第9話 青年はそして出会う

「短い間ですが、お世話になりました」


 秋人はニックとの模擬戦に敗れた。

約束は守らなければならない。

ニックとの模擬戦を終えたあと、宿舎に戻った秋人は荷物をまとめる作業に取り掛かった。

と言っても、まとめる荷物は多くはない。

宿舎のメイドから、最低限の服と食料を分けてもらったのでしばらくは食いつなげるだろう。

結局その日が、宿舎で過ごす最後の日になった。


 そして、翌日。

秋人はここ出て行く。

見送りにお世話になったメイドや、アリアが来てくれた。

当たり前だが、ニックは来ていない。

アリアはいつも装備している大剣を、今日は装備していない。

代わりに、騎士団の標準装備であろう片手剣を左腰に差している。


「アキト、すまない……

 本当なら私が責任をとるべきだというのに……」


 アリアの表情は浮かない。

勝てると自らで言ったがゆえに責任を感じているのだろう。

しかし、秋人はアリアに非はないと考えている。


「いえ、むしろありがとうございます。

 一ヶ月間修行させてもらった上に、寝泊りする場所と食事まで提供してくれたんですから」


 秋人の言葉にアリアは驚き、何かを口にしようとしたがやめた。

そして、右腰に提げていた皮袋から緑色に光るコインのようなものを取り出すと、秋人に手渡した。


「アリアさん……これは?」


「これは買い物や施設を利用するときに使う通貨だ。

 赤、青、緑、黄色、銀、金の種類があって、赤が一番価値が低い。

 緑貨が二十枚あればしばらく大丈夫だろう」


 アリアから手渡されたのはこの世界の通過だった。

赤貨百枚で青貨一枚の価値、青貨百枚で緑貨一枚の価値……というように、百枚ごとに価値が上がっていく。

ウォレスタで夕食朝食つきの宿をとると、おおよそ緑貨一枚の支払いが求められる。

アリアは今二十枚の緑貨を渡してくれたので、泊まる以外に少しお金を使ってもだいたい十五日は何とかなるだろう。


「いいんですか!?

 こんなに貰ってしまって……」


「詫びのようなものだ。

 このくらいのことしかしてやれないが、また会うときがあればその時はよろしく頼む」


 そう言ってアリアは深く頭を下げた。

上級騎士であるアリアが一般人である秋人に頭を下げるというの本来ならありえないことだ。

上級騎士はその強さを国に認められている。

だから自らの地位に驕る者も多くいるのだ。

例え自分に非があっても、相手が悪くなることだってある。

アリアのようなタイプは上級騎士の中でも珍しい。


「そ、そんな頭を下げないでください……!

 お……僕は自分の実力で負けたんです。

 もっと実力がついたら、また来ます」


 これで終わりではないと言うように秋人は小さくガッツポーズをする。

今は未熟かもしれない。

騎士になるには実力も勇気も、そして志すら足りないだろう。

しかし秋人は諦めてはいない。

ニックや他の騎士に劣らない実力を身につけ、再びこの城を訪れてみせる。

そんな思いが秋人の中で湧き上がっていたのだ。


「……それは、心強いな。

 私は……いや、私たちはいつでもアキトの帰りを待っているぞ」


 アリアの言葉とともに見送りに来ていたメイドたちが頷く。

初めて食事を振舞ってくれたメイドさん、宿舎で迷子になったとき部屋まで案内してくれたメイドさん、ニックとの対決のとき筋肉痛の処置をしてくれたメイドさん、服や食料を提供してくれたメイドさん。

全員の名前すら覚えていないが、この一ヶ月間とてもお世話になった。

そして、自らも騎士という立場にいて、一ヶ月間秋人を修行してくれたアリア。

圧倒的な実力の差を見せつけられた、ニック。

すべての出会いに感謝し、秋人は往く。


「改めて、短い間ですが、お世話になりました。

 また会う日があれば、その時はよろしくお願いします」


 深く頭を下げ、そしてアリアたちに背を向ける。

秋人に合わせメイドたちもお辞儀をするとそのまま秋人が去るのを待った。

アリアは秋人を見つめ、やがて腰に差していた片手剣を引き抜くと空に切っ先を向ける。


「遥か空の同士ともよ!

 今ここに、志高き一人の戦士が生まれた。

 往け!新たな戦士よ!

