第46話「声が呼ぶ」


「あ……」



 理沙とミカちゃん達の背がやがて遠くなり、見えなくなる。

私はまだその背中を見ながら、一歩だけ足を踏み出す。

けど、理性がその足を進めなくした。

けど、やはり心は不安でいっぱいだった。

そもそも、あの二人は仲が悪い。

でも、それはまだお互いをよくわかっていないだけ。

誰だってすぐに仲良くなれる人もいれば、時間をかけて仲良くなれる人もいる。

理沙は元々社交的な性格なので、仲良くなるのは時間の問題だ。

でも、私の心には不安という感情と寂しいという気持ちが同居していた。




「……理沙、ミカちゃん」




思えば、理沙とはシェリルと戦った時から一緒だった。

この世界で初めて出会った、私と同じクラスの親友。

いつも私の事を気にかけてくれたし、彼女は私よりも半年間ナイトゼナにいるだ。その知識で助けられた事も多い。

何より中学時代の時の唯一の親友ということもあり、私にとっては大切な存在だ。

ミカちゃんは付き合いが短いけど、今では大切な友達だ。

この世界でできた初めてのお友達。

宿屋で私が落ちこんでいた時、私を励ましてくれた。

物静かだけど、優しい娘だ。

これからも仲良くしていきたい。

思い出をいっぱい作りたい。

戦力的に見ても二人は強い。

理沙は斧を使い、ミカちゃんは銃を扱う。

前衛と後衛がきちんとしている。

二人が協力すれば、戦闘もきっと切り抜けられる。

でも、それでも……私は寂しさと不安でいっぱいだった。

そんな風に考えていると、ノノが私の肩をぽんと叩いた。




「私達も行きましょう、メイ」




「う、うん。でも、あの二人、大丈夫かなぁ?」




「大丈夫よ。あの二人、そんなに仲悪いとも思わないし。

二人に負けないように私達も頑張りましょう、メイ」




「……うん」




気にはなったが、これ以上詮索しても仕方がない。

仕事である以上、私のワガママで時間を潰すわけにはいかない。

今はただ、あの二人が無事でいてくれることを祈るばかりだ。

そう心では割り切りつつも、でも完全には割り切れていないまま歩きだした。

街へ出ると、人々は仕事の準備に追われ、今日も労働に精を出していた。

ある人は野菜や果物を店頭に並べたり、奥さんとあーだこーだと話したり。

ある建設現場では親方の話に若い衆が真剣な顔で聞き入っていた。

多分、仕事の説明をしているのだろう。

それは私達の世界でもナイトゼナでも変わらない日常だ。

異世界とはいっても住んでいるのは人だ。

それぞれの生活があることは何ら変わらない。

そんな彼らを横目にしつつ、街の外まで行こうとしたんだけど。




「おう、メイ。今から出発か?」




と、声をかけてくれた姉御が一人。

言うまでもなく、梨音さんだ。

「与太来堂」のエプロンを着ていて、額には汗をかいている。

仕事の休憩中らしく、手には煙草を持ち、火をつけている。

でも、煙草の臭いは嫌いなので止めて欲しい。




「あ、悪い、悪い。一段落したから、ちょっと休憩しててな」



私の嫌そうな顔がわかったのか、すぐに携帯灰皿で煙草の火をもみ消す梨音さん。

ああ、まだ新品だったのに悪いことしちゃったな。

でも正直苦手な臭いなので、少しホッとした。




「あ、はい。今から出発なんです」




「そうか。ところでよ、お前スマホ持ってるか?」




「スマホ……ですか?」




唐突な質問にびっくりする。

なんか久しぶりに日本の言葉を聞いたわね。

この世界にはスマホは当然無い。

懐かしさすら感じる言葉の響きに郷愁きょうしゅうを覚える。

ノノはスマホ自体知らないらしく、キョトンとしている。

まあ、妖精はスマホなんか持ってないよね。




「今よ、スマホのアルバムにある写真を魔法で現像する商売をしていてな。

よかったら格安でやるんだが、どうよ?」




「そ、そんなことできるんですか?」




「ああ。現像した奴はこうしてフォトフレームに挟めばいい」




と、梨音さんが見せてくれたのはタブレット端末だ。

なんでタブレットがこんな所にあるのだろうか。

でも、そんな疑問は他所にして私は端末に目を奪われた。

そこにはフォトフレームに彩られた写真がある。

その写真には梨音さん、マリアさん、サラさんの三人が居酒屋で飲み交わしている姿が写っていた。ただ、猫が顔を赤くしてるのは微妙な物を感じる。マリアさん、飲み屋でも変わらず猫のままなのね。




「へぇ~、こんなことができるんですね。この写真いいなー」




「これって、絵じゃないのよね?絵にしては精巧すぎるし」




「ノノ、これは写真だよ。っていうか、タブレット端末まであるなんて凄いですね。使えるんですか?」




生憎、この世界にはスマホもタブレットも無ければ、写真という技術もない。

妖精のノノにとっては非常に珍しいものだろう、端末を覗き込みながら感心と疑問の声を上げている。




「おうよ。上手く魔法を応用すればこれぐらいは簡単さ。タブレットもその応用でちょちょいとな」




「それならやってもらおうかな。あ、でも電池が無くて」




私達の世界なら家に帰って充電すればいい。

外出してるなら、コンビニで充電器買ってスターパックスとかでコンセントに差し込んで充電完了するまで待っていればいい。

最近ではラーメン屋さんでもWiFi接続可能だったり、コンセントがあるので電池がなくてピンチの時はすぐに充電できる。

だが、異世界ナイトゼナにはスターパックスは勿論無い。

そもそも充電器も充電する場所すらない。

なので、私の携帯は電池が切れたまま荷物となっていた。

一度ミリィに奪われたけど、取り返してからは特に操作していない。

だが、電池はとうの昔に切れていた。





「ねえ、二人共。さっきから言うスマホって何なの?」




「電話だよ、ノノ」




「でんわ……って何?」




聞いたことのない単語に疑問符を浮かべるノノ。

うーん、なんて説明したものかなぁ。




「ええと、スマホは正確にはスマートフォンって言うの。電話ってのは、その……どこにいても誰かとお話できる機械かな」




「へぇ、どこでもねぇ。例えばナイトゼナとシンシナティとかでもできるの?」




「そだね」




この世界には電波がないからそもそも無理だけど。

以前、携帯見た時県外だったし。




「その、「たぶれっと」にあるサラさん達の……生きている瞬間をそのまま形にしたのが写真ね」




「ふふ、ノノ良い表現だね。そだよ。スマホはカメラ機能とか動画撮影機能があるから」




「かめら……どうがさつえい……。うーん、よくわからないわ。スマホは電話で……どこでも話せて、で、写真ってのが絵より精巧な……」




頭を悩ませるノノ。

確かに言葉で説明しろって言うのは難しいわね。

私達世代は感覚でわかるものなんだけど。

妖精にそれを求めるのは酷だろう。

ええと、なんて説明したらいいかな。




「まあ、やってみた方が早いだろう。フォトモードオン……っと」




梨音さんがタブレット端末を操作する。

すると、タブレットがひとりでに宙に浮く。

翼が生えた訳でもないのにプカプカ宙に浮く。

これも何かの魔法だろうか。

つか、なにが始まるの?




「ほら、お前ら横に並べ」




「あ、はい」




「え、何?何が始まるの?」




取り敢えず並ぶ私と何が起きているのか把握しきれないノノ。

梨音さんがタブレットに指をさす。




「今、タブレットに赤い丸と数字が写ってるだろ?」




タブレットの裏側部分。

カメラの丸いレンズの下に赤い丸と白色の数字が浮かんでいる。

数字は5を示したままだ。





「あの数字がカウントダウンするからな。0でパシャッと取る。フラッシュは無しでシャッタ―音だけだ」




「了解です」




「ええと、赤い丸を見て……」




私もノノも梨音さんもじっとカメラを見る。

ついでに梨音さんも私の横に並ぶ。

梨音さん、私、ノノの順だ。

私は指でピースを作った。

そして満面の笑みを浮かべる。




「デハ、イキマスヨ―」




女性の機械音声が聞こえた。

なんかATMの自動音声みたい。




「5,4,3、2、1……」




パシャ。

音だけが鳴った。

3回ほど撮り、タブレットはそのまま梨音さんの所に戻ってきた。

空を飛ぶタブレットってなんて斬新ね。

日本でその技術があれば特許で大儲けできそう。

なんて邪推な事を考えてみる。




「ほれ、これが今写した写真」




タブレット画面には梨音さん、私、ノノが写っている。

梨音さんがかっこよく髪をかきあげて、私がピースしてて、ノノがオドオドしていて強張った表情をしている。太陽光の反射もなく、三人が写真にきっちり載っていて風景も邪魔していない。まさに被写体も撮影場所もマッチしている。




「わああ、すごい!!そうか、これが写真なのね。すごいわ!!」




と、興奮気味に語るノノ。

思えば誰かと写真を取るのは随分久しぶりだ。

以前はお姉ちゃんや理沙とプリクラ撮ったり、スマホで写真撮ったりしたっけ。

でも、この世界では写真自体がそもそもないから……。

こうやって写真が撮れるなんて夢にも思わなかった。




「梨音さん、これお金出すんで欲しいです!!これ、この写真。家宝にしたいです!!大好きな主人の物って絶対欲しいから!!」




「ははは、メイは愛されてるなぁ」




「あはは」




若干、ハイテンションなノノ。

どうやら相当嬉しいらしい。

でも、そういう私もかなり嬉しかったりする。

こうなるとみんなとの写真も欲しくなるわ。

理沙、お姉ちゃんは当然として、ミカちゃんもそうだし、ロランさんやミオさん。

勿論、サラさんやマリアさんとも。




「ああ、いいぞ。お前らが仕事終わるまでには出来上がってるから、そん時にうちの店に取りにきな。金はそん時でいい。ついでに充電もしといてやる」




「わかりました。じゃあ、お願いします」




私は鞄からスマホを出し、梨音さんに手渡した。

高校入学のお祝いで機種変してもらった携帯。

私がこの世界に来る前は最新機種だった。

有名女優を起用したオシャレなCMがバンバンテレビで流れていたっけ。

トレンドをこの手にしたんだと少し有頂天になっていた。

今、日本ではどれだけ時間が経っているのだろうか。

恐らく、もう最新機種とは言えない時だろう。

下手したら時代遅れの機種と言われるかもしれない。

まるで浦島太郎だなと心の中で呟く。

お年寄りにはなっていないのが幸いだけど。




「今回の写真代はサービスだ。今度はみんなで撮りに来い。そん時は有料だぞ」




「梨音さん、商売上手ですね」




「ったりめえよ!」




あははと笑い合う私達。

もう電池が切れて使い物にならなくなったスマホ。

すぐに友達とやり取りできるよう連絡アプリも入ってる。

写真自体は以前の機種からバックアップしてたのもあり、あのスマホには写真がいっぱい入っている。そのほとんどがお姉ちゃんか、外食している時の私と理沙の写真だ。それ以外にも互いの家にお泊まりした時の写真とかがある。あの頃は異世界だの、戦いだの、考えたこともなかったな。当たり前だけど。




