エピソード 1


 ヘブデンブリッジの象徴でもある曲線を描いた橋をアドルフ・ブラウンはふらふらとした足取りで渡っていた。誰かと肩がぶつかってしまえば、橋から転落し川に落ちてしまうのではないかというほど、その動きは危うい。

 アドルフはいま、一つのことだけを考えていた。それは最愛の人、マリア。どうして自分の隣りにマリアがいないのか、アドルフには分からなかった。二十年もの歳月を共に過ごし、これからまた十年、二十年と一緒に未来を過ごすはずだったのに。アドルフの隣りにマリアはいなかった。

 もともと体が弱かったマリア。ここ最近、マリアの体調は確かに優れなかった。それでも、あまりにもこの別れは早いのではないのか。橋を渡って、ヘブデンブリッジの森に踏みこむアドルフ。街灯が及ばない真っ暗な場所、月の光だけを頼りに彼は足を運ぶ。

「マリア」

 最愛の人を失ってから、言葉を全くといっていいほど発していなかったアドルフの声は嗄れていた。端から見れば、まるで亡霊のように森の中を歩むアドルフはしかし、彷徨っているわけではない。彼には、目的地があった。

「マリア」

 マリアを求め、アドルフは枝葉を掻き分けて進む。歩いていると、アドルフの脳裡に二人の息子の姿が過った。駄目な父親で申し訳ないと思いながらも、アドルフの歩みは止まらない。最愛の人の名前を繰り返し呟きながら、ひたすら前に進むアドルフ。いまや彼の瞳には、マリアの幻影しか映っておらず、その影を、アドルフは追いかけていた。アドルフが幾らマリアの名前を呼んでも、返事はなかった。

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