G(ゴッド)キリシマ大勝利! 希望の未来へレディ・ゴーッ!

「ヒィ――ヒィィィィ!」

 耐え切れず、雄二が金切り声をあげた。

 僕の身体も嫌な汗でびっしょり濡れている。雄二の辿る未来の話もそうだけど――とりわけ最後の一言は、不気味なほど近くで囁かれたような気がする。

 雄二にいたっては頭蓋に言葉を直接叩き込まれたようで、脳内を駆け回る音声を摘出しようと正気を失った瞳で頭を掻き毟っている。

「なんていうか……雄二……その……」

 ネジが脱落して奇怪な動作を見せ始めた人形のような、そんな親友の姿を、僕はとてもじゃないけど直視できなかった。暗い影、濃い霧のようなものが、雄二の背中を覆い尽くしている。そんなビジョンが確かに見えてしまう。

「もう霧島さん、限界だよ……。雄二が追い詰めたとは言わないけど、もうどうしようもないから、諦めよう? そうしないと雄二が死んじゃうよ……」

 恋愛禁止令以降、霧島さんに積もり積もったストレスは、もはや溢れる寸前、表面張力で何とか耐えている状況なのだ。雄二をズダ袋に突っ込んで登校デートしたり、心音を聞き分けて下校デートしたり、何とか心の安寧を計ろうとはしていたみたいだけれど、彼女の究極の望みはずっと一緒にいることだ。完全な息抜きにはならなかったに違いない。

「明久テメェ! なんでもっと早く言わねぇんだ!?」

「拒否したのは雄二のほうじゃないか!」

 恐怖から逃れるように、雄二は怒りの矛先を僕に向けてくる。僕は事実だけを突きつけて言い返した。

「あの時、あの試験の日――僕はこの事を伝えるつもりだったんだ! ヤバいぞ雄二、ホントに死んじゃうぞ雄二、これシャレになってないぞ雄二って!」

 乗っていた飛行機が墜落……だっけか。悪運が強い男だからそう簡単には死にそうに思えないのだけれど、なぜだろう。霧島さんが死ぬといったら、確実に、100%、疑う余地なく死にそうな気配があった。

 霧島さんの肉声には、妄言ではなく預言だと断言できる迫力が込められていた。妄想を語り続けるというよりは、機械的にアカシックレコードを読み上げているみたいな雰囲気をかもし出している。このICレコーダーと一緒に、彼女の顔を見ながら聞いていた僕にはよりはっきりと判った。

 彼女はこの未来を確信している、と。

「このままだと、雄二は死ぬだけじゃ許されないんだ! 何度も死んで、何度も生まれ変わって、何度も霧島さんを出産――」

「言うんじゃねぇぇぇ!」

 絶叫して、雄二はICレコーダーを床に叩きつけた。外壁から中身が散ってなお、レコーダーは飛び飛びに霧島さんの声を再生し続ける。

「雄二! こんな戦争やってる場合じゃないだろ!? 今すぐ霧島さんのところに行って、仲直りしろ!」

「うるせぇ! もしこのタイミングで翔子と逢ってみろ! 俺は即座に拘束されて、一生外に出れなくなるだろうが!」

 崩れ落ちそうになる膝を叱咤して、雄二はやっとの思いで姿勢を保っている。

「でも、これ以上霧島さんにストレスを掛けたら何するかわかったもんじゃ……!」

 例えば、あの預言が早まる、とか――。

 雄二の肩がびくりと震えた。その想像に思い至ったのだろう。ぎりぎりと歯軋りしながら俯いてしまう。

「こんなに苦しい思いをするのなら、愛など……!」

 そして、再び顔を上げたとき、雄二の血走った瞳には大きな決意を秘められていた。

「愛などいらぬ! 手始めに明久! てめぇをぶっ飛ばして、今度こそ学校から全ての恋愛を駆逐してやる! そしていずれこの世から、愛という概念全てを消し去ってくれるわ!」

 RPGの魔王も呆れかえるようなベタベタな思想を振りかざして、雄二は自らの召喚獣を跳躍させた。振りかぶったメリケンサックが、窓からの光を受けてきらきらと輝く。

「この――バカっ!」

 僕も召喚獣を走らせた。

 雄二はやっぱり分からず屋だ。

 でも、僕には判る。雄二はただ、恐怖心ゆえに冷静さを欠いているだけなのだ、と。いつだって、この僕の親友は酷薄に状況を理解し、打開策を打ってきた。だから、たった一発、顔面に拳をぶち込みさえすれば、きっと雄二も落ち着いて、今やるべきことを正確に把握できるはずだ。

 それが判るんだよ雄二。何度僕たちが喧嘩したと思ってる――!

