戦士の絆! アキラ包囲網を突破せよ

 ムッツリーニが指定したポイントデルタとは、昨日訪れた駅前から替え玉のきくラーメン屋の裏路地に入り、さらに一本道を跨いだ先にあるカラオケボックスのことを指す。

 汚い外観、穴の開いたソファ、防音に乏しい壁、やる気のない店員、懐メロくらいしか入っていないマシン、ただし無駄に採点機能付き――とサービスは最低を極めているけれど、一時間百五十円持込可という破格の安さから学生の利用客はそこそこ多い。

 ほとんど無人の受付には、部屋の使用を記録する台帳が出しっぱなしになっている。ムッツリーニの暗号「M」の文字は202号室の隣に見つかった。

 ムッツリーニはだいぶ前に到着していたようで、ヒトカラとかをやるタイプでもないから、BGM程度にクラシックを流してまんじりともせず物思いに耽っていた。

 はっきり言ってちょっと怖い。

「…………あと少しで帰るところだった」

 美波の甘いトークで殺されかけていたんだ――とは流石に言えないから、ごめんと一言謝ってムッツリーニの前に腰を下ろす。

「早速だけど本題に入るね。登校中の恋愛解禁令をいつ公表するかだけど――」

「…………その前に」

 すっと手で制して、ムッツリーニは身を乗り出してきた。いつになく真面目な顔をしていたから、僕も身構えてしまう。

「どうしたのさ、ムッツリーニ」

「…………明久をオスと見込んで頼みがある」

「うん、オスって表現がとても気になるけど、他でもないムッツリーニの頼みごとだし、何でも聞くよ」

「…………スマホを貸して欲しい」

 言って、ムッツリーニは僕の制服のポケットの四角いふくらみに視線を向けてきた。

 スマートフォン。今や現代日本の必需品。アドレス帳、ポケベル、ケータイに連なる高校生の象徴。これがなくては円滑な学園生活は送れないと断言していい。

 僕らが二年生だった頃はケータイが主流だったけれど、今じゃスマホがマストなアイテムに取って代わっている。

 たった一年間でずいぶんと進歩したものだ。まるで十年は時が流れたような気がする。

「ムッツリーニがスマホを? 珍しいね」

 しかし、そんなIT機器全盛期においても絶滅危惧種みたいな高校生はいるもので、例えばムッツリーニなんかはその一人だ。

 これまでスマホはおろかガラケーすら所持したことがない。ハードからソフトまで機械類には滅法強いくせに、撮影の邪魔になるからと触ろうともしないのだ。……音が鳴り出して困る撮影とはどんなものかに関しては、僕の口からは言えないけれど。

「電話を掛けるとか、その程度なら構わないけど……。一体何に使うのさ」

 スマホは電話というより小さなパソコンだ。ネットに繋がる、写真が撮れる、音楽が聴ける、ゲームが出来る、漫画も読める。僕のスマホには無課金を貫いて築き上げたソーシャルゲームがいくつも入っているし、コミックスばかりだけど電子書籍も数多い。

 ただ、その分住所指名年齢から趣味や性癖に至るまで、個人情報が丸わかりになってしまう秘密の日記帳みたいなものだから、例え友人とはいえ安易に貸し借りはしたくないものの一つといえる。

 問いかけにムッツリーニは少し逡巡してから、意を決したようにきりっと僕を見据えて言った。

「…………エッチな動画を見まくる」

「貸せるかバカぁ!」

 出来るけど!

 あらゆるアプリの広告が僕を誘惑してくるけど!

