第3話 戦士一族の襲来

「あなた転校生の千臣君よね? よくあの教室から抜け出せたものね」

「んー、あの娘たちなら喧嘩に夢中になっちゃって……抜け出してもばれなかった」

 飄々とした感情もこもっていない声で言う千臣は今もなお骨肉の争いが繰り広げられているであろう校舎をぼんやり眺めている。転校当日にあんな仕打ちを受けておいて激昂もせず、こんなに冷めた表情ができるのだから、精神的な強さは間違いなくあろう。彼なら不毛の砂漠に一人取り残されても、生きていけそうな雰囲気がある。

「それよりも、さっきの女の子とは知り合いなの?」

 見た目は少女、中身と習性は獣。思い出すなり段々腹の虫が暴れだしてくる。今にも噴出しそうな混沌とした萌黄の心の内と相対して、千臣は肯定も否定もなく曖昧に唸るだけだ。

「そうだな……知り合いって言われたら知り合いだな。でも初めて会ったのは一週間前だし、彼女のこともよくわかってないけど……しいて言うなら、仲間とか」

「仲間?」

「うん、まあそんなところかもな。同じ目的を持って、同じ学校に通ってる仲間」

「同じ目的って……?」

 呟いた萌黄の声は消された。と思えば背中に激痛が走る。身体を門に打ち付けられたと理解したときには、十センチほどの距離に彼の暗い瞳があった。両手首をがっしりと捕らえられ、その瞳に圧倒され、涙どころか悲鳴さえも止められてしまう。

 彼の息が、萌黄の耳元で荒れわたっている。

「――魔王はどこにいる」

 間違いなく彼は、かつてない低い声で呟いた。

「答えろ」

「魔王? あなたどこかで頭打ったりしたの? それとも漫画の読みすぎ?」

 嘲笑って切り抜けようとしても、彼は微動だにしない。それどころかさらに距離を詰めてくる。こんな状況を他人が見れば、彼はすぐ取り押さえられるだろうと思ったが、他の生徒たちはどこかのカップルが熱い愛を交し合っているとしか思っていないらしい。それをわかっていて千臣はこれほど無表情でいられるのだろう。

「稲妻萌黄、お前が魔王女だってことはわかりきっている。下らない言い訳はやめたほうがいい、身のためだ」

「うるさいわね、そんなもの知らないって言ってるでしょ。手離してちょうだい」

「だからごまかすなって言ってるだろ。それに、お前の魔術を使えばこの状態から抜け出すのも容易いはずだ……なんで使おうとしない?」

「本当にいかれてるのね。わかったわ、千歩……いや千年譲りましょう。千年譲ってあたしが魔王女とかだとして、じゃああんたは一体何なのよ?」

 侮蔑しているはずなのに、唇が震えてくる。冷や汗が頬を伝っている。

「勇者四人衆の――戦士一族といえばわかるか?」

 千臣は初めてはっきりとした声でそう告げた。溢れ出しそうな心臓の鼓動が恐れを抱かせる。

「知っているよなあ……お前たち魔王一家を魔界から追放した一族のひとつだからなあ」

「何を言っているの? 魔王といい勇者といい、自分が戦士ですって? そんなに演技力があるなら演劇部に入りなさい。あたしの友達に部長がいるわ。よかったら紹介してあげるけど」

「まだ意地を張るか、その意地は認めてもいいけどな。口を割らないようなら力ずくで……」

 手首に加えられている圧力が刹那強くなった。屈するわけにはいかない。萌黄は瞳で威嚇していたが、急に彼の握る手が緩んだ。千臣の顔も遠ざかり、代わりに誰かの声が反響し始めた。その声は輪唱と化して、輪唱は大きなざわめきとなっていく。

「…………ぅーーん、千臣君どこーーー?」

 三年一組・二組・三組女子連合軍のざわめきだった。ようやく彼女らを虜にしている千臣がいなくなっていることに気づいたらしい。彼女たちは自分が先に探し出してみせると言いたげに、校内のあちこちを探し回っているようだ。校門の近くでも数人の女子生徒の声が聞こえてくる。

「お呼びらしいわよ、人気者の千臣君?」

「他の人間に見つかるわけにはいかないか……」

 大人しく千臣は萌黄を解放し、そのまま何も言わずに中学から離れていった。去っている彼の背中からは怒りと焦り、そして憎しみが零れているようだった。

 彼は間違いなく戦士一族だった。



   *



 家に帰ってきたときにはもう夕暮れ時で、傾いたアパートの屋根も紅に染まっていた。今日会ったことはすぐに家族皆に話さなければならない。まずはどこから話すべきなのか、思考を巡らせながら萌黄は玄関のドアをくぐった。ドアの鍵は開いていた。

「ただいま」

 萌黄は目を見開き、息を呑むしかなかった。

 リビングは戦場と化していた。テーブルがちゃぶ台を返したように横たわっているかと思えば、敷かれていた絨毯は無残にも切り刻まれて所々で綿埃を散らしている。フローリングの上にはひっくり返された筑前煮が死体のように撒き散らされていて、その中心に突き刺さっていたのは禍々しく刀身が輝く包丁だった。

「おかえり萌黄……」

 足の踏み場もない空間で、紫苑は割られた窓ガラスの片づけを細々としていた。

「何があったの、これ!?」

 脳裏をよぎったのは例の戦士一族の虚ろな後姿だった。襲撃を受けたのかと必死に紫苑の肩を揺さぶる萌黄だったが、彼はくたびれたような顔で長いため息をつくだけだった。

「父さんがまた面接で落ちたんだよ」

「……それで物に八つ当たりしてるわけ?」

「ああ、すごい暴れっぷりだったよ、母さんはね……」

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