「じゃ、私は仕事に戻る。お前らも気をつけて行けよ」




「はい。それじゃ」




「メイとの写真、よろしくね梨音さん!!」




「おうよ!」




梨音さんと別れ、私達はさっそくガナフィ島へと向かうこととなった。





さて、本来ならガナフィ島へと向かうのだが。

まず、ギルドでもらった地図で地理関係を把握しよう。




「ええと、シンシナシティからシルド鉱山まで馬車で約2時間ね。

そのシルド鉱山から北に1時間ほどするとガナフィ島が見えてくるのね」




「メイ、シルド鉱山からガナフィ島までは悪路が多いから馬車は使えないみたいよ。

ほら、地図にそう書いてる」




「あ、本当だ。そうなると馬車+歩きかぁ。大体3時間ぐらいかな。全部が歩きだと5時間はかかるかも。今からだと何時になるか調べてみよう」





日本と違い、ナイトゼナでは時計が普及していない。

時刻は「クロックウォッチ」という魔法で調べる。

太陽の位置などを瞬時に計算し、今の時刻を調べてくれる。

理沙から教わったので、私はその魔法を使うことができるんだ。

この世界では子供が最初に覚える初期の基礎魔法らしい。

難しい演唱も必要なく、目を閉じて精神を集中すればいい。

すると、現在の時刻が朝の9時頃だとわかる。

さて9時から5時間以上かかるとなると、14時以降と大幅に時間が経過してしまう。

それにこれは”何もトラブルがないと”仮定した場合での時間だ。

モンスターの襲撃や野盗が潜んでいる可能性だってある。

特に私はカンガセイロという野盗を捕まえたこともあり、その残党が私を狙っても不思議じゃない。親分の敵とばかりに数に物を言わせて襲ってくるかもしれない。

そうなると時間も体力も大幅に消費してしまう。

体力を温存しつつ、ガナフィ島へと素早く行きたいのだが。




「あー、さっき梨音さんに馬車借りたいって言えばよかった……ミスったなぁ」




以前、鉱山に行った時に馬車を出してくれたのは梨音さんだった。

写真を撮ったついでに頼めばよかったな。

あー、しくじったなぁ。




「メイ、それなら馬を借りましょう。馬車より値段も安いし、便利よ」




「ノノ、私、乗馬の経験が無いんだけど……」




「あ、そ、そうなんだ……異世界の人は馬を使わないのね」




「乗馬ができる人は少ないかもね」





ノノはあははと苦笑いした。

江戸時代ならいざしらず、今の現代日本で馬に乗ることはまずない。

大多数の一般人は乗馬経験などほとんど無いだろう。

乗馬体験とかさせてくれる施設とかにで初めて馬に乗るんじゃないかな。

そもそも、馬など無くても近場なら自転車で事足りる。

遠くても、電車やタクシーもあるし。

免許があるなら車やバイクで遠出することだってできる。

馬を使って学校へ行ったり、職場へ行ったりする人はまずいない。

以前、テレビ番組で馬に乗った人が大手ハンバーガーチェーンのドライブスルーに行って店員さんがビビってたけど、そんな非日常的光景はテレビだからできる事だ。

一般人で乗馬を経験している人はお恐らくかなり少ないのではないだろうか。

しかし、ナイトゼナには当然ながら車も無ければ自転車すらない。

よって移動手段は徒歩、馬をレンタルもしくは馬車のレンタルがほとんだ。

しかし、私もノノも乗馬経験はない。

うーん、他に馬車とか借りれる場所は……。




「きゃああああああああああ!!」




と、絹を裂くような女性の叫び声が聞こえてきた。

ノノと目を合わせ、声のした方へと向かうことにした。

声が聞こえたのはここから近く、場所は裏通りの港近くの路地裏だ。

耳の良い私には大体の位置が掴めていた。

案の定、そこには船夫せんぷらしきゴツい男3~5人がいる。

ガタイはいいが、いやらしい笑みを浮かべた汚い男達だ。

そのキモい顔の先には女の子がいる。

だが、女の子は普通の女の子ではない。

足が馬になっていて、上半身は人間の女の子だ。

確かアニメやマンガで見たことがあるわ。

「セントール」族ね。




「馬のお嬢ちゃんよう、仕事なら斡旋してやるって。すぐそこに娼館があるからよ。そこで娼婦になればいい。馬の女なら良い稼ぎになるさ」




ぎゃははははと笑う男たち。

セントールの女の子は怯えていて、へたり込んでいる。

涙を流し、辛く苦しい表情をしている。

服装や髪型に乱れはないから、今の所はまだ何もされていないのだろう。

だが、放っておいたら何をされるかわかったもんじゃない。

これだから男はと不快感を感じつつ、私はすうと大きく息を吸う。




「あんた達、朝っぱらから何やってんのよ!!」




「あ?」




私の声に男たちが振り返る。

だが、私の顔を見るとぎょっとした顔をした。

なによ、その幽霊にでも遭ったかのような顔は。




「お前……七瀬メイだな」




「あら、知ってくれてるなんて光栄ね」




「シェリル、ミリィ、カンガセイロ……物騒な極悪人ばっか倒した四英雄もどきを知らない奴はこの街じゃモグリだ。俺らの間じゃお前らの噂がガンガン入ってくる。いわば、お前は話題の中心だ」




「そ、そうなんだ」




それは知らなかった。

なんか照れるし、悪い気はしないけど……。

でもなぁ、目立つのは好きじゃなのよね。




「つまり、お前を倒せば俺らは英雄で金も女もガポガポ入ってくるという訳だぜ!!」




ひゃほーと馬鹿笑いする男たち。

その手にはナイフが握られている。

殺気も充分だが、所詮はザコでしかない。

さて、どうするべきだろうか。

殺すことはできないから、戦意を削げばいいかな。

普通に考えると獲物の影響力を無力化させるか、リーダーを倒せばいいんだけど。




「ここは私に任せてメイ。あなたはその娘と一緒に後ろに下がってて」




「う、うん」




私の前にノノが立つ。

言われたとおり、彼女を保護しつつ、少しだけ後ろに下がる。

その表情は私には見えないけど、あのガタイのいい船夫達が引いている。

喧嘩慣れもしているであろう彼らをビビらせるとは余程だ。

きっと悪鬼羅刹の如き顔をしているに違いない。

万が一の為、セグンダディオを封印解除しておく。




「よ、妖精ごときが何だ。ナイフの錆にしてやる。みんな、やっちまえ――!!」




男たちが声高らかに、よってたかって攻めてきた。

ナイフで突き、斬り払いをして攻めてくる。

初心者がナイフを乱暴に振り回すのとは違い、的確に胸や身体を中心に切りつけようとしてくる。頭よりも身体のほうが当然柔らかいから身体を狙ってくるのは当然だ。

腕や足への攻撃は対象を弱体化できるし、胸なら即座に殺すこともできる。

ただ、扱いに多少の慣れはあるものの、彼らは人殺しではないようだ。

正直、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるの理屈で5人がかりなら誰かの攻撃がヒットすると睨んだのだろう。男たちは楽勝だぜとタカをくくっていた。

