決戦迫る! タイムリミット一日前


 試験召喚戦争――とは、文月学園が他校と一線を画す、独自の教育プログラムのことだ。

 文月学園の生徒は、教師の監督の下、自分の分身を『召喚』することが出来る。自分の姿をデフォルメした、二頭身くらいのマスコット。僕ら生徒はそれを召喚獣と呼んでいる。

 現代日本においては随分なオカルトっぽく聞こえるかもしれないけれど、安心して欲しい。だってオカルトだから。もちろん最新VR技術なども用いられているけれど、実現の大半を占める要素は偶然とオカルトだそうで、基礎研究の部分は今だブラックボックスになっている。

「それにしても学園長も、良くもまあこんな大規模な試召戦争を許可したわね」

 旧校舎三階、空き教室。

 試召戦争を翌日に控えた放課後、拠点であり当日は本陣となるここで、僕らは幹部会の真っ最中だった。

 僕、ムッツリーニ、秀吉。そして優秀な参謀役として木下さんが知恵を絞っている。良光君などにも参加して貰いたかったのだけれど、戦力拡充のためには最後の一押しが必要という木下さんの提案に従って、今は学内を遊説してもらっている。

「…………実はこのところ、学園の風評が悪い」

 情報収集に余念のないムッツリーニが疑問に答えた。

「…………生徒会は近所に迷惑を掛けているし、恋愛禁止の校則も対外的にはウケが悪い。旧時代的だと」

「なるほど。学内の反乱分子を鎮圧しつつ、生徒の自主性をアピールしたいわけじゃな」

 学園長も悩んだに違いないが、暗躍したのは雄二だろう。秀吉の推論あたりを突いて譲歩を引き出すことに成功した。反乱と鎮圧という言葉がぽんぽん出てくるこの学園が、僕は結構好きだ。

「戦力はどうなりそうなのかな、木下さん」

「芳しくないわね。そこそこ見られるようにはなったけど」

 木下さんが、名前と数字のぎっしりと並ぶノートを捲って顔を顰めた。記載されているのは僕たちゲリラ戦線のメンバー表と、彼らの科目別のテストの点数だ。

 僕らの召喚獣にはパラメータが設定される。制限時間内、点数に上限なしのテスト結果だ。ゲームでいうHPであり、攻撃力に相当するもので、互いの急所にぶつけ合えばその差分だけ点数が削られていく。

 そして、0点になれば召喚獣は消滅し、同時に持ち主である生徒には補習室行きというペナルティが下される。文月学園の抗えないルールだ。

「どう編成するかが問題ね。こんな規模でやるのは流石に初めてよ」

 試召戦争は本来クラス対抗で行われるものだ。文月学園は成績別にクラスを割り当てていくのだけれど、その教室の設備に雲泥の差がある。上はマイパソコンにマッサージチェア、フリードリンクという高待遇から、下はみかん箱にせんべい座布団、エアコンなしまで。驚くべきことにさらにもある。その設備の交換を担保に行われるのがこれまでの試召戦争だった。

 けれど、今回の規模は過去最大級だ。なんたって全校生徒が対象になる。連合を組んだり、果ては学年対抗になったりと大人数になったことはこれまでにもあったけれど、校舎全域、全校生徒が参加するのは初の試みだった。

「雄二だって初めてなんだ。条件は同じだよ」

「せめて戦力が五分五分ならのう……。姉上、結局人数比はどの程度なのじゃ?」

「3対7。不参加者は問答無用でペナルティってのが効いたわね……」

 今回のペナルティは土日返上での補習合宿だ。そんなの望む生徒なんかいるわけもないから、無理やりどちらかの陣営に属さねばならなくなった。

「急ごしらえにしては上出来……と考えるしかないわね。ルールの違いを突いて、何とか突破口を探しましょう」

 木下さんが机の上に校舎の見取り図を広げた。

 四階建ての旧校舎と新校舎。ふたつを繋ぐ一階から三階までの渡り廊下。正面に広がる校庭。

 凹の形状をする校舎の全体像は左右対称のように見えるが、各階の兵力移動を担う階段の取り付け位置に大きな違いがある。新校舎側は階段が渡り廊下のすぐ隣にあり、即断即決の兵力投入が可能な反面、一点突破に弱い。一方、旧校舎は渡り廊下からは一番離れた場所だ。防御には優れているかもしれないけれど、兵力を集中させるには時間が掛かる。

