第3話 深い!深い!そんな奥まで――抉れちゃう!(バンシー)
アンが去った後、オークは悩んでいた。この城――アンの元に来てから、休みらしい休みを取ったことがないのである。足と手を動かし、アンの身の回りの世話から始まり、今では城の周りを警護しているのである。もっとも、この城に訪れる者は人間魔物問わず、さらには動物すら近づいて来ない。普段の仕事が最早、散歩と言われてもしょうがないのだが、それでも、休みという休みはなかった。
と、いうより、アンから何度も休むように言われていたのだが、それを拒否し続けてきた。その度に彼女の膨れ面が見れて嬉しかった。というのは内緒だが、昨日もその話をしたことを思い出し、今日の出来事はアンに仕組まれていたのだと理解する。
そんな生活を送っていたからか、アンから先ほど休むように言われても、何をしたら良いのかわからないのである。
オークはため息を一つ吐く。すると、腹が鳴り、時計を見てみる。時刻は昼時であり、朝から先ほどのリンゴしか食べていないオークは思いつく。
「この時間ならば、食堂だな」この城には魔物の数が多い。しかし、先ほど述べたようにこの周りにあるのは木か川か岩くらいであり、食料がないのであるが、七回陽が昇ると、アンが大量の食糧を持って帰ってくるために食べ物に困ることがないのである。初めの頃、料理はアンが作ってくれていたのだが、今では魔物の数も増え、全員分を作ることが出来なくなった。残念だと思う気持ちは大きいが、アンが疲労で倒れでもしたらことであり、初期の頃からこの城にいる自分やスライム、ウッドマンやワーウルフにドラゴンなどなどが、アンに料理の教えを乞い、それを新しく来た魔物に伝えていき、教わった魔物が料理を作るという年功序列の体系を作ったのである。オークはその時を懐かしむと、食堂に向かって歩き出す。「……久々に、アン殿の料理を食べたいものだな」
自分たちでアンから料理を取っておいて、虫が良い。というのは理解しているが、彼女の料理が今まで食べたどの食材よりも美味かったのである。ちなみに、スライムは最後まで料理を作れなかった。
オークは懐かしい記憶がたくさん蘇ることに違和感を覚えたが、きっとここの生活に慣れた証なのだと理解する。昔は記憶に留めておくような出来事は一切なく、食っては犯し、食っては闘い。などというつまらない生活を送っていた。過去を懐かしい。と、思うのも当然なのである。
そんなことを想い、足を進めていくと、漂ってくる食欲をくすぐる香り――オークは満足すると同時に腹を鳴らし、食堂へ足を踏み入れた。どこか懐かしい匂いに誘われ、オークの足は軽やかだった。
「ありゃぁ? オークの旦那じゃねぇか」スライムが、昼食が乗ったお盆を頭に乗せ、器用に飛び跳ねていた。「今から旦那のところに行くとこだったんだぜ――」
お盆に乗った料理を懐かしく思いながら、オークはスライムを見て、周囲に似たスライムがいないかを捜す。そして、小さく微笑む。
「分裂してはいないようだな」先ほどのアンとスライムのやり取りから、もう一人増えたのだと思い、そうであったのなら一人をアンが常に言っているスライムを枕にするというのを叶え、もう一人を警護に回すという算段だったが、それは叶わないらしい。と、肩を竦める。「スライム殿が二人に増えたのならば、こちらとしても大歓迎だったのだがね」
「勘弁してくれよぉ」スライムが身体を膨らませる。
そんなスライムをオークは目を細めて眺める。すると、前方から歩いてきた人影に気が付く。
「休みなさい。と、言ったと思ったけれど?」
「――食事の時間でしたので」
「持っていくと言わなかったのはあたしの落ち度かしら?」
「私の勝手ですね」
「そう――」アンがため息を吐き、スライムからお盆を取り上げ、空いた手でスライムを抱き上げ、欠伸を一つ。「良いから、部屋に戻りなさい」
「……ええ、では――」お盆を自分で持とうとするが、手を払われてしまい、歩き出したアンの背中についていく。そして、先ほどは色々とあり、あまり気に留めていなかったのだが、アンの目の下に隈が出来ており、それについて尋ねる。「アン殿」
「ん~?」
「最近、眠れないのでしょうか?」
「あ~」アンが顔をどこかの方向に向け、言いよどむ。しかし、諦めたのか口を開く。「最近、何か五月蠅くてね」
