第4話 身体が叫びたがっているんだ
秋人が目を覚ますと、見知らぬ天井が起床を迎え入れた。
いつの間にか秋人はベッドの上にいる。
異世界にもベッドがあるんだと思った時、今までに起きたことがすべて夢ではなかったことがわかった。
異世界に飛ばされ、ドラゴンに襲われたところを銀髪碧眼女剣士アリアに助けてもらい、騎士団へ入団するために一ヶ月後、模擬戦を行う。
だから昨日アリアに稽古をつけてもらったのだ。
これから一ヶ月間、試合の前日まで稽古をつけるとアリアは言っていた。
昨日はアリアが「まずアキトには基礎体力をつけてもらう」と言われひたすら走りこみ。
今日はその続きと基礎的なトレーニングなのだが……
「か、身体が動かねえ……」
金縛りにでもあったかのような感覚。
しかしそれが金縛りではないことを秋人は知っていた。
そう、『筋肉痛』である。
秋人の身体を苦しめているのは筋肉痛なのである。
ベッドから身体を起こそうとすれば腰と背と腹が。
足を滑らせて起き上がろうとすると太ももと脹脛と股関節が痛む。
首すら動かすと痛い。
身体全身が痛いので、少しでも動こうものなら身体が叫びを上げる。
動かしていない状態でも叫びたがっているような感覚だ。
「まさか異世界に来て筋肉痛になるとは……
思わずひとりごとも出ちゃいますわこれは」
笑い事ではないくらいに痛むのだが、走り込みで全身が筋肉痛になるだろうか。
秋人は昨日、どれだけ自分が走っていたかを思い出してみることにした。
まず軽く街の中を走り、慣れたところで街の外壁を沿うようにして走った。
城を含めて走るので、一周はかなりの距離だ。
半分走ったか走らないかの辺りでもう無理ですと音を上げたのは覚えているが、そこから先の記憶が秋人にはない。
走りきってご飯を食べて眠ったのか、限界がきて気絶したのか。
おそらく後者だと秋人は考えている。
思い返してみればドラゴンにも追いかけられていたし、相当な距離を走ったはずだ。
しばらくベッドの上でどうのようにして起き上がるかを考えていると、秋人の寝ている部屋の扉をノックする音が聞こえた。
はい、と返事をするとドアが開き、黒と白のエプロンドレスに身を包んだ女性が現れる。
「失礼します。
カゼミヤ アキト様、お目覚めになられましたようなので朝食をお持ち致しました。
サモックとモアトリスの卵、カルガラ肉とモープのミルクでございます」
出された食事は、秋人の世界で言うパンとスクランブルエッグ、ベーコンに牛乳であった。
見た目的には変わらないものの、味はどうなのだろうか。
秋人は、ベッドに備え付けられた展開式の小さなテーブルに置かれた料理を眺め思う。
まずはサモックを手でちぎり口にする。
サモックは見た目こそパンに近いが、どちらかと言うと餅に近いものでもちもちとした弾力があった。
次にモアトリスの卵。
当然、秋人の世界に存在した箸はないので、用意されたスプーンを使って食べる。
モアトリスの卵は少し味の薄いスクランブルエッグで、甘みも感じられた。
カルガラ肉はフォークのような先が二股に割れた道具を使って食べる。
カルガラはウォレスタ近辺に生息する肉食獣だ。
肉食生物の肉はあまり美味しくないものだと思っていた秋人だが、食べてみると以外にもイケる。
油がそこまでないベーコンといったところで、カリカリとした食感は普通のベーコンよりも強い。
焼き方の問題かとも考えたが、肉の特徴だとエプロンドレスの女性は言う。
モープのミルクは味の濃い牛乳そのままだ。
モープとは昨日見た毛むくじゃらのことで、角は漢方に、毛は服や敷物に、ミルクは飲料になる。
肉に至っては部位によって値段が大きく変わり、サーロインやロースは高級食材として高値で取引されるのだと言う。
異世界の食事が口にあうか心配だった秋人だが、気づけばそんな心配も消えており朝食を完食した。
「すごい美味しかったです。
あの、つかぬことをお聞きしますが、俺、昨日どうやってここに?」
「カゼミヤ様は昨日、アリア様の稽古途中に気絶。
アリア様がここへ連れてまいりました」
秋人の予想は的中していた。
昨日はいろいろあったおかげで何も食べていない。
そんな状態で走りこみでもしたら倒れるのは当たり前だ。
昨日は忙しくて胃袋のことを考えられなかった秋人だが、今日初めて食事をしたことにより身体にエネルギーが満ちた。これで今日も頑張れると気合を入れたはいいものの、やはり筋肉痛でベッドから起き上がることができない。
「カゼミヤ様、大丈夫でしょうか?