「僕のスマホでナニする気なのさ! 自分のスマホが他人のえっちな趣味に使われるのは嫌過ぎる!」

 えっちな本を貸すとか、えっちなDVDを貸すとか、そういうものとは次元の違う気持ち悪さがある。

「…………明久、誤解しないで欲しい」

 やれやれと首を振って、気持ち悪さの元凶が弁解する。

「…………やましいことに使うつもりはない。やらしいことに使うだけ」

「なおのことノーだよ!」

「…………そんなにアブノーマルなものは見ない」

「ログが残るのは確かに嫌だけど性癖の問題じゃない!」

「…………判った、妥協する。予告編だけで我慢する」

「程度の問題でもないよ! 全てを我慢してよ!」

「…………仕方ない。明久も一緒に見ればいい」

「一人で見る気だったの!? いや二人で一緒に見るのも酷い絵面だけど!」

 息を荒げて怒鳴り返しても、このムッツリスケベはまったく引き下がろうとしなかった。

 変な感じだな、と僕は思う。

 ムッツリーニはパンチラに条件反射でカメラのピントを合わせてしまう筋金入りのスケベだけど、対外的にはずっと「俺は普通だ」と公言していた。

 だから、えっちなのは良くないことです、という意識は高かったはずだ。抑えきれないだけで。

 それが今日はずいぶんと積極的にエロへの欲求をあらわにしている。

「ムッツリーニ、突然どうしちゃったのさ。家に帰ればそういうサイトは見られるでしょ?」

 えっちなことは家でこっそり一人でやるものだ。

 少なくとも一般的な男子高校生はそうだ。――そうだと信じたい。そうだよね?

「…………俺の家のパソコンは全てフィルタリングされている。ありとあらゆるアダルトコンテンツがブロックされてしまう」

 拳を硬く握り締めて、ムッツリーニは心底悔しそうに唇を噛んだ。

 フィルタリングとは、子供が有害なサイトにアクセスしないように、保護者が制限を掛けるシステムのことだ。今やスマホは小学生が持っていても不思議ではない代物だ。ネットには当然教育に悪いものもあるし、場合によっては金銭トラブルに発展してしまいかねないものだって少なくないから、そこを心配する親の気持ちは充分理解できる。

 とはいっても、僕らはもう高校生だ。土屋家はやりすぎだ、と思わざるを得ない。

 僕らはもう、世間のお母様方が想像するほど純真無垢な年齢ではないのだ。むしろそういうお年頃になったんだなと喜んで欲しいくらいなのだけれど、どうもお母様方は、わが子がいつまでも性欲に無関心でいられると思っているらしい。

「まあ、ムッツリーニだしね……。よっぽど変なサイトでも見てたのかな」

 あるいは出血多量で死に掛けたか。

 ムッツリーニは、エロになみなみならぬ興味があり、保健体育学年一位を堅守し続けるほど知識も豊富なくせして、ほんのちょっとのラッキースケベに鼻血を噴いて倒れてしまうほど純真だったりする。

 だから教育上の配慮というより、もしかすると親御さんはムッツリーニの健康を心配したのかもしれない。お兄さんが二人もいるから、えっちなことができないじゃないかと家では案外肩身の狭い思いをしてそうだ。

「…………まったく、陽向には困らされる」

「聞き捨てならない人名が聞こえたよ!?」

 フィルタリングの原因って土屋さんなの!? 人懐こくて健やかで柔らかそうで可愛らしい後輩そのものなあの土屋さんなの!?

「…………だからどうか明久のスマホを貸して欲しい、頼む」

「進ませない! そこオチつけない限り話は進ませないよ!?」

「…………明久は俺の妹の性癖にそんなに興味があるのか?」

「やっぱりやめて! 性癖とかいわないで! 可愛い後輩のそういう部分って知りたくない!」

 明日からどんな顔して土屋さんと遭えばいいんだろう。あの子は案外肉食系なのだろうか。

 ――良光君がちょっとだけ心配だ。

「はぁ……。なんだか聞いてはいけないことを聞いた気がするよ……。でも悪いんだけどムッツリーニ。僕のスマホにもフィルタリングが掛かっているよ?」

 やりすぎだ、と先ほど僕は思ったけれど、何のことはないそれは実体験からくる感想だったりする。

 僕の保護者は姉さんだ。海外の超一流大学を卒業した後、日本に戻ってきて今は僕と一緒に暮らしている。両親の海外勤務が長びいてしまい、自然、僕の生活の監視は姉さんが行うことになってしまった。

「…………確かに明久は、姉に性生活を管理されていると評判」

「その表現は辞めるんだムッツリーニ。僕が実姉に手を出す変態だと思われる」

 変態なのは姉さんのほうだ。身内の恥になるから詳しくは言わないけど。

 姉さんはあまり男子高校生の性の実態について理解していない。そういうお年頃なのは判っていますと口では言いながら、僕の夜の参考書を徹底的に焼き尽くしてしまう。えっちなことをしたいのなら命を覚悟しなさい――とは姉さんの言だ。

