第8話 決着 ―farewell―
ニックから一本取られたあと、短い休憩時間が与えられた。
理由は簡単。
秋人がとてもではないが、戦える状態ではなくなってしまったからだ。
身体が震え立ち上がることすらままならなくなったので、アリアが休憩を申し出たことにより体勢を整える時間を得た。
アリアの肩を借りて控え室に戻った秋人は、自分が体験したことを未だに理解できないでいた。
ニックの動きを目で追えず、気づけば一本取られていた。
これがもし実戦なら秋人は胴体を串刺しにされ死んでいたかもしれない。
膝をついて自らを抱くようにしていなければ、どうにかなってしまいそうだ。
それでも死の恐怖とニックの剣に込められた殺意が精神を支配していく。
怖い。
怖い怖い怖い。
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。
呼吸が乱れ、身体が震え、視界が歪む。
「アキト!しっかりしろ!」
突如、両頬に衝撃。
現実へと引き戻された秋人は、アリアに両頬を叩かれていたことを頬の痛みで思い出す。
果たしてその痛みによるものなのか、別の何かによるものなのかわからないが、秋人は自らの目からボロボロと涙が溢れていることに気づいた。
必死に涙を拭うが、その度に視界は濁る。
止まらない。
涙と、身体の震えが止まらない。
「アキト、落ち着くんだ。
まだ負けたわけじゃない。好機はある」
「で、でも、お、俺は……
俺は、いま、もう……!」
言葉がうまく繋がらない。
紡ごうとする言葉と感情の順番が滅茶苦茶になって、ただただ意味のわからない言葉を繰り返すだけ。
アリアがそれを笑いもせず、頷く。
「あぁ、わかる。わかるさ」と。
秋人の肩を支え、何度も何度も頷いた。
やがてアリアのおかげもあって秋人は落ち着きを取り戻していく。
呼吸を整え、自らを律するように握りこぶしで太ももを叩いた。
筋肉痛の痛みがツンと走り、秋人は自らを取り戻した。
「す、すいません……
何か、怖くなっちゃって……
情けないです」
「そんなことはない。
アキトは今、初めて完全な殺意を知ったのだ。
それが正常なんだ」
アリアは泣いた秋人を攻めることなく肯定した。
ニックが剣に込める殺意は本物である。
なぜこれほどまでの殺意を込めることができるのか秋人にはわからない。
しかし、相手がそれを向けてくるなら生きるために立ち向かわなければならないのだ。
あの時のニックを思い出すと、今でも身体は身震いする。
鎧越しなのにもかかわらず、鎧の下にある生身にも大きなダメージを受けていた。
少し身体を捻るだけで痛みが走る。
骨が折れているのではないかと思うほどの痛みだ。
だが。
「……勝ちます。
もう、負けたくないです」
口から放たれた言葉は勝利を望んでいた。
「……策はあるのか?」
「……ない、わけではないです。
やってみなければ、わかりません」
言葉とともに自らを奮い立たせ、立ち上がる。
アリアもまた立ち上がり、秋人の目を見て一度頷くと穏やかな表情で微笑んだ。
ニックが見せる嗤いではない。
信じるというのだ。
ついこの前まで素人であった秋人を。
「意外と熱血なんだな、アキトは」
「そうかも、しれません。
今は、ただ、勝ちたいです」
「あぁ、勝ってこい。
お前は勝てる、なにせ私が剣を教えたのだ。
ニックに劣るものか」
秋人が再びコロシアムへ続く廊下を向くと、勢いよく背中を押され、足が前へ踏み出される。
微笑むアリアを背に一歩、また一歩と進んでいく。
恐怖で止まることなく、勝利を見据えて。
コロシアムに戻ると、中央で暇そうにしているニックが見えた。
同時に観覧席から野次が飛ぶ。
多数の声が入り混じりひとりひとりが何を言っているかはわからない。
その多くは秋人を罵るものだろう。
しかし、それが何だというのか。
秋人が見ているのは目の前の敵、ニックだけだ。
「早かったな。
てっきり諦めると思ったが……
まだやられ足りないようだな」
「言っただろ。
絶対勝つって」
ニックは秋人の言葉が気に入らないというように嗤う。
ここまで舐めきられて、悔しくない男がいるだろうか。
否、ここにはいない。
「カゼミヤ、続行して大丈夫か?」
先の様子を見ていた審判が秋人に確認をとる。
秋人は無言で頷くと、審判は持っていた黄色の剣で今一度不正がないかを確認した。
鎧は確かに黄色く変色する。
「よし、このまま続けるぞ」
審判は言い、コロシアム中央へ向かっていく。
その途中、一度秋人の方へ振り返り一言「がんばれ」と残した。
秋人はまた無言で頷く。
今度は、少し口元が緩んでいたかもしれないが。
確認した審判は今度こそ戻り、ニックと秋人の二人を見た。
「では、模擬戦を続行する!
