのまま礼を言い、いったんその場を立ち去ることにした。

昼間の微笑みを、幼さの残るその顔に貼り付けて言った。

「すみません。起こしていただいてありがとうございます」

楓の可愛らしい微笑みにSPの男もにこやかな微笑みを返し

「こんな遅くに出歩いたら危ないよ」と言った。


その後は慎重に行動し、ターゲットがSPから離れた一瞬の隙に、心臓をひと突きにした。



萬福屋に『夜の仕事』である暗殺を依頼するには、いくつか条件があった。

その全てを満たさないと、萬福屋は依頼を受け付けない。



条件の一つが

〈茶封筒に前回の報酬と今回の依頼内容が書かれた紙を入れる〉こと



今はその確認作業中と言えるだろう。



暗殺の報酬金額は、依頼内容にもよるが大体280万~。

前回の依頼は、少し相手が悪かったので報酬も多めの560万。


この茶封筒の中にきっちり560万入っていれば、条件を満たすこととなり今夜の依頼も受ける。



店長が店先で札束を確認していると、駐車場に一台の乗用車が停まった。

楓がそれに気づき、店長に声をかける。

「店長、お客様です」



店長はその声に押されるようにして、札束の入った茶封筒と今夜の依頼が書かれた紙を持って店の奥へ入っていった。



--カランカラン--



店の入り口の扉が開き、母親と子供が入ってきた。


「いらっしゃいませ」

楓は冷酷な瞳を捨て、男を見送った時と同じ可愛らしい笑顔を客に向けた。



若い母親と小学校入学前と思われる男の子の親子は、迷うことなく季節限定商品のショーケース前に立った。

「うわぁ、綺麗!」

まるでガラス細工のようにキラキラと光る冷菓に瞳を輝かせる子供。

母親も、それに心奪われているようだ。


「今月からの新商品でございます」

楓は的確なタイミングで商品の説明を始める。


子供が目を向けている商品を手で指し示しながら言葉を続けた。


「こちらの商品は、果汁で色付けした寒天を固めた後に粗く崩し、同じ果汁のゼリー液で緩く固めてフルーツを飾ったものです。ぷるんとしたゼリーの中で寒天がホロホロと崩れる食感は見ても楽しく、食べても楽しい一品でございます」




母親も子供も、すっかりその冷菓に心を奪われた様子だった。


「どれがいいかしら」と子供に話しかける母親に、楓は

「全5種類ございまして、5種類の詰め合わせですと単品の値段よりも少し安くお求め頂けます」

と勧める。

楓の勧めに、母親は少し困ったような声を漏らした。

「五個かぁ。おばあちゃん達の分が足りないわね」


その声に、すかさず楓が別の品物の説明を始めた。

「ご年配の方へのお土産でしたら、こちらの本葛を使った葛切りが人気でございます。こちらも五個セットですと少し安くお求め頂けますが、いかがでしょう」



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