 各階の制圧は重要な意味を帯びる。僕らゲリラ戦線の本陣は旧校舎三階、生徒会本部は新校舎二階にあるからだ。ざっくり考えれば、どちらもそこを制圧するよう動くことになるだろう。

「いい? ルール変更で大事なのは次の一点。校内全域がフィールドになるから、全員の召喚獣が常に出っ放しになる。いちいち先生を連れてこなくていいのは便利だけど……」

 去年までは召喚フィールドの管理を先生が行っていた。遭遇してから先生にフィールドの展開を頼み、戦闘開始という流れだ。担当科目の点数しか反映されないから、得意教科の先生を連れまわすことで突破力を持たせることが可能だった。

「となると、総合点のみの戦いに?」

「…………むぅ」

 保健体育で学内一位、他の科目はからっきし、という一点突破方のムッツリーニが困ったように唸った。

「いえ、科目の配置が予め決まっているの。こことここが国語、ここは英語、こっちは数学ね」

 見取り図に、木下さんが赤いペンで枠組みと科目を書き記していく。本陣と校庭が総合科目。昇降口付近が保健体育。一階から三階までの、各階を繋ぐ渡り廊下には国語数学社会の主要教化が割り当てられ、そこから一歩各校舎に立ち入れば細分化された科目がモザイク状に入り乱れる配置だ。

 とりわけ旧校舎側、奥階段を押さえる「第二外国語」には要注意だろう。よほど突破されなければ敵に利用されることはないけれど、もし制圧されれば大事になる。そもそも選択している生徒が少ない上に、生徒会には美波というドイツからの帰国子女がいるのだ。

「偏りが著しいのう……」

 各フィールドに目だった高得点者を配置していく。穴となる場所が明らかになると、秀吉が顔を顰めた。

「それに、行動も大きく制限されそうじゃ」

「場所を変えると、その都度科目ごとの点数に更新されるわ。移動中に不得意科目で奇襲を受けたらひとたまりもない」

 いずれかひとつの科目が0点になればその時点でペナルティだ。陣地の移動はかなりリスクを伴うと考えて良い。ムッツリーニなど、保健体育のフィールドから一歩外に出るだけでも危うくなる。

「…………補充試験が受けられないのも、辛い」

 ムッツリーニがもうひとつの重要な変更点を挙げる。

 これまでなら、戦争期間中ならば補充試験を改めて受けることで自分の点数を回復させることが出来た。討ち死にしなければという前提で、かつ一定の時間を取られるデメリットはあるけれど、ギリギリのラインで戦線を支えるのに一役買っていた。

 今回はそれがない。当然、人数が少ない僕らのほうが圧倒的に不利になる。

「ああもう! どうやって戦うのよ!」

 絶望的な状況に木下さんが頭を掻きまわした。

「各階の渡り廊下付近を固めるしかなかろう。じゃが、三階の渡り廊下――社会が手薄なのは致命的なのじゃ」

 僕たちの本陣への最短距離となる三階。ここはとにかく、正攻法な科目が目白押しになっていた。渡り廊下が社会。校舎に一歩踏み入れば、一クラス分ごとに現国、数学、世界史、英語、生物、物理……とフィールドがめまぐるしく変わる。一番の激戦区になるのは間違いない。

 反面、生徒会の本陣に直結する二階は、渡り廊下に数学がでんと腰を下ろす他は、大半を美術や倫理、家庭科に音楽といった選択科目が占めるトリッキーなつくりだ。一点突破が可能かもしれない。

「社会科には歴史も含まれるから、僕が出てもいいけど」

「何言ってるの。大将が討ち取られたらそこで終わりなんだから、吉井は本陣でじっとしてなさい」

 各陣営の勝利条件は、相手の大将――つまり僕か雄二を討ち取ることだ。ここだけはかつての試召戦争と同じルールだった。人数比は圧倒的に負けているけれど、ただ一人雄二を討ち取ればいいのだから、奇襲を掛ければ勝機も見える。