その表情にはとても余裕があったが……。




「ふん。遅いわね」




ノノはそれを完璧に避けていた。

まるで踊り子のように舞いながら攻撃をかわしていく。

どれだけ男達が死力を尽くしても攻撃はひらりとかわされる。

全員で協力して襲いかかっても避けられ、別々で攻撃しても避けられる。

その華麗な舞に私もセントールの女の子も見とれていた。

ノノがドッヂボールしたらきっと最後まで生き残れそう。

そんなことを思いながら、ノノの舞をしばらく観覧することに。




それから数十分後。

男たちは徐々に余裕を無くし、顔つきがマジになっていた。

一旦距離を取って休みを取りつつも、体力の限りナイフを振り回し続ける。

その集中力を仕事に向ければいいのに……と私は一人思う。

だが、彼らは遂にノノ髪の毛一本すらも切ることはできなかった。




「ぜぇぜぇ……く、くっそ……なんて回避運動だ」




「はぁはぁはぁ……うぐぐぐ、み、身のこなしの軽い奴め」




男たちも流石に疲れが見えてきた。

誰もが肩で息をしているが、汗一つ流していないのはノノだけだ。

どれだけ舞っても疲れは見えず、涼しい表情をしている。

それが男達を苛立たせた。

誰もナイフを手放そうとせず、殺気を抑えようともしない。

寧ろ、最初のときよりも増大しているような気がする。

地面に汗が滴り落ちても気にせず、その視点はノノだけに向けられる。

その意気や良しとも言えるが、体力のペース配分が間違えている。

初めから全力で狙いすぎだ。

例えば、野球選手は1回表から全力で投げたり、打ったりしない。

そんなことをすれば疲れてしまうからだ。

最初は体力を小出しにし、ここぞという時に全力を使うの。

ノノは相手の動きが鈍ったのをチャンスと捉えたのか、素早く呪文を演唱する。

手の中に炎を生み出し、それを天に掲げる。




「火炎の豪速球フレイム・マッハ・ボウル!!」




その火球をまるでバレーボール選手のように地面に叩きつけるノノ。

炎はワンバウンドして飛び跳ね、船夫たちに次々と命中。

といっても、燃えているのは何故か背中だけだ。




「ぐあああああああああああああああ!!!!」




「ぎゃあああああああああああ!!みず、みずぅぅぅぅ!!」




「あづああああああああああああああああああああああ!!!」




男たちは服を脱ぐが、炎は消えない。

つまり服ではなく、背中が燃えているのだ。

彼らは堪らず走り出し、去っていった。

恐らく海にドボンと入って消化する気だろう。

裏通りなら港が近いから海もすぐそばだ。

数分もしない内に盛大に飛び込む音が聞こえてきた。

だが、それでも男たちの阿鼻叫喚は収まらない。

むしろ更にヒステリーになって裏通り中に響いた。




「ノノ、あの炎は?」




「あれは特殊な魔法よ。普通の水じゃ消えないわ。妖精の魔法でないと消せないの。といっても永遠に燃えるわけじゃないわよ。6時間もすれば沈下するでしょ」




「ろ、6時間……」




「大丈夫。死にはしないから。大火傷程度で済むって」




これで脅威は去ったかに見えたが。

一人だけ背中が燃えながらもこちらを睨みつける者が一人いる。




「こ、この野郎!よくも先輩達を……ぶっ殺してやる!」




自らを鼓舞するかのように暴言を吐く男。

見た感じ10代後半で入ったばかりの新人君だと思う。

血走った目をセントールの少女に向け、駆け出した。

私の実力は噂で知っているだろうし、ナイフの当たらないノノは先輩たちが実証済み。なら、セントールの少女を人質にでも取ろうと思ったのだろう。

さっきの男たちより幾分、頭は回るようだ。

けれど、ハッキリ言って甘い。




「はああああああああああ!!」




「なっ!?」




奴のそんな企みを私は一秒で消し去った。

セグンダディオでそのままぶった斬ったのだ。

正確には足の関節を斬り裂いた。

あまりにの激痛と出血のショックで男は声も上げず、崩れ落ちた。

あの炎は6時間続くものの、最終的に大火傷程度で済むだろう。

だが、セグンダディオで斬られた以上、回復は困難だ。

彼は一生松葉杖か車椅子の生活を余儀なくされることだろう。

女の子に手を出そうとした罰をしっかり受け止めることね。




「さ、一緒に行きましょう。ノノも早く!」




「ええ!」




セントールの少女の手を引き、私達はその場を離れることにした。

このままここにいても青年団から事情聴取を受けるだけだし、奴らの仲間が来ても厄介だ。私達は駆け出し、裏通りを後にした。











裏通りを抜けて、表通り南出口付近。

表通りとあるが、実質、裏通りに近い。

そのせいか、やや人が少ない簡素な場所だ。

一旦ここで手を離す。

セントールの女の子はすぐさま頭を下げた。




「あの……助けていただき、ありがとうございます」




「いえいえ。それより大丈夫?怪我はない?」




「あ、はい。大丈夫です」




私の尋ねに笑顔を見せるセントールの女の子。

アニメではよく見るけど、この世界で馬の女の子を見るのは初めてだ。

多分、私と同い年ぐらいに見えるけど、やや童顔だ。

でも、落ち着いた喋り方だから、もしかしたら年上かもしれない。




「私はセントールのジーナ・ハルベルトと申します。よろしくお願いします」




「ジーナさんね。私は七瀬メイ。こっちは妖精のノノ。よろしくね」




「七瀬メイさんとノノさんですね……。あの、先程、不遜な連中が申していましたが、あのシェリルとミリィを倒したという?」




「うん、まあね」




「ああ、やはりそうでしたか……」




ジーナさんは足を完全に地面につけ、上半身を平伏させた。

これはセントール式の土下座だろうか。




「あ、あの?」




「実は私はナイトゼナ城で王様に代々仕えてきた者の末裔です。曽祖父は四英雄様に仕え、祖父も父も母もナイトゼナ城で騎士として仕えてきました。貴女様は四英雄の武器であるセグンダディオをお持ちと噂で聞きましたが、真のご様子。我が主も同然なのでございます……」




まるで舞台女優のように熱弁するジーナさん。

だが、その瞳は真剣で至って真面目に話しているのが伝わる。

恐らく、これが彼女の素なのだろう。

多分、良いところのお嬢様じゃないかな。

改めてジーナさんをよく見てみる。

一般人とは雰囲気が違うし、ウェーブがかった髪も綺麗だ。

服装も一般人のそれとは違い、上品な服装だし。

普段着というよりは余所行きの服かな。

そして、肌の色もとても綺麗だ。

触りたくなるほどの綺麗な肌だと思う。

女の肌は生活面がよく出る所だ。

どれだけ化粧で取り繕っても肌は嘘をつかない。

彼女はきっと規則正しい生活を送ってきた事はまず間違いない。

いったいどんなシャンプーや石鹸を使っているのかな?

私がそう口を挟もうとしたが、更にジーナさんは興奮しながら続ける。




「しかし、ご存知の通り、お城はシェリル達によって壊滅してしまいした。

私はその時、仕事でナイトゼナから離れていたのですが噂を聞きまして。急いで戻った所、お世話になった方々は全員お亡くなりになっておりました。職場も仲間も無くした私は呆然としました。しかし、そうこうしている内に路銀が尽き、仕事を探しにここまで来ましたが、先程の不遜な輩に絡まれ……本当に助かりました」




「そうだったんだ。苦労したんだね……」




そう、ナイトゼナ城は脱獄したシェリルとミリィによって壊滅させられた。

王様は殺され、兵隊はおろか、メイド達すらも殺されたのだと聞く。

職場の上司、同僚や後輩を無くした彼女の気持ちは計り知れない。

さぞ、深い悲しみに包まれたことだろう。

私はそっとジーナさんを抱きしめた。

できれば、何かしてあげたいのだけれど。




「メイ、そろそろ仕事にいかないと。あまり時間を無駄にできないわ」




「そだね。でもなぁ……」




「お仕事ですか?」




「うん。私とノノは「マリア・ファング」ってギルドのメンバーでね。これから仕事でガナフィ島へ向かうんだ」




「でしたら、私を使ってくださいませ」




「え?」




「セントールは代々主人と決めた者のみを背中に乗せる伝統があります。メイ様の事は以前より聞き及んでいました。先程の戦闘も素晴らしいものでした。あなた様こそ主に相応しきお方。鈍重で愚鈍な足運びの馬よりも私の方が確実に速く動けます。矢のように速く目的地へと着くでしょう」




「それって具体的にはどれくらい?」




「ガナフィ島なら2時間もしない内に到着できます」




断言するジーナさん。

確か鉱山から島までは悪路で馬車は難しいはずだが。

その事を伝えると彼女は「大丈夫」と自信たっぷりの笑顔を見せた。




「我が家はセントールでも特に厳しい家柄。悪路での走行修行も数多く行いました。世界各国を周り、地図は頭の中に叩き込んでいます。勿論、近道や抜け道も覚えています。ぜひ、我が背中を使ってくださいませメイ様」




優雅に微笑むその姿は流石、お嬢様と言える。

けど、頼りがいのある強い笑顔だ。

女の私でさえ、美しいなと思った。

まあ、今から梨音さんに頼むのも時間かかるし。

そもそも馬車がレンタルできるかどうかも不明だ。

その馬車よりも速く着けると自負する彼女。

お金の節約にもなるし、断る理由もなさそうね。




「わかった。じゃあお願いしていいかな?」




私がそう言うとジーナさんは、ぱああと明るい笑みを見せた。

素直な人だなと思いつつ、釣られて私も笑顔になる。




「はい、勿論です!ですが、私の背は二人は乗れませんので、ノノ様が」




「大丈夫よ。羽で飛んでいくから」




ノノはそう言って背中から羽を生やした。

白く半透明なその羽はまるで蝶のように美しい。




「ノノ、羽あるの!?」




「まあね、妖精だし。でも、普段は目立つから隠してるのよ」




「なんかノノって人間的というか……妖精って感じがあまりしなかったんだけど。それ見て改めて妖精なんだなって実感したよ」




「私達には色々なタイプがいるからね。宴会好きな子もいるし、球技が好きな子もいるわ。糸紡ぎや粉挽きが得意な子もいる。せっかく部屋を片付けたのにめちゃくちゃにする子もいるし、本当に千差万別よ。まぁ、私は人間と暮らして長いから、似てきたのかもしれないわね。でもね」




「ん?」




ノノはしゃがんで私の頭を撫でる。

その顔は優しく、笑顔に満ち溢れている。




「私は今が一番楽しいわ。メイと一緒にいる時がとても楽しい。さっきの写真もそう。だからこのお仕事をする時、とても楽しみだったの。もうすごくテンション高くてさ、自分でもわかるぐらい。だから、早く行きましょ」




「ふふ、そうだね。じゃあ、ジーナさんお願いします」




「心得ました。メイ様、魔法の手綱が私の背中に出ています。それをしっかり掴んでてください」




「うん」




ジーナさんの背中に乗り、魔法の手綱を掴む。

いつも見る景色とちょっと違う。

高さが変わるだけで知っている場所も何だか知らない風景になる。

ジーナさんは街の出入り口まではゆっくりと歩いてくれた。

けれど、荒野に出ると駆け出した。

といっても、スピードは緩めで私を気遣っているのが分かる。

私が慣れたのを感じてから徐々にスピードを上げていく。

それを後ろから飛行しつつ、付いてくるノノ。

目指すはガナフィ島だ。






1時間くらいでシルド鉱山に着いた。

敵がいないか警戒したが、特に周囲から殺気や気配は感じられない。

木陰になっているポイントがあったのでそこで小休憩することにする。

本当は村があればいいのだが、この辺は未開発地域だ。

おまけに砂漠地帯でもあるので、少々暑いのもある。

頑張るために休憩することも大事なことだ。




「ふう……馬に乗ったのは初めてだけど、なかなか楽しいね」




「あら、メイ様は初めてでしたか。珍しいですわね」




ジーナさんがへぇと呟く。

う、もしかして地雷踏んだ?

ノノに助けを求めるも彼女は妖精だ。

あまりナイトゼナの事には詳しくないだろう。




「日曜学校で馬術の授業があるのですが、習いませんでしたか?馬や馬車はこの世界での移動手段として無くてはならないものです。子供でも馬に乗ることができますわ。というか、そもそもメイ様達はどちらのお生まれですか?噂ではその辺りは全然わからなくて」




「え、ええと……乙女の秘密ということで」




「あの、私も乙女なのですが……こんな可愛い女の子が男に見えないでしょう?」




「うっ……」



嫌味なのか冗談なのかよくわからない返答だ。

しかし、私は二の句が継げない。

またまた地雷を踏んでしまった。

うーん、どうしよう。

素直に異世界人だと話した方がいいのかな?

別に隠すつもりもないけど、でもなぁ。




「メイには色々事情があるの。だから、今はまだ話せないの。

ジーナさん、申し訳ないけどそれで納得してもらえないかな?」




ノノが代わりに説得してくれた。

真剣なトーンで話すノノにジーナさんはしばし黙考する。

やがて、彼女は首を縦に振ってくれた。




「わかりました。根掘り葉掘り聞くのは無粋ですわね……失礼しました」




「あ、ううん。謝らなくていいよ。こっちこそ、ごめんね」




どうにか上手く誤魔化せたみたい。

正直、私が異世界の人間だと話しても別に構わない。

けど、シェリルやミリィみたいに裏切る可能性がないとは言い切れない。

ジーナさんは大丈夫かもしれないけど、もしかしたら……。

と、疑心暗鬼するのが人間だ。

なら、最初から話さない方がベストだと言える。

それに話してしまったら私達の戦いにも巻き込むことに他ならない。

それで彼女が傷ついたりするのは嫌だ。





「しかし、私は果報者です。主に出会えたのですから」




「そうなの?」




「はい、メイ様。セントールは主を迎えるため日々、厳しい訓練を受けています。理想の主と出会った時、無様な自分に幻滅されぬよう、強く優しく美しくあれと我々の間では常に言われています。まだ大陸が8つあった200万年前頃、国同士は何年にも及ぶ戦争を繰り返していました。ですが、我々セントールの騎兵隊が勝利を決めるきっかけになりました。今日のナイトゼナがあるのはセントール一族の働きが大きいのです」




遥か昔、国同士が戦争を続けていたとシェリルから聞いたことがある。

それが200万年前の事だそうだ。そして100万年前にマルディス・ゴアは召喚され、8つあった大陸を4つにされてしまった。奴の吐く炎が大陸を文字通り消し炭にしたのだ。そして四英雄と呼ばれる者たちがマルディス・ゴアを倒すために旅立ち、異世界より持ち運ばれたとされる伝説の武器を使い、倒すことに成功した。しかし、彼らのその後を知る者は誰もいない。大昔の話なので記述も文献もないそうだ。




私はその四英雄の武器であるセグンダディオを、理沙はハルフィーナを、お姉ちゃんがワンダーワイド・ルーロットを持っている。最後の一つがどこにあるのかはわからない。どうしてその武器を私達が持つようになったのか?偶然とは思えない。何かしら理由があるんだと思う。共通しているということは私達は否応なしにこの世界へと連れてこられた。




武器が私達を呼ぶなんておかしな話だとは思う。

そもそも、四英雄の血筋でもない異世界の私達が呼ばれたのは何故だ?