 だから僕のスマホにはかなり強固なフィルタリングが施されている。アダルティなサイトは閲覧できないし、ゲームに課金もできない。

 まあ、エロコンテンツはさておいても、スマホのゲームはとてもお金が掛かるというから、その点では感謝している。僕はゲームの、課金を煽る宣伝文句に弱いのだ。

「貸したとしても、ムッツリーニの思うようなサイトは見られないんじゃないかな」

 スマホを出して、僕は画面を表示させた。えっち、で検索を掛けると最初に出てくるのは「エッチング」だ。銅版印刷の技法に詳しくなったところで別に嬉しくない。

「…………エッチング……! なんて際どい……!」

 若干一名、変なのもいるけれど。こんなんでエロサイトなんか見ても大丈夫なんだろうか。

 ムッツリーニはしばらく身もだえした後、フィルタリングの性能を検討するように幾つかの卑猥な単語を入力するよう指示してきた。もちろん、それら全てに当たり障りのない検索結果が返ってくる。

 フィルタリングを解除するには、姉さんが設定したパスワードを打ち込まなければならない。これまで僕も何度もトライした。結果は見てのとおりだ。

「判ったでしょ? やっぱりダメなんだよムッツリーニ」

 が、ひとしきりシステムを見やってから、ムッツリーニは確信を得たように頷くと、にやりと自慢げに口角を上げた。

「…………任せろ明久。この程度、俺なら三十分で外せる」

「なら自分の家のパソコンでやろうよ!?」

「…………陽向にあれ以上の暴走を許すわけには……!」

「一体土屋さんは何を見てたの!? どうしちゃったというの!?」

 気になる! 気になるけど踏み込まないぞ! 土屋さんは純真無垢な可愛い後輩! いいね!?

 が、とりあえず本題はそこじゃない。

「ほ、本当に外せるの、ムッツリーニ……!」

 もし出来るなら――僕の(性)生活は激変する。

 エロ本の隠し場所に苦悩する必要もなければ、エロDVDを隠し入れていたことを忘れてドラマのシーズンボックスを美波に貸してしまう失態も犯さないで済む。

 かつてないほどの葛藤が僕を襲ってきた。

 自分のスマホで他人がえっちなことをするのはとても嫌だ。買い換えたいとすら思う。でも、めくるめく官能の生活のためには多少の犠牲だって必要なんじゃないか――?

 ここぞとばかりに追い討ちをかけるように、ムッツリーニは身を乗り出してバカ丁寧に頭を下げてきた。

「…………お願いだ、明久。フィルタリングを外してやる代わりに俺にエロサイトを――いや、一緒に見よう明久!」

「判ったよムッツリーニ! さあ早く解除して!」

 僕はあっさり白旗をあげた。

 だって男子高校生だもん。――理由はきっと、それだけでいいと思う。





「…………明久。これは四桁の数字を入れれば解除できるタイプだ」

「うん、前に試してみたことがあるよ。0000から0434までだけど」

 パスワード認証は、三回間違えるとその日一日入力を受け付けなくなってしまう作りになっている。総当りを行うには年単位を覚悟しなければならない。

「…………たとえ四文字でも、全て試すのは非効率すぎる」

 呆れたようにムッツリーニは肩をすくめた。そして、ノートを隣に出して何事か文字列を書き始める。ずいぶんアナログだなと不安そうにしていると、ムッツリーニがちょっと憤慨したように滔々と説明してくれた。

「…………パスワードにはランダムな数字を用いることが推奨されているが、それを律儀に守る人は少ない。初期設定のまま使う人や、自分に関連のある文字列を使う人が圧倒的多数だ。覚えておかなくちゃいけないから、そうそうランダムな数字は選ばない」

 スマホの画面はすでにフィルタリング解除のパスワードを入力する画面になっている。ムッツリーニはまず、1111と打ち込んだ。初期設定だとこの番号らしい。

 が、結果はエラーだった。あと二回。

「大丈夫なの? ムッツリーニ……」

「…………焦るな明久。これで初期設定から変えられていることは判った」

 ムッツリーニに動じた様子はない。なんて頼もしいんだろう。

「…………何か思い浮かぶ数字は?」

 設定者は姉さんだ。誕生日、電話番号――などを告げると、ムッツリーニはノートにそれを書き出していった。

「…………情報漏えいの多くは、デジタルな欠陥よりアナログな失敗で漏れる。後ろで見ていたとか、誰かにしゃべったとか、パスワードを書いた紙を落としたとか、デスクに貼り付けていたとか……」