「……雄二は出てくるかな」

「出てこないわよ、絶対」

 奇襲を考えていることなんて、木下さんにはお見通しだったみたいだ。

「それしかないのも判るけどね。坂本だって警戒する。本陣でデンと構えて、圧倒的な戦力差で押しつぶすのが相手にとってはベストのはずよ」

「となると、むしろ二階の選択科目に戦力を集中して突破するべきかな?」

「それもまたリスキーなのよね……」

 選択科目はこれまで試召戦争には用いられてこなかった。だから点数が双方未知数なのだ。とりわけ、選択していない科目は1点として扱う、というルールが重い。攻撃がカスっただけでもペナルティ一まっしぐらだ。

「そうだ吉井。あなた料理が得意なんでしょう? 家庭科で押しこめるかも……」

「木下さん。家庭科には裁縫があるんだ。それに、僕はエンジェル係数とやらを気にしたことがない」

「……秀吉はどう? 歌とかオペラがこなせるんだから、音楽で押せないかしら」

「姉上。わしはモーツァルトの髪がカツラと知ってからは座学に集中できんのじゃ」

「この作戦は却下よ」

 当てにならない幹部で本当に申し訳ない。

「…………俺ならいける」

 一人、話さえ振られなかったムッツリーニが自信ありげに胸を張った。木下さんが驚いたように向き直る。

「美術かしら。それとも実は芸術肌で、音楽に精通しているとか――」

「…………倫理!」

「この作戦はやっぱり却下よ」

「…………なぜ!?」

 盗撮盗聴パンチラ撮影が趣味という人間に倫理を語ってほしくない。もし点数が良いなら、それは学校教育の欠陥というヤツだ。

 どう頭を捻っても有効な作戦が思い浮かばない。互いの平均値を取ればそこに圧倒的な点数差があるというわけではないけれど、やっぱり人数の差が大きすぎる。

 エース格が絶望的に少ないというのも大きな枷だ。総合科目で平均点を倍以上越えるような学内トップクラスは木下さんくらいだ。霧島さんや姫路さんのような、いるだけで戦術となるような人があと一人二人欲しい。

「吉井。代表は――翔子はどうするって?」

 木下さんも同じ思いだったのだろう。二日経って、今なお打ちひしがれる友人の名前を心配そうに口にした。

「参加はしない……と思う。少なくとも、アテにしちゃいけないよ」

「そう……。そうよね」

 体育館で演説を求められたとき、僕に変わって対応してくれたのは木下さんだ。すっかり生徒会に掌握されていた会場では酷いアウェー感を味わったらしい。野次は飛ぶわ罵声は響くわで、散々な目にあわせてしまった。

 それでも、霧島さんを追いかけることを選んだ僕に、木下さんは一切恨み言を言わなかった。友人の傷ついた姿に心を痛めたのは僕だけじゃない。

「仕方ないわ。今ある戦力で何とかしましょう。」

 木下さんが生徒会陣営の要注意人物をピックアップしていく。下級生の情報には疎いから不確定要素は残るけれど、木下さんはさすがに3-Aのトップクラスだけあって、三年生の要注意人物には詳しかった。

「島田さんは生徒会なのよね。――瑞樹は? 秀吉とフタマタでいいから、というかカモフラも兼ねて篭絡しなさいって言ったはずだけど」

「ごめんなさい、まだ敵です」

 カモフラ相手になってくださいなんて頼めるわけがない。というか一週間近く経つのだけれど、未だに姫路さんは誤解したままだ。木下姉弟に対抗心を燃やしたまま、なんと生徒会勢力に参入してしまった。大誤算中の大誤算だ。