 この者の往く先に、大いなる武勲あれ!!」


 言葉を背に宿舎を離れる秋人。

足取りは決して軽いものではないが、確かに一歩一歩進んでいく。

またこの場所を訪れることができるようにと、願いながら。


「……そして、叶うなら今ひとたびの休息と、幸を与えたまえ」


 最後にアリアが向けた言葉は、秋人には届かない。

しかし、それでいいのだ。

その言葉は、遥か空の同士に願ったものであるから。




「あー、

 この先どうしよ……」


 先ほどの強い心は何処にという様子で秋人は頭を抱えていた。

北部にあるウォレスタ城から南下し中央通りを通った秋人は、街の中央広場にあるベンチでこの先のことを考えていた。

しばらくはアリアから貰った緑貨二十枚で生活できるだろう。

だが、この先どうなるかわからない以上、無駄遣いは避けたいしできることなら節約したいのだ。

それに緑貨が尽きれば生きていけない。

何とかして通貨を稼ぐ方法も考えなければいけないのが現状である。

ここは商業の街と名高いウォレスタ王都。

名のある商人から、一攫千金を狙う無名の商人まで幅広く存在する。

秋人は商業の勉強などしてこなかったので、商売人として生きていくのは難しいだろう。

なら、この街にいる商人に雇ってもらうのが一番だろうか。

建築関係では事足りても、商業関係ならイケると秋人は思った、

スキルはないが、力仕事を必要とする商人は多いはずだから。

特に女性の商人だと男性の力があるとないとでは全然違うだろう。


「半魔族とかは力も強そうだし、先に雇われてる可能性高いだろうなぁ。

 まぁ、当たってみなきゃ始まらない……か」


 そう思い秋人はベンチから立ち上がり、中央通りから商業区へ向かうことにする。中央通りから商業区へ向かうと、人がとても多い。

知る人は人通りを避けるため別の通りから商業区へ向かったりするのだが、細かい路地が多く迷いやすいのだ。

その上、細い路地には柄の悪い連中が多いのもまた事実。

人の多ささえ我慢すれば柄の悪い連中に狙われることもない。

 「安心、安心」と人波をかぎ分けていると、不意に目の前からやってきた人とぶつかってしまった。


「あ、すいません!

 大丈夫で……すか……って」


 秋人がぶつかった人に謝ろうと向いたとき、唐突にその瞬間はやってきた。

派手な赤い布のスカート。

鎧は装備していないようだが、腰にはレイピアを差している。

金色に煌めく瞳となだらかに揺れる赤髪をもつ女性は、秋人がかつて稽古場裏で見た女性その人だった。


「あ、君は!!」


 思わず叫ぶ。

女性は特別驚く様子もなく、やはりあの時と同じような目をして秋人を見つめていた。

しかし、前とは少しだけ違う。

どこか、視線が深い。

言うならば、初対面の時よりも興味深そうな目をしている……といえばいいのだろうか。

女性は秋人とぶつかった部位を軽く手で払うと、秋人へ向き直り口を開いた。


「……ルナ」


「……え?」


「……エルナ=リーズウェル。

 あたしの名前」


 燃えるような赤い髪とは逆の、冷たい氷柱のような声で彼女は名乗った。

エルナ=リーズウェル。

聞き覚えは、ない。


「あたし、昨日の試合見た。

 最初見たときはボロい護服みたいに寝てたけど、模擬戦の時は少し違った」


「ボ、ボロい護服って……」


 ボロ雑巾に近いニュアンスだろうと秋人は思った。

エルナが言っているのは、最初に秋人を見たあの日。

体力の限界を迎え倒れこんでいたときのことだろう。

確かにあの時、今と比べると体力も筋力も劣っているし、剣技だってろくに習得していない。

剣技に限ってはあまり変わらないかもしれないが。


「一ヶ月でニックとあれだけ戦えれば十分。

 アリアの修行があったにしても、むしろ彼よりセンスあるんじゃない?」


 「まぁ、知らないけど」と付け加えエルナはその場を立ち去ろうとする。

呆然と立ち尽くしそうになるが、はっと我に返り彼女を引き止めた。


「ちょちょちょっとまって! まって!

 俺、君に確かめたいことがあるんだよ!!」


「あたしにはない」


 エルナはそう言うと髪をかきあげ、歩き始めてしまった。

秋人はエルナを見失うまいと追いかけ、あの時確かめたかったことを聞こうとするのだが……

エルナは、異常に歩くのが早かった。

追いつくのが精一杯なほどに。


「……なに?

 しつこいと嫌うわよ。

 あたしはあなたに用事がないの」


「だろうねその様子だと!

 いや、一回でいいから聞いてくれ! たのむ!」


「なぜ?