両者、構え!」
秋人は剣を構える。
同時にニックも構える。
両者とも構えは変わらない。
「試合……はじめ!」
声が聞こえた瞬間、秋人は右方へ駆ける。
ニックはそれに合わせ秋人と平行を保ちつつ踏み込んだ。
秋人が見える速度。
それなら対処はできる。
秋人は身体にブレーキをかけ、今度は前方へ大きく踏み込んだ。
ニックへ向かうように。
さすがにこの行動にニックは驚き、秋人と同じようにブレーキをかける。
そしてすかさず剣を振るった。
思いもしない行動で繰り出された剣は、速度も威力も完全ではない。
秋人は剣でニックに突きを繰り出し、ニックはそれを払うかたちになる。
もう一度、突く。
また払われる。
まだ、突く。
払われる。
突く、払われる、突く、払われる。
繰り返すうちに剣が払われるスピードのほうが速くなってしまう。
押される前に退く。
秋人は突きを繰り出すフリをして左へステップを踏んだ。
ニックの剣はすでに突きの対処をしようと動き始めていたので虚空を斬った。
フェイントに騙されたニックへもう一度、突き。
ニックは身体を捻ってそれを避けると、その場から飛び退いて秋人と距離をとる。
これ以上下がれば壁に激突するところまでニック追い込んだ秋人は、再び剣を構え踏み込んだ。
剣を下げ、斜め下からの斬り上げで相手の剣を吹き飛ばす、あるいは篭手へのポイントが取れれば上出来だろう。
完全に体勢を整えられていないニックは、秋人の斬り上げを自らの剣で受ける。
しかし、秋人の攻撃の方が威力は上。
青い剣は空を舞い、秋人の後方へ落ちた。
「武器を失ったら、さすがに厳しいだろ!」
攻めの手を休めることなく、秋人は次々と攻撃を繰り出して行く。
武器を失ったニックは攻撃を避けることに精一杯になり、自ら攻めることができなくなっていた。
「くっ……調子に乗るな!」
ニックの脚に力が込められる。
瞬間、秋人の目前にあった肉体は姿を消した。
秋人が目で追えないほどの超スピードでの移動。
先ほど一本取られたのは、この直後だ。
でも、今度は同じ過ちを犯さない。
秋人がニックを壁際に追いやったのは理由がある。
一つ目は、ニックが動くことのできるコースを制限すること。
少なからず後ろに下がることはないし、武器を失った今秋人の方へ向かってくる確立も少ない。
そうなれば右か、左かの二択。
いくらステルスのようなレベルで姿を捉えられなくても、コースさえ誘導できれば勝利の可能性は上がる。
二つ目は、観覧席のアリアが近いことだ。
少し卑怯な手かもしれないが、秋人に追えないニックの姿をアリアは追えている。
アリアの視線からニックがどの位置に動くかをある程度予想し、攻撃する。
そのために壁際へ追い込んだ。
ニックの姿が消えた瞬間、観覧席を見る。
アリアは既に控室から戻ってきていたようで、先と同じ場所で戦いを見ていた。
やはりニックの姿を完全に捉えている。
視線の動きは、左。
瞬時に剣を振るう。
剣には鎧を擦ったような感覚が残ったが、決定打をは言えない。
次は、身体を捻ったのかまた左だ。
先ほどより早く剣を振るうと、鎧を擦る感覚は強くなった。
このスピードなら、あと少しでとどく。
ニックも焦っているのか動きが雑になっているようで、再び距離をとるため下がった。
これは追わない。踏み込みを回し蹴りか何かで捉えられると形成が逆転する。
次の一手は、少し早い。
左斜め、そして、秋人へ向かっている。
隙を生むために格闘技で攻めるつもりか。
なら。
「ここだ!!」
身体を捻り渾身の突きを繰り出す。
自らの腕にまで届く衝撃、これが手応えだ。
見ればニックの胴体へと剣は放たれており、鎧に彩られた赤色の面積が攻撃の強さを物語っている。
クリーンヒット。
