第5話 果てなき道

アリアと共にウォレスタの街並みを眺めた次の日、秋人の筋肉痛はかなり回復していた。

まだ万全と言えるレベルではなく、大きく身体を動かすと脹脛やら腹筋やらに痛みが走るが、この程度で修行を休むわけにはいかない。

 早朝、秋人は宿舎を出て、まだ人の少ないウォレスタの中央広場へと向かう。

服は騎士たちが鎧の下に着る護服というインナーのようなものを借りている。

吸水性はわからないが、伸縮自在なのでとても動きやすい。

身体をグイグイ動かしてもピタリと密着し、離れない。

着た時に思わず「おぉ……」と一人で呟いてしまったほどである。

 広場へ着くと、既にアリアはそこに居て秋人の到着を待っていた。

秋人は遅刻しないようにとある程度は早く起きてきたつもりなのだが、どうにもアリアに先を越されてしまったらしい。

と言っても、この世界では時刻というものが明確に決められていない。

太陽の高さで集合時間や始業時間、就業時間を決めているようで、今日もここに集合するのは「太陽が登り始めたころ」としか伝えられていないのだ。

まだこの世界のルールには慣れていないので、これから少しずつ慣れていかなければならない。

秋人の住んでいた現実世界と同じ言葉があったり、逆に無かったりと変に都合が良くて悪い世界なのである。


「おぉ、アキト。

 今日は大丈夫みたいだな、よかった」


 アリアは自らより遅く広場へ来た秋人を責めることはしなかった。

寧ろ、秋人の体調を心配している様子だ。


「はい、おかげさまで。

 まだ少し身体は痛いんですけど、大丈夫です、修行頑張ります!」


「オカゲサマデ……?

 ……まぁ、とにかく大丈夫ならよかった。

 早速修行に取り掛かろう」


 そう言うとアリアはまたも走りこみを指示した。

走りこみにより基礎体力をつけることはしばらく……というかこの一ヶ月ずっと続けていくそうだ。

その後は各筋肉の持久力を高める稽古を行うという。

アリアが言うには、一ヶ月の付け焼き刃の技術でニックに勝つことは難しいが、持久戦に持ち込みカウンターを狙う作戦ならば勝ち筋が見えるらしい。

そのために必要となる体力と持久力から先に身に着けていき、余裕があるなら合間に他の稽古をしていくのがアリアコーチの育成方針だ。

この前は外周半分と少しでダウンしてしまったので、今日はせめて一周はしたい。

秋人は一周することを目標に走りこみを始めた。




「し、死ぬ……

 い、へ、いや……割とマジで……」


 秋人は死にかけていた。

世界を救う前に、そしてニックを倒す前にまず秋人は外周走りこみに慣れねばならぬのだった。

 街を軽く一周し、その後外周の走りこみにとりかかったのだが、予想以上に辛いのである。

この前秋人がダウンした半分をなんとか乗り越え、四分の三あたりに差し掛かった時が一番の地獄だった。

先は見えないし、後戻りも出来ない。体力が限界を訴えるなか身体に鞭を打ち走り続ける。

気絶しないでゴール出来たのが大きな成長にように思えた。


「なんだアキト、もう限界か?

 少し休みをやるから、回復したら次の稽古にとりかかるぞ」


「ふ、はぁ、へぁ、はい……

 わ、わぁ、わかりま、した……」


 返事をするのも精一杯。

というより、返事をする時間さえ呼吸をして息を整えたいという感じだ。

宿舎から持ってきた水も、もう全部飲んでしまっている。

後で汲みに行かなければ。


「こ、これは……地獄だ……」


 秋人は修行中に死ぬ覚悟を決めた。




「今日の修行はここまでにしよう。

 アキト、よくがんばったな」


 長い地獄がようやく終わった。

走りこみの後の稽古は宿舎裏の稽古場のさらに裏で行ったのだが、地面に倒れこむことが多すぎて、寧ろずっと倒れこんでいたいと思うほどにハードなものだった。事実、秋人は今も地面に身体を大の字にして倒れている。

 太陽はかなり沈んでいて、もうしばらくすると夕方といった時間だ。

かなりの時間稽古をしたのではないだろうか。

 各筋肉の持久力をつける稽古という名の腹筋やら背筋やらが本当にしんどい。さらに漬物石くらいの大きさの石を持って、ある程度の高さまで持ち上げた状態を維持するという超過酷な稽古も行った。

身体のみならず、精神的にも負担がかかる。

今日だけで何度「死ぬ」と「無理」を言っただろうか。

あまりに言いすぎて途中からアリアが「その言葉を一回言う事にさらに追加だ」と言い出したからもう止まらない。

悟りを開けるのではないかという段階にまで、たった一日で辿り着くことができた。

そのおかげで今は声を出せないくらいに疲労している。

明日筋肉痛で辛い思いをすると考えると、明日を迎えるのさえ嫌になってしまう。

こんなことなら、普段からもっと運動しておけばよかったと秋人は深く後悔した。

 この修行をアリアも一緒にこなしていたのだが、当の本人はケロリとしている。

流石はドラゴンを倒す騎士。この程度でへこたれていては国を守ることは出来ないとそう言いたいのだな。


「あ、アリアさん……

 あの、俺、もう少し、休んでから帰るので……先、帰って、いいですよ」


 息も途切れ途切れで答える。

アリアからかけられた言葉に対して、反応するのにかなりの時間を要してしまった。


「そう……か、わかった。

 気をつけて宿舎へ戻るんだぞ?」


 アリアは秋人のことが少し心配そうな面持ちだが、待ってもらうのも悪い。

秋人自身どれくらいの時間で動く気力が湧くかもわからないのだ。ピンピンしているアリアが横にいたら、アリアは暇な時間を利用して自主練を始めるかもしれない。そんなことになれば謎のプレッシャーにより秋人は休むも休めない状態に追い込まれていくので、できれば先に帰ってほしいのである。


