エピローグ
最後の最後で大怪我に見舞われた僕は、結局、復帰に一週間を要した。
「――たく、酷い目にあったぜ」
同じく重症を負った雄二も、今日が戦争後の初登校となる。まだ身体の不調が残っているのか、しかめっ面をして僕の隣に腰を下ろしてきた。
僕たちは体育館に集められていた。復帰初日の一限目から、新生徒会主催の全校集会が開かれたのだ。
当然、生徒会会長は霧島さんだ。僕と雄二を撃破し、すなわち全校生徒の中でただ一人の勝利者となった霧島さんは、今や完全無欠の独裁者として君臨している。
――あの試召戦争の顛末を、ここで述べておかねばならないだろう。
結論から言えば、あの戦争は文月学園に深い爪あとを残した。負傷者多数、補習者膨大、校舎破損――あの戦争で起こったことを箇条書きにすれば、いかに異常な事態かが判ろうという物だ。
まず、長ドスを振り回す女の子が現れたと警察に通報が行った。
すわ大惨事と駆けつけてみれば、運び出されてきたのは関節がぐにゃっとなった長ドス所持の女の子。一体校内で何が、と警察が不審に思うのも無理ない話だ。
彼らが大慌てで救急に連絡を入れると、その目の前で非難器具のシューターが展開された。こいつはマズいと判断して、彼らはすぐに消防にも応援を仰がなければならなくなった。
事態を把握するため、校内に踏み込みたい公的権力と校門前で対峙したのは鉄人たち教師陣だった。が、何も変なことは起こっていないと強弁するその背後で、半裸の男たちが方々で大乱闘をおっぱじめるという地獄絵図が展開されてしまった。あまつさえ、爆炎が巻き起こるたびに負傷者が続々搬出されてくる。ことここにいたって、ついに鉄人たちは公的権力に膝を屈するしかなかった。
そして、踏み込んだ矢先にガス爆発染みた轟音である。校舎の一角が吹き飛び、墜落してきた生徒二人は心肺停止の重症。巡り巡って、僕と雄二は校門前に待機していた救急車に命を繋ぎとめられた事になる。
「……学校閉鎖まで行くとおもったんだがな」
「ババア長も寝込んだって聞いたよ」
いまや文月学園の名前は悪名と共に全国区になった。
一面とまではいかないものの、三面の片隅程度には、新聞紙面や週刊誌をにぎわし続るホットな話題の一つなのだ。今日も校門前にはマスコミがカメラを並べ、行きかう生徒にマイクを向けたりしてくる。
文月学園は対応を迫られ、対外的、内部的に、幾つかの施策を講じなければならなかった。その一つが――。
「ともかく、また一緒のクラスで嬉しいよ、雄二!」
「クソがっ! 笑うんじゃねぇ明久!」
「ただの励ましだよ!」
「いいや、お前は今俺をバカにしやがった!」
坂本雄二、3-Aから3-Fに降格である。
終戦直後、ババア長は退学論を譲らなかったらしいが、死の淵を彷徨う生徒に対しそれはあまりにも惨いと、鉄人が取り成してくれたらしい。
ちなみに僕にもきっちりペナルティが課せられている。これから毎日、朝と夜の補習が組み込まれることになったのだ。おはようからおやすみまで面倒見てやるぞ、と爽快に笑った鉄人の顔が忘れられない。
「やめんか、二人とも。普通なら退学じゃろう? ここは鉄人に感謝してしかるべきじゃろうに」
取っ組み合う僕らを諌めてくれたのは秀吉だった――秀吉?
