第3話 ささやき
すげえ夢の中の俺は自由で、俺の望む通りの俺がいた。
で夢の中の俺は大学にも通ってる。そこには彼女もいた。
腕を引っ張られて教室に連れてこられた後、彼女が何か耳元で囁いた。
何て言ったのかは聞き取れない。
けど、その言葉を聞いて俺は自分のベッドに戻ってきた。
なぜかわからないが、涙が右目から流れていた。
一瞬何があったのかわからなかったが俺はすぐに理解した。
クソみたいな世界に帰ってきたらしい と。
さっきまであんなに気持ちが良かったのに突然鉛を胃の中にぶち込まれたような気分になった。憂鬱だ。とにかく。
スマホチェックをして「おはよう上司」からの「おはよう」だけ読んで着替えて出社した。
俺のデスクには何もない。強いて言えばパソコンとキーボードと業務用の携帯だけだ。なのに今日は見覚えのないものが置かれている。その物体は黄色い紙切れのようなもので乱雑に折られていた。中を確認する前に「すまん」という文字が見えたのでなんとなく想像はついた。
「昨日はすまんかった。俺も飲みすぎてつまらないことをお前にきつく言ってしまった。申し訳ない。」
おはよう上司の方を見ると申し訳なさそうに両手を合わせてこっちを見ていた。
謝るぐらいなら言うんじゃねえよハゲが。
淡々と仕事をこなし、気づいたら定時の15分前だった。いつもなら適当にネットサーフィンしていかにも仕事してますアピールをするところだが今日は少し落ち着かない。心なしか今日の飲み会を楽しみにしているからだ。あと数時間後にはあの彼女に会える。昨日覚えた高揚感と似たような感情を俺は今感じている。そして定時。今日もなんてことはない一日が終わった。
薄暗メガネ君とはあれから何回かSNSのメッセージでやり取りをし、19時に駅前のハンバーガーショップの前で落ち合うことになっていた。
約束の時間ぴったりに薄暗メガネ君は来た。
久しぶり!元気にしてたかな?全然変わってないね!懐かしいなあ!
今日はみんなに会えるから僕めちゃくちゃ興奮してるんだ!何年ぶりかなあ?
あ、3年ぶりか!
薄暗メガネ君ってこんなにしゃべる奴だっけか?
全然暗くねえし、薄くもねえ。俺の記憶違いか?
とか思いなが適当に話をして残りのメンバーは直接居酒屋に来るってことだったから二人で先にその居酒屋に入ることにした。
ついて席に着くやすぐにメガネ君が話しかけてきた。
いやあ!本当に来てくれて嬉しいよ!僕は君に一番会いたかったんだから!
覚えてる?僕が食堂で一人でご飯を食べてた時に君が話しかけてくれたこと!すごい嬉しかったんだ!僕!
僕って見た目がこんな感じだからみんなから結構距離置かれちゃって、割と一人でいることが多かったんだけど君は僕の最初の友達なんだよ!君をSNSで見つけた時は本当に驚いたよ!だからすぐに行動心理学のメンバーに声かけて集まろうって言ったんだ!ほら!これメンバーが入ってるグループだよ!
情報を整理させてくれ。
俺がお前の友達?いつからだよ。そもそも俺はお前に話しかけたことなんかなかったはずだが?
こいつの記憶違いなのか俺の記憶違いなのかはわからんが事実が少々捻じ曲げられているようだ。
だが、そんなことはどうでもいい俺が今日ここにきたのは彼女に会うためだ。メガネ君、君じゃないんだよ。
そんなことを思っていると他のメンバーがやってきた。メガネ君はもう大興奮だが、俺は彼女を探した。
いた。
何も変わってない。あの頃のままだ!髪型も変わってないし、服装も多分変わってない。
彼女を意識した途端にちょっと緊張してきた。
飲み会は気づいたら始まっていた。他愛のない思い出話しをしながらみんなで酒を飲んだ。楽しいっていう感情は正直、最近というか全然感じなかったが、その日は少しだけ楽しかったように思える。その原因は彼女だ。
彼女は本当に何も変わっていない。それが少し嬉しかった。今元気で目の前にいる彼女は紛れもなく俺の心を少しだけかもしれないが揺るがした人だったから。
元気だった?グループにも全然入らないし、みんな君のこと心配してたんだよ?
今は何してるの?
いきなり彼女が話しかけてきた。
かなり焦ったが、俺は今の現状を話した。もちろん適当に。
ふーん。そうなんだね!すごいね!広告の仕事とかかっこいいじゃん!
しかも賞も取るとか!なかなかできないことだよ!
あ、そうそう。話変わるんだけど私が作ったお弁当のこと覚えてる?
あれ男の人に初めて作ったんだ!どうだった?あの時の感想まだ聞いてなかったからさ。
俺は当たり障りないように答えた。正直あの味は忘れようにも忘れられない。
美味しいとはお世辞も言えないぐらい不味かったからだ。特に卵焼きはひどかったのを覚えている。
俺はこの彼女にとっては重要だったかもしれない内容も適当に答えた。
本当に?すっごい嬉しい!じゃあまた作るね!
そう言って彼女は俺の耳元で何かを呟いた。
でも思い出せない。俺はどうやらこの直後酔いが回って眠ってしまったようだ。
メガネ君の声が聞こえて目が覚めた。
大丈夫!?みんな帰っちゃったよ!君いくら起こしても起きないんだもん!
家に帰れそう?
メガネ君大丈夫だありがとう。そうか俺は寝てしまったのか。
彼女の連絡先。聞きそびれたな。
でもまた弁当作ってくれるって言ってたからいいか。待とう。
俺はメガネ君にお礼を言って、家に帰ることにした。帰り際にメガネ君が何か言っている気がしたがとにかく眠くてそれどころじゃなかった。
酔いがだいぶ回ったのか足元もおぼつかない。これだと歩いて帰るのは難しい。
駅前からそんなに距離はなかったが、俺はタクシーを拾った。
タクシーの運転手も何か言っていたようだがそれも聞き取ることはできないほど俺は睡魔に襲われていた。
10分くらいしてタクシーがマンションの前に着き、お金を払っておりた。
今はもう何もしたくない。ただただ、ベッドだけを俺は求めている。とにかく寝たいんだ。眠らせてくれ。
玄関からベッドまでの距離がやたら遠く感じたが、俺はようやくベッドにたどり着くことができた。
高校の時に体育の授業でやらされた持久走をしたあと以上の疲労感も同時に襲ってきた。
今日はぐっすり眠れそうだ。
ところが瞼を閉じた時、今までに感じたことのない違和感が俺を襲った。
たくさんの声が聞こえるのだ。
だが何を言っているのかは聞き取れない。何を言っているのかはわからないが苦しそうだ。
その声が無数に聞こえる。おびただしい数だ。
俺はとっさにムクドリの集団飛行を思いだした。あんな感じの声の波が俺に襲い掛かってくる。
目を開けようとしても開けることができない。何だこれは。真っ暗な闇に飲み込まれていく。苦しい。助けてくれ。何だってんだ。いろんな気持ちが出てきたがその波に飲まれていくうちにどうでもよくなった。
こんな時でも俺は「めんどくせえ」って思うんだな。
しばらくたつと一筋の光が見えた。
いや、厳密には闇の中に元々あったらしい光だ。そこからは何か良い気配がする。
それだけは分かるんだ。そして俺はその光を目指してもがいたんだ。
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