「死ね、明久っ!」

 唸りを上げて振り下ろされた拳を、僕の召喚獣は速度を緩めることなく掻い潜った。雄二の点数は僕と比べるべくも無い。最初から、受け止めるつもりなんて毛頭もない。

「覚悟しろ、雄二っ!」

 僕の狙いは本体だ。ついさっき姫路さんにやったのと同じように、特別製召喚獣の持つ物理干渉能力をフル活用するしか道は無い。雄二本体の脳天をカチ割って、中身を引きずり出して、直接霧島さんの愛に応えろと教え込んでやる!

 木刀を一閃させた。捕らえた――と、その軌道に確信を抱いた直後。

「オラァッ!」

 雄二が蹴りを放って、僕の召喚獣を迎撃した。点数減少は微々たるもの、消滅こそしなかったが、重い鈍痛が腹部にフィードバックしてきた。かつて鉄人すら撃破したこの戦法にも、雄二は対策を立てていたか。

「なっ!」

 が、失敗を後悔している暇は無かった。

 なんと、やり過ごしたはずの雄二の召喚獣が一直線に僕目掛けて突っ走ってきたのだ。首筋に嫌な予感を感じ、痛みに抗議の声を上げる身体に活を入れて咄嗟にその場を飛びのいた。繰り出された右ストレートが、風圧を残して僕がいた場所を打ち抜いた。

 衝撃音を響かせながら、廊下側の壁に拳の形をした大穴が開いた。

「物理干渉!?」

 見れば、雄二は拳へのフィードバックに顔を顰めている。僕も経験があるが、壁を殴り壊す衝撃は結構拳と手首を傷めやすい。

「各陣営の代表者は条件を対等にしてある。どうする明久! てめぇのアドバンテージは何一つねぇ!」

 対抗しうる唯一の戦術を封じられたことになる。これが雄二の最後の隠し玉だろう。なんと用意周到なことか。

 長机をなぎ倒し、パイプ椅子を投げつけながら、惨めたらしく逃げ惑うしかなかった。小さな召喚獣はすばしっこく、そのくせ点数に比例して力が強い。次々に障害物を破砕しながら、雄二の召喚獣は執拗に僕本体を狙い続けてくる。

 500点オーバーのパンチを食らえば痛いじゃ済まされない。先ほど食らい掛けた、姫路さんの音を置き去りにするストレートよりは幾分避けやすいが、殺気と執念に漲る連続攻撃に僕はあっという間に追い詰められてしまった。

「召喚獣がお留守になってんぞ!」

 逃げるのに必死で、召喚獣の操作が疎かになっていた。棒立ちの僕の召喚獣に、雄二がサッカーボールキックを見舞う。後頭部に強烈なフィードバックが来て膝が折れる。

 ――ここまで来て、眠るわけにはいかない!

 暗転しかけた視界に無理やり火を灯らせて、続けざまの召喚獣の攻撃を床を転がりながら回避した。

「どうした明久。逃げるだけじゃ面白くないだろ」

 双眸に冷えきった光を輝かせて雄二が挑発してくる。

「――雄二」

 僕も言い返そうと口を開く――が、言葉が出てこなかった。

 すっかり息が上がってしまっていた。喉が張り付き、掠れた声を搾り出すのがやっとだ。

 四肢がずいぶんと重く感じられた。頭を痛打されたことで、身体が開戦以降蓄積された疲労を思い出してしまったらしい。

 萎えそうになる戦意を奮い立たせて、それでも僕は召喚獣を繰る。

 何をしてでも、この男をブン殴りたかった。自分がどうなろうと、霧島さんの想いをその脳髄に響かせたかった。なにより――

「いい加減に、しろっ!」

 ――何があろうと、この男を救ってやりたかった。

 僕の意志に応えて、疲れきった召喚獣が木刀を振りかぶって飛び上がる。

 しかし、攻撃が届かない。雄二は腕で木刀を受け止めるや、むんずと召喚獣の胸倉を掴んで長机に叩きつけるように放り投げた。机が真っ二つに引き裂かれる。フィードバックの衝撃に肺を潰されて、溜まらず僕は突っ伏してしまう。