正当な血筋であるロランさんではなく、どうして私が?

疑問符は幾らでも増えるが、わかることは一つだけある。

マルディス・ゴアを倒さなければ、この世界は滅ぶ。

奴は今も虎視眈々と復活の機会を伺っている。

世界が滅んでしまうと日本に帰る方法も当然わからない。

結局、今は仕事をこなしながら、情報を集めること。

それだけが唯一私達にできることだ。




その後もジーナさんの話に耳を傾けるが、大半はセントール族の自慢話だった。

ただし、口伝なので全てが本当とは限らないだろう。話半分程度で聞いておく。

彼女の自慢話が一段落した所で疑問符の一つを解消することにした。




「ねえ、マルディス・ゴアは召喚されたって聞いたことがあるけど……具体的には誰に召喚されたの?」




「悪魔信仰を生業とする邪教の者達です。彼らは炎の使途ほのおのしとと呼ばれています。長きに及ぶ研究と儀式の果てに異世界より呼び出したそうです」




「炎の使徒……」




「四英雄の方々はマルディスゴアだけではなく、彼らとも激しく戦いました。その大半を殺害したと伝え聞きますが……その残党は今でも活動しているようです。とはいえ、あれから100万年という月日が流れています。今の時代、彼らに信仰心はそれほどないでしょう。また、普段は素性を隠して一般人として生活しています。見つけることは難しいでしょうし、かつてほどの影響力はないでしょう」




「ふうん……」




マルディス・ゴアと戦う前にそいつらとも戦う日が来るかもしれない。

影響力が無いとしても、立ち塞がる可能性は充分ある。

今の信者達は厚い信仰心で入った者たちではなく、その末裔だろう。

やる気があるのかどうかは正直、微妙な所だ。

ただ、情報として覚えておいて損は無さそうだ。





「しかし、世界は徐々に変わりつつあります。先日、ニルヴァーナ王国が議会民主制度を採用し、王国制度の廃止が決定されました。来年、施行されます」




「え!?」




ニルヴァーナと言えば、騎士候補生としてトーナメントを戦った場所だ。

最終的にはミリィが大会をオジャンにし、私は彼女を……。

アイン王子とも出会い、お姉ちゃんとも再会できた懐かしい場所だ。

あれからまだ数ヶ月程度しか経っていないのに、随分昔のような気がする。




「ナイトゼナでもそうですが、元々王侯貴族のやり方に市民はずっと不満でした。ニルヴァーナ王は代々騎士の家ということもあり、武にこそ力を入れていましたが、経済や流通には疎く、人材登用も下手でした。それでも存続できたのはナイトゼナ王家が補助金を出していたからです。今回の大会も有能な人材の確保と観客からの興行収入を獲得するという一石二鳥の手段でしたが、ミリィ事件で市民の怒りは頂点になり、人々はクーデターを起こしました。王は全財産没収、全領地没収の上、投獄となったようです。処刑すべきとの意見もあります。同じようにナイトゼナも市民達が運動を加速させ、動いています。シンシナシティは貴族達が管理していますが、それも変わってくるやもしれません」





「ねえ、アイン王子はどうしたの?」




「わかりません。けど、お城にはいなかったと新聞に載っていましたね。元々放浪癖のある殿方だそうで、どこかに逃げたのかもしれませんね」




アイン王子元気にしているだろうか。

なんとなく心配な気がしてくる。

あいつの事だから大丈夫だとは思うけど。

というか、新聞読んでないや。

最近、全然情報収集していなかった。

まあ、ギルドの仕事とか色々忙しかったし。

これからはもう少しそっち方面も頑張らないと。




「二人共、そろそろ行きましょう。充分休憩したでしょ?」




それまで黙っていたノノが口を開いた。

私は頷き、再びジーナさんに乗る。

そして、荒野を駆け出した。








で、このままガナフィ島へと着くと思っていた。

だが、結果は外れた。

島は海の上にポツンとあり、陸地が続いていない。

よって歩きで行くのは不可能なのだ。

島自体は目に見えているが、泳ぎで行ける距離ではない。

先はまだまだ遼遠だ。




「海の上は流石に歩けないよね?」




背中越しにジーナさんに話しかけ、彼女から降りた。

彼女は首を縦に振った。




「そうですね。浅瀬ならともかく、海だと無理です。この場合は船でしょうか。

でも、この辺りは未開発地域なのでそもそも人がいません。街や村もありませんし」




「うーん、どうしよう。ノノにおんぶして飛んでもらうとか?」




「結構、距離があるわよ。短距離ならともかく、私の体力じゃちょっと無理ね」




見えているのに行くことは叶わず。

さて、どうするべきだろうか。

こういう時、アニメとかなら船を作るんだろうけど。

生憎、作り方とか知らないからなぁ。

知ってたとしても道具も何もないし。

うーん、どうすればいいんだろう?




「やあ、久しぶりだね。お嬢さんたち」




背後から第三者の声が聞こえた。

私達が振り向くと、それは奇妙な男の人だった。

顔を白いペンキで塗りつぶし、鼻から耳、そして唇をショッキングな赤色に染め、

丸い赤鼻をつけ、派手な赤色のパンチパーマみたいなカツラをつけている。

言うまでもなく道化師……ピエロだ。

強烈なインパクトのある彼には見覚えがあった。




「あなたは確か……」




「おや、お忘れかな?以前、君達にニルヴァーナの道を聞いたピエロさ。

お礼に温泉が湧き出ている所を教えてあげたじゃないか」




「勿論、覚えているわ。っていうか、何してるの?」




そうそう、そんなことがあったっけ。

あれはミリィ事件の後だったわね。

しかし、異世界でピエロなんて浮いているとしか思えない。

なんかミスマッチ。




「はっはっはっ、実はまた道に迷ってしまってね。この辺りは散々探索したが、人がいないんだ。これでは僕の素晴らしい大道芸もお金にならない。どこか人の多い地域に行きたいんだが」




「……この辺りは未開発地域です。南のシンシナティなら大勢人がいらっしゃいますよ」




ジーナさんが警戒しつつも、丁寧に道を教えてあげた。

ただ、口調がどうも事務的で、渋い顔をしている。

だが、ピエロは特にそれを気にする様子はない。

それとも気づいていて知らないフリをしているのか。

彼はさらさらとメモし、うんうんと頷いた。

メモ帳、どこから出したんだろう。




「ありがとう、貴重な情報感謝する。ところで君たちはどこに行くんだい?」




「ガナフィ島へ行く所よ。でも、行く手段が無くてね。どうしたものかと途方にくれているの」




ピエロはニッと笑顔を見せた。

怖気が全身を襲う。

それぐらい、不気味な笑顔だ。

本来、ピエロとは人を楽しませる為にわざとふざけた格好をしている。

しかし、その姿で狂気の殺戮を行った犯罪者がいるとテレビで見た。

故にピエロはどうも好きになれず、それはこいつも例外ではない。

それ自体は私の偏見なのかもしれないけど。

でも、なんだろうか……彼はどうも尋常じゃない。

私達に対する話し方も人間に話すという感じではない。

まるで、ショーケースに飾った人形に話しかけているような。

気色が悪いというか、得体の知れない不気味さがある。

それはノノもジーナさんも同じようだった。

ノノですら苦虫を噛み潰したよう顔をしている。

でも、ピエロは鼻歌なんぞ歌って踊っている。

こちらの様子なんか気にも留めていないようだ。




「ふむ、ガナフィ島だったね。それなら確か、地下へ続く穴があったよ。下は洞窟になっている。恐らく、ガナフィ島まで続いているだろう」




あそこと指した場所は森の少し奥に入った場所だ。

というか、なんでこのピエロはそれを知っているのかな。

一体、何者なんだろう。




「……洞窟?そんな人工物はなかったはずですが」




「それがあるのさ、馬のお嬢さん。ま、行けばわかる。では、僕はこれで失礼するよ」




「ねえ、あなた何者なの?どうしてそんなこと知ってるの?あの時もそうだけど、なんで私達を助けてくれるの?」




私は矢継ぎ早に疑問をぶつけてみることにした。

だが、ピエロはまた笑顔を浮かべるだけだ。

そのまま歩き出したが、何か思いついたように数歩先で止まる。




「僕はただの道化師さ。君たちは僕に有益な情報を教えてくれた。僕はその見返りに君たちに有益にな情報を教えただけだよ。それだけの事さ」




ピエロはそう言って去っていった。

結局、私の疑問には何一つ答えてくれなかった。





「……何なんだろ、あいつは」




「なんというか、不気味な感じね」




私もノノも正直、いい気持ちはしなかった。

教えてくれたことは素直に感謝する。

しかし、彼は不気味と一言だけでは表せれない雑感がある。

笑えない漫才を聞かされ時のような居心地の悪さ。

寝起きで口の中が粘着くような不快感……。

それらに似ているようで違う何かを私達は共有した。

あいつが消えたのを確認してから、深夜のトイレのような長いため息が出た。




「かなり気味が悪い方ですわね。しかし、この辺で洞窟など見かけませんでしたが」




「……ま、とにかく行ってみるしかないね」




私が歩き出し、二人も続けて歩きだす。

信じている訳ではないが、他に方法がない。

以前のこともあるので嘘とも思いにくいし。

しばらく無言のまま、歩くことに集中する。

木を掻き分け、生い茂る草花を避けながら進む。

すると、一箇所だけ丸く円形状の穴が開いている。

何というか、マンホールの蓋だけないような感じ。

そこから先は地下へと簡素な梯子がかけられている。




「確かにあるね」




「ええ。でも穴は人がやっと入れる大きさね。ジーナさんは入れそうにないわ」




と、残念そうに言うノノ。

ジーナさんはセントールなので普通の人間とは違い、大きい。

梯子なので四本足の彼女が足をかけるにはキツイし、そもそも身体の大きさ的に穴の中に入ることはできそうにない。




「ですね……。メイ様、お供をできるのは残念ながらここまでのようです」




「そうだね。ええと、ジーナさんはこれからどうするの?」




「私としてはメイ様にお仕えしたいと思っております。馬として利用して頂いてもいいですし、家事雑用や炊事洗濯も致します。主人が見つかったのに、他の所で働くなどできません」




ジーナさんは目が真剣だった。

なんか、背景に炎が見えるぐらいまっすぐの瞳をしている。

熱意と情熱が言葉の端々からも伺える。

彼女なら信頼しても大丈夫だと思うな。




「ジーナさん、出発前にも話したけど、私達はマリア・ファングってギルドに所属しているんだ。仕事が終わったらギルドに報告するから、私達が帰るまでシンシナティで待っててくれないかな?」




「わかりました。どれぐらいで戻る予定ですか?」




「うーん、それはなんとも言えないね。そもそも、うめき声の原因もわかんないし。だから多めに渡しておくね」




と、私はなるべく自然に彼女にあるものを手渡した。

受け取ったジーナさんはその手を見て目を丸くした。




「え、な、なんですか、このお金は」




「ここまでの移動費と帰りの移動費。あと、寝泊まりするためのお金兼食費。女の子が野宿は辛いからね。シンシナに帰れるまでどれぐらいかかるかはわかんないけど、それだけあれば一ヶ月は大丈夫でしょ」




ジーナさんはどうしたものかと頭がショートしているらしい。

私達が稼いだ金額として見ればこんなのはほんの一部。

でも、ジーナさんには少々びっくりするほどの金額だったようだ。

これって私の金銭感覚がおかしいのだろうか?




