第7話 死闘 ―Battle of Knight―
二番星 太陽の一。
ついに訪れたこの日は、ニックと秋人が模擬戦を行う約束の日であった。
アリアとの修行は、昨日終えた。
戦績は百二敗一勝。
結局、アリアに勝つことができたのは一度だけだった。
光のようなものが見える感覚も、あの
アリアから基本はある程度覚えたというお墨付きの言葉をもらったが、マスターしたわけではない。
判断力もまだまだ未熟だ。
その状態であのニックに勝つことができるのだろうか。
秋人は不安と緊張で昨晩はなかなか寝付くことができなかった。
なら仕方ないと素振りや軸合わせ、横振り、突き、斬り上げの復習を行う。
結果、疲労により眠ることが出来たわけなのだが……
「やっちまった……
俺は馬鹿なのか……」
目覚めた瞬間から懐かしいあの感覚。
身体の重みと筋肉を走り抜ける痛み。
間違いない。
「筋肉痛に、なっちまった……」
まさか寝る前に行った復習がこのような結果をもたらすとは思ってもいなかった。
というのも、最近の秋人は筋肉痛になることが少なくなっていた。
内周、外周、筋力トレ、実践練習。
すべて行ってもある程度平気なレベルにまで達していたので、ある意味調子に乗っていたというのが事実だろう。
幸い、動くことが無理なほどに身体が痛むわけではなかったので、ゆっくりとベッドから起き上がり宿舎のエントランスに向かった。
そこにはすでに秋人を待つアリアがおり、いつになくぎこちない動きの秋人を見て頭を抱えた。
アリアと宿舎のメイドさんが完璧な栄養補助と休息を与えていてくれたことを知ったのは、筋肉痛の旨をアリアに伝えた時のことだった。
アリアは最初こそ怒ったものの、すぐにそれを鎮める。
「……まぁ、仕方あるまい。
本番の前に気合が入りすぎることはよくあることだ。
次は気をつけろ」
果たしてアリアが言う「次」があるのかどうかはわからないが、秋人は頷く。
それを見たアリアは「なら、よしだ」と笑い、宿舎のメイドを呼びつけた。
すぐに一人のメイドがやってきて、なにやらアリアの指示を受けている。
時折二人が秋人の方を見るので、少しドキリとしてしまう。
まるで、担任や親に怒られるときのような、ドキリだ。
しばらく二人は話し合っていたが、それが終わるとメイドが秋人の方へやってくる。
すると、右手を廊下へと向け、そして笑った。
「カゼミヤ様のお部屋で、軽いマッサージと応急の処置を致します。
私は準備をしてからカゼミヤ様のお部屋に向かいますので、先にお部屋の方でお待ちになってください」
メイドはそう言い残し、急ぎ足でどこかへ向かっていった。
一瞬アリアの方を見つめると、アリアはただ笑い、頷くだけ。
なぜかつられて秋人も笑うが、少しぎこちない。
苦笑いのようになってしまったが、メイドに言われたように部屋へ向かった。
太陽が一番高い場所に位置した時。
ウォレスタ城の近くに設立された競技用コロシアムで模擬戦は行われる。
今回の試合は正式な競技ではないため、模擬戦を観覧できるのは騎士に限られた。
最大三万人の人々が収容できる大規模なコロシアムに訪れた騎士たちは数十人ほどしかいない。
暇を持て余した騎士、面白そうだとやってきた騎士、アリアのような上級に位置する騎士も数人見受けられる。
それもそうだろう。上級騎士の一人であるアリアが直々に修行した人間と、上級騎士ニックの戦いだ。
もしかすれば番狂わせがあるやも知れないと思う騎士もいる。
模擬戦が始まる前から野次が飛ぶコロシアムの控え室で、秋人はひとつ大きな深呼吸をした。
そして、脚、胴体、篭手、頭の順に防具を装備する。
アリアとの実践練習のようにてきぱきと装備するのではなく、一つ一つの防具に語りかけ、信頼するように。
最後に、赤い剣を持つ。
実践練習では青い剣を持つ秋人だが、今回は赤い剣を持つことになった。
剣を見ると、アリアが今まで使っていたイメージが強いためかその姿が脳裏に過ぎる。
同時に、アリアが近くに居るような気がして少しだけ勇気が湧いた。
メイドのマッサージと氷水による冷却で身体の具合もかなりいい。
これならイケる。
そう思った瞬間、騎士の一人が控え室のドアを叩いた。
時間だ。
秋人は自分を奮い立たせるようにまた深呼吸をする。
そして「よし!」という掛け声とともに笑った。
控え室から廊下を歩き、光射す方へ向かう。
秋人がその姿をコロシアム上に現すと、観覧席から歓声が飛んだ。
その数は決して多いわけではない。
激励、煽り、怒声に似たものもある。
秋人はそれをひとつひとつ受け止め、コロシアム中央に立った。
ちょうど反対側にはアリアが座ってこちらを見ている。
秋人はアリアに向かって軽く頷くと、アリアもまた頷き返した。
やがて、反対側の廊下から歩いてくる影が見える。
その歩みは遅く、一歩一歩しっかりと地を踏みしめるようにして秋人へ向かってくるそれは、対戦相手であるニックその人だ。
秋人の二倍ほどの時間を使ってコロシアムの中央までやってきたニックは、秋人を見て嘲笑する。
「その様子じゃ、体調は完璧じゃないみたいだな。
自分の身体も管理できない奴に、俺が負けるとでも?」
一瞬で秋人の筋肉痛を見抜くニック。
もしかしたら適当に言ったのかもしれないが、おそらくそうではない。
ニックは秋人を見たとき、腕、脚の順に視線を動かした。
その部位は確かに秋人が筋肉痛で痛みが走る場所。
まだ剣を合わせてすらいないのに、秋人のすべてを見透かすような感じだ。
たった一ヶ月。
できることはあらかた予想済みというわけだ。
「調子乗って痛い目みても知らないからな。
俺は今日、絶対お前に勝つ」
「おお、怖い怖い」と肩をすくめるニックだが、溢れ出る余裕さは隠し切れない。
しかし、ここで相手の挑発に乗ればニックの思う壺だ。
ペースを取られてはいけない。
あくまでも自分のペースを維持するのだ。
「両者、準備は整っているな?」
審判であろう騎士が、秋人とニックを交互に見て言う。
秋人はそれに頷くが、ニックは当たり前だというようにして何も反応しない。
コロシアム中央の二人の間では、既に戦いが始まっいると言っても過言ではないだろう。
様子を察した審判は赤でも青でもない黄色の剣を懐から抜いた。
それで一度ずつ二人を軽く切りつけると、二人の鎧は確かに黄色く変色し、不正がないことを証明する。
その結果を見た審判は少し離れ、こちらへ向き直った。
「これより、ニック=マルケットとカゼミヤアキトによる模擬戦を行う!
