第2話 死中に活を求めるのは間違っているだろうか

 飛竜――ドラゴン。

ファンタジー世界の代名詞であり、王と謳われる存在だ。

毛むくじゃらを襲うべく現れたというところだろう。

しかし、等の毛むくじゃらはすでに逃げていて、その場に秋人一人が取り残された。

ドラゴンは毛むくじゃらが逃げたのを見て、標的を秋人へ移す。

その瞳に睨まれた瞬間、秋人の足はガクガクと震えだした。

蛇に睨まれた蛙……というにはいささか相手が大きすぎる。


「くそっ! くそっ!

 動け! 動けって!」


 無理矢理に足を動かし、ぎこちなくもその場を駆け出した。

向かう場所など気にしている暇はない。

とにかくアイツから逃げ出さなければいけないのだ。

しかし、足を無理に動かしたせいか少し走ったところで足が絡まり、身を投げるように転んでしまう。

あちこち擦りむいたが痛みは感じなかった。

すぐに立ち上がり、また駆け出す。

後方で強い衝撃とともに轟音が聞こえた。

それを起こしたものが足であれ尾であれなんであろうと気にしている暇はない。

振り返る時間すら惜しい。

振り返るという行動によって生ずる一瞬の減速が、命を落とす原因になるかもしれない。

息切れも、肺と心臓の痛みすらも無視できるほどの恐怖。

丘を必死で登り、下り坂を全力駆け下りる。

途中、急ぎすぎた足がもつれて坂を転がり落ちた。

やばいと思った瞬間には遅く、顔を上げると目前にドラゴンの姿があった。

追いつかれた。

心臓が止まるような衝撃。

いや、二秒ほど止まっていたと言っても信じるだろう。

それほどまで研ぎ澄まされた恐怖を感じたのだ。


「け、結局、そういうことなのかよ……!」


 いつの間にか溢れていた涙で視界は濁り、声は震えていた。

いくら男でも一人の人間だ。

死の運命からは逃れらない。

結局、赤髪の少女が語った自分の世界と同じように滅んでいくのだ。

ただの一般人である秋人が何も変えられるはずがない。

知っていたはずだ。




 それでも秋人は生きたいと願った。

秋人自身、不思議で仕方がなかった。

でも、心は叫んでいる。

死にたくない、まだ、生きていたいと。

どんなに不格好でもいい。

泥臭くてもいい。

這いつくばってでも、生を掴み取りたい。

そう願った時、運命を覆すかのように救いの手が差し伸べられた。


「はぁぁあああああ!!」


 突然の叫びとともにドラゴンに強い衝撃が与えられた。

ドラゴンは不意の一撃に怯み、体勢を崩す。

涙を拭い視界をクリアにすると、目の前に何者かが立っているのがわかった。

身の丈ほどある大きな剣を握り、金と青で装飾された美しい鎧を身にまとっている。

兜の後ろにある穴から髪を逃しており、銀色の絹糸が風に揺れているようにも見えた。

容姿と武器から戦士のようなイメージを汲み取れる。


「そこの青年、大丈夫か?