「トドメだ……!」

 大の字に寝転ぶ僕に、雄二の召喚獣がゆっくりと近づいてくる。

 もはや指一本も動かせない。辛うじて首を動かすのが精一杯だ。

「どうしてそんなに頑ななんだ……!」

 身体に残った最後の力を振り絞って、僕は肺を締め上げた。濁った喘鳴と一緒に、なんとか言葉を発することが出来た。

「応えてやれよ、雄二! 霧島さんから、逃げてばかりいるなよ!」

「出来るか、バカ! 翔子の愛は重過ぎるんだよ!」

 雄二の召喚獣が拳を振り下ろしてきた。咄嗟に目を瞑る。逃げられない。

 しかし、雄二のストレートは僕の顔の真横を抉っただけだった。わざと狙いを外したのか、それとも雄二の心に乱れがあるのか。

 見極めるように、僕は雄二本体をまっすぐ仰いだ。僕の視線を拒むように、雄二が胸を掻き毟って叫びだす。

「愛があれば何をやってもいいのか!? 仕方ないで済むのか!? お前も経験してるだろ! 愛の名の下に執行される、尋常ならざる理不尽な暴力を!」

 ――判るよ、雄二。

「俺は普通の恋愛がしたいだけなんだ! 普通の高校生らしく、普通の人生でありうるような、普通の恋愛で充分だったんだ! それ以外何も望んじゃいねぇ! なのに翔子の愛は重すぎて、俺なんかじゃ背負いきれねぇ!」

 霧島さんは一緒にいたいがあまり雄二を拘束、監禁しようとする。

 姫路さんは愛情たっぷりと化学物質たっぷりを混同して、料理を生物兵器に変えてしまう。

 美波はすぐに暴力に訴える。

 工藤さんはムッツリーニにセクハラを欠かさない。

 清水さんは性欲を隠さない。

 秀吉は……いつだって愛の矛先を向けられて窮屈そうだ。

「雄二、確かに僕らの周りには、怖い女の子が多いよ」

 僕も雄二もムッツリーニも秀吉も、だから困っている。身体だけでなく心にも生傷が絶えない。どうしてこうなったと、理不尽さに絶望することだってある。

 充分知っている。理解している。何度も経験している。

 ツンデレ。ヤンデレ。暴力女にストーカー、メンヘラに色情狂。雄二の言うとおり、僕たちの周りには愛の一言では許されないアウトローが目白押しだ。笑って流せる事態じゃない。

 だから僕は。

 ここで、立ち上がらなければならなかった。

「だけど! 愛に、重いも軽いもあるもんか……!」

 ゆっくり、四肢を動かしていった。力の抜けそうになるだらしのない足を手で掴みあげて、辛うじて立ち上がる。

「愛は証明するものなんだ! 姫路さんと話して、僕はさっきようやくそれに気付いた!」

 雄二の目が見開かれた。そして、意味を反芻するや、憎しみの篭った目でにらみ返してくる。

「だからお前は許せって言うのかよ。それじゃあ俺たちは、一生救われねぇ」

「違う! 愛は証明するもの……二人で、証明するものなんだ!」

 僕は姫路さんへの配慮が足りなかった。美波には遠慮しすぎて、彼女を笑って未来に送り出せるような、ちゃんとした会話が出来なかった。

「愛は一方通行じゃ駄目なんだ。好意を向けられた僕たちこそが、しっかり向き合って、そこから愛を形作らなくちゃいけなかったんだ! 彼女たちが暴走する前に、話し合って、心を通わせて、暖かい愛を縁取っていかなくちゃいけないんだ!」

「――っ!」

 結果は、幸福じゃないかもしれない。深い悲しみを生むかもしれない。いや、多くの場合でそうなってしまうだろう。。

 でも、きっと、たとえ悲しい別れに直面したとしても、心を通わそうと二人が努力すれば、そこに暖かい気持ちが残せるはずだ。そんな温もりの事を、人は愛と呼ぶのだ。

「僕たちが悪かったんだよ、雄二。ちゃんと向き合わなかったから、みんなエスカレートしちゃうんだ。ちゃんと聴かなくちゃ。受け取らなくちゃ」

 僕らはまったく出来ていなかった。逃げ惑い、先送りにし――時には拒絶し、顔を合わせることさえ恐れていた。

 それじゃ駄目なんだと、僕は知った。やれやれだとか、えっだとか、聞こえなかっただとか、誤魔化したり、気付かないふりをしたり、遠慮したり、そんなのらりくらりとはぐらかしてばかりじゃ、愛は生まれない。

