雪夜

ゲンダカ

雪夜

 それは、雪の降る夜だった。

「元気でね」

 彼は彼女にそう言った。

「うん」

 彼女は彼にそう言った。


 彼らは恋愛関係にあった。

 しかし、その雪の降る夜に、彼らは円満に破局した。

 彼は都会に、彼女は田舎に。

 互いが互いの人生を尊んで、そうすることこそが自分たちにとって最良であると、そう判断してのことだった。

 ふたりは年若く、その未来は希望に満ちていた。

 だからこそ、彼らはその未来に賭けた。


――――― ――――― ―――――


 それは、雪の降る夜だった。

「元気かい」

 彼は彼女にそう言った。

「……うん」

 彼女は彼にそう言った。


 あの夜から幾年が過ぎたのか、彼らも数えるのをやめた頃、唐突に、偶然に、ふたりは再会した。

 彼は新たな恋人を得、彼女は新たな恋人を失っていた。

 いわゆる結婚適齢期を迎えたふたりは、互いの人生にまだ希望があると信じた。

 彼は彼女を案じたが、彼女はそれに笑みを返した。

 ふたりは互いを信じ、また、別々の道を歩んだ。


――――― ――――― ―――――


 それは、雪の降る夜だった。

「元気かい」

 彼は彼女にそう言った。

「…………」

 彼女は何も言えなかった。


 彼は円満な家庭を築いたが、彼女は未だ、独りだった。

 彼女は職を転々とし、希望に満ちていたはずの未来は、そのまま絶望に満ちた現実と成って彼女を蝕んだ。

 彼女は彼が眩しかった。かつて自分の抱いていた未来の具現である彼を、彼女はまっすぐに見られなかった。

 彼は彼女が悲しかった。かつて自分の恐れていた未来の具現である彼女を、彼はただ、見つめていた。

 今ならばまだ、彼女を救えると、彼は考えた。自身の幸福を捨てることで、彼女の不幸を帳消しにできると考えた。

 しかし、彼女は拒んだ。彼の幸福を譲り受けたところで、自身の幸福にはならないと。自身がより不幸になるよりも、彼の幸福が失われることのほうが辛いと。

 だから、ふたりはまた別れた。互いが互いの幸福を祈って。


――――― ――――― ―――――


 それは、雪の降る夜だった。

「元気かい」

 彼は彼女にそう言った。

「うん」

 彼女は彼にそう言った。


 彼は結局、彼女を見捨てることが出来なかった。

 彼女は結局、彼の好意を無碍には出来なかった。

 最初の雪の夜から幾十年が過ぎた頃、彼らはいつかのように寄り添っていた。

 彼の髪には白いものが混じり、彼女の顔には深い皺が刻まれていた。

 彼は幸福を手放し、彼女は心を病んでいた。

 しかし、彼と彼女には、それまでのどの夜にもなかった表情があった。

 

――――― ――――― ―――――


 それは、よく晴れた朝だった。

「元気でね」

 彼女は彼にそう言った。

「うん」

 彼は彼女にそう言った。


 彼女は床に伏せたまま、悲しそうな顔の彼に笑顔を向けた。

 彼はうずくまったまま、真白に染まった彼女の髪をそっと梳いた。 

 ふたりはまた、別れることになる。

 彼がそう言うと、彼女はまた、笑みを浮かべた。

 いつまでも共にある。

 彼女は月並みな事を言って、彼の手を握った。


 そうして。

 朝焼けの中で、彼女はそっと目を閉じた。

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雪夜 ゲンダカ @Gendaka

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