「土屋はどうなの? 愛子を引きこむように頼んでおいたはずだけど」

「…………すまない、完全に敵。くそっ、あそこでにわか雨さえ振らなければ……!」

 この数日でまた何かやらかしたらしい。ムッツリーニに匹敵する保健体育の点数と、Aクラス所属の万能性を誇る工藤愛子さんも生徒会陣営になったらしい。

「まったく、本当に使えないわね……」

 頼りにならない幹部で、本当に、本当に、本当に申し訳ない。

「秀吉、男連中を垂らしこむ計画は?」

「御免被るのじゃ」

「どうしてよ! あなた自身の未来のためなのよ!」

「ワシニハ、アキヒサガ、イルカラノ」

 秀吉は壊れたロボットみたいにガタついた声を出す。

「そう……そうよね。恋人の前なのに、そんなことできるわけないわよね。許すわ。お姉ちゃん、頑張ろうって気持ちになる」

 ほろりと涙を流す木下さんに、僕たち二人の歯軋りが重なった。この戦争を戦い抜いても平和な日常が戻ってくるビジョンが見えないのが僕たちの悩みどころだ。

「で、作戦はどうするのじゃ」

 無理やり打ち切って、秀吉が話を纏めに入った。決定的な作戦なんてあるわけがないから、これ以上は小田原評定だ。

「基本は篭城。相手の隙を伺って、敵本陣への奇襲を成功させる……これしかないわね。幸い主戦場は廊下でしょうから、粘ることは出来るわ」

 狭い廊下なら、同時に戦える人数は自ずと限られてくる。呉子に曰く、一で十を破る秘訣は細い道で戦うことだという。

「最悪防火扉を閉めちゃえばいい。かなりの時間が稼げる」

 渡り廊下には重い防火扉が設置されている。法律で決まっていることだから、どの学校にもあるはずだ。

「…………召喚獣は壁をすり抜ける」

「目視して操作しなくちゃいけないのよ? 突っ込ませてくるなら、フクロにすればいい」

「ということは、召喚バトルよりは押しくら饅頭になりそうじゃのう」

「幸い体育会系の人数は揃ってる。最前線に配置しましょう」

 彼らは点数こそ低いが、誰もが筋肉溢れる肉体派だ。試召戦争にはあるまじきことだけど、ここは知能ではなく肉体による働きに期待したい。

「うむ、これなら相当粘れそうじゃのう」

「消防法様々ね」

 ――ん?

 姉弟の安堵したような会話に引っかかるものを感じて、僕は見取り図に目を落とした。

 

「じゃが、どうやって奇襲を掛ける?」

「やっぱり二階に戦力を集中させて、頃合を見て一点突破しかないかしら。点数が殆どわからないから博打になるけど」

「あの、ちょっと」

 攻撃方法に頭を切り替えた二人に、僕は手を上げて発言した。

「――、使えないかな」

 見取り図の一点を指差すと、木下さんの怪訝そうに眉を寄せた。

「使用自体は可能だけれど……どう使うのよ」

「うん。こうして、こうする」

 赤ペンを取り上げて、僕はたった今思いついた作戦を書き込んでいった。大雑把に兵力の流れが示されると、木下姉弟は二人して、ふむ、と考え込んだ。

「上手くいく保証はないけど、これなら五分五分の戦いに持ち込めるんじゃないかな」

「悪くはないのじゃ」

「これ、私も行かなくちゃ駄目そうよね……」

 木下姉弟は熟考の末に及第点をくれた。それほど突拍子もない考えではなかったらしく、僕は安堵する。

「今以上に一か八かになるけど、本当にいいの?」

「…………博打は承知の上。それに、篭城戦だと粘れても勝機がない」

 ムッツリーニが助け舟を出してくれる。自身の作戦にケチを付けられたようなものだけれど、木下さん自身感じていたことなのか、そうよね、と同意した。

「判った。吉井の作戦で行きましょう。主力部隊は改めて選抜しておくわ」

「作戦の細部だけど――」

 赤ペンで細かな部分を書き記そうとした僕を、木下さんはやんわりと制止して、それから時計を見上げて言った。

「細かい調整は私たちでやっといてあげる。吉井、時間でしょ?」

「あっ」

 そうだった。危うく一番大事な予定を失念するところだった。

「最後の最後じゃからの。ほれ、走らんと間に合わんぞ」

「…………二日漬けの成果を示すとき」

 僕はこれから鉄人の待つ補習室に行く。戦争前最後となる試験を受けるためだ。

 この二日間、ほぼ全校生徒が自主的に試験を受けていた。戦争で少しでも有利な点数で戦うためだ。僕も例外じゃない。二日間必死になって勉強し、少しでも多くの時間を使えるよう、最後の最後に行われるこの試験に焦点を合わせていたのだ。

「しくじったらただじゃ置かないわよ?」

 あまり考えたくないことだけれど、下手すれば成績を下げる結果も当然あり得る。いくら勉強しても自信が持てないのはいまさらだし、テストを前に緊張してしまう癖も抜けていない。けれど――。

「頑張るのじゃぞ、明久。よいか、おぬしの名前は『大吉』の吉に『井戸』の井で吉井、そして『明るく』て『久しい』で吉井明久じゃからな」

「…………応援している。大丈夫、最悪よしいあきひさよしいあきひさで良い」

「自分の名前くらい書けるよ! というかひらがなにまでルビ振らずとも!」

 友人達のジョークで、幾分肩の力は抜けた気がする。

「よいか、、じゃぞ」

「…………の字は難しい。と間違えやすいから、要注意」

 ……ジョークだよね?