「相変わらず詳しいね、ムッツリーニ。どこでそんな話を知るのさ」

「…………日経新聞」

 予想外だよ。時事問題に強いんだねムッツリーニ……。

「…………エロ社会の浮沈を知るには、ああいう新聞にも目を通さなくちゃいけない。日本エロネットを統一したDMM.comの情報などは、あそこが一番詳しい」

 台無しだよ……。

 片っ端から数字を並べてから、うーむとムッツリーニは腕組みして唸る。

 大事なのは推理と直感なんだそうだ。姉さん――吉田玲の性格を加味して、一番選びそうな数字はどれかを考えなければいけない。

「ムッツリーニ、それにしてもどうしてそんなにエロサイトを見たがるのさ」

 真剣に考え込むムッツリーニに水を差したくはなかったのだけれど、どうしても気になって僕は尋ねた。

「…………事情がある」

 話したくないらしい。じゃあ、と僕はカマを掛けてみる事にした。

「工藤さんと何かあったとか?」

「…………何故それを!?」

 動揺が手に取るようにわかる。エロもそうだけど、ムッツリーニは隠し事が苦手なタイプだ。

 そういえば雄二が言っていた。

 工藤さんとムッツリーニが最近一緒に下校していると。そして、ムッツリーニはその途中で他所の女性のパンチラ撮影に熱中してしまい、泣かせてしまったと。

「…………あれは俺のミス。工藤には悪いことをした」

 観念したのか、ぽつりぽつりとムッツリーニは話し始める。

「…………もちろんそんなつもりはなかった……。でも……目の前にパンチラがあると……! 俺は……自分で自分を制御できなくなる……!」

 犯罪者の言い分だからねそれ――とはあえて言わないでおこう。

 確かにムッツリーニのエロ欲求は条件反射を超えてもはや純粋なの域に達している。

 躓いたら転ばないように足を出す。まぶしいところに出たら瞳孔が狭まる。そういうものと原理が一緒なのだ。

 パンチラを見たらカメラを構える。そういうふうにムッツリーニの神経は組み上げられてしまっている。それを矯正するのは生半可なことではないだろう。

 けれど、ムッツリーニは決意を滲ませる真剣な瞳でじっと僕を見つめてきた。

「…………最近はみんな変わってきた。雄二も、島田も――明久も」

 少し寂しそうな顔で、ムッツリーニは昼間の台詞は嘘じゃない、と言った。てっきり僕をハメるためだけの言葉かと思っていたのだけれど、あれは間違いなく本心だったらしい。

「…………俺も変わらなくてはいけない。そう思った」

「ムッツリーニ……」

「…………だから俺はエロサイトを見まくって、そんじょそこらの女には反応しないようになる……!」

「決意は立派なんだけどなぁ!」

 手段を選んでいただきたい。

 ともあれ、工藤さんのためにムッツリーニも成長しようとしている。応援するにやぶさかではない。上手く行くかどうかは神のみぞ知るだけど、強くなろうとする努力はきっと無駄じゃないはずだ。僕はそう信じている。

 だから、ムッツリーニ――。

「…………! きた!」

「いよっしゃぁぁぁあ!」

 信念が天に届いたのか、ムッツリーニが入力した数字はあっさりフィルタを打ち砕いて、僕らを無限の自由と官能を約束する検索サイトへと至らせた。

「すごいよムッツリーニ! 信じてた! 最高の親友だよ!」

 快哉を叫びあって、踊るようにハイタッチを繰り返す。もしかすると人生で一番嬉しい瞬間かもしれない。

「…………やっぱり俺の読みに狂いはなかった。明久の姉ならこの数字しかありえない」

「へえ、何だったのさ。姉さんちょっとボケたところあるから、誕生日がそのままだったり――」

「…………1014。明久の誕生日」

「――う、ん」

 ちょっと背筋がぞくっとした。

 パスワードに弟の誕生日を愛用する姉って全国にどれくらいいるんだろう――いや。深く考えるのはやめよう。家族を大事にする姉さんなんだなとここは解釈すべきだ。

「…………明久は優しい姉がいてうらやましい」

「いいかムッツリーニ。それ以上この話題に触れるんじゃない」

 とにかく今大事なのはえっちなサイトを見ることだ。そこを忘れちゃいけない。

「じゃ、じゃあ行くよムッツリーニ!」

 エロ、と直截的な言葉を検索欄に入れる。フィルタリングはない。続けて表示された、一番上の大規模なアダルト動画サイトを、ムッツリーニと目配せしながら選ぶ。

「…………!」

 ぶふぁぁッ! と噴出音が響いた。ムッツリーニが鼻血を流しながら、びくびくと床の上に崩れ落ちていた。

「まだ下着の女の子しかサムネに出てないよ!?」

「…………なんという破壊力」

「堪えるんだ! ここで死んだら元も子もない!」

 輸血パックを手際よく準備して抱き起こす。ここまで来たんだ。いまさら戦友を見捨てられない!