「じゃあ私は宿舎に戻る。

 護服を洗うのだけは忘れないでおいてくれ」


 そう言うとアリアはスタスタと宿舎へ歩いて行った。

秋人はアリアの後ろ姿を見送ると、倒れ込んだまま空を仰ぐ。

ゆっくりと流れる雲を眺めているだけで疲れを忘れられる。

しかし同時に眠気もこみ上げてきたので、眠ってしまわないようにゆっくりと体を起こした。

すると、倒れ込んでいた秋人の視界の端で赤髪が揺れた。

見るとそこには一人の女性が立っている。

おそらく秋人と同じくらいの年齢、もしくは少し下くらいの女性だ。

皮で作られた簡素な鎧と、それと対照的に派手な赤い布のスカート。

脚には鎧とは別の素材……おそらく鉄であろう防具を身につけているが、動きを邪魔しないように装備されているので面積は最小限だ。

腰にレイピアを刺し、瞳は金色に煌めいている。

睨んでいるようにもみえるくらい目つきは鋭いが、その視線は冷たく、まるで呆れたというような様子で秋人を見ていた。

髪色から、秋人をこの世界に導いた女性を彷彿とさせるがこの世界で赤い髪の毛というのは珍しくない。

その装いで騎士、またはそれに関係する何かの職業であることはわかった。しかしここを訪れる目的がわからない。

ここは稽古場の裏なので、騎士たちの稽古の邪魔にはならないはずだ。

 視線の主は何を言うのでもなくただそこに立っているだけなので、しびれを切らした秋人から話しかける。


「あの……なにか用、でしょうか?」


「…………」


 女性は秋人の問いに答えない。

ただ、見るだけ。

何も言わず、動かず、じっと秋人を見つめるだけ。

 次第に秋人もこの場所にいることが気まずくなってきたので、重い身体を動かしその場を後にした。

途中、後ろを振り返るとやはり女性は秋人を見つめていた。


「いや……

 誰なんだあの人……」


 秋人は首を傾げながらそう呟くと、宿舎まで逃げるように早足で宿舎へ戻った。

宿舎へ戻ってからも先の出来事が気になってしまい、その日の食事の味はよく覚えていない。

多分、美味しかったのだろう。




 翌朝、案の定筋肉痛でベッドの上から動けないでいる秋人がいた。

いや、厳密には動けないのではなく、運動をするには厳しい状態であるから修行をするのは推奨しない状態である。

最初は半ば身体を引きずるように昨日と同じ集合場所である広場へ向かったのだが、その様子からアリアから修行のストップがかけられた。

秋人はそれでも修行するとゴネたのだが、アリアに担がれ為す術なく強制的に宿舎へと送還されてしまったので休むほかあるまい。

 ベッドの上で天井を眺めていると、ある事が秋人の脳を覆い尽くす。

それは、稽古場裏で会ったあの女性のことだ。

秋人は、天井を眺めながらずっと彼女について考えている。

なぜ秋人のことをずっと見つめてたのか。

なぜ話かけた時、何も言わなかったのか。

なぜあのような目をしていたのか。

考えれば考えるほど謎は深まるばかり。

本人にその理由を聞かないかぎり、決して答えは得られないというのに。

どうして彼女のことが気になるのだろう。

ただ気になるというものでもなく、恋や憧れとも違う形容しがたい感覚。

秋人は不思議に思っていたが、秋人がこの世界に訪れた理由、背負った使命を考えれば答えは浮かび上がってくる。

なぜこれほどまでに彼女のことが気になるのか。

それはつまり、彼女が秋人の背負った『この世界を救う』という使命に深く関係している可能性があるからだ。

もしそうなら。彼女もきっと秋人と同じような感覚に陥ったはずだ。

考え過ぎなのかもしれないと秋人自身もわかっている。

だからこそ、次に会ったときに確かめたいと思った。

確かめる方法などわからない。それでも会えばきっと何かわかる。

秋人は疑問を確信に変えるべくベッドから起きあがった。

すると、昨日ニックが身体を預けていたドア横の枠に今度はアリアが身体を預けていた。

普通ドアの音などでその存在に気づくはずなのだが、秋人はその音にさえ気づけないほど考えに集中していたのだ。

アリアは秋人が天井を見ながら何か考えているのを見ていたようで、ベッドから起きあがった秋人を見て口を開いた。


「……何か考えている様子だったが、どうした?

 アキトの身体のためにも、今日はあまり動いてほしくないのだが」


 アリアの声のトーンは決して高いわけではない。

むしろ低く、威圧ほどではないもののプレッシャーを与えるような言い方だ。

秋人もそのプレッシャーを感じ取り、苦笑いしながら再びベッドに横になった。

あの様子だとアリアは秋人が出かける許しはくれないだろう。

秋人としてはどうしても今日のうちに行動したかったが、仕方ない。

あの女性のことについては後日また考えるとしよう。

そう思い、秋人はアリアに背を向けるように体勢を変えて眠る。

秋人が深い眠りに落ちるまで、プレッシャーから解放されることはなかった。

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