よろしければ私めがお手伝い致しますが……」
「い、いや大丈夫……です。
多分手伝ってもらっても動けないんで……」
全身の痛みに耐えながら答える。
起き上がれたところで稽古ができるような状態ではない。
「わかりました。
その様子ですと今日は無理をしないほうがよろしいですね。
アリア様には私から伝えておきますので、カゼミヤ様はゆっくりとお休みください」
女性は朝食の食器等を片付けると、一礼し部屋から出て行った。
本当なら一日でも休んでいる暇はないのだが、体が自由に動かないならどうしようもないだろう。
「しょうがない」と一言呟いて身体をベッドに委ねる。
ここは街のどの辺りなのだろうか。
窓から見える風景では場所が特定できない。
街を行き交う人々の声や姿が少し遠くから聞こえてくる。
その代わりに、野太い男たちの声は近くから聞こえてくる。
街からある程度離れた場所にある騎士たちの宿舎のようだ。
聞こえてくる声はすべて日本語で、異世界だというのに日本にいる感覚を得る。
「なんか、姿形とか設定とかを具現化したみたいだなぁ。
変に都合がいいというか……」
「都合がいいのが……どうした?」
突然の声に驚き、ドアのほうへ顔を向ける。
筋肉痛だというのに無理に動かしたせいで激痛が走り、思わず声を上げる。
「身体が痛くて動けないとアリア様から聞いていたが、本当だったとは。
これじゃあ試合をするまでもなく勝敗が決まるな」
声の主はニックだった。
足音は一切聞こえなかったし、ドアを開ける音すらしていないように思える。
単に秋人が気付かなかっただけなのか、ニックのスキルなのかわからないが、当の本人であるニックはどこか得意気だ。
というか情報収集が早過ぎるのではないか。
ニックは昨日見たものと同じ鎧を身に纏い、ドア横の壁に身体を預けるようにしてこちらを見ている。
どうやら筋肉痛の秋人を笑いにやってきたようだ。
模擬戦を行うと決まってからニックのイメージが変わっていく。
初対面の時はとても優しい人に思えたのが、今ではちょっとうざいキャラへと変貌している。
「まだ一日目だからわからないですよ。
模擬戦をやると決まった以上、俺も本気なんで」
「その様子で言われてもね。
言っておくけど当日どんな状態でも勝負は勝負だからな?」
ニックの挑発的な態度に少し腹が立つ。
ムキになればニックの思う壺だし、動くことで身体にダメージがくる。
ここは平然を装い、かつ、ニックを挑発するのがせめてもの仕返しだ。
「そうやって余裕こいてる人ほど負けるって相場が決まってます
素人を甘くみないほうがいいですよ」
「そうか。
俺はお前と違って寝てる暇がないくらい忙しいからこれで行くけど、まぁせいぜい頑張れ」
ニックはそのまま背を向けてどこかへ去って行った。
暇じゃないならわざわざ秋人の所へ挑発しにくる必要などないのでは? と心中は素直に語る。
あれだけ言われれば悔しさの一つも湧き上がってくるのが男、いや、秋人という人間だ。
「絶対に勝つ。
勝ってドヤ顔して、煽ってやる」
世界を救う前に、まずニックに勝つ。
そう決めた秋人は、筋肉痛を早く治すために再び寝ることにした。
決してふて寝ではないと、自分に言い聞かせながら。
次に目を覚ました時には、辺りは既に暖かなオレンジ色の光りに包まれていた。
夕方――この世界も現実同様に夕方という時間が存在していた。
よく考えて見れば、アリアは昨日「一ヶ月」というワードも口にしていた。
現実と同じ時間、日付の感覚かはわからないが、どうやら概念自体は存在するらしい。
身体は朝よりも動くようになっていたので、ベッドから起き上がって部屋の外に出てみることにした。
身体が傷まない程度にゆっくりと、小刻みに、牛歩で進む。
怪我はしていないが、松葉杖が欲しくなる。
時間をかけてドアまでたどり着き、一呼吸おいてから押す。
この世界のドアはドアノブが付いておらず、押して開けるタイプのドアだ。
バネのような反発力を持っており、人や物が通ったあとは自動的に元の位置まで戻る。
西部劇の酒場などでみるようなスイングタイプのドアが大型化されていると考えれば話が早い。
普通のドアに慣れている秋人には少し不便だ。
先ほど食事を運んできた女性も、片足でドアを押さえていた。
そうしなければドアが開いた状態を維持できない。改良の余地があるのではないだろうか。
部屋の外に出ると、左右に分かれた廊下と、目の前に広間があった。
広間には簡素な机と椅子が幾つか並べられており、向こう側にはまた左右に分かれた廊下とドアがある左右対称的な造りだ。