「い、いいのですか?こんな大金……」




「うん、全然構わないよ。あと、私の仲間の近藤理沙とミカ・ストライクって女の子が多分、先に戻ってると思うんだ。よかったら、二人に合流しておいて。受付にポールシェンカさんって女の人がいるから、その人に聞けば教えてくれると思うわ」




「はい、わかりました。では、メイ様、御武運を」




「うん、ありがとう。帰り気をつけてね」




「はい。それでは」




ジーナさんは悄然として立ち去った。

パカラ、パカラ、と馬の蹄が地面を蹴る音が響く。

その背中を見送り、少しだけ寂しい気持ちになる。

でも、今は寂しさに時間を奪われるわけにはいかない。

私達は穴の中へと入ることにした。




梯子を下り、太陽の光が徐々に遠ざかる。

やがて、暗闇が視界を覆う。

だが、幾つかの炎が闇を優しく照らしている。

それは壁に付けられた松明のようだ。

お陰で暗闇は軽減され、先には進みやすい。

ただ、足元に届くほどの明かりではないので、注意して歩く必要がある。

私達の息遣いだけが聞こえ、それ以外は何も聞こえてこなかった。

地上では聞こえていたはずの自然の音や虫の音。

それが一切シャットアウトされた世界だった。




「この炎……いつから燃え続けているんだろう?何年も燃え続けれるものなの、炎って?」




「さあね。私にはわからないわ」




声がエコーをかけたように広がる。

アイドル志望の子にはオススメしたい場所だ。

カラオケなんか行かなくても充分練習できそう。

でも、結構寒いので厚着しないと辛いかも。

そんなことを思いつつも進む。




「……」




互いの足音だけが響く。

歩きながらこの先に何があるのかと考える。

変な声の正体とは何なのか。

もし、それがモンスターだとしたら倒すべきだろう。

だが、もし人為的な物だったら?

また、誰かを殺さなければならないのだろうか。

幾ら戦闘に慣れても、できれば殺しはしたくない。

だが、もう既に何人もの人間を私は闇に葬っている。

屍の上に私の命は成り立っている。

それだけは変わらない事実だ。




「足元に注意してね、メイ」




「うん」




私達は今、こうして歩いている。

けれど、見えない亡者達が私の足を掴んでいるかもしれない。

何故、お前だけが生きていると恨めしく思っているかもしれない。

それは単なる思い込みなのか、被害妄想なだけなのか。

いずれにせよ、私には進む事しかできない。

立ち止まっても、泣きわめいても、何も変わらない。

お互い、無言で歩を進めていく。

20分ぐらい歩いた頃だろうか。

地上に続く梯子が見えてきた。

洞窟は終点らしく、行き止まりだ。




「ここから上がりましょう。私が先頭に行くから、メイはその後で」




「うん」




ノノが登るのを確認し、それに続いて私も登る。

彼女が先に出て、私も続いて出る。

日の光が差し込み、虫の音や木々のそよぎが聞こえる。

20分ぶりとはいえ、いきなりの太陽は眩しかった。

思わずうっと手で日差しを遮る。

上がった先はやはり森だった。

そこには空寂な世界が広がっている。

それでも辺りを警戒し、私達は歩きだす。

しばらく歩くと大きな木が見えた。

それはまるでご神木のように太く、巨大な木だった。

周りにある木よりも何倍も大きく、天まで届けと言わんばかりだ。

周囲の木々が若者達なら、この木はさながら長老の木と言える。

よく神社にもこういう木ってあるよね。

その周辺は開けた土地になっており、そこに誰かがいる。




「ん……?」




それはおばあさんだ。

ローブを身に纏い、木を背もたれにして地面に座り込んでいる。

見た感じ70後半から80代くらいだろうか。

その割には白髪に黒が混じっている。

顔つきは厳しく、目が鋭い。

瞳が緑色なのも印象的だ。

老いても若い気持ちを捨てていないという気概が感じられる。

お年寄りはその人生の良し悪しが顔に出てくる。

自分では気づかないかもしれないが、他人からだとそれがよくわかる。

私達はそっとおばあさんに近づく。




「誰だい、あんた達は。宗教のセールスならお断りだよ」




と、おばあさんから声をかけてきた。

声には少々棘があり、警戒している。

まあ、見ず知らずの人間が来たんだ、当然だろう。

私は怪しまれないよう、努めて明るく振る舞うことにした。




「は、はじめまして。私は七瀬メイです。こちらは妖精のノノ。

私達はマリア・ファングっていうギルドの者です」




私達は揃って挨拶し、頭を下げた。

だが、お婆さんはぷいっと顔を横に背けた。




「ギルドの奴がこんな辺鄙な所に何のようだい?この辺は昔、鉱山やらで賑わったが、今じゃ誰も寄り付かない僻地だ。モンスターか動物ぐらいしか、いやしないよ。とっとと帰りな」




身元を明かしてもお婆さんは警戒を解こうとしない。

不機嫌そうにしており、こちらと目を合わせようともしない。

それでも私は気分を害さないよう、慎重に言葉を選んで会話を続ける。




「お婆さん、実はこの島から変わった声が聞こえてきたと聞きました。私達はその声について調査をする為、ここまで来ました」




私はお婆さんの側によりつつも、座り込んで目線を同じにした。

だが、向こうは明らかに距離を置こうとしており、若干引いているのがわかる。

人間はパーソナルスペースを侵されることを嫌う。

パーソナルスペースとは人間が持つ縄張り意識のようなもの。

仲の良い相手には近く、仲が悪い、初対面には遠くなると以前、本で読んだ。

距離に気をつけながら更に話を続ける。




「お婆さん、何か心辺りはありませんか?声を聞いたとか、モンスターがいたとか」




「フン……知らないよ。見たことも聞いたこともないね」




「では、質問を変えます。お婆さんはどうしてこんな所にいるんですか?




「……答える義務はないね。とっとと帰りな」




苦虫を噛み潰したような顔をするお婆さん。

どう考えても呻き声と何か関わりがありそうだ。

どうにかして話を聞き出したい所だけど。

この調子じゃ何も答えてくれないわね。




「大体、ギルドの仕事なんかしなくてもいいだろ。妖精はどうか知らないけど、あんたは貴族のボンボンだろう?学校行って甘えられて育って、政略結婚すればいい。世間じゃ、王家が頼りないから庶民が政治を動かそうとしている。だが、金持ちってのはそういうのには縛られない。何十年経ってもね。ギルドの仕事なんかする必要ないだろうに」




「私、貴族じゃないですよ。そもそも養子ですし」




というか、この世界の人間ですらないのだけれど。

一応、ナイトゼナでは書類上、ボルノーさんの養子ということになっている。

この世界では身分が大事だからとお義父さんがお膳立てしてくれたものだ。

なので、嘘はついていない。




「……ふん、そうかい。それにしちゃ身なりが整ってるね。それより、そこの妖精。アタシの顔をジロジロ見て何だ?正直、不愉快だ」




「お婆さん、ドラゴニストですね」




「な!?」




ノノの指摘にお婆さんは顔を引きつらせた。

が、すぐに顔を背けてしまう。

でも、態度でバレバレだ。

明らかに動揺している。




「ドラゴニスト?」




「メイ、人間は人間同士で結婚して子供を生むよね。男と女がいて、結婚して子供を生み、育てる」




「う、うん」




「ドラゴンも同じようにドラゴン同士で子供を作り、育てていく。でも、中には例外がいてね。ドラゴンと人間が愛し合ってしまったケースがあるの。そういうドラゴンをドラゴニストというのよ」




「それって、いけない事なの?」




ノノは厳しい顔をして頷く。

一体どういうことなんだろうか。




「人間は人間以外と交尾しても子供は残せない。けど、ドラゴンと人はどういう理由か子供を残すことができる。でも、それは龍族にとって最大の禁忌よ。ドラゴニストになってしまうと龍の力はなくなるし、寿命も激減してしまう。仲間からも里を追い出され、異端児として見限るの。同じ者が再び現れないための戒めの為にね」




「じゃあ、お婆さんは群れから追い出されて、傷ついてここへ?」




「お前たちには関係のないことじゃないか!!」




紛然と怒鳴り散らすお婆さん。

でも、私もノノも怯まない。

努めて平静でいるよう、逆上せずに気を静める。

だが、私達のその態度にイライラしているようだ。




「……恐らく、呻き声は私の声だろう。どこの誰が聞いたかは知らない。けどね、私が誰に恋をしようが勝手だ。人とドラゴンが相容れぬ仲だとしても。それだけは譲らないよ。さあ、私の言いたいことはここまでだ。さっさと殺せ!!」




「そんな、殺すことなんてできません!!」




「原因を取り除くんだ。殺すのが一番効率的だろうが!!」




平手打ちが私の頬に放たれる。

私は避けずにそれを甘んじて受け止めた。

痛さのあまり、地面に倒れてしまう。

でも、避けなかった私にお婆さんは動揺している。

何故、避けなかったと顔に書いてあるわ。




「メイ、大丈夫?」




「う、うん……大丈夫」




ノノは支えてくれようとしたけど、自力で起き上がる。

痛いことは痛いけど、耐えられない痛みじゃない。

というか、そこまで力入ってなかった気がする。

元ドラゴンの手だから普通の人が殴るよりは痛いけど。




「お婆さん、辛かったんですね」




「な、何を言い出すんだい、アンタは!」




「隠したって駄目です。顔にそう書いてあります」




「アンタには関係ないことだろ?アタシの辛さは人間のアンタには到底、理解できやしないよ!その妖精の言うとおり、人とドラゴンは相容れない仲だ。でも、私は後悔しちゃいない。たとえ、八つ裂きにされたとしてもね」