「…………あき、ひさ」

 ムッツリーニは息も絶え絶えに、僕の手を弱々しく握り締めて、遺言を託すかのように取りすがってきた。

「…………最初は……『水泳部』で検索……しよう……。競泳水着ならなお……よし……」

「ムッツリーニ――!」

 記念すべき最初のアダルティはポニーテールか巨乳にしようと思っていたのだけれど、他でもない戦友の頼みだ。

「待ってて、すぐに用意する――! だからまだ死ぬんじゃないムッツリーニ!」

 水泳部、競泳水着。そして、おそらくムッツリーニがあえて言わなかったであろう属性スレンダーを追加するサービスもつけて、僕は検索をかけた。全部工藤さんの持っている属性だけど、あえてそこはスルーしてやるのが漢気やさしさというものだろう。

「ほらムッツリーニ! 見て!」

 スマホに、細身の身体に競泳水着を身につけた女の子が、プールの中でちょっと艶かしく平泳ぎの練習をしている動画が再生され始めた。やがてコーチが乱入してきて、有無を言わせずえっちな展開へと発展していくだろう。疑う余地もない。

「…………わが人生に一片の……」

「だからその台詞は早すぎる!」

 これからなんだよムッツリーニ! あと三十秒もすれば僕たちの黄金郷エルドラドがすぐそこに――。

『――辿り着いてしまったのですね、アキくん』

 と。

 いよいよ競泳水着がするりと肩から落ち、僕らが生唾を飲み込んだその瞬間、底冷えのする声が部屋に響き渡った。

『アキくんももう高校三年生です。いつかはこんな日が来るんじゃないかと覚悟はしていました』

 姉さんの声だった。スマホから――えっちな動画の再生がフリーズし、まったく反応しなくなったそのスマホから、姉さんの声が淡々と発信されているのだった。

『常々伝えていましたね? こういうことをするのは仕方がない、ですが命を覚悟するようにと』

 さっきまでの興奮はどこへやら、僕とムッツリーニは互いにスマホからの死刑宣告に身体を震わせる。

『ペナルティです、アキくん。このスマホのデータは――』

「…………まずい明久、トラップだ!」

 弾かれたようにスマホに取り付いて、僕はなんとか電源を落とそうと試みる。が、もうスマホは一切の入力を受け付けてくれない。

『全て消去します』

「待って姉さん! 違うんだこれは全部ムッツリーニが悪くて――あっつ!」

 突然スマホが火傷しそうなほどの熱を発して、慌てて放り出す。続けて焦げ臭い匂いと共に白煙が立ち上り始めた。画面では、無駄にデフォルメされたねんどろいどみたいな姉さんのマスコットが、頬を膨らませてぷんぷん怒っている。

 スパイ映画みたいに手の混んだ、容赦のないトラップだ。

『ちなみに、一番最初に「姉」と検索していれば見逃してあげていました』

「正解はそこか! 絶対選ばないよ! ――ああっ! ゲームが! 漫画が! 全部消えていくっ! ムッツリーニこれどうやって止めるの!?」

「…………もう……手遅れ……」

 よりにもよって物理的消去だ。データの復旧は不可能に近い。

 僕が心血を注いだゲームや漫画が永久に失われるまで、ものの一分も掛からなかった。床に転がるかつてスマホだったものは、熱で画面はひび割れ、フレームは融解して歪み、もう二目と見られない哀れな姿になってしまっている。

 まるで、判っていますね? と姉さんに念を押されている気分だった。

「おうちかえりたくない……」

 ――すなわち、家に帰ったら今度は僕がこのスマホみたいになる、ということだ。

「…………明久、その……」

 ムッツリーニが肩を抱いてくれた。僕の親友は――同じ喜びと絶望を味わった戦友は、何か言おうと逡巡していたけれど、結局言葉にはならなかったみたいだ。代わりに、ぽんぽんと頭を撫でてくれた。

 その優しさに取りすがって――僕は初めて男の胸の中で泣いた。


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