形式は二本先取、不正が確認できた場合その場で失格とする。
両者、構え!」
審判の言葉とともに剣を構える。
秋人はアリアから習ったスタンダードな構え。
ニックはアリアが言ったように身体を横向きにし、剣を脚で隠すような構えだ。
実際目の前にしてみると、本当に剣が見えない。
繰り出される攻撃に対しすばやい判断が求められるだろう。
「試合……はじめ!」
掛け声の瞬間、秋人の目前に青の一閃。
思わず飛び退くと、今まで秋人の立っていた場所をニックが切り裂いた。
ギリギリで避けることができた秋人の目に映るニックは不適な笑みを浮かべている。
まさか。
ぐっと脚に力を込めてニックが駆ける。
いや、踏み込んだというのだろうか。
どちらにせよ早すぎて見えなかった。
先ほどまで二人分の空白があった距離を、わずか一瞬で詰められる。
同時に、高速の突き。
胴体ではなく頭部を狙った一撃。
獲物に対する殺意が込められたそれは、秋人の頬横をすり抜けた。
頬を掠ったのか鋭い痛みとともに液体が流れる感覚がする。
液体は頬を伝い、そして顎を伝い、雫となってコロシアムの地面に紅を彩った。
ニックは攻めの手を緩めない。
突きが避けられたあと、秋人の体勢がまだ整っていないうちを狙い右脚で回し蹴りを繰り出す。
秋人はそれを避けきれず腹部に強烈な一撃を受けて地面を転がった。
すぐに立ち上がるがやはり目前にはニックの姿。
身体を無理やり動かし右方向へ飛び込む。
ニックが放った突きはコロシアムの地面へと打ち込まれた。
飛び込んだ先で何とか体勢を整えニックに向くと、ニックは試合が始まった時と同じ構えで立っていた。
試合開始からまだ数分。
すでに秋人の息は上がりかけている。
強い。
それも、かなり。
アリアの剣は、ニックとは違い殺意を孕んでいなかった。
今までわからなかったが、やはりアリアは手を緩めていたのだ。
ニックの剣は、本気で秋人を殺すつもりで向けられている。
何の躊躇いもない、戦場において必要とされる冷酷さ。
彼はあくまで模擬戦であるこの戦いにおいてもそれを捨てることはしない。
だから、強い。
「……逃げ足だけは速いな。
俺にも仕事がある、手早く終わらせるぞ」
瞬間、ニックの姿が消えた。
もちろん本当に消えたわけではない。
そう錯覚するほどのスピードで秋人の視界から逃れた。
人間がこんな動き可能なのか。
映画やアニメじゃないんだ、そんなことありえない。
しかし、そのありえないことが事実、目の前で起こっている。
上、左、右、後ろ。
どこを見てもニックは捉えられない。
ふと観覧席のアリアを見る。
アリアはニックを捉えているのか、視線が動いているように見える。
しかし、ここからでは遠くてその視線の動きは追えない。
とりあえずその場を離れようと脚を動かした瞬間、左方に凶悪な殺意を覚えた。
背筋が凍るような、身も竦む殺意。
秋人の身体は怯えたように動かなくなり、はっとした瞬間には鎧が左方からの突きにより青く染められていた。
「一本! ニック=マルケット一本先取!」
審判の声とともに観覧席からの声が湧く。
反応すらできないままに一本を先に奪われてしまった。
ニックから攻撃を受けた部位が鈍く痛み、片膝をついた秋人。
それを煽るかのようにニックが歩み寄り、秋人の顔を見て嗤った。
「その程度なら、次は五秒で決着がつくぞ。
もっと楽しませてくれよ。
でないと、アリア様が直々に修行をしてくれた意味がないだろう?」
笑いながらコロシアムの中央へ戻っていくニックに、秋人は何も言えなかった。
あと一本、それで終わり。
恐怖にも似た感覚に支配され、身体が震える。
剣が手から離れ金属音を奏でた。
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