私は我慢しきれず、お婆さんを抱きしめた。

堪らず、涙が溢れてくる。

頬が痛いから泣いているじゃない。

心が痛いから泣いているんだ。




「なんで……泣いてるんだい!?アンタと私は赤の他人……そうじゃないか?」




「人とドラゴンは相容れない。でも、お婆さんはそれが間違いだって知っている。人だとかドラゴンだとか関係ないってわかっている。だから恋することを諦めなかった。周りにどう思われようと自分の意見を貫いた。。あなたは悪者になろうとしてるけど、本当は人間が大好きなはず。人間と仲良くなりたい……そう心の中で思っているはず」




「べ、別にそんなことは……」




「じゃあ、私を引き剥がさないのは何でですか?本当に憎たらしい他人なら殴って蹴って、突き飛ばせばいいじゃないですか。私みたいな小娘、お婆さんには大したことないでしょう?大体、さっき殴ったのだってそんなに痛くなかったし、その後で動揺していたじゃないですか?」




「……っ」




「私はお婆さんと仲良くしたいです。お婆さんも私と仲良くしたいはずです。ううん、絶対友達になりたいと思っています。これが私の勘違いだというなら、私をこの場で殺してください」




「メイ、なんてこと言うの!!」




ノノが一喝するが、私は怯まない。

力を込めて、お婆さんを抱きしめる。

それは昔、私が本当のお婆ちゃんにしていたみたいに。

内気で引っ込み思案で、友達の少なかった私にお婆ちゃんは優しくしてくれた。

私がこうやってぎゅっとすると、お婆ちゃんもぎゅってしてくれた。

この人は言葉こそ乱暴だけど、その言葉は全部本気じゃない。

気が立ってナーバスになっているだけなんだと思う。

彼女の気が休まるのなら、どれだけ殴られてもかまわない。

でも、きっと彼女は殴らないと確信している。

人と龍とか、種族の差なんかどうでもいい。

人に恋し、愛したことを後悔していない。




「……全く、近頃の子供は。言うことだけはいっちょ前になって」




「あ……」




「あんたは大馬鹿もんだ。ホント、あの人とよく似ている……」




そう言って、優しく包み込むように抱きしめてくれた。

その言葉に私は涙を流していた。

大粒の涙がいっぱいこぼれて、溢れて止まらなくて。

嬉しい気持ちが凍った心を暖かく溶かしていく。

私は子供のように大声を上げて泣いた。

泣いて、泣いて、泣きじゃくった。










それからしばらくして。

私は泣き止み、向こうも少しは気を許してくれた。

皆で木々に背もたれ、話を聞くことになった。




「確か、メイとノノだったね。私はセレナ・ディアーレだ。老いぼれているが、一応元ドラゴンだ。今はドラゴニストだがね」




「ええと……どう違うんですか?」




「ドラゴンの姿はアンタも知っているだろう?トカゲのような身体をして翼が生え、大空を我が物にし、炎を吐いたり、鉄すら切り裂く爪を持ち、大地すら噛み砕く歯を持つ。ドラゴニストはその全てを失うんだ。人間と性行為をした時点で、その爪も歯も翼も寿命も何もかも失うのさ」




「せ、性行為って……」




流石に赤面した。

そんなド直球に言わなくても。

確かに保険の授業で習ったことはあるけど。

普段、あんまり考えないからなぁ。




「おや、お前さんは随分ウブだね。今時の子はやりたい盛りが多いと聞くが。巷じゃ10代で初体験も珍しくないそうじゃないか」




「そ、それは一部だと思います。私はまだその……未経験で」




別に男の子が苦手というわけではない。

ごく普通に話せる。

アイン王子なんかがいい例だ。

けど、残念ながら、デートしたことも付き合ったこともない。

告白されたこともないし、当然したことも無い。

いい感じの男子もいたけど、なんか距離を置かれちゃったし。

まあ、多分お姉ちゃんが何かしたんだと思うけど。




「へぇ……今時珍しいね。ノノはどうなんだい?」




「私はあんまり興味ないですね。常に異性を求める同胞もいますけど、私はどっちかというとご主人と側にいてその一生を見守りつつ、手助けできれば幸せなので。前の奴が最低でしたから、今のご主人にはとっても良くしてもらってます」




「えへへ、ありがとノノ」




私とノノは互いに微笑んだ。

それが伝染したのか、お婆さんも薄く笑みを浮かべた。




「私もどっちかというと恋だの、愛だのは考えたことなかった。馬鹿馬鹿しいとすら思ったわ。でも、長からのお使いで何度か地上に行くことがあってね。ある商人の男が私を見初めたんだ。それが恋だの愛だの考える一つのきっかけになったね」




「へえ……」




「その男はしつこくてね。私をデートに誘おうと必死だったよ。最初は断ってたけど、根負けして渋々行くようになった。それから付き合いがあって、なんとなく惹かれていったんだ。本当になんとなくだけどね」




この世界で恋バナ聞けるなんて思わなかった。

そうだよね、異世界といっても人がそこにいる事実は変わらないよね。

でも、ドラゴンと人との恋愛って想像できなくて面白いわ。

というか、恋バナ自体が新鮮なのかもしれない。

理沙は異性に眼中ないし、ミカちゃんからはそういう話聞かないし。

……聞かないだけで実は興味があったりするのかな?

ノノもそういう話興味ないってさっき言ってたし。




「どうしてその人と暮らさず、こんな島へ?」




「ノノ、相手の話は最後まで聞こう」




恋バナに興味のないノノとしては結論が早く知りたいらしい。

だが、まずは相手の話に耳を傾けることが大事だ。

女という生き物はお喋りすることがストレス解消になる。

いちばん大事な真実を知るためにあえて面倒な方法を採用する。

口が軽くなれば、真実もきちんと話してくれるはずだ。

ノノは渋々頷いた。




「付き合ってる時は楽しかった。嫌なこともあったが、そんなの生きていれば当然だ。私もその人も諦めずに問題解決に走った。その過程で私達は互いを愛し合い、恋愛の一番深い部分まで行ったのさ。まあ、その辺は若いお嬢ちゃんには刺激がキツイかもだから黙っておくよ」




「そうして頂けると幸いです……」




まあ、想像できなくもないけど。

あんま、生々しいのはちょっとなぁ。

セレナさんのフォローは助かる。




「長にその事がバレてしまい、私自身力を失った。群れから追い出され、家族同然だった連中に勘当された。罵る奴もいたし、暴力を振るう奴もいた。親はとっくに亡くなってから誰も庇う人はいなかった。ドラゴンとして生きることは許されず、人里に降りるしか無くなった。だが、人とドラゴンは相容れぬ仲。人間は私を恐れ、旦那以外は私を避けていた。どんなにいい言葉をかけてこようが、相手の態度でわかるよ。内心は怖がっているのだと」




勘当された。

セレナさんは簡単に言うけど、それはとても辛かったののではないだろうか。

家族同然だった人に悪口を言われたり、暴力を振るわれたり。

もし、そんなことが自分に降り掛かったら私なら生きていけない。

言葉にしていないだけでもっと傷ついたこともたくさんあったはずだ。

旦那さんと結婚して人里で暮らすようになっても世間は冷たかった。

誰もセレナさんとして見ず、ドラゴニストとして見ていた。

その辛さは計り知れない。けど、戻ることもできない。

ただ、茨の道を進むしか無かった。





「やがて、旦那が死んで私だけが残った。旦那は生前、多くの財と富を築いた大富豪にまでなってね。親戚からのやっかみは凄いもんだった。でも、私は金なんか興味なくてね。財産放棄して人里を離れたんだ。もう茨の道は御免だったからね。そしてここへ来た」




「なんでこの島に?」




「この島は昔、旦那と初めて会った場所なんだ。あの時の私はドラゴンの姿をしていた。私は旦那を見た覚えはなかったが……あの人はそれを覚えていてね。人里に降りた時、私だとすぐにわかったそうだよ。旦那は私を尊敬こそしたけど、恐怖はしなかった。メイ、お前もそうだ。お前も私をドラゴンというよりかは、私個人としてきちんと見ている。相当な変わり者だ」




「ええ、そうです。この世界で一番の変わり者です」




私の答えにセレナさんはふふっと微笑した。

そう、私は変わり者だ。

頭のネジがきっとどこか跳んでる。

でも、そういう変わり者がいたって良いと思う。

旦那さんがどういう気持ちでセレナさんに接していたかは知らない。

けど、きっと彼もセレナさんに何か惹かれるものを感じたんじゃないかな。

私もそう、何かこう、言葉に出来ないけど、感じるものがある。




「少し喋りすぎた……休憩にしよう。喉がカラカラだ」




「私もです」




「近くに泉がある。案内するからついといで。妖精もね」




「ええ」




私達はセレナさんの道案内に従い、森を歩くことにした。






しばらく歩いた先に泉が広がっていた。

とても綺麗な泉で、太陽に反射してキラキラと輝いている。

木々に囲まれた森の奥深く、人跡未踏の自然のままの泉。

こういう場所ってファンタジー映画で見たことがある。

ペガサスがいて、水遊びをする妖精たちがいて……。

でも、そんな場所を実際に見ることができるなんて嬉しい。

斧を落とせば、女神様も出てくるかもしれない。

そんな乙女チックな妄想もできるほどに綺麗な泉だ。




「ここの泉は格別だ。人間でも飲み過ぎなければ大丈夫だ。飲んでみな」




「どれどれ……あ、美味しい!」




一口すくって飲むとひんやりとした冷たさが喉を潤す。

飲みやすくて、後味もいいし、さっぱりとしている。

何度でも飲みたくなるほど美味しい。

けど、セレナさんの忠告通り三口くらいで止めておく。

お腹を壊したら元も子もない。




「いいですね、こういう場所。ファンタジー映画でも見たけど、美術の教科書でもこういう風景画あったなー。絵を描くのは苦手だけど、こういうロマンチックなのは好きだからよく見てたっけ……」




理沙と仲良くなる前、私は一人でいることが多かった。

男子と話をしても盛り上がらないし、遊ぶこともしなかった。

暇な時は教室で教科書を開け、まだ習っていない先の範囲を読んでいた。

国語とか社会なんかは面白くて読んでいる内にいつの間にか全部読み切ってたわ。

中でもよく読んでいた……というより、見ていたのは美術の便覧びんらんだ。

便覧は美術の教科書とは別で滅多に使われず、美術の授業の時には必ず持ってきなさいと先生が言うのでその通りにしたが、使用した回数はほとんどなかった。多くの生徒達はいつしか持って来なくなり、存在自体忘れていった。

けど、私は便覧をいつも熱心に読んでいた。

便覧は様々な絵画が写真付きで載っており、特にファンタジーな絵画や宗教画に見入ってしまった。絵心はないけど、絵を見ることはが大好きな私はその幻想的で日常ではあり得ない風景に好奇心と癒やしを感じ、虜になってしまった。

暇さえあれば、お姉ちゃんと一緒に展示会や絵画展に行くこともあった。

その延長で海外のファンタジー映画を見たりしたっけ。






「……映画っていうのは何だい?聞いたことないが。ちまたじゃ流行っているのかね?」




「え、あ、ええと、その……」




あ、しまった。

思わず泉に見とれて本音が。

この世界、ナイトゼナには映画なんて当然ない。

どう言い訳しようか。




「それにアンタは言ってたね、養子だと。貴族でもないと」




「は、はい」




「昔、貴族の家は家庭教師に勉強をさせるのが普通だった。けど、今では様々なと交流することを目的にお坊ちゃん・お嬢ちゃんは金持ち学園に通わせるのが流行りだそうだ。特に美術なんてのは金持ちの道楽でしかない。日曜学校は文字をかけない庶民の為に始めた神父様の厚意が始まりだ。なので、美術は基本的に教えないのさ」




「……」




つまり、貴族のボンボンでもないし、養子で一庶民な私。

そんな私が美術の授業を受けていることはおかしいということか。

なるほどなぁ……それじゃあ疑われて当然か。




「ま、教えた所で生活の役には立たないからね。それでメイ、あんたは何者だい?」




「ええと……その」




私は尻込みした。

言うべきか、言わざるべきか。

正直に話しても信じてくれるかどうか。

何せ、自分でも突拍子もない話だと思うし。

うーん、どうすればいいのかな。

ノノに視線を送るも彼女は俯いたままだ。

判断は任せるということかな?




