第7話喫茶店にて

 ぼくは喫茶店に入ると、さっそくタバコに火を点けた。注文はすでに決まっていたが、ウェートレスはなかなか来なかった。ウェートレスがやっとのことで、ぼくのテーブルに差し掛かった頃には、すでに一本目のタバコを吸い終え、二本目にとりかかろうとしている最中だった。ぼくがコーヒーとタバコを注文すると、ウェートレスは汚い物をつまむような手でコップをテーブルの上にのせた。そのテーブルには、白のテーブルクロスの上に、薄いピンクの四角のテーブルクロスが重ねられていた。

 ぼくはウェートレスが注文を聞いて行ってしまうのを見送ってから、ジーンズの後ろポケットにねじ込んでいた文庫本をひろげた。それはドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟の上巻で、椅子に腰かけた瞬間に異物と感じられたものだった。ぼくは腰を半ば浮かせて、その本を手に取らねばならなかった。

 カラマーゾフを10ページほど読み進んだ頃、ウェートレスはコーヒーとタバコを持ってきた。ぼくはポケットをまさぐって、220円を取り出したが、タバコ代は後精算なると言って去って行った。タバコの上には、紙マッチが置かれていて、デジャブという店の名がそれに印刷されていた。

 ぼくの斜め横のテーブルでは、外国人の夫婦が昼食を摂っていた。何を食べているのかわからなかったが、彼らの会話は英語であることはわかった。夫の方は強度の近視のメガネをかけていた。髪の毛は前面から後退していて、眼は深く落ちくぼんでいた。妻の方は大女で、シワがよく目立ったが、スマートで昔には美人であったかもしれないと思わせる何かがあった。

 彼らはぼくのことに全く無関心で、互いの会話を楽しんでる風だった。そのことはぼくにはありがたいことだった。ぼくはコーヒーをすすり、タバコをふかしながら本を読んだ。もうすでに30ページ近く読み進めていたが、頭の中には何も入っていなかった。ぼくは1時間ほどそうしていたが、気づいた頃には外国人の夫婦は消えて

なくなっていた。それにその時、コーヒーを運んできたウェートレスの声が、ちらと聞こえたような気がした。

 若造のくせにタバコを吸っている。その声はそういっているように聞こえた。コーヒー一杯でよくねばるね、とも聞こえた。ぼくはいそいそと席を立って、お金を払って出て行ったが、千円を超える金額には驚かずにはおれなかった。

 

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