 怪我は?」


 日本語……それは確かに秋人のよく知っている日本語で紡がれた言葉だった。

振り向きこそしないものの、秋人の身を案じている。

男らしい声ではあるが、声の高さからその者が女性であると秋人は理解した。


「は、はい!」


「ならいい。

 ニック! こいつを安全な場所へ!」


 女性がそう叫ぶと、どこからともなく彼女と同じ鎧に身を包んだ戦士が現れ、秋人を持ち上げた。

俗にいう『お姫様抱っこ』なのだが、この際文句は言えない。

それに、さっきの事で腰が抜けまともに動けないので寧ろ都合がよかった。


「とりあえずここに隠れていろ。

 アリア様と共にあのドラゴンを倒したあとまた来る」


 ニックと呼ばれた戦士は、秋人を岩陰に隠すと先の女性の元に向かっていった。

表情こそ兜で見えないものの、こちらの身を案じているのはあの女性……アリア様と呼ばれていた人と同じだ。

アリア様とはあの女性のことだろう。

ドラゴンを倒すとニックは言っていたが、本当に倒せるのだろうか。

いくら鎧を装備しているとはいえ、あの鋭利な爪の前では役に立たないだろう。

身体も硬い鱗で覆われているし、大抵の武器では傷一つもつけらないのではないか。

……いや、それでも確かにドラゴンは怯んだ。

涙で視界が濁っていたのでアリアの攻撃によるものかはわからないが、それは事実だ。

倒すことはできなくとも、撃退はできるかもしれない。


 秋人は、馬鹿になった身体に無理やり喝をいれ動かす。

岩陰から少しだけ顔を出すと、アリアとニック、そして数名の鎧を着た戦士たちがドラゴンを包囲しているのが見えた。

その中でも装飾が施された鎧を着ているのアリアとニック、さらにもう一人、ランスと大盾を構えた者だけ。

それ以外は何の装飾も施されていない簡素な鎧だ。

おそらくあの三人は実力が他の者よりも優れているのだろう。

戦闘を覗いていても、三人を中心とした陣形が組まれている。

アリアが攻めの中心のようで、巨大な剣を構えドラゴンとの間合いをはかっている、

ニックはその補佐で、アリアの行動に合わせて臨機応変に対処を変えるといったところ。

ランスの戦士は、大盾で攻撃を防ぎつつランスで攻撃、周りの戦士をドラゴンから守るのも役目であろう。

こうして見るとバランスのとれたパーティーだ。

しかし、いくらバランスが取れていても戦闘においてどう響くかはわからない。


 長く、そして短い睨み合いのあと、ドラゴンが動いた。

大きく踏み込むと、アリアへ向けて前足を振り下ろした。

アリアはそれを当然のように回避すると、剣を両手で構え走りだしドラゴンの懐へと潜りこむ。

ドラゴンは巨体がゆえに、懐に入られるとすぐには攻撃できない。

アリアが剣をなぎ払うように斬り上げると鱗と剣の衝突により、斬撃音というよりは打撃音のような音が辺りに響いた。

ドラゴンは少しだけ怯むがすぐに体勢を整える。

それを見たニックが腰に下げていた片手剣を引き抜き、駆ける。

ニックに続くように後続の戦士たちもぞくぞくとドラゴンへと走りだし、ドラゴンの四足に次々と斬撃を叩き込んでいく。

欲を出して長居せず、注意を引く程度に抑えるとすぐに退いた。

ダメージはほとんど与えられていない様子だが、狙いは注意を惹きつけること。

アリアからニックたちに標的を変えたドラゴンは自らの尾を持ち上げ、ニックへと叩きつける。

が、ドラゴンの一撃はニックへ届くことはない。

地面がめり込むほどの一撃を、ランスの戦士が大盾で受け止めた。

尾を盾で弾き返すと、ランスの戦士は素早く退避。

同時にまたニックが飛び出し、剣をドラゴンの脇腹へ突き刺し、捻る。

さすがにこの一撃は効いたようで、剣は鱗を貫通し、傷からは瞳と同じ色の血が溢れた。

それでもドラゴンは敵から目を逸らさない。

大したダメージではないのか、それとも隙を生まないためなのか。

アリア達はすでに先と同じ陣形に戻っており、いつでもまた攻撃が可能という状態だ。


「す、すげぇ……」


 無意識のうちに口から出てしまった。

人がドラゴンと同等、いや、それ以上に戦っている。

気づけば恐怖心は消え、テレビに夢中になる子供のようにかぶりついて戦闘を見ていた。

これならばきっと勝てる。

そう思った時。


「……何か、くる」


 ドラゴンの様子が先ほどとは違うことに気づく。

強く大地を踏みしめ、身体を安定させているのだ。

何かの予備動作なのだろうか、それともニックによって与えられた傷によるものなのか。

秋人が思った瞬間、ドラゴンは息を大きく吸い込むような動作を見せた。

まさか、あれは。


「火炎、くるぞ!!

