第20話 突然の訪問客

 呼び出し鈴なしに棗が帰宅したのはそれからまもなくのことだった。夫の無残な姿に、卒倒しそうなくらい取り乱していたが、エリザベスの無鉄砲な慰めでほんの少しだけ落ち着きを取り戻していた。

「何でいるのかわからないけど……エリザベス、協力して」

 言いながら棗は鬼灯の身体を抱えあげて、寝室に運び入れ始めた。白猫もその足跡をなぞるように後をつけていく。

「紫苑坊やが空想を使うタイミングと、二人の噂を聞いたあたいが鬼灯のところに到着したのとが偶然一致しただけだ。そんな偶然呼び寄せるなんて、本当強運もってやがるな鬼灯は……」

 寝室に消えた一人と一匹は扉に鍵を掛けて閉め切ってしまった。これから棗は魔術を用いる気なのだろう。命あるものなら何でも再生することのできる、代々の魔王妃が受け継ぐ門外不出の魔術――それが棗の魔術「|生命の鼓動(レ・フィーバ)」だった。しかしその魔術はさすがに安易なものではない。ここまで深い傷を治療するためには数々の儀式を踏み、一歩間違えれば使用者すら飲み込まれてしまう危険な術でもあった。

 しかも何日も続くこととなるだろう。

「子供たち?」

 襖の向こうから猫の声が聞こえる。

「うまく行きゃ鬼灯は……身体も魔力も完全に復活するぜ。だからそんなに落ち込むなってんだ。こっちまで辛気臭くなるじゃねえかよ」

「――エリザベス、ありがと」

「か、感謝なんかするんじゃねえ、あたいはそんなつもりで言ったんじゃなくて……ただ単に事実を言っただけだっ! ああもう、もう話しかけてくるんじゃねえぞ!」

 エリザベスは弾丸のように一人話したかと思いきや、あとはすっかり黙ってしまった。含み笑いをしている萌黄は、エリザベスのおかげで元気と希望を取り戻したようだった。それでも紫苑はまだ心に残った靄を晴らせずにいた。

「……謝ってもいい?」

 改まった弟の第一声に、萌黄は苦笑いをして隣に座った。

「謝るなんて、らしくないじゃない?」

「だって、さ。萌黄にはずっと迷惑掛けてきたからさ。俺ってば男のくせにうじうじして、本当に駄目だとわかってる。このままじゃ駄目で、変わらなきゃって思ってるんだけど、やっぱり急には変われないんだね。今回のことも、父さんがあんな目に遭ったのも結局俺が発信器を仕掛けられたせいだし……」

「発信器?」

「うん、もう魔界で外してきたけどね。盗賊一族に嵌められたんだ」

「そうだったの……」

「でも変われないなんて言って逃げてられないよ……確かにどこかで逃げたがってる自分はいるよ? だけど今、母さんと萌黄を守れるのは俺だけなんだ。だからもう後ろは向かない」

「……そう。でも、無理しちゃ駄目だからね。ずっと逃げてきたあんただもの、恐いときは甘えてもいいのよ」

「俺、もうそんなに子どもじゃない」

 まだからかっている萌黄のそばを離れ、紫苑はベランダを覗き込んだ。外はオレンジ色の夕日が輪郭をくっきり残して浮かんでいる。

 強くならなきゃ、皆を守れるぐらい。

――すいませーん、あのー、稲妻さーん。

 声が聞こえて紫苑は玄関に振り向いた。呼び出し鈴が何度も連続で鳴り、その合間から中年の男の声が飛び込んでくる。悪戯にしてはたちが悪い、近所から苦情が来そうだ。

 萌黄が玄関のドアを開けた。と、同時にその招かれざる客は玄関になだれ込み、必死にドアを叩き閉めて、床に膝をついた。

「もっと早く開けとくれよ、稲妻ぁ……隣の犬に睨まれて大変だったんだからなあ……!」

 最初いったい何の化け物が飛び込んできたのかと思った。だが、萌黄は違う意味で顔を真っ青にしてその男を指差し叫んだ。

「えーーーーーっ、なんでティーチャーここに来てんのよーーーっ!?」

「……あー、そんなに嫌がることはないだろう?」

 三年一組担任のメタボ中年、茶々先生(通称:ティーチャー、担当科目:音楽)だったのだ。彼はのっそりと身体を起こすなり、玄関に腰を下ろしている。汗まみれの額を服の袖で拭い、荒い息を狭い空間に吐き続けている。反射的にリビングまで逃げてきた萌黄に突き出される形で、紫苑は茶々先生に対峙した。

「あの、何の用ですか」

「あー、君は稲妻さんの弟かね?」

「二年の稲妻紫苑です。姉が何かご迷惑でも掛けましたか?」

「いやー、君のお姉さんは何も悪くはないんだがね。話があるのは君でも君のお姉さんでもなくてだな。えー、お父さんかお母さんは居られるかな。どうしても急ぎのお話があるんだがなあ」

 さすがに苦い顔をして紫苑はリビングの萌黄に目で合図を送る。萌黄がすぐに首を横に振ったのを見るなり、紫苑は不自然な笑顔を茶々先生に向け答えた。

「いえ、父は前に就いていた仕事が原因で大怪我をして入院中で……母はその看病に当たっています」

 ほぼ事実をそのまま伝えてみたが、茶々先生は眉間にしわを寄せている。

「ん? 君たちのお父さんなら二日ほど前に参観日に来られていただろう?」

「あ、あの、そのあとで怪我しちゃったみたいで」

「そうか……なら構わない。君たちに聞いてもわからないだろうしな。また今度出直すとしよう」

 まだ息も荒々しい中、茶々先生は膝をぐいと持ち上げてドアの取っ手を引いた。後ろから萌黄のため息が聞こえたのは幻ではないだろう。だが紫苑は帰ろうとする茶々先生を呼び止めた。

「聞かせてください、何の用だったのか」

「君らにはわからんだろう」

「父に伝えておきますから」

「うーん……参観日のことでだ。小豆色の保護者と剣を持った子どもが戦っていたとか何とか、よくわからんことを妙な爺さんがしつこく言うもんでな……君たちのお父さんのことだと思って確認を取りに来たんだ。どうせ爺さんがチャンバラかなんかと勘違いしたんだろう。あんまり気にすることはないぞ」

 早口に言い残して茶々先生は稲妻家を後にした。

 犬が必死に吠えるのが、妙に頭に残っていた。

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