ほぼ全力の一撃と、こちらへ向かう超スピードが攻撃の威力を跳ね上げたのだ。
ニックは吹き飛び、地面へ背を落とした。
「一本! カゼミヤアキト!」
審判の声が響くと同時に歓声が湧く。
先ほどまで秋人を罵っていただろう連中を含め、大勢の人が立ち上がっていた。
観覧席の人の数はいつしか増え、開始の倍ほどの人でコロシアムは賑わっている。
ふとアリアの方を見ると、小さくガッツポーズをとっているのが見えた。
秋人は確かに一本を取ったのだ。
すると、視界の端で立ち上がったニックが「くそっ!」と地面を蹴りつけるのが見える。
その後、秋人へ向き直ると先ほどとは比べられないほどの殺意が秋人の全身を撫でた。
「いい気になるなよ、雑魚が……!」
「……いよいよ本性を現したって感じだな。
アリアさんの前だけイイ顔してるからそうなるんだ」
今度は秋人がニックを煽る。
決して殺意に負けず、喰らい付くために。
身体は素直であちこち震えているが、勝たなければならないのだ。
それがアリアとの約束。
アリアから受けた剣の強さを証明するために。
アリアを裏切らないために。
信じるのだ。
アリアを。
剣を。
鎧を。
心を。
「両者、再び中央へ!」
審判の言葉を聞き、コロシアムの中央へ歩みを進める。
先ほど吹き飛ばした青い剣をニックは拾い上げ、軽く振り回した。
そして今度は構えを逆にする。
今までは右手で剣を持っていた。
しかし、今、彼の剣は左手に握られている。
攻撃がどこから繰り出されるかわからない状態のほうが有利だと秋人は思ったが、すぐにその考えを撤回した。
剣が敵に近い。
バランスよく攻める構えから、攻撃を重視する構えに変えたのだ。
今までよりもさらに攻撃は激しくなるだろう。
「両者、構え!
……試合、はじめ!」
今度のニックはどう動く?
秋人が考えるよりも先にニックは動いていた。
すでに、その姿が捉えられない。
今までいた場所にはおらず、アリアさえその動きを追うのに必死なほどの超スピード。
アリアが遅れているなら、その先を予測する。
秋人はアリアが見た方向のさらに先へ剣を振るった。
しかし。
「どこを見ている?」
後方からの声。
振り向こうと無理に身体を動かすと、脚が縺れてその場に倒れた。
だがそれが幸いし、秋人の真上へ青の一閃。
一瞬でも倒れるのが遅ければ、もう負けていた。
だが今はそれすら考える
考えるよりも先に動いて、攻撃を避ける。
体勢を整えることなどできないほど激しい攻撃の連続に、秋人の体力は次第に削られていく。
徐々に避けきれなくなり、ニックの剣が鎧や篭手を掠るようになる。
攻撃の一瞬だけニックの姿が見えるのだが、それ以外はまったく見えない。
闇雲に剣を振るってもニックを捉えることはできず、その隙を突かれる始末だ。
どうする。
どうしたらいい。
自分で考えて動く隙が、ない。
相手に動かされているのだ。
即ち、これは。
「ニックに、誘導されてるのか……!
完全に攻撃を避けれない場所に……!」
秋人の身体はいつしかニックにコントロールされており、もはや自分の意思通りには動いていないのだ。
やがて秋人の体力が底を突いた時、秋人の持つ剣が吹き飛ばされる。
コロシアムの中央近くまで飛んだ赤い剣と秋人の距離が、ニックと秋人の実力の差を表しているように感じた。
ついに秋人は壁際に追い詰められてしまい、逃げる場所が限られてしまう。
右か、左かの二択。
秋人は体力の限界を削り、一か八か右方向へ踏み込んだ。
しかし、踏み込んだその先には、青。
気づけば秋人の喉元に剣が突きつけられている。
視線を剣に這わせていくと、嘲笑するニックへとたどりついた。
右へ踏み込んでも、左へ踏み込んでもまた同じようにニックは秋人を捉えるだろう。
どうする。
どうしたらいい。
しゃがむ?