「あれ、髪……」
一週間ぶりに見る秀吉に、僕は目を見開く。
肩口まであった髪がばっさり切り落とされていて、スポーティーな短髪になっていた。秀吉はちょっと照れた様子で自分の頭を撫でる。
「うむ。外見から変えるのが手っ取り早いと姉上が……の」
刈られたのか。似合わないわけではないけれど……。
「じゃが、まあ、これならどこからどう見ても男にしかみえんじゃろう。どうじゃ明久」
新しい自分を受け入れたのか、秀吉は存外にこやかに笑う。
僕は……僕は目を逸らすしかなかった。
ダメだよ秀吉。どっからどう見ても、かつて流星のように現れて消えていった男の娘雑誌「わぁい!」に出てきそうな超絶可愛いショタっ子にしか見えないよ。むしろ新しい性癖に目覚めさせる蠱惑的な魅力になっちゃってるよ……。
「――そういえば全校集会って何やるのかな」
「スルーはやめてくれんかの!?」
だってもはや何を言っても傷つけそうなんだもの。
新たな属性を獲得した秀吉には一切触れないようにして、僕はまだ誰もいない壇上に目を向ける。
文月学園が講じた第二の手段は、校風と校則の改革だ。優等生たる霧島さんを梃子にして、世間様に恥じることのない学校づくりを目指そうというわけだ。
ただ、いくら優等生とはいえ霧島さんだ。どんな校則を打ち立ててくるのか、不安で仕方がない。
そういえば、と僕は周囲を見回した。
集められた生徒の中に、姿の見えない人たちがいる。姫路さん。美波。クラスは違うけど、木下さんや工藤さんも不在だ。
霧島さんは「メンバーはこれから集める」と言っていた。彼女たちが構成員としてスカウトされたのだろうか。
「まさか、ムッツリーニも……?」
「…………ここにいる」
音もなくムッツリーニが僕らの背後に現れた。
「びっくりさせないでよ。今までどこにいたのさ」
「…………生徒会の仕事を手伝っていた。照明やマイクの調整とか、隠しカメラや盗聴器の排除など」
ネタ集めに必死になるマスコミも、このところエスカレートしてきているらしい。何とか文月学園の異常性を暴露しようと、あの手この手なのだとムッツリーニは憤慨したように言った。
――ということは、マスコミに明かせない所業がここで繰り広げられるというのだろうか。あまり公明正大な事態ではなさそうだ。
「おいムッツリーニ。生徒会に入ったのか?」
警戒心を露に、雄二が尋ねる。
ムッツリーニは顔を伏せて、強く否定の意志を表した。
「…………いや。これは俺の贖罪。生きているだけで汚らわしい俺は、こういうことでしか学校に貢献できない……」
どうもムッツリーニ、思った以上に追い詰められているようだった。ピュアな心と男性のどうしようもない生理活動を暴露されて、おそらくは女性連中から手ひどく嫌われてしまったのだろう。
「…………生きていてすまない。汚らわしくてすまない……」
「ムッツリーニ! 気を確かに! 汚らわしくなんてない、生きていていいんだ!」
涙を流して項垂れるムッツリーニを抱きしめて、僕は本心から励ました。ピュアな心とえっちな心は矛盾しない。それを切り分けて非難する女性陣は間違っていると。
ムッツリーニはうつろな瞳で僕を見上げて、かすかに微笑む。
「…………最近俺は
笑えないよ。
「…………でもそんな俺を、生徒会は拾ってくれた。毛嫌いすることなく、ツバを吐きかけることもなく……」
肩を震わせて泣き咽ぶムッツリーニに、僕はもう掛ける言葉も見つからない。
「予想以上に環境が変わってやがる」
隣を見ると、雄二も友人の変貌振りに眉根を寄せていた。ムッツリーニの丸くなった背中に、霧島さんの影響力の強さを感じたのだろうか。
何がここで行われるのか、いよいよ不安になる。その不安に追い討ちを掛けるように、不穏な台詞がムッツリーニからぽろりと零れ落ちてきた。
「…………こんな俺に声を掛けてくれるなんて、霧島様はなんて素晴らしいお方なんだ……」
様……と来たか。
(雄二。これはちょっと……)
(ああ。何が始まるのか、大体予想できてきたぜ……)
冷や汗が止まらない。このままここに留まるのは、非常に危険なのではないか。僕らは顔を見合わせて善後策を検討し始める。つまり逃げるか、どうか。
「――いや、実際、霧島様は良くやっているのじゃ」
機先を制するように秀吉が笑いかけてきた。何かのスイッチが入ったかのように、秀吉の瞳からもハイライトが消えていた。
「おお、そうじゃった、二人は今日が復帰初日じゃったな。大事なことを教えておかねばならんから、心して聞いて――」
秀吉の豹変振りに、僕らは逃げようと決断する。が、腰を浮かしかけた瞬間、体育館の照明が全て落ちた。全ての窓に遮光カーテンが降ろされているせいで足元が覚束無くなる。
「げぇ……!」
やがて頼りない照明が壇上を照らしたとき、僕らはぎょっと身体をのけぞらせてしまった。
体育座りで思い思いに駄弁っていたはずの全校生徒が――この僅かな間に、寸分乱れぬ直立姿勢で整列していたのだ。誰もが瞳を爛々と輝かせて、壇上を見つめたまま瞬き一つしない。
『霧島様よりお言葉を賜ります。――そこ。早く並びなさい』
これは木下さんの声だ。短い叱責と同時に、全校生徒の視線が一斉に僕らを向いた。誰も彼も瞳が虚ろだ。数百の瞳に打ち据えられて、ヒィ――と悲鳴が漏れそうになる。辛うじて堪えて、僕たちもすごすごと列の中に入らざるを得なかった。
やがて木下さんに促されて、霧島さんが薄暗い壇上に現れた。白いマントを羽織ったその姿は、神々しいというより不吉ですらあった。彼女はマイクの前に立ち、いつもと変わらない簡潔な言葉を響かせる。
『……みんな。おはよう』
「「「はい! 私は幸福です!」」」
直後に体育館を揺らした、全校生徒の一糸乱れぬ大合唱に、僕と雄二は震え上がった。
(――洗脳じゃん!)