外へと繋がる場所がどこにあるのかわからない。
やはり部屋に居たほうがよかったかと思った秋人へ、声がかけられた。
声の方向を向くと、廊下の先から歩いてくる人が見える。
先ほど食事を運びに訪れたエプロンドレス姿の女性だ。
やはりここに仕えているメイドさんのような人なのだろうか。
「カゼミヤ様、お目覚めになられたのですね。
昼食を運んだ際、気持よく寝てらしたので起こさずにいました」
「あ、そうだったんですか、すみません。
今ちょっと外の空気を吸いたいなぁって思ってたんですけど、外へはどうやって?」
「カゼミヤ様のお部屋から向かって左側の道を進んでいただくともう一つ部屋がございます。
その部屋に外への扉がございます。大きな扉なのですぐにわかるかと」
「なるほど、分かりました。
ありがとうございます」
礼を述べて早速教えられた方へと進む。
しばらく歩くともう一つ大きな広間があった。
造りとしてはホテルのエントランスロビーのようになっている。
カウンターと対応するエプロンドレスの女性がいて、広間の端の方にはテーブルとイスが置いてある。
ここは騎士が寝泊まりするだけではなく、宿屋のような役割も担っているのだろうか。
カウンターの女性に軽く礼をしながら、先のメイドさんが言っていた扉を開ける。
すると、すぐに光が飛び込んでくる。
正面に光源……太陽が秋人を照らしつけたのだ。
「すげえ……
めっちゃ綺麗だ」
どうやら宿舎はウォレスタ城の近くに位置していたようで、夕日に照らされた町並みが一望できた。
町の外の様子もわずかながら見ることができる。
人々の行き交う街は夕方とはいえ活気に溢れていて、衰える様子が全く見られない。
目を閉じて耳を傾けると、風の音や人々の声が交じり合い一つの音楽と化している。
街が一体となっているように感じられて秋人はどこか嬉しく思っていた。
自分が育った街でもなく、ただ一晩だけ過ごした街。
なのにこの光景、この感覚を得ただけで心が踊ってしまうのはなぜなのか。
あえて表現するなら「なんとなく」なんだろう。
理由など必要でないくらいに、すばらしいと秋人は感じているのだから。
「アキト、身体はもう大丈夫なのか?」
はっと目を開けて振り向くと、気づけばアリアが立っていた。
秋人にとって目を閉じていた時間は一瞬、いや、そうでなくてもとても短い時間だと思っていた。
しかし、意外にも長い時間目を閉じていたようで、アリアの存在に気づくことができなかった。
「まだ少し痛いですけど、明日は大丈夫です。
今日はすいません、でも明日から頑張ります!」
アリアは頷くと「その粋だ」と言って秋人の隣にやって来ると、ウォレスタの風景を眺め始めた。
秋人もまた同じく、風景を眺める。
しばらくの間、お互いに無言の時間が続いた。
街から流れてくる音楽が秋人とアリア、二人に共有され、重なっていくような感覚になる。
やがて一撫で、強く風が吹いたのを皮切りに秋人が言葉を紡ぐ。
「すごく、いい街ですね」
「あぁ、そうだろう。
私の、いや、私達の街だ」
多くは語らない。
しかし、アリアがこの街を大切に思っているこは伝わってくる。
そしてまた、秋人も同じようにこの街を大切にしていきたいと思ったのだ。
異世界に来てから初めて訪れた街。
始まりの街と言ってもいいだろう。
きっとここが異世界での秋人の故郷。
そう思った秋人は、少しだけ心が引き締まったような感覚になるのだった。
「……なぁアキト。
なぜアキトは戦う道を選んだんだ?
こういうのもなんだが、断ることもできただろう」
アリアがこちらを向いて尋ねる。
正直、あの場面だと断りづらくてしょうがないのだが、それを言うのはナンセンスだ。
「そう、ですね……
この世界についての知識がないのもそうなんですけど、強いて言うなら……」
少しの間。
アリアはその間、ただ秋人を見つめて解を待つ。
「……生きるため、ですかね。
まだ、ちゃんとわからないんですけど……」
曖昧な答えだ。
けど、戦う道を選んだ理由は生きるためだから。
本当だ。
世界を救うという大きな目標よりも、生きるという小さな目標のために戦う。
今は、それで十分だ。
放たれた答えにアリアは一言、「そうか」とだけ残し、再び風景に目を戻す。
「……アキト、絶対に勝つぞ」
「はい、勿論です」
それ以外、言葉はいらない。
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