エピソード 2

 墓石の前に座りこむアドルフから、遠ざかる数人の足音。セシルを含んだ六人の仕事仲間がこの墓場に訪れたが、アドルフと会話が通じないことを悟って、この場を跡にしていた。

「息子たちが帰りを待ってるぞ」

 仲間が残していった言葉をアドルフは思い出す。だが、アドルフに立ち上がる気力はない。セシルたちが訪れる前、アランとマイクもこの墓場に来ていた。しかし、アドルフの視界に二人の息子は映らない。アドルフの両目には、墓石に刻まれた愛しき名前だけが映っていた。

 冷たい風が横から吹いている。この薄暗い寒空の下で、いつもはマリアのことばかりを考えていたアドルフだったが、脳裏に過ったのはアランとマイクの二人だった。こんな自分を見て息子たちは失望しただろう。食事の世話も神父にしてもらっている父親を情けないと思ったたろう。マイクの悲痛な声が、アドルフの耳にはまだ残っていた。けれども、アドルフはその場から動けずにいた。立ち上がろうという意志が、アドルフにはなかった。

 マリアが死んでから、アドルフの胸に空いた大きな穴は塞がらないままだ。アドルフは生きた心地がしないまま時間の中に身を置いていた。しかし、このような自分を前にアランは口にしたのだ。「またここに来る」と。見捨てられても不思議ではないというのに、息子はまたここに来ると、アドルフにそう言ったのだ。

「父さん」

 アランの声が、何故かアドルフの耳に届いた。それは幻聴だとアドルフは思った。このようなどこまでも愚かな父親に息子が逢いに来るなど、アドルフには考えられなかった。

「最近、寒いから。マフラーと手袋、ここに置いておくよ」

 そこで物音がしたところで、背後の存在感にアドルフは気付いた。しかし、アドルフは反応しない。返事も、しなかった。

 アドルフがゆっくりと振り向いたときには、既に息子の姿はなかった。視線を地面に落とすと、アドルフの傍らにはマフラーと手袋が置いてある。

「マリア」

 縋るようにして、マリアの名を呼ぶアドルフ。

「どうすればいい。わたしは一体、どうすれば。どうして、お前が隣りにいないんだ……マリア……」

 掠れた声で墓碑に語りかけるアドルフ。風が周りの草木を揺らし、生き物の気配が感じられない場所で、アドルフは一人、墓石の前に座っている。いつの間にかその両手には、マフラーと手袋が握られていた。

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