「五月蠅い……ですか?」オークはアンの隣に並び、彼女の腕の中にいるスライムと目を合わせる。何故なら、ここ数日、寝不足になるほどの音は聞いていないからである。もちろん、アンと比べたらオークは鈍感かもしれない。しかし、ここにいるスライムもそうだが、アンが寝不足になるほどの音、気が付かないわけがないのである。「アン殿、それはいつからですか?」
「ん~? そうね、4日くらい前からかしら」アンが気怠そうに首を鳴らす。「何よ、貴方たちには聞こえなかった?」
「申し訳ありません」
「良いわよ別に」
よくよく見ると目も赤く、どこか痛々しい。オークは音のこともそうだが、朝礼の時や先ほど部屋に訪れてくれた時にも気がつけなかったことを恥じ、顔を伏せる。
「良い。って、言ってるでしょ――あら?」ふと、アンがスライムに視線を落とす。「なに難しい顔をしているのよ」
オークの自分が言うことではないが、スライムの顔色など、ほとんど変化がないように思っており、感心すると同時に、スライムの顔を見てみる――。確かに、気難しそうな顔をしているような気がする。
「あ~、え~……」考えが纏まっていないのか、スライムが視線をあちこちに動かした。
「彼の部屋に戻るまでに考えを纏めておきなさい。貴方、相も変わらず、水みたいな思考をしてるわね。あっちいったりこっちいったり、岩でも詰めてその思考の波を止めてやろうかしら?」
「スライムのチャームポイントは柔らかさな~です!」
自分の身体に岩を詰められることを想像したのだろう。プルプルと美味しそうに震えている。
「あ、えっと――」うんうん唸りながら身体を揺らしているスライムだが、思いついたのか、パッと表情を明るくさせる。「思い出しました~です」
「ふむ、スライム殿、一体何を?」
「最近、そういう魔物が入ってきたじゃねぇか。じゃない――来たじゃな~ですか」
「魔物……」オークは最近来た魔物で大きな音を出す魔物を思い出そうとするが浮かばず、スライムに答えを促す。「すまん。まだ全てを把握しきれていなくてな」
「……バンシーね」
「そうそう、そえです」
なるほど。と、オークは納得する。しかし、もしバンシーだとするのなら――オークはチラリとアンの顔を覗き見る。
「――ッ!」
恐怖。
それ以外の言葉は見つからなかった。口角を吊り上げ、アンが笑っているのである。バンシーが泣く。つまり、宣戦布告である。
しかし、オークはアンの表情からそれ以外の感情があることにも気が付く。
「……アン殿?」
「少し食事が遅れるけれど、良いかしら?」
「はい」
アンがスライムを下ろし、その頭にお盆を乗せる。そして、バンシーに割り当てられた部屋に向かって歩き出す。
アンの睡眠を邪魔することで罰せられるのは当たり前だが、それ以外にも……オークにはアンの表情に怒りが混じっていることに違和感を覚える。もちろん、安眠の邪魔をされて怒る者もいるだろう。しかし、アンがこの程度で怒りを露わにすることは普段なく、どちらかというと楽しんでいる節があるのだが、今回は違うようにも思えた。スライムも同じ考えなのか身体を傾げていた。
すると、アンの足が向いているのがバンシーの部屋とは別の方に向いていることに気が付き、きっと気配を読んでいるのだと理解する。
そして、たどり着いた場所――そこは謁見の間であり、普段アンが座っている椅子に、バンシーが座っていた。
「貴様――」オークはバンシーに飛び掛かろうとするが、アンに止められてしまい、動きを止める。「アン殿?」
「ねぇ、貴方、バンシーがどういう意味で鳴くかは理解しているのかしら?」
「はぁっ? それをウチに聞くの?」バンシーが心底愉快そうに笑う。オークはそれが我慢できず、握り拳を作るのだが、彼女が不快そうに表情を歪め、こちらを指差す。「あんたオークでしょ? なんでそんな人間の女なんかに――もし、穴が欲しいって言うなら、いくらでも貸すよん?」
「――――」
あまり動くことのない顔の筋肉だが、今ばかりは引き攣り、四肢を裂きたい衝動にかられる。スライムも同じなのか、ボコボコと身体の表面が隆起し、バンシーを睨みつけている。
「……あたしは質問したのよ?」
「なんでウチがあんたの質問に答えなくちゃいけないん?」
