第6話 Reverse
アリアと修行を初めてから、約二週間が経った。
身体も運動に慣れてきて、走り込みや基本的な筋力稽古での筋肉痛は軽くなっている。
運動に支障がないレベルの筋肉痛なので、筋肉痛の場所に応じて稽古を変更。筋肉に負担をかけすぎないようにというアリアの配慮だ。
稽古場の裏で修行をしていると、たまにニックが煽りに訪れる。
しかも、アリアがいないタイミングを狙ってだ。
秋人は最初こそニックの煽りに怒りを露わにしていたが、最近では怒りを悔しさに変え、「今に見ていろ」と自らのエネルギーの一部にしている。
アリアの修行により精神と肉体、どちらも成長している。
しかし、まだ武器を使った実践練習はしていない。
赤髪金眼の女性にもあの日以来会えていないし、異世界での生活は順調ではあるものの、どこかもどかしさを覚えている。
この日も秋人はいつものように走り込み終えた。
街の中と外を一周ずつ。それなりに疲れはするが、休憩時間でそれも落ち着く。
秋人が走り込みの疲れを広場で癒していると、アリアが秋人の近くへ寄ってきた。
「お疲れ、アキト。
そろそろ実践練習も加えていこうと思うんだが、大丈夫か?」
「お疲れさまです。
はい、大丈夫です! いけます!」
迷いなど感じられないほどの速度。
待ってましたと言わんばかりに答える秋人にアリアは「期待しているぞ」と短い返事をすると、稽古場の方へと向かっていった。
秋人もしばらく休んだあと稽古場へと向かう。
すると、先に稽古場の使用権を得ていたアリアが秋人を待っていた。
足下には真っ白な防具が二組と、青い剣と赤い剣がそれぞれ置いてある。
「来たな、アキト。
まだ模擬戦の規則を説明をしてなかったから、先に教えておく」
アリアは足下の赤い剣と白い防具を持ち上げる。
そのまま赤い剣で白い防具を攻撃すると、攻撃を受けた場所が赤く変色した。
「このように、剣で攻撃すると防具が変色する。
変色した部分が致命傷と判断されたら一本。
今回は模擬戦だから二本先取だ」
「無論、剣での攻撃以外で鎧は変色しない」と付け加えるアリア。
模擬戦のルールは思っていた以上に単純だ。
秋人は記憶にしっかりと刻み込む。
変色した部位が致命傷と見なされれば一本ということなので、細かな変色は一本とみなされないようだ。
模擬戦といえど実戦を想定しているため、戦闘続行不可能レベルの攻撃が一本として判定されている。
秋人はアリアから剣と防具を受け取り、早速装備してみる。
防具は頭、胴体、篭手、脚のパーツに分かれており、思ったより軽く、それでいて丈夫だ。
頭を守る防具はヘッドギアのような形で、胴体は鎧のような形状をしている。
先ほど赤く変色した部分は色が薄くなっており、時間の経過で色が消える仕組みになっているようだ。
剣も防具と同じように軽い。
ある程度の重さはあるものの、秋人が取り回しに不便さを感じない程度だ。
逆に考えれば、鍛え抜かれたニックにとっては武器と思えないほどの軽さということだ。秋人よりも扱いには長けているだろう。
まずは武器の使い方と基本動作、そして応用。
模擬戦までにどれくらいマスターできるかわからないが、それでも秋人は全力を尽くそうと考えている。
「そういえば、模擬戦まであとどれくらいなんですか?」
「そうだな、今が一番星、山の四……
試合の日は二番星、太陽の一だから、あと七日くらいだ」
秋人はまだこの世界の暦を理解していない。
大まかに一番星、二番星、一番月、二番月と四つ区切りで分かれているのはわかるのだが、細かい部分までは聞いていないし調べてもいない。
そのため模擬戦までの日数計算もできずにいたのだが、あとわずか七日で模擬戦と考えると時間がないなんてものではない。
一分一秒も惜しい、そんなレベルだ。
「そ、そんなに時間ないんですか……?