「雄二。霧島さんと話してよ。本心を暴露しろとか、全部受け入れろとか、そういうんじゃない。聴いてあげて。心で受け止めてあげて。二人がその後どうするかは、まず心を通わせてから決めることじゃないか」

 難しいことなんて何一つない。話を聴く。それだけでいい。理解できるか、受け入れるか、納得するか、それとも拒絶するか、妥協するか。そんなのは別の話だ。

「チッ……」

 雄二が悔しそうに舌打ちし、そして自分の召喚獣を下がらせた。

 届いたのだ。僅かなりとも、心を動かすことが出来たのだ。

「バカに説教くらうとはな。明久、テメェ……変わったな」

「誰がバカだって?」

「お前以外の誰がいる? 愛、愛、愛――と恥ずかしくねぇのか」

「これ以上上手い表現が見つからなかったんだよ……」

 言われてみれば、と僕は赤面する。雄二は苦笑して、すっかり落ち着いた声音で

「バカが」

 と呟いた。

 聴きなれたその罵倒は、なぜだろう、このときだけは勲章のように誇らしく思えた。

「――さて、どう始末をつけるかな」

 どっかと床に腰を下ろし、雄二は頭を掻いてしかめっ面を作る。

 僕も限界だった。緊張の糸が切れるなり、その場に倒れてしまった。

「ごちゃごちゃ考えるより先に、霧島さんに逢いに行けば? 考えすぎるのは雄二の悪い癖だろ」

「バカ言え。一度おっぱじめた試召戦争がこんな形で決着したら暴動すら起こる。なんか上手い落とし所が必要だろ。――校則を元に戻すとか」

「……校則を?」

 雄二の心境の変化は劇的だったらしい。

 自身の負けを認めたばかりか、僕に対する配慮まで見せている。いや、頭の回転の早い僕の親友のことだ。もしかすると、霧島さんと話し合うには校則が邪魔になると瞬時に判断したとも考えられる。

 願ったり適ったりだった。ここは是非、雄二には悪知恵を働かせて欲しい。

「俺が討ち取られるのが手っ取り早いが、明久と手打ちにしたという形で収めるのも・・・…」

 と。

 雄二が一案、二案をひねり出し始めたところで、教室の扉が開かれた。

 静かな足取りで入ってきた人物に、真っ先に雄二が反応した。

「翔子――」

 霧島さんだった。その表情はまだ晴れていない。けれど、何か重大な決意を秘めてここに来たのだということが、ぴんと伸びた背筋から感じられた。

 霧島さんは雄二にまっすぐ目を向けると、いつもと変わらぬ口調のまま言った。

「……雄二。話がある」




「聞いてたのか?」

 気まずそうに立ち上がって、雄二はまず、そんな風に返した。

 いつから霧島さんが扉の前にいたのかは判らない。ただ、僕が散々愛だ愛だと叫んだ直後のことだ。それを耳にし、今こそ期とばかりに現れた可能性はあった。

 なんとも気恥ずかしい――のだが、予想に反して霧島さんは首を横に振った。

「……何を?」

「いや、いい。こっちの話だ」

 心を入れ替えたといっても、雄二にはまだ戸惑いや躊躇いがある。またぞろ逃げる口実でもひねり出すんじゃないかと、僕は友人の背中に監視の目を強めた。

 僕の視線を感じたのかどうか。雄二は少し逡巡して、それから深々と頭を下げた。

「俺が悪かった。すまない、翔子を追い詰めちまった。この通りだ」

 初めて見るかもしれない、雄二のガチ謝罪だった。

 とはいえ笑う気にはなれない。雄二の下げた頭には真心が篭っている。今僕がそれを茶化すのは、あまりに空気が読めない行動だろう。

「束縛から逃げたい一心だったんだ。俺だって――」

「雄二」

 名前を読ぶことで、僕は気持ちの決壊しかけた友人の声を遮った。今伝えるべきことはそうじゃないだろう、と。

「そうだった……悪い、俺のことじゃないよな」

 吐息をひとつ。雄二はイラつくことなく、僕の促した注意を気に留めてくれた。言外に、助かったと礼を言われているような気さえした。

「翔子。お前の話を聴かせてくれ。逃げたりしない。もっと早く、こうしてやるべきだった」

 霧島さんは不思議そうに小首を傾げている。雄二の心境の変化に戸惑っているのかもしれない。けれど、反応は上々だった。霧島さんは安堵したように、はにかむような笑みを浮かべたから。