(そう来たか、翔子っ……!)
特に雄二の怯えようは酷い。手の振戦をとめることができず、自分の身体を掻き抱いてすらいる。
『……今日は新生徒会の幹部を発表する』
「「「はい! 私は幸福です!」」」
『……生徒会副会長。姫路瑞樹』
「「「はい! 私は幸福です!」」」
『……生徒会書記。木下優子』
「「「はい! 私は幸福です!」」」
『……生徒会異端審問会統括。島田美波。一番隊、工藤愛子。二番隊、久保利光』
「「「はい! 私は幸福です! 私は幸福です! 私は幸福です!」」」
『……他、各委員長は追って掲示する。各自熟読し、未来永劫の忠誠を誓うように』
「「「はい! 私は――幸福です」」」
壇上に並んでいく新生徒会の面々は知った人ばかりだけれど、彼女たちがどうも、かつてないほどのやる気に満ち満ちた表情をしているのが気になった。
洗脳する側の人間だという自覚があるのだ。大変な組織が上に出来上がってしまったと僕は悟る。
『……みんな。今、私たち文月学園は試されている。世間は、私たちを口さがなく糾弾する。けれど、私たちは、この学園を愛する私たちは、絶対に屈しない』
「「「はい! 私は幸福です!」」」
淡々と霧島さんは口上を述べていく。全校生徒も渾身の力を振り絞ってそれに応えている。微動だにせず、しかし声だけは張り上げる――これがどれほど辛いことか、わかるだろうか。
『……まずは挨拶から変える。みんな、中々出来ている――けど、まだ足りていない。もっともっと心の底から幸せを感じて。もっともっと本気になって。そして向けられる全てのことを、心を込めて受け入れる。心が変われば行動も変わる。みんなの行動が変わればきっと学園も変わる。学園が変われば、いつか世界も変わる。幸せに。無限の愛に包まれた、真なる幸福に。――みんな。幸せ?』
「「「はいッ! 私は幸福ですッ!」」」
何故だろう……霧島様の言葉が心に響く。甘い香りがする。なんて良い思想なんだろう。甘い香りがする。みんなが愛を持って、いつか世界を救えるなら、甘い香りに包まれて、これに勝ることなんかないのではないか。
(お、おい! 明久、目を醒ませ! 何か焚かれてる――!)
(ハッ……!)
わき腹を肘で突かれて、済んでのところで僕は自我を取り戻した。さっきから鼻先を擽っているこの香り。嗅いでいると意識が飛びそうだ。ここに長くいたら堪えきれない。
(逃げよう、雄二……!)
(同感だ!)
僕らのやり取りが、壇上の霧島様には見えてしまったのか。
『……雄二、吉井。静かに。貴方たち二人のことも、私たちは受け入れてあげる。だから二人も、心を開いて、全てを受け入れて』
「走れ明久ァ!」
「言われなくともォ!」
列を突き飛ばし、僕たちは体育館出口を目指した。
『……全校生徒に告ぐ。二人を拘束して』
霧島さんの指示の元、全ての生徒が僕らを追いかけてきた。拘束なんてレベルじゃない。こんなのに襲い掛かられたら今度こそ死んでしまう。
重い鉄扉に手を掛ける。敵は一直線にこっちに向かってくる。
「明久君! 私、明久君のこと、絶対に逃がしませんから!」
「アキ! 今日こそ私の愛、受け入れてもらうからね!」
「……雄二。もう絶対にそばを離れない。一緒にいる。ずっとずっと、一緒にいる」
「「いやだぁぁぁぁ!」」
二人掛りで扉の取っ手を掴む。僕は友人に視線で問いかけた。危機的状況にも関わらず、親友は僕の視線に気付くと、いつもの不敵な笑みを浮かべる。
ねえ、雄二。この状況、どうする?
何言ってやがる、当然――。
「明久ッ! 捕まるんじゃねえぞ! 逃げ切ったらすぐに新生徒会に試召戦争を挑むからな!」
「判ってるよ雄二! こんな校則、こんな生徒会――僕たちが絶対に変えてやる!」
いかなる状況であれ、諦めるという選択肢など僕たちにはない。
退屈しない、この愛すべき学び舎を、僕らは必ず取り戻してみせる。
扉が開いた。まぶしい光が僕らの目を焼いた。
――まったく、なんて学校だろう。こんな毎日がまだまだ続いてしまうことが信じられない。本当に――楽しくって、面白くって、仕方がないじゃないか。
心を弾ませて、僕と雄二は光の中へと飛び出した。
<おわり>
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