 多分、おそらくは、きっと、暖かなんだろう声援に背中を押されて、僕は走り出した。




「ギリギリだぞ。五分前には集合しておかんか」

 補習室の前で腕時計に目を落としていた鉄人は、息を切らせて現れた僕を一喝してから、扉を開いて中へと促した。危ない、間一髪だった。

「遅かったじゃねぇか、明久」

「……雄二」

 一歩踏み入れると、聞き慣れた声が出迎えてきた。

 補習室には雄二しかいなかった。この最終テストを受けるのは、僕と雄二の二人だけのようだ。夕焼けの差し込む窓際で、雄二は背もたれに身体を預けて、余裕を見せ付けるかのように椅子を揺らしてみせた。

「もう諦めたかと思ったぞ」

「――言いたいことがある、雄二」

 霧島さんの言葉を届ける――それが僕の最大の目的だ。何も試召戦争に拘る必要はないのではないか。そんな考えが鎌首をもたげ、僕は雄二ににじり寄った。

 けれど、僕を追い払うように雄二は手を振って、そっぽを向く。

「待て。そんなもの、今は聞かねぇぞ」

「――! そうやって逃げてばかりいるから!」

「言っただろ。俺が聞くのは勝利者の意見だけだ。血と汗を伴わない言葉なんぞ、それのどこに重みがある」

 証明しろ、と雄二は言い放った。大切な気持ちや言葉があるなら、それがどれだけ大切なのかを行動で示せと。

 相変わらず逃げるのが上手い。言いくるめられたことに僕は憤慨しながら、指定の席に腰を下ろした。

 ――判った。なら、徹底的に追い詰めて、逃げられなくして、その顔面にことばを叩き込んでやる。

「問題を配布するぞ」

 鉄人が、もはや冊子と形容すべき分厚さの試験問題を僕と雄二の机に置いた。表紙の科目名は『総合科目』。センター試験で使われる五教科七科目から、問いがランダムに選出されて並ぶ難易度の高い試験だ。

「ほう? 明久もか。てっきり歴史あたりを強化してくると思っていたが」

 雄二は自分の試験冊子を摘み上げて、見せびらかすように振ってみせた。僕と同様に総合科目と記されていた。

「まあ本陣フィールドは総合科目だからな。――それと校庭も、か」

 こちらの作戦に探りを入れているのだろう。僕はすぐにボロを出してしまうから、ここは徹底的に無視するしかない。

「奇襲っていうなら、俺を不利なフィールドに誘い出そうとしてくると警戒してたんだがな。教えてやろうか明久、俺の苦手科目は化学だ」

 目を閉じろ、耳を塞げ、カッカするな、平常心で試験に集中しろ。

 僕のだんまりにようやく雄二も諦めたのか、つまんねえと吐き捨てて前を向いた。試験中も隣でブツブツ呟かれたのでは堪らない――。

「――ところで明久。俺のなんだが」

 けれど、それは、聞き逃せるはずもなかった。気付くと飛び掛って、胸倉を捻りあげていた。

「雄二! まだそんなことを!」

 掛かったな、とばかりに雄二はほくそ笑んで、力任せに僕を跳ね除ける。

「そう怒るな。もう何もしねぇよ。――全部終わってるからな」

「終わって……る?」

「最初から、翔子に浮気をさせる――あるいはそれっぽく見える現場を作るのが目的だって言ってただろう。まったく明久、お前はよく働いてくれたよ!」

 雄二が懐から一葉の写真を取り出した。そこに映りこむ二人の人物の姿に、僕は自分の大失態を呪う。

 あの日、全校集会の後――。教室の戸を開いて霧島さんを招き入れる僕の姿が、隠し撮りのような淫猥さを放ちながらしっかりと記録されていた。

「雄二……!」

 この期に及んで、まだ霧島さんを追い詰めるつもりなのか、このバカは。自分をあれだけ想ってくれる女の子に、今雄二を想って泣いているあの女の子に、ここまで酷いことをするのか。

「ゲスなのは知ってたけど、ここまでするやつだとは思わなかった! 歯を食いしばれ雄二!」

「やンのかてめぇ!」

 もう我慢も限界だ。ブン殴ってでも、僕はこいつを――!