 備えろ!」


 ニックの声が響く。

ブレス攻撃――多くのドラゴンが持っている攻撃方法の一つだ。

体内から発生させた火炎を口から吐き出し地を焼く様は、神話にも残されている。

この世界のドラゴンも、当然のようにそれを有していた。

もしドラゴンが火炎を放てば、辺り一面焼け野原だ。

ドラゴンと戦っている戦士だけでなく、岩陰に隠れている秋人も下手をすれば焼け死ぬ。

あの攻撃をどうにかしなければ勝利はない。


「大丈夫だ、任せておけ!」


 そう叫んだのはアリアだった。

剣を構え、ドラゴンへと走りだす。

ドラゴンはまだブレス攻撃の予備動作中ではあるが、もしそれを止めて尾や爪などで攻撃してきた場合、不意を突かれる可能性もある……かなり危険な行動だ。

近くにいたニックもそれをわかっていたようでアリアを止めようとするが、アリアはそれを振り切る。

どうにもならないといった様子のニックに、ランスの戦士は大盾とランスを地面に置くことで答えた。

あの戦士は、アリアの勝利を信じている。

ニックもその気持ちは同じだろうが、どうにもアリアの行動に納得出来ないようだ。

彼は心配性なのだろう。

当の本人であるアリアは彼が追ってこないのを確認すると、走る速度を早めた。

同時に剣を斜めに構え力を込める。

すると、剣の鍔の部分が展開し、光を放ち始めた。


「形が……変わった」


 雷のようなエネルギーが唸りを上げ光を放つ。

はじめは散っていたエネルギーがやがて収束。

光は刀身を覆い尽くし、さらに巨大な刀身を作り上げた。

これをアリアはドラゴンへと叩きこむ。


「さぁ、とっておきだ。

 遠慮せず全部受け取れ!」


 剣を振り上げる。

閃光と共に光の刃が弧を描く。

放たれた斬撃はドラゴンの鱗を溶かすように斬り裂いた。

刀身が残光を朧に残し、腸を抉る。

骨すら断つ一撃に辺りは静寂に包まれた。

誰もが固まり、決着の時を待っている。

止まった時を動かすようにアリアが大剣を納刀した。

すると、ブレス攻撃のために放たれる直前にあった火炎が、ドラゴンの口内で爆発。

同時にドラゴンは断末魔を上げ、その巨体を地面に叩きつけるように倒れこんだ。

喉を鳴らし再び立ち上がろうとするが、その四足は空を掻くだけで地を掴むことができない。

やがてその動きも勢いを失い、王は静かに瞳を閉ざした。

もう、動くことはない。

人間は、ドラゴンに打ち勝ったのだ。


 アリアが拳を天高く掲げると、戦士たちは皆歓声を上げる。

ランスの戦士は兜越しに笑っているように見えたし、ニックはやれやれといった様子だ。

トドメを刺したアリアは兜を脱ぎ、その美貌を露わにした。

碧色の瞳は優しく笑っており、ドラゴンを相手にしていた戦士とは到底思えない。

その上かなり童顔だ。

何歳なのかはわからないが美少女とも言えるし、色気のある女性とも言える。

外国の人は若く見えるというが、まさにその通りであった。

見とれるように岩陰からアリアを見ていると、その気配に気づいたであろう彼女と目が合う。

アリアは微笑むと、秋人の隠れている岩まで歩みを進めた。


「大丈夫か、青年。

 あちこち擦りむいているようだが……」


「え、あ、だ、大丈夫です、多分」


 顔を見た途端緊張してしまい、うまくしゃべることができない。

まるで金魚のように口をパクパク動かし何とか言葉を紡いでいる。

アリアからみたらさぞ滑稽だろう。


「よし、ならよかった。

ドラゴン目撃の情報が遅れていたら助けられなかったかもしれない」


よかったと笑うアリアに秋人はひどく安心する。

それで少し緊張がほぐれた。


「ところで青年、君の名前は?

こんなところで何をしていた?」


 アリアの問いかけに、秋人は答えを一瞬悩んだ。

名前は簡単に応えることができるのだが、何をしていたかが問題である。

理由もなく……いや、あるのだが、この世界にやって来た経緯が経緯だ。

素直に言って信じてもらえるのかわからないが、ここは嘘をつかずに正直に答えるべきだろう。


「風宮、秋人です。

 気づいたらここにいて、ここは自分のいた世界ではないみたいで……」


「カゼミヤアキト……変わった名前だな。

 自分のいた世界ではないとなると、転生か召喚か……」


 このようなことはよくあるのか、アリアは至って簡単に受け入れた。

転生や召喚が存在する世界のようで、そのパターンの一つとして考えられているのだろう。

事実、似たようなものだと秋人は思っている。


「よし、わかった。

 とりあえずカゼミヤ、私達はこれから街に帰るから一緒に来てもらえるか?

 詰め所でゆっくりと話が聞きたい」


 秋人にとってはとてもありがたい申し出だ。

警察が怪しい人間を連行するのと変わらないが、今の状況で気にすることではない。

それに秋人一人で街へ向かうより、ドラゴンを倒した人達と一緒に行動するほうが安全だ。


「も、勿論です!

 お願いします!」


「ありがとう。

 では街へ向かおう。今あいつらも呼んでくる」


 そう言ってアリアは他の戦士たちの元へ向かおうとしたが、途中で足を止めた。

少し思い悩んでから振り返り、また秋人の元へとやって来る。


「そうだカゼミヤ。

 聞きたいことがある」


 秋人が不思議そうな顔をしていると、彼女は微笑みこう言った


「先の戦い、どうだった?」


 答えは一つだ。

何も悩む必要はない。

秋人も彼女につられるように微笑んで答える。


「……すごく、格好良かったです!」


 アリアは秋人の言葉を聞くと満足そうに笑った。

「そうだろう」と答える彼女の姿がどうにも輝いて見えたので、秋人は急いで目を逸らした。

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