 あたし、人が嫌いなんだけど」


「さっきと言ってる事微妙にズレてないか!?

 俺を嫌う以前に人間が嫌いって……さらに嫌われるってことか!?」


 瞬間、エルナが足を止めた。

ゆっくりと秋人へ向くと、一言。


「そう」


 ただその一言を言うためにエルナは立ち止まったのだった。

秋人の聞きたいことなど聞かせてくれないままに、またもエルナはその場を去ろうとする。

しかし、それは悲鳴によって食い止められた。


「ま、魔物だあああああああああああああああああ!!

 に、西門から、魔物が! 魔物が入ってきたぞぉおおお!」


 誰かの悲鳴。

それを合図に悲鳴の数はどんどん増えていく。

人々は混乱したように、それでも西門から離れるように逃げる。

気づけば秋人は他の人が向かうのとは逆方向である西門の方へ向かっていた。

エルナもその後ろからついてくるが、どこかやる気はなさそうである。

先ほどまでいた中央広場にたどりつくと、ようやく魔物と呼ばれるものの姿が見えた。


「真っ黒な……人!?」


 人の形をした、黒い何か。

人の脚と、人の腕。しかし人ではない。

一見すれば影のようにもみえるそれは、赤く輝く一つ目を揺らしながら人々を襲っていた。

魔物は何も装備していないもの、剣のような武器を装備したもの、弓のような武器を装備したものなど多様な種類がいる。

秋人よりも前に駆けつけたであろう騎士たちが魔物と戦っているが戦況はよろしくないようだ。

すでに多くの騎士が倒れており、中央広場を突破されウォレスタ城へ攻めたり、民間人の多くいる民間区へ迫るのは時間の問題だろう。


「くそ……!

 ちょっと、借りますよ!」


 秋人は倒れた騎士から胴体を守る鎧と頭部を守る兜、そして攻撃用の片手剣を装備する。あくまで、借りるだけだ。

これは実践ではなく、実戦。

装備している防具も、模擬戦などに使われるものと違いかなり重い。

しかし、それに対して文句を言っている暇などなかった。

少しだけ怯える気持ちを律し立ち上あがると、エルナの声が後方から聞こえた。


「まさかあなた、戦う気?

 ……無理よ、あなたじゃ」


 振り向くと、棒立ちで事を見つめるエルナがいた。

目の前で騎士が戦い、人が襲われているというのに顔色一つ変えていない。

秋人はそれが少しだけ腹立たしく思えた。


「でも、戦わなきゃもっと多くの人が死ぬぞ!

 君は……そうだ、逃げろ!

 今日は防具も装備してないし……

 歩くの早いから、応援を呼んできてくれ!」


「……いやよ、面倒くさい。

 私はここで見てるから。

 いざとなったら逃げるけど」


「はああああああ!?

 お前この事態に何を……

 あー! もういい! わかった!

 そこにいろよな!?」


 話をしている時間が惜しい。

戦闘する前から会話で疲れていては、粘れるものも粘れない。

後方にエルナを置いたまま剣を構えると「よし!」と気合を入れ、同時に踏み込んだ。

その目は、剣を振り上げ一人の騎士の命を奪おうとしている魔物を見据えている。


「うぉぉおおおぉおおぉおおおお!」


 踏み込みの威力を利用した突き。

目の前の獲物に気を取られていた魔物はそれを避けきれず、胸部を貫かれた。

嘆くような断末魔を上げ、魔物は地に伏す。

おそらく、倒したのだ。


「お、お前はニック様と……!」


 秋人が助けた騎士はニックとの模擬戦を観覧席から見ていた一人のようで、秋人の介入に驚いている様子だ。

秋人は顔など覚えていないが、相手にはわかるだろう。

しかし今は、誰がどうとかの問題ではない。


「はやく! 他のやつを!

 俺も手伝いますから!」


「……すまん、頼むぞ!」


 騎士は一瞬言葉を悩んだが、秋人の言うとおり他の魔物へ向かっていった。

秋人は正式な騎士ではないし、実力があるわけではない。

だが、何の訓練も受けていない民間人よりは一ヶ月間だけ、差がある。

それも上級騎士であるアリアの修行を受けているのだ。

ならば少しでも他の騎士たちが応援に来るまで時間を稼ぎをしなければならないだろう。

ざっと見ても百……いや、それ以上の数の魔物がうごめいているのだ。

この数の魔物が民間区や城へ攻めていけば被害はとてつもないものになる。

せめて、少しでも数を減らせたら。

そう思う秋人には、着実に死が迫っていた。

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