「静かにせんか、バカモノ!」

 瞬間、鉄人の声と拳骨が振り下ろされて、僕は目から火花を散らして床に倒れこんだ。激痛に頭を押さえながら顔を上げると、僕だけじゃなく雄二も殴られて机に突っ伏している。いい気味だ、と溜飲を下げられる――わけがない。

 僕はまだ、雄二を殴っていない。

「何をしにきたんだお前たちは!」

 が、いつもとは格の違う、本気で激怒した鉄人の一喝に僕らは縮こまってしまった。もともと迫力のある声をしているけれど、こう眼前で叱り付けられると体が縛られたように動けなくなってしまう。

「こんなものひとつで――」

 鉄人は衝撃で床に舞い落ちた写真を拾い上げると、一瞥するなり破り捨ててしまった。雄二に慌てた様子がないから、データは別に保存されているのだろう。

「吉井、お前はこんなものひとつで、今までの努力の全てを台無しにするつもりか。お前一人だけじゃない、お前を支えようとする全ての人の努力をだ」

 返す言葉がなかった。頭に昇っていた血が、一気に急降下していく。

 この二日間、僕は鉄人の補習を志願してまで受けた。鉄人だけじゃない。木下さんや秀吉、そのほか様々な人に教えを乞い、1点でも多く点数を上げられるよう力を入れてきた。他の生徒だって――それこそ全校生徒が、全てを僕か雄二に賭けて死に物狂いで成績向上に努めてきたはずだ。

 安っぽい挑発に乗って、全部水泡に帰すなどあまりに申し訳がたたなさ過ぎる。

「すみません」

 席に戻った。頭の芯はまだ熱く煮えたぎっている。でもこれはこのままでいい。全てを集中力に変えて、押しきってやる。

「鉄人――明久を贔屓しすぎじゃねぇのか」

 ふてくされたように口を尖らせる雄二に、鉄人は当然とばかりに腕を組んで返した。

「生徒がいつもどおりの力を出せるよう、肩入れするのは教師の務めだろうに」

 僕はバカだ。でも、誰かの助けや誰かの努力を、無駄にしてしまうような人間にはなりたくない。失敗もするし、拙いけれど、背中を押してくれる誰かの想いに必ず応えられる人間に、なりたい。

「よし、時間だ。総合科目、始め!」

 鉛筆を握りしめた。最初の問い――名前の記入欄。

 僕の名前は? 僕は誰だ? その問いの答えを、さっき背中を押してくれた声援は確かに教えてくれていた。

 大吉の吉に井戸の井、明るい久々で――

 吉井明々だ!

「頭を冷やせと言っとるだろうが」

 本日二回目の拳骨を脳天に食らいながら、なんとか僕は問題用紙を捲り始めた。




 翌日、試召戦争当日。時刻はまもなく午前10時に指しかかろうとしていた。

 校内は各階に生徒のざわめきを押しこんで、異様なまでの緊張感に満ちている。その喧騒に耳を傾けながら、僕は本陣で、開戦のチャイムが鳴るのをまんじりと待っていた。

「通信手段はスマホにトランシーバー。使い方は判るわね? ただ、開戦直後にジャミングが掛かって使えなくなるでしょうから、そうなったらなるべくこまめに伝令を出しなさい」

 朝方から着手したおかげで、兵力配置の大半は済んでいる。生徒会勢力は新校舎に、ゲリラ戦線は旧校舎に――すでに廊下では、渡り廊下を挟んでにらみ合いが始まっていることだろう。

 二階を統括する秀吉に各種の通信機器を手渡して、木下さんは兵力配備の殆どを完了しつつあった。部隊の編成には相当頭を悩ませただろうけど、僕が試験を受けている間に、そうした配備計画は完了していた。今日の実行面でも一切の滞りなく完遂していく姿がなんとも頼もしい。

「出来る限り時間は稼いでみせるのじゃ。明久よ、チャンスが来るまでなんとか耐えるのじゃぞ」

 秀吉が激励の言葉を残して教室から出て行く。これで準備万端だ。

 僕らはまず、各階の戦力バランスを整えて、敵を迎え撃つことにした。第一目標は渡り廊下の封鎖だけれど、敵が注力してくるポイントを見抜いて、予備兵力投入からのカウンターをも狙っていく作戦だ。