 雄二は、本来やるべきだった最初の第一歩を踏み出すことが出来たのだ。

 ――想いを伝えたりするのは勇気が必要だ。胸襟を開いて、自分の何かをさらけ出すことも大変だ。

 でも、それ以上に、心を傾けて聴くことは難しいものなのだろうと僕は思う。自分のことなら、結局勇気ひとつ、苛立ちひとつでいくらでも喋れてしまうのだから。

「えーっと、僕は失礼するね」

 恐る恐る手を上げて、僕は這うようにその場を離れようとした。

 心が通いさえすれば、この二人が不幸になるはずがない。この場に部外者がいるのは無粋というヤツだ。後はお若い二人に任せて……というわけではないけれど、二人が気兼ねなく語り合えるように席を外すのは当然の配慮と思ったのだ。

「……待って。吉井にも聞いてほしい」

 けれど、そこに待ったをかけたのは霧島さんだった。

 ちらりと雄二に目配せを送る。意図が判らんとばかりに、困ったように眉を寄せている。

「じゃあ、僕も同席させてもらうけど……」

 場違いなのは重々承知だが、相手の発言の途中に意見を割り込ませてしまいがちな雄二のサポートも出来るかもしれない。雄二もそこを了解したのか、無言で頷いて僕の同席を認めた。

「翔子。話してくれないか。お前が本当はどうしたいのかを……」

 雄二が促す。霧島さんがこくりと頷いた。

「……雄二。聞いて。私は――」

 言葉を交わそうとする二人の姿に、僕はどこか満ち足りた気分になった。

 僕たちの結末に、優劣をつけるための戦いなんて必要なかった。妥協を見つける話し合いも、いらなかった。

 話をするだけでいいのだ。話す。聴く。心を通わせる。そこには何の壮大さも、努力もいらない。でも、たったそれだけのことで救われる人間が、世界が、どれだけあるだろう。

 霧島さんは少しはにかんでから、やがて静かに声を待つ雄二に柔らかい微笑を向けた。なんだ、心配することないじゃないかと、僕は胸の奥でちょっとだけ嫉妬してしまった。

 二人はもう、心を通い合わせる準備が出来ている。見詰め合う空気が、微笑が、それを証明している。言葉は、互いの胸にしみこむようにして溶けていくだろう。何の心配も要らない。

 二人はここから、本当の愛を作り上げていくのだ。

 そして、霧島さんは言った。










「……私、霧島翔子は、このたび新たに、文月学園恋愛聖教会を設立した」

「「――は?」」

 予想外の言葉に、僕らの声が重なった。聖……教会?

「お、おい、翔子――?」

「……代表は私。メンバーはこれから募集する。だから今は一人だけだけど、今回の試召戦争には第三勢力として参加している」

 先ほどの微笑みはなんだったのか。機械的な声音で、霧島さんは喋り続ける。

「……学園長は許可済み。勝利者が校則を支配できるという権利は、私にも適用される」

「雄二。……なんだかとっても嫌な予感がするんだ。どういうことか解説を頼みたいんだけど」

 いまいち事態がつかめず、僕は頭の回転が速い隣の友人に助けを求めた。僕が理解できるのは、今とてもマズい状況に追い込まれつつあるという直感だけだ。

 僕の質問に答える時間すら惜しいと判断したのか、すでに状況を正確に把握したらしい雄二は、慌てて弁解を始めた。

「翔子! 違う! 俺と明久はもう手打ちにするつもりだったんだ! 校則は変わる!」

「そ、そうだよ霧島さん! 去年と同じ校則に僕が戻すから――!」

 僕もその尻馬に乗って付け加える。霧島さんの望みはこれで叶うはずだ。

「……去年と同じじゃ、駄目」

 けれど、霧島さんはしっかりと否定の意志を表すと、ついと右手を掲げた。

 霧島さんの後ろから、武者鎧に身を包み、黄金色の太刀を佩いた召喚獣がトコトコと現れた。

「ぅゎぁ」

 その頭上に輝く点数を見て、我知らず声が漏れる。

 信じられるだろうか。驚きの1200点――四桁、ぶっちぎりだった。雄二の二倍強、僕の百倍。答えを事前に把握していたとしても、筆記速度の限界を破らなければ到達できない点数だ。