しゃがんだ後は?
いっそのこと倒れこむ?
さらに後がなくなる。
闇雲に動く?
むしろ隙を生むだけだ。
尽くせる手は?
もう、ないのか。
「終わりだ」
ニックの剣が、凄まじい速さで秋人の胴体へ向かう。
狙われている場所は、先ほどニックが秋人によって一本を取られた場所と同じ。
ニックは自らが一本取られたのと同じ状況を生み出していた。
剣を弾き飛ばし、壁際に追い込み、逃げ場を削る。
ニックのように超スピードで動けない秋人は、それでもう十分に敗北の条件を満たすことになる。
負けたくない。
勝ちたい。
そう秋人が願った瞬間、一筋の光が見えた。
あの時、初めてアリアに勝利した時と同じ光。
そうだ、まだ、負けていない。
秋人は一か八か、前方へ飛び込むように転がった。
それが功を奏し、奇跡的にニックの一撃を避ける。
しかし、喜んでいる暇はない。
驚くニックを後方に置いたまま走り、吹き飛ばされた赤い剣を目指す。
殺気は消えていない。
すぐ後ろには奴がいる。
でも、まだ振り向くな。
殺気に追いつかれる寸前、秋人の手に剣の感触が戻る。
同時に、振り向いた。
目前に剣。
それは確かに秋人を捉えている。
だが、光はまだ消えていない。
光が繋ぐのはニックの篭手。
剣を振るうと、ニックの持つ青い剣と秋人の持つ赤い剣が不規則にぶつかり、旋律を奏でた。
導かれる先に、勝利がある。
本当にギリギリの、レベルの低いカウンターだと秋人自身思う。
でも、何としてでもアリアとの勝負で掴んだ必殺で、ニックに勝ちたい。
剣は、とどくはずだ。
「いっけぇぇぇええええ!!!」
目の前のニックの、さらにその先へと剣を放つ。
いつしか旋律は途切れ、互いの剣が標的へと向かっていた。
そして
大気を揺らすような衝撃がコロシアムに走る。
秋人とニック、どちらかの剣が敵を捉えた。
決着だ。
静寂が場を支配し、勝者を語る審判の声を誰もが待ち望んでいる。
静寂を破壊するように呼ばれたその名は。
「……一本! ニック=マルケット、二本先取!
よってこの模擬戦、勝者はニック=マルケットとする!」
今日一番の歓声が上がる。
しかし、秋人にその声は届かない。
赤の剣は、ニックを捉えられなかった。
青の剣が秋人の篭手へと斬撃を与えたことにより、僅かながらカウンターを打ち込む場所がズレた。
完璧なタイミング、完璧な動きだったはずなのに。
呆然と立ち尽くす秋人へニックが答えを紡ぐ。
「この俺が、何年アリア様の傍にいると思っている……
アリア様の剣は、俺が一番この目で見ているのだ。
アリア様が教える剣技についても同じだ。
付け焼刃であるお前の剣が、とどくはずがないだろう」
その言葉は決して秋人をあざ笑うものではない。
ただひとつの答えだ。
あの時ニックが言った言葉は本当で、本物だった。
「もっとも、あと一秒でも剣を振るのが遅れていれば結果は変わったがな。
お前の動きを見てから攻撃を放つ場所を変えた。
寸前で、な」
ニックはそう言うとコロシアムの中央へ戻って行く。
秋人も中央へ戻り、ニックと固く握手を交わす。
それはまるで、ニックから約束を忘れるなと言われてるような気がして心がざわついた。
観覧席にいるアリアの表情も渋い。
ふと観覧席の端で見たことがある赤髪が揺れたような気がしたが、秋人が向くとそこには誰もいなかった。
秋人が見た幻なのか、それとも。
いや、今はそれすら。
どうでもいい。
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