第1話 無能力者、異世界に立つ!
深い闇の中にいた。
浮いているのか、はたまた沈んでいるのか。
感覚というものは散り、意識さえも微睡んでいる。
果たしてこれが現実なのか。あるいは夢なのかさえわからない。
個という概念すら溶けて消え、虚空を彷徨う。
すべてを肯定せず否定しない空間の中に自らを取り戻したのは、赤髪の女性の呼びかけがきっかけだった。
女性は恐ろしくもこう語った。
『
地が裂け、空は割れ、すべてが一つ一つ小さなブロックのように崩れて消えた。
それは因果律の崩壊によるものだと、赤髪の女性は語る。
崩壊した後に残されたものは深い闇と風宮秋人という存在だけで、さらに言うなら本来なら闇しか残らないはずだった。
世界の滅亡を唯一生き延びた存在に、赤髪の女性は奇跡を信じ、願いと可能性を託した。
秋人の世界を滅ぼした存在が、別の世界を滅亡させようとしている。
破滅を食い止めることができれば秋人は自らの世界を取り戻すことができると。
秋人は願いを聞き入れ、使命を背負う覚悟を決めた。
赤髪の女性は優しく微笑み、秋人を撫でる。
それが、最後の光景だった。
目を覚ますと、青と白で彩られた天井が目に飛び込んでくる。
それは天井ではなく、空だということに秋人は少しの時間を要して気づいた。
身体を起こしてみると、目の前には広大な草原が広がっている。
感じたことのない匂いと見たこともない景色。
頬を撫でる風は草木を揺らし、木漏れ日が忙しく形を変える。
ズボンについた草を払いながら秋人は立ち上がると、辺りを見回しため息をついた。
秋人の今いる場所は緩やかな丘と、稀に露出した岩が特徴的だ。
草原の奥の方には巨大な壁とそれの内部に入るための門らしき物が見える。
少し壁からはみ出る形で建物が見えるが、近くまで行かなければどのようなものか明確に判断できそうにない。
周辺には草食動物らしき生物が群れを成しており、生態系の存在が確認できる。
草食動物は、頭部がどこにあるのかわからないほどの白い体毛で覆われており、そこから角なのか尾なのかわからない突起が一本伸びている。
遠目から見ると小さな雲が草原を動いているように見え、少し滑稽だ。
東の方には森が見え、どこまでも広がっている。
一見ここが外国のようにも思えたが、木の形状やあの不可思議な生物を見るに自分の知っている場所ではないような気がする。
「マジか……」
頭を抱えた瞬間、赤髪の女性の言葉がフラッシュバックし自らの置かれた状況を思い返す。
『風宮秋人、貴男の世界は滅んだ』
確かに覚えている。
高校の卒業式を終え自転車で帰路についた秋人は、いつもと変わらないはずの日常に違和感を覚えた。
真昼だというのに、まるで今が夜だと言わんばかりに月が黄金色に輝いており、風も吹いていないのに木々は揺れていた。
その不気味さに思わず足を止めた瞬間、赤髪の女性が語ったように秋人の住む世界は滅びたのだ。
何もわからないまま、一瞬で。
運が良かったのか、はたまた悪かったのか。
偶然と必然は紙一重というが、まさにその通りだ。
赤髪の女性が言ったように、アキトはこの世界の破滅を食い止めねばならない。
それが秋人の背負った使命。
秋人が偶然にも世界の滅亡から生き延びていなければ、このような使命を背負うことはなかった
しかし、理解はしていてもスケールが大きすぎてイメージが湧かないのが現状だ。
頭もまだぼーっとしているし、身体の怠さも抜けていない。
どこか夢心地……というより、現実であるかどうかすら完全に知覚できていないのだから。
だからといっていつまでもここで時間を浪費していても仕方がない。
今はとにかく、あの壁の方向に歩みを進める他ないのだ。
ゆっくりと大地を踏みしめて歩く。
草を踏みつける感覚は懐かしくも感じ、随分と味わっていなかったように思える。
いつもそうしていたように右足、左足と前に進めていくだけの行動がこんなにも心地良いだろうか。
春のような日差しと暖かさというのもあるが、知らない場所に来た好奇心も少しばかりはあるだろう。
世間で言われる、所謂『厨二病』は卒業している。
しかし、こんな空想の世界を切り取ったかのような世界を目の前にすれば自然と心が踊るもの。
ありふれた日常からの変化に、秋人はいつも胸の中に眠っていた少年の心を深く感じていた。
そんな秋人から数十メートル離れた場所に、あの毛むくじゃらの生物がいた。
地面に生えた草を食べつつ、ゆっくりと動いている。
毛むくじゃらを観察していると、不意に強い風が吹いた。
先ほど感じた風とは違う、自然なものではない。
人がうちわで扇いで風を生み出すように、なんらかの動作によって発生しているかのような風だ。
辺り一帯に影響を及ぼすほどの風を吹かせる動作とは一体……?
考えるよりも早く、答えは訪れた。
巨大な影が秋人らを覆い尽くし、風は更に強く吹いた。
鼓膜を震わす咆哮と翼を翻らせる音が同時に聞こえる。
瞬時に秋人はそれが何であるか理解した。
なぜなら、ある程度予想はしていたからだ。
だが同時に、『まさか』としか思っていなかった。
しいて言えば妄想といってもいい。
物語の中に存在した、架空の生物がこの世界にはいる。
いや、いてほしい。
この世界ならば、ありえると。
願望は、懇願者に対して牙を剥く形で現実のものとなった。
それは秋人の目前に着地すると、再び喉を震わせ咆哮する。
握り拳ほどの大きさをもつ赤い目玉。
鋭く尖った牙と爪。
頑強で、それでいて柔軟な鱗。
身体を支える強靭な翼と、しなやかでいて逞しい四足。
巨木のように太く触れるものすべてをなぎ払う尾。
体長おおよそ十数メートルはあろうかという、それは。
「ドラ……ゴン」
飛竜。
ファンタジー世界の王と謳われる存在が、秋人の目の前にその姿を現した。
同時に、秋人は悟る。
決してこの世界が、秋人が期待するような都合のいい世界ではないことを。
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