 とりわけ最重要と目される二階と三階は幹部自らが指揮を執る。二階は一芸に優れた演劇部を主力に秀吉が固め、三階は良光君率いる新一年生がスクラムを組んでいる。召喚獣の扱いにやや経験の劣る一年生たちだけれど、その代わりに中学の範囲を大きく逸脱しない試験範囲のおかげで押しなべて平均点が高い。

「――そっちの準備は? OK、いつでも出られるようにして頂戴」

 木下さんは休みなくスマホであちこちに指示を飛ばしている。今の確認は四階の予備兵力とのやり取りだろう。唯一渡り廊下のない四階には機動性と突破力のある人たちを結集し、後方の階段を利用して崩れかかった戦線の建て直しを担ってもらう。もちろん、隙を見て攻め込む際の主力も彼らだ。

「これでよし、と」

 準備万端――と、言う割には緊張の面持ちで、木下さんがスマホを仕舞った。

「生徒会側がどう出るかがどうしてもカギだけど」

 戦いとは駆け引きありきだ。水も漏らさぬ準備を整えた勢力が、ただひとつの一刺しで崩れ去る事例は枚挙に暇がない。

 特に今回は雄二が相手だ。去年一年、正攻法と邪道を使い分けて、並み居る強豪を叩いて回った実績がある。加えて倍以上の戦力ともなれば、文月学園史上最強の軍団と言っても過言ではない。

「ありがとう、木下さん」

 遣り残したことはないかと心配顔の木下さんに、僕は頭を下げた。木下さんは驚いたように目を見開いてから、

「まだ早いんじゃない、その言葉は」

 と照れくさそうにそっぽを向いた。

 彼女がいなければ、こんなに綺麗な陣容なんて整えられなかった。勢力拡大に編成。作戦立案に実行。いずれにも木下さんの英知が投入されている。そりゃあ秀吉とのあれこれは未だに悩みの種だし、どこかで説得しなくちゃならないだろうけど、いざ霧島さんのあんな姿を目にして、それでもどうにかしようと決意できたのは、彼女のおかげに他ならない。

「それに、もう貴方たちのためだけじゃないわ。私だって代表には元気になって欲しい」

「……うん」

 霧島さんの言葉を雄二に届ける。恋愛解放戦線とかからは大分離れてしまった気がするけれど、木下さんも良光君も、そして今は部屋の隅で瞑想に耽るムッツリーニも、否やは一言も言わなかった。

「…………明久、まもなく」

 ムッツリーニが目を見開いた。壁掛け時計に目を向ける。秒針が天頂に上り詰めていく。3、2、1――。

 チャイムが鳴り響いた。本陣に、廊下に、校舎に、僕らの学校に、いい加減肌に馴染んでしまった召喚フィールドの、あの濃密な空気が満ちていく。僕たちは息を吸い込んで、約一ヶ月ぶりとなる相棒を呼び出した。

「「「試獣召喚サモン!」」」

 床に、三者三様の幾何学模様が描かれた。細かな粒子が立ち上がり、少しずつ形を成していく。膝丈くらいの、二頭身マスコット。僕の召喚獣は去年までと同じように、学ランに木刀という殴りこみにいくヤンキーそのもののいでたちだ。

「こうして見ると、中々頼りになりそうじゃない」

 しゃがみこんで、僕の召喚獣の頬をぷにぷにと突きながら木下さんが笑った。

「…………いつもより精悍に見える」

 珍しいことに、スカートのまま迂闊にも屈み込んでしまった木下さんの、貴重なパンチラチャンスに一切の反応を見せず、ムッツリーニも僕の召喚獣を感慨深げに眺めている。ムッツリーニにはこの戦争で大きな働きをしてもらう予定だから、エロスを僅かなりとも振り払った彼の成長は実に頼もしい。

「よし、それじゃ、作戦開始よ」

 木下さんがきりりと口を結んで立ち上がる。まずは防火扉の確保――。

 その瞬間だった。

「――三階、突破されます! 渡り廊下、封鎖できません!」

 大きな喚声と、もはや悲鳴に等しい泣訴が、すぐ隣の廊下から響いてきた。



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