「正直にお言い。私を大好きな友達だと思うのなら、隠し事は無しだ」




「……信じ難い話かもしれませんが、聞いてくれますか?」




「さっき妖精に言ってたね、人の話は最後まで聞けと。私も同感だ。だから、どんなに素っ頓狂な話でも聞かせてもらうよ。




「……はい」




私は頷いた。

友達と言ってくれたのが少し嬉しかった。

それが私に話をする決心をくれた。

だから、口は軽く滑るように真実を伝えていった。

何故、この世界に来たのか。

裏切りや友達との出会いや冒険の日々。

嘘偽りなく全てを吐き出していく。

ノノは特に口を挟まず、ただ静かに私とセレナさんを見守っていた。





それから数十分後。

一通りの説明は終わった。

流石のセレナさんも驚きを隠せないようだった。

少し、きょとんとした顔をしている。




「……なるほどね。そういう理由があったのかい」




驚きはしたものの、セレナさんはすぐに納得という表情をした。

もっと驚かれるかなと思ったけど、彼女は極めて冷静な態度だ。




「あんたも色々苦労してきたんだね」




「ええ、まあ……」




「色々言いたいことはあるが、そろそろ休憩しようか。続きは食べながらでもいいだろう?」




確かにお腹が空いてきた。

今日は話を聞いたり、喋ったりしたからなぁ。

緊張したのもあって、いつもより少し精神的に疲れたかも。

ここで食事にできるなら有り難い。




「といっても、食料が……」




「妖精なら家を持っているはずだ。食料もそこにあるだろう。ああ、私はフェアリー・ティーだけでいい」




「それだと、お腹空きません?」




私の質問に手を横に振るセレナさん。

こういう仕草、私のお婆ちゃんとよく似ている。

異世界でもお婆ちゃんはお婆ちゃんなのね。




「もう年寄りだからね。あんまりたくさん食べれないし、空腹も感じないのさ。もうそこまで身体が栄養を必要としていないんだよ」




私が目ぶせをして、ノノは妖精の家を出してくれた。

ひとまず休憩ということで家に入ることにした。




「じゃあ、簡単な料理を作るわ。二人共、少し待ってて」




ノノはエプロンを着用し、キッチンで手際よく作業を始める。

私とセレナさんは一緒にフェアリー・ティーを飲み、喉を潤す。

相変わらず、温かくて美味しい。

心が何だかホッとする。




「……ふふ、懐かしい味だ。もう何年ぶりだろうね、この味は」




「妖精にお知り合いがいるんですか?」




「ああ、もう随分会っていないがね。そういえばあの子もお前みたいに人のいい奴だった。世話好きというか、お節介というか。妖精にしては珍しいタイプだったね」




「……あの、人のいいじゃなくて、いい人って言ってほしいんですが」



人がいいってのはちょっと引っかかる。

私がぶーたれているとセレナさんは豪快に笑った。




「はっはっはっ、そりゃ悪かったね。そうだね、いい人って言わなくちゃ腹が立つだろうね。そんじゃ、そろそろ寝るよ」




「え、もう?」



別に笑わなくてもいいと思うが。

というか、もう寝るの?

マジック・クロックでは午後7時と出ている。

寝るにはかなり早い時間だ。

今時、小学生でも寝ないぞ。




「年寄りは寝るのも起きるのも早いもんさ。ベッドを借りるよ。二人共、おやすみ」




「お、おやすみなさい」




と言い終わる前に寝息が聞こてきた。

随分、寝付きがいいのね。

まあ、お年寄りだし若者に比べれば体力は少ない。

色々、疲れたんだろう。




「さ、できたわ。鶏もも肉と山盛りきのこを炒めてみたわ。私の好物だけど、メイもきっと気に入ってくれると思う。どうぞ、召し上がれ」




皿に出されたのは鶏もも肉、しめじ、しいたけなどが盛り付けられた炒め物だ。

とても美味しそうで思わず、見ただけでヨダレが出てくる。




「美味しそう!いただきまーす!!」




と、さっそく食べる。

あれ、思ったよりあっさりしてて美味しい。

しめじ、しいたけも美味しいわ。

これはいくらでも食べれちゃうな。




「おかわりもあるから遠慮せず食べてね」




食べながらノノの表情をちらっと盗み見る。

ニコニコしているようだが、その表情は少しアンニュイだ。

気分が晴れず、つまらなそうな感じがする。




「ノノ、なんか機嫌悪い?」




「ううん、別にメイは何も悪くないわ。ただ、ちょっとね……」




「そのちょっとを教えてよ。そんな暗い顔してると心配だよ」




ノノは少し苦笑しつつ、フェアリーティーを一口飲んだ。

カップを置き、一息をついてから「そうね」と頷いた。




「セレナさんとの話題で愛だの、旦那さんとの出会いだのってあったでしょ?その会話で姉を思い出してね」




「姉って、ノノにもお姉ちゃんがいるの?」




それは初耳だ。

だが、彼女の声のトーンは重い。

何か嫌な思い出でもあるのだろうか。

それとも仲が悪いとか?

ノノはそのまま続ける。




「ええ。姉は優秀な人でね、女王様のお城で昼夜を問わず働いていたわ。本当に自慢の姉でね。私はそんな姉に近づきたくて勉強も実務も頑張ったわ。仲もよかったし、誰も彼もが姉を尊敬していた。けれど……」




「けれど?」




「姉は人間の男を好きになったの。仕事を辞め、妖精の国を出ていった。私に何も言わずにね。それ以降、姉には一度も会ったことがないの」




「ノノ……」




ノノは俯き、複雑な表情をしている。

嫌悪しているようにも憎悪しているようにも見て取れる。

大好きなお姉ちゃんが急にいなくなったのだ。

私だったらきっと寂しくて泣き出してしまうだろう。

うちのお姉ちゃんは元気にしているだろうか。

ニルヴァーナでの大会以降会っていないけれど。




「私にはわからないわ。愛って何なのか。変態紳士の所でさんざん男の性的な願望を見たから尚更ね。男も女も最終的に子供を作りたい。人間だっていわば動物だから、種を残すという考えは当然よね。でも、他の動物と違って、性的欲求や快楽を得たいが為に愛や恋を唄うんでしょう?セレナさんには悪いけどね、私にはどうもそういうのって信じられないわ」




「……」




こういう時、なんと声をかければいいのだろうか。

私は異性を好きになったこともないし、誰かを本気で愛したこともない。

愛や恋を語るにはあまりにも未熟で経験不足だ。

素敵な恋には憧れるけど、現実はきっとドラマのようには上手くいかない。

わかっているのはそれだけで、それ以外は何も知らない。

第一、たかが16歳の私が愛だの恋だのわかるはずがない。

それらが理解できるほど、濃厚な人生は送っていない。




「ごめん、メイ。あなたに言っても仕方のない事だったわね。まあ、メイは男よりも女が好きらしいし。理沙もそうだし、ミカもあなたに気がありそうだしね」




「な、何言い出すのノノ!もう、別に二人とはそんなんじゃ……!」




いきなりの発言に赤面する。

まあ、確かに理沙は好きだ好きだ言ってくるけど。

気持ちは本気なのは嬉しいのだが反応に困る。

ミカちゃんとはだいぶ仲良くなれて嬉しい。

これからもずっと仲良くしたいと思っている。

けど、女の子同士で恋とかそういうのって……。




「照れない、照れない。別にご主人がどんな性癖でも私は気にしないわ。それよりたまには私と寝ましょうよ。いつも理沙やミカと寝てばっかりでいい加減、寂しいのよ。ねね、お願い」




「いいよ。じゃ、そろそろ寝よっか。まだ早い気もするけど」




「睡眠不足はお肌の大敵よ、メイ」




「よし、寝よう。ノノ、電気消して」




「はーい」




「おやすみ、ノノ」




「おやすみ、メイ」




実はさっきからとても眠かった。

ノノと話している時は平気だったけど……。

本気でぶつかって相手に想いを込めて言葉を伝えたこと。

緊張していたのもあるし、拒絶されたらと思うと怖い所もあった。

そのせいで物凄く疲労を感じていた。

けど、心の中では充実感も感じていた。

セレナさんと仲良くなれてとても嬉しい。

だから、疲れていたけど、いい疲れだなと思えた。

瞼を開く力も残っておらず、そのまま眠りに落ちた。





それから五日間ほどセレナさんと森で暮らした。

色々話したり、食事をしたり、思い出話を聞いたりした。

ノノも少しずつだが、セレナさんに心を開いていき、私と彼女は本当に祖母と孫のような関係をきずいていた。

しかし、セレナさんは何故、この島に来たのかは話してくれない。

聞いたとしてもはぐらかされるか、別の話題に変えてしまう。

多分、何かしら理由があると思うのだけれど……。




「おはよ、ノノ」




「おはよ、メイ。料理の準備するから、先にお風呂入っちゃって」




「はーい」




ともかく、まずはシャワーを浴びよう。

ぽいぽいと服と下着を捨て、浴槽へと入る。

朝シャワーを浴び、鼻歌をしながらリラックス。

それからささっと着替えを済ませた。

セレナさんは家の中にはおらず、私一人だけだ。

恐らく、外にいるんじゃないかな。

お年寄りは朝が早いし、何より旦那さんとの思い出の地。

ゆったり自然でも眺めているんじゃないかな。

それぐらいには彼女の事は理解している。

外に出ると、大きな木にもたれているセレナさんがいた。

朝の森は少し肌寒い。




「セレナさん、やっぱりここにいた」




「おはよう、メイ。いい朝だね」




「おはようございます。いい朝ですね」




時刻は午前10時を過ぎた頃。

森は平和で、いつも通り静音だ。

日本だとこうはいかない。

セールの掛け声だの、車やらバイク、工事やら……。

もう本当、五月蝿くて仕方がない。

だが、ここではそういった人工的な音は一切聞こえない。

自然の音だけが耳に入ってくる。

風に木の葉が舞い、心地よい音色を奏でる。

都会では決して味わえない雰囲気だ。

今度、理沙やミカちゃん達とお弁当を持ってピクニックに来たいな。

サラさんや梨音さんも誘おう。

きっと楽しくなりそうだ。




「うっ……」




セレナさんが急に口元を抑え、地面にうずくまった。

何度も咳をし、苦痛に顔を歪めていた。

我に帰った私はすぐさま駆け寄った。




「セレナさん!大丈夫ですか!?」




背中を擦る。

雑草に赤いものがべったりとついている。

ポスターカラーよりもクリアで目に痛い印象を受ける。

そして、それは少なからず神経を強張らせる。

言うまでもなく、血だからだ。




「セレナさん、病気なんですか?すぐ医者に……いや、ノノ、ノノ!」




こんな辺境の地では医者はおろか、人なんかいやしない。

ノノの魔法なら完治は無理でも身体を楽にできるはず。

ノノはキッチンからすぐに駆けつけてくれた。

けれど、セレナさんは首を横に降った。




「……いいんだ、メイ。もう身体が長くないのはわかっていたからね。そろそろ寿命なのさ」




「そんな……」




「やっぱり、そうなんですね」




「どういう事、ノノ!?」




「呻き声がセレナさんだとしたら、彼女はここを死に場所に選んだんでしょう」




私は二の句が継げない。

呆然とする私にセレナさんは頷く。




「ここは旦那が私を初めて見た場所なんだ。私が長の使いの後、休憩場としてここを使っていたんだが……それからも一目を偲んでここで愛を語り、抱き合った。あの人を感じられる場所で死ぬためにこの島に来たんだ」