大丈夫なんですかね、俺……」
「秋人次第だ。
実践練習でどれだけ吸収できるか……期待しているぞ?」
秋人はもう一組の防具と、青い剣を装備する。
アリアは剣を構えると、軽く一振りして感覚を確かめてからもう一度振る。
何度か素振りをして完全に感覚を掴んだのか、秋人に向き直ると剣の構えを真似するように指示する。
剣先を相手の目、場合によっては喉元に向けるように構える。
柄の部分を握るとき、利き手が鍔に近くなるようにするのが基本だ。
「ニックはこのように構えてはこないだろう。
身体を横向きにして、剣を脚で隠すようにしてくるはずだ。
剣が見えないから相手が攻め倦ねるし、ニックは手が早い。
防御も攻撃も一瞬だ」
アリアの言葉を聞き、ドラゴンと戦闘していたニックを思い出す。
あの時のニックの役割もスピードを必要とするものだった。
敵の隙を発見、瞬時に判断、行動する。
時に攻め、時に守りを相手の動きで切り替えることができる戦士、それがニックだ。
「もちろん、何度も言った通りまともに戦えば勝ち目はない。
だが、アキトの隙を見つけて攻撃してきたニックにカウンターを打ち込むことができれば引き分け。
運が良ければ勝つことさえできる」
アリアの秘策。
相手の攻撃に合わせて、こちらも攻撃を叩き込む。
何も考えずに攻撃するのではなく、絶好のタイミングで。
隙を突いた攻撃の隙を突く。
これが対ニック戦での必殺と成り得るのだ。
基本的な動きができなければ難しいだろうが、これを成さなければ勝ち目はないと言ってもいい。
模擬戦までの七日間で基本的な動きとカウンターを会得するのが勝利への一歩だ。
「まぁ、その前に基本からだな。
素振りから始めるぞ、アキト」
そしてアリアはまた剣を構える。
秋人も先の感覚を思いだし剣を構える。
構えを維持したまま、剣を頭上へ持って行き、そして振り下ろす。
剣身がブレないように、構えも崩れないように、振り下ろす。
単純な動きだが、それ故に難しい。
何度か動きを繰り返すうちにコツを掴んでいくが、少しでも気を抜くと剣身がブレてしまう。
この動きが自然とできるようにならなければ、実践や実戦で使い物にならないとアリアは言う。
結局この日一日は素振りと相手への軸合わせだけで実践練習は終了した。
実践と言えるのかといえばそうではないのだが、ただ筋力稽古をしてるよりも身になっているような感覚を秋人は覚えるのであった。
稽古場での実践練習二日目。
今日も素振りと軸合わせ。
昨日と違う部分を挙げるとすれば、縦振りだけではなく、横振りを交えた素振りであったことだ。
アリア曰く、剣を横に振るということは形式上まずありえない。
しかし、模擬戦や実戦となれば話は別。
縦、横、斜め。
様々な方向へ剣を振ることが考えられる。
斬り上げや突きなどの特殊動作も必要になってくるが、武器種によって異なる精度が必要なのだ。
技の練度を高めることは短い期間では難しい。
模擬戦や実戦を通して成長する部分もあるので、秋人にはあくまで基本と秘策であるカウンターだけを教えると言う。
「実際に動いてみるとやっぱり難しいですね……
こう、剣が自分の意志通りに動いてくれないっていうか……」
「そうだろう。
感覚を掴みきれていないだけでなく、まだ信頼関係もないからな」
アリアの「信頼関係」という言葉に秋人は疑問を覚えた。
信頼関係というものは基本、人が人、または動物などに対して成立するものだと思っていたからだ。
それを無機物である剣に対して向けるというのはなかなか難しい。
秋人の疑問を察したのか、アリアは微笑し、そして語った。
「剣や鎧、盾などは己の命を預けるものだ。
特に剣は、時に相手の命を奪うもの。
防具に対しては、自らを守ってくれるという信頼。
武器に対しては、相手を倒すことができるという信頼。
こちらが信頼を寄せることで、武器や防具はその性能を存分に発揮してくれる」
アリアは、「まぁ、要は思いこみだ」と付け加えたが、アリア自身が思いこみで武器を振るい、防具を纏っているわけではないと秋人は思った。
ドラゴンとの戦闘時、ブレス攻撃の予備動作中に飛び出していったのはこの信頼関係があってこそのもの。
武器への信頼、防具への信頼。
これもまたニックとの戦いにおいて重要になるのかもしれない。
「さぁ、続きだ。
剣を構えろ、素振りからいくぞ」
秋人は「はい!」という返事とともに剣を構えた。
今日からはアリアの語った信頼を意識してみようと心に決めて。
稽古場での実践練習四日目。
ようやく本当の「実践練習」をすることになった。