 黙々と勉学に励み、黙々と試験に打ち込む霧島さんの姿が目に浮かぶようだった。同時に背筋が寒くなる。いくら勉学は黙々と遂行されるものだとしても、限度はあろうに。

 意志の強さという次元を超えて、執念というべき気迫がその四桁の数字からは滲み出していた。

 そして、その前提で見れば。

 明らかに、霧島さんには色濃い疲労が見て取れるのだった。白い肌はもはや青白いとすら形容できるほど透き通っていた。青い静脈の浮き出したこめかみは、目に見えるほどの拍動を繰り返している。瞬きするごとに瞼はびくびく痙攣し、落ち窪んだ眼窩にはクマが張り付き、感情を失ったかのように光をなくした瞳は赤く充血していた。

 こんなの、尋常じゃない。

 尋常な精神であるわけがない――。

「……校則を元に戻すだけじゃ足りない。ここで雄二を討ち取って、私が校則を作る。新たな学校を作る。そして――」

「「逃げろ!」」

「……駄目」

 教室から脱出を図った僕らに向けて、長机が飛んできた。鼻先を掠めた机が、壁を貫いて進路を塞ぐ。霧島さんの召喚獣が投げつけてきたのだ。

 そうか。

 ――。

「どうして余計な機能つけるんだよバカ!」

「こんなことまで読めるかバカ!」

 ただの一手で僕たちの進退は窮まった。教室にある二つの出口は、一つは長机に、もう一つは霧島さんによって塞がれている。

 突破は不可能だった。四桁という未知の点数を引っさげて繰り出される物理干渉攻撃は、一体どれほどの破壊と暴虐を生み出すのだろうか。まったく予測が付かない。フィードバック云々はもはや関係ないレベルで、マジで討ち取られてしまいかねない。

 するりと霧島さんの召喚獣が太刀を抜き放つ。刃風が巻き起こった。――想像を絶する規模で。

 周囲の長机が吹っ飛んだ。ガラスが砕け散り、蛍光灯が爆発し、教室全体が嘶くように、ガタガタと揺れ始めた。

 マズい。システムが暴走しかけている。制御と慈愛を失った力が、獰猛な唸り声を上げて僕たちに狙いを定めようとしている。

「待ってくれ翔子! そんな点数で攻撃したら――!」

「やめて霧島さん! 召喚獣の力は点数に比例する――!」

 目も開けられぬ風圧に曝されながら、僕らは必死に命乞いする。が、いまや太刀風から剣気へと変貌した荒れ狂うエネルギーの奔流に攫われて、僕らの声は霧島さんには届かない。蠢く暴風の中心で、霧島さんが太刀を大上段に構えるのが見えた。

 ――これは死ぬ。思えば短い人生だった。中でも特別色濃い、去年の思い出が次々蘇ってくる。小説『バカとテストと召喚獣』は1巻から12.5巻まで、短編を含めて全18巻だ。コミックスもあるしアニメ化もした――。

「明久っ!」

 叱咤に、詳細に蘇り始めた走馬灯を封じ込めて、僕は雄二に顔を向けた。

 何かを訴えるように、雄二は教室の一点を見つめていた。

 その視線の先。教室の、砕け散って歪んだ窓辺。千切れそうなほどはためく白いカーテンの向こう。

 長閑なほどに青い空が、広がっていた。

「――っ!」

 迷っている猶予などなかった。僕らは駆け出していた。

 ガラスを踏み砕き、窓枠に手を掛け――。

「「飛べぇぇぇ!」」

 空に、身を躍らせた。

 ここは二階だ。でも、所詮二階だ。多少の重症、命には代えられない!

「……逃がさない。絶対に」

 ぽつりとそんな声が聞こえた――ような気がした。

 直後、僕らの背後が輝いて、生徒会本部の壁が爆炎と共に吹っ飛んだ。ビーム兵器みたいな光の奔流が解き放たれて、僕らを飲み込んだ。

 音が飛び、視界が消え――灼熱が全身を細かく切り裂いていった。

(雄二……戦いは何も生まないよ……)

(そうだな……明久、俺はもう戦わな――)

 僕は友人の顔を見つめた。目線だけで交わす会話も、これが最期になると判ってしまったから。

 雄二はどこか諦めたように、微笑みを浮かべていた。そして、その微笑だけを遺して、燃やした紙がぐずぐずに崩れ落ちていくように白い光の中に融解していった。

 さようなら雄二。楽しかった――。

 深い哀悼と別れを告げ切れないまま、やがて襲ってきた頭頂からのゴキリという鈍い音と共に、僕の視界は暗転した。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る