セレナさんは顔こそ苦痛だが、どこか悟った顔をしていた。

けど、すぐに咳をし、血を吐いている。

せっかく仲良くなったのに死なせてなるものか!




「ほう、死にかけとは嬉しいね。手間が省けるぜ」




「誰!?」




急に聞いたことのない声が聞こえてきた。

心をざわつかせる不快感。

同時に複数の足音が聞こえてくる。

振り向くと、そこには大勢の男たちがいた。

どいつもこいつも薄汚れた服に身を包んだ若い連中だ。

顔には傷があったり、中には腕に入れ墨をしている者もいる。

贔屓目に見てもまともな連中ではなさそうだ。

奴らは変な笑みを浮かべながらナイフを手にしている。

だが、そのナイフは以前の船夫達と持ち方が違う。

彼らはナイフを横向けにして持っているのだ。




”油断するな。あの者たちはまともではないぞ。

全員、人を殺した経験を持つ者達だ”




「どういうこと、セグンダディオ?っていうか、随分久しぶりね」




”うむ。実はナイフをそのまま人体に刺しても、骨が邪魔をして致命傷を与えられないのだ。だが、横向きにすることで骨をすり抜け、相手に致命傷を負わせることができる。その状態で刺された場合、死に至る可能性が極めて高くなる”




「……物騒な豆知識、どうもありがとう」




心臓がきゅっと縮む感じがする。

つまり、相手はそれぐらい知っている手練って事ね。

だけど、別に怖くないし……。

敵はざっと見た感じ30人前後。

リーダー格の男は中央のハゲ頭だと思われる。

奴だけ着ている服が小奇麗だから間違いない。




「へへへ、ジェットさん、この女やっちゃっていいっすか?チビとやるのは初めてなんすよ。一週間前から溜め込んですぜ。今にも溢れそうで我慢できないんすよ~」




ギャハハハハハと馬鹿笑いが響く。

その声に驚き、鳥たちはその場を去ってしまった。

車以上に聞きたくない雑音はこういう連中の笑い声だ。




「まだ止めとけ。仕事が済んでからだ。そん時は好きにしていい」




「やりぃ!」




「兄貴、俺も俺も!!」




男たちは私をいやらしい目で品定めしている。

けど、そんな視線は無視だ。

私はセレナさんを後方の茂みへと連れていく。




「セレナさん、大人しくしててくださいね。すぐに片付けてきます。

ノノ、セレナさんをお願い」




「わかったわ」




「メイ、大丈夫なのかい?」




「こう見えてもハンターですから。それなりに場数も踏んでいます。あんな奴らに負けませんよ」




私はそう言い残すと、更に前と出た。

男たちがナイフを構え直す。

戦闘態勢の準備はできているようだ。




「あんた達、いったいここに何しに来たの!?」




「お前が七瀬メイだな?俺はジェット・アルダー。武器商人をしている。その他、金になることなら何でもやる、何でも屋さんだ」




「今すぐ森から出ていって」




私がそう言うと男たちはムッと怒気を強めてきた。

殺気がキツくなったのが肌でわかる。

だが、涼しい顔をしているのはジェットだった。




「おっとそうはいかねぇ、こっちも商売でな。おチビちゃん、痛い目に逢いたくなければお前こそ森を出て行け。そうすれば妖精共々命を助けてやる」





「悪いけど、そんな訳にはいかないわ。第一、彼女はお婆さんよ。お金になるなんて思わないけど?」





ハハハとジェットと呼ばれた男は笑う。

いやらしい笑みを浮かべながら今度はお婆さんを品定めする。





「お前も聞いてるだろうが、そのババアはドラゴニストだ。ナイトゼナはおろか、他の大陸でも例がない貴重なサンプルだ。学者どもに売れば良い金になる。それにドラゴンに戻して解体すりゃ、より金になる。龍は金になるのさ、羽も腕も鱗も歯も全てな。昔からドラゴンは負と金の象徴だ。富と名誉を得るためにドラゴンスレイヤーになった奴も多い」




「戻す……?」




これだよとジェットが取り出したのは金色の鈴だ。

見たところ、普通の鈴にしか見えないが。




「これは龍の鈴だ。ドラゴニストにこれを使えば、一時的にドラゴンの姿に戻せるのさ。ババアを捕まえ、ドラゴニスト研究者に売っぱらい、その後でドラゴンに戻して毟り取る。少なくとも30000万ガルドはするだろう。それが筋書きだ」




「龍の鈴は長の持つ物だ!何故、お前たちが……!!」




セレナさんは堪らず叫んだ。

だが、ジェットは当然だろという顔で




「殺して奪ったからに決まってるだろう。そうか、お前の元いた集落なのか。安心しな、お前を追い出した奴は全員殺してやったよ。長も含め、龍たちはバラバラにして売っぱらい、一部は武器や防具に加工させて商品にした。それが飛ぶように売れてな、お陰で良い思いをしたぜ」




男達は馬鹿笑いし、思い出話に花を咲かせた。

その金で連日連夜大樽で酒を飲んだこと、高級な風俗で女と何日も寝たこと。

それ以外にも男達のくだらない欲求を解消する話が飛び交う。

ハッキリ言ってそんな話など聞きたくなかった。

女の私には理解できないし、したくもない。

だが、耳は戯言の一つ一つを全部拾い取ってしまう。

この時だけは耳が良いということを呪いたくなる。




「長を……集落の者を殺したと言うのか!?誇り高き龍族を殺したというのか!」




「何が誇り高き龍族だ。お前も知っているだろう、龍族が犯した罪を」




ジェットは話をしつつ、私達と間合いを詰めていく。

殺気が辺りから煙のように充満しているのが感じられる。

声は耳が拾うが、神経は殺気を警戒している。

いつ襲いかかっても良いよう、頭を最大限に危機的上にセットする。

セグンダディオを静かに解除しておく。




「マルディス・ゴアは8つあった大陸を4つにしたと言うが、奴一人で大陸を焼いたわけじゃねえ。その中には裏切り者の龍族が数多くいた。そいつらも大陸焼きに参加したのさ。龍は古代より畏怖される存在とされ、一部の人間は神として崇めていた。

だが、その件で人々は龍に憎悪し、今も嫌悪している。だが、龍が人間に化ける姿は極めて美人だと言う。ドラゴニストは特にな……お前の旦那は大富豪だが、どうせ身体目当てだったんだろうよ!!」




ギャハハハハと笑い飛ばすジェット達。

剣を握る手に力が入る。

怒りを歯で食いしばり、暴走しないように理性を働かせる。

それでも怒りや憎悪が胸の中に激しく渦巻いた。

セレナさんは俯くことしかできず、男達の笑いに必死に堪えていた。




「もっと教えてやる……そのクソババアを含め、長や仲間たちも全てマルディス・ゴアの大陸焼きに付き合った連中の末裔だ。100万年前の話だが、龍に関する資料は数多く残っている。それだけ人々の恨みは深かったんだろう。マルディス・ゴアは復活するなんて噂があるが、そうなったらきっと龍達は勇んで参加するはずだ。つまり、俺達は竜殺しの英雄だ!!」




「五月蝿いわね……グダグダと」




私は歩を進める。

もう我慢ならない。

冷静と暴走を脳に叩き込む。

血圧が上昇し、アドレナリンが沸騰する。

八つ当たり気味にセグンダディオを振るう。

大木が音を立てて崩れ落ちた。

男達が笑い声はピタリと止んだ。

彼らは皆、驚愕して顔色を変えていた。

セグンダディオによると高さ112メートル、幹周り58メートルだそうだ。

高さはタワーマンション25階ぐらいだと考えるとわかりやすい。

幹周りは大人30人が手を繋いでやっと囲める太さだという。

そんな木を切り裂く剣など誰も知らない。




「ゴチャゴチャ言ってないでさっさと来なさいよ。それとも怖いの?」




「へっ……ガキが。いっちょまえに舐めた口叩くじゃねぇか。七瀬メイ、お前はなんでこんなババアを守る?仕事なんて適当に報告すりゃいい。守った所でどうせババアはその内くだばる。ドラゴニストの寿命は人間よりも短いんだぞ。世間は龍を心底、憎んでいる。




「私はこの世界の歴史なんか知らないし、100万年前の事なんて興味ない。世間がどう思っていようと関係ない。けどね、私とセレナさんは友達なの。私は彼女の一番の親友になりたい。友達を守るのに理由は必要ない!!」




私が叫ぶと同時に男が跳躍し、襲い掛かってきた。

それを真っ二つに切り裂く。

アジの開きのように頭から股までバッサリだ。

返り血がかかり、私を赤く汚していく。

いつもなら自責の念が湧くが、そんなものはもう無い。

龍だの人だの世間だの、そんなのどうだっていい。




「私の友達を馬鹿にした事、絶対に許さない。地獄で後悔させてあげるわ。

 どこからでもかかってきなさい!!」




そんな私に野盗達は怯えた。

私がどんな顔をしていたのか、私は知らない。

鬼なのか、夜叉なのか、それすらもわからない。

私はもう、頭の中には全員を皆殺しにすることにしか考えていなかった。

そして、セレナさんを罵倒したジェットを許す訳にはいかない。

彼女を追い出したとはいえ、家族だった龍まで自分の私利私欲の為に殺す。

そんな人間を生かしておけば、きっとまた誰かが涙することになる。

怒りと憎しみと悲しさを剣に。

友達の為に利他の心を胸に。

私は駆け出した。

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