「そう……」アンが顔を伏せ、こちらに向かって一言。「ごめんなさい。この部屋の修繕、また増えてしまうわ。せっかく休んでもらっているのに」
「貴方が直せと言うのなら、目の前に要塞だって作って見せますよ」
「頼もしいわね――」
その瞬間、アンの姿が轟音を残して消えた。
岩で出来た床が捲れあがり、一歩でバンシーの元まで進んだアン。
「は――?」
バンシーはアンの力を理解していなかったのだろう。あの口ぶりから朝礼に出ていたとも思えず、ただただやり切れると思っていたのだろう。
そして、バンシーの目の前まで移動したアンが口を開く。
「バンシーが鳴く時って言うのは、その家の誰かが死ぬって時なんでしょう?」アンがバンシーの肩を掴む。「この家の……誰が死ぬって言うのよ!」
バンシーはそれがアンだという魂胆で泣いていたのだろう。しかし、アンはその意味で捉えなかった。この城はアンにとっての家であり、バンシーが泣くということは、この家の誰かが死ぬということ――アンはそれが許せないのだろう。
「あ、あんた何言って――」
アンがバンシーの腹部に手を添える。そして、ゆっくりと押し込むと小さく何かを呟く。
「は、離しなさいよ――」
「ねぇ、貴方、寸勁と浸透勁って知っている?」
「え?」
「人間が作った技の一つなんだけれど……簡単に言うと至近距離からぶっ飛ばすことと手をくっつけてぶっ飛ばす技」アンが腹部に押し込んだ手の隣にもう片方の手を添える。「本来なら、筋肉の緩みとかの隙を突く技なんだけれど、あたしはこれを魔法にしたわ」
言いながら、アンが手をどんどん押し込む。
「ちょ、な、なんでそんな奥に――」身体を動かすことが出来ないのか、最早腹と背中がくっつきそうな腹部を見ながら首だけを必死になって動かす。「ど、どうなって」
「心配しなくて良いわ。空間歪曲を駆使して距離を増やしているだけだから」徐々に押し込まれている腕が、黒く禍々しく輝く。「手加減はしてあげる。だって、これは躾だもの」
「ちょ、ど、どうなるのよ!」こちらに視線を向けてくるバンシーなのだが、スライムが顔を背けており、自分も顔を背ける。あの技はエグい。そう記憶しており、バンシーに同情せざるを得なかった。だが、彼女はその内容を聞きたいのだろうか、頻りに叫んでおり、オークは手をパンっと叩いて見せた。すると、声が止まり、命乞いを始める。「い、いや! ちょ、ちょっとした悪戯だったのよ! に、人間がウチたちに命令してるのが気に食わなくて――」
「ええ、わかっているわ。慣れているもの。でも、貴方のそれはあたしの逆鱗に触れた。さっきも言ったけれど、これは躾よ。大丈夫、二度と逆らう気が起きなくなるだけよ。奥に行けばいくほど、ちょっと痛くなるだけだから――」
「や、ヤぁ~あ! 深い! 深いって! そんな奥まで入れられたら、抉れちゃう!」
「心配ないわ。抉れはしない。本気でやったら、貴方を中心にした世界の空間が粉々になるだけだから」腕を進ませるのを止めたアンが大きく息を吸う。「発勁――『対象の窪みの深さ(込めた魔力-対象の筋肉量)×歪曲された空間面積=体内に浸透する魔力の量=身体に与える衝撃〈ワールドエンドアポカリプス〉』」
収束した黒い光が一瞬で弾けた。
その瞬間――轟音とバンシーの足元の床が抉れ、周りの空間が砕けると同時に、彼女が口から血を吐き出し、目や鼻から血が流れる。そして、身体を震わせ、その場に倒れた。
「こんな技を受けられる機会なんてそうそうないわよ。光栄に思いなさい」倒れたバンシーをそのままにし、アンがこちらに歩いてくる。「冷めちゃったわね。作り直すわ」
「……いえ」オークはスライムの頭からお盆を取る。「もし作り直してくれるというのなら、これを食べてからで」
「それは作り直すとは言わないわよ」アンが微笑み、肩を叩いてくる。「良いわ。付き合ってくれたお礼よ」
「ありがとうございます」
「お、俺も欲ひいです!」
「はいはい――」
オークはこの食事を思考と思い、たのしみにしながら満足げなアンの背中を追い、謁見の間から出た。
女騎士さん、言動雰囲気その他諸々がヤクザのそれと同じです! 筆々 @koropenn
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