アリアと模擬戦と同じルールで手合わせを行う。
素振りと軸合わせはまだ完璧ではない。しかし時間がないのも事実。
秋人はアリアとの修行が終わったあとも素振りや軸合わせの復習をしていた。
それでもまだ、いや、まだまだ完璧とはほど遠い。
アリアとの手合わせでコツを掴めるといいのだが。
それから約数時間後。
アリアとの手合わせでコツを掴めればいいと考えていた自分が憎い。
結果から言えば、合計三十回にも及ぶ手合わせで秋人は一度もアリアの鎧に触れることができなかった。
地面に片膝をつき、荒い呼吸を無理矢理整える。
顔を上げるとそこには絶対強者の姿が写し出される。
アリアは手加減しているのかそうでないのかわからないほどに攻めてきた。
基本動作である縦振りだけでなく、突きや斬り上げも駆使し秋人を地に侍らせる。
その度に立ち上がり、剣を構え、視線の先の絶対へと向かうもそれから放たれる攻撃に何度も土を舐めた。
こちらから攻めることはできず、剣の刀身で受け止めたり受け流すことで精一杯だ。
恐ろしいほどまでの力の差。
わかっていたはずだ。
それなのに。
一度も刃を突き立てることができないことが悔しいのだ。
三十回目の手合わせが終わり、アリアは今日の修行は終わりだと告げる。
しかし、秋人はこれで終わりたいと思えなかった。
最後に、もう一度だけ。
「アリア、さん。
もう一度……もう一度だけ、お願いします」
呼吸は乱れているし、身体も重い。
精神だけが、身体を動かしている。
その様子をみたアリアは一度何か言いかけたが、やめた。
「……わかった、これが最後だ。
剣を構えろ、好機を無駄にするな」
秋人はアリアの声とともにゆっくりと立ち上がり、剣を構える。
「ふぅ」と一息吐くと自然とそれが手合わせ開始の合図となった。
瞬間から繰り出される、突き。
秋人がまだちゃんと習っていない特殊動作だ。
先ほどまでの構えから打ち出されたとは思えない速度と威力。
秋人はそれを剣で横から払い除けた。
同時に、秋人の胴を遮っていた剣が消える。
払い除けられたアリアの剣は、まるで意志を持った生き物のように動く。
突きは斬り上げへと変化し、秋人の胴を下部から切り裂いた。
しかし、秋人はそれを寸前で回避。
身体を捻り、剣を斜め右下へ構える。
斬り上げを斬り上げで制しようというのだ。
だが、放たれる斬撃は目標へと触れることができなかった。
アリアは、自らの斬り上げを放つ際に左足を一歩後ろに下げていた。
本来なら攻撃が当たる位置に、アリアの半身が存在しない。
秋人の剣が虚空を切り裂いた瞬間、真横からの斬撃。
それは避けられるものの、ペースは完全にアリアのものになる。
次々と繰り出される攻撃を、秋人は受け止め、受け流し、避けることしかできなくなっていく。
攻撃のチャンスが見当たらない。
次第に体力が削られ、追いつめられていく。
これでは、だめだ。
勝つことができない。
どうやっても無理なのか。
一体どうすれば。
一体どうすれば目の前の相手を倒すことができる?
そうだ、信じるのだ、その鎧を。
そうだ、信じるのだ、その剣を。
そうだ、賭けるのだ、その命を。
ならば
みえる。
秋人の視界に、一筋の光。
いや、光とは形容し難い何かだ。
それが一筋、秋人の持つ剣からすーっと伸びている。
繋がる先は、ほんの僅かなアリアが持つ剣の隙間。
しかし、わかる。
その線が示すルートを剣で辿る。
スルスルと自然に動いた剣は、何の邪魔も入らないまま動きを止めた。
衝撃も、音も、色も、すべてを置き去りにして結果だけが場を支配する。
剣先は確かに、アリアの鎧を捉えておりその鎧を青色に染め上げていた。
時が止まったかのように錯覚するほどの静寂。
一秒、二秒。
ゆっくりと時は刻まれていく。
やがて、秋人が疲労に耐えきれずその場に倒れ込んだことをきっかけに世界は音を取り戻した。
決着だ。
「……やるじゃないか、アキト」
ガランと剣が地面に落ちる音がする。
それは秋人の持つ剣ではなく、アリアの持つ赤い剣であった。
完全に隙を突いた一撃ではない。
だが、秋人の手と目はあの感覚を覚えている。
もう一度感覚を確かめたい。
思うも、身体は限界を迎えているため、立ち上がるどころかアリアに対して何も答えることができなかった。
しかし、歪む視界の端に驚きと、どこか嬉しそうなアリアの顔が見えたのは間違いではないだろう。
三十敗一勝のお世辞にも良いとは言えない成績だが、確かな一歩を踏み出せた気がするのだ。
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