美少女ファイター! デンジャラス・美波
1
第二案は仕込みが必要というので、翌日の作戦は延期された。
ありがたい話だ。もともと僕は、雄二が霧島さんを陥れるような計画にはまったく乗り気じゃない。
それに、ここ最近は僕だって忙しいのだ。
どれくらい忙しいかというと、少しでも時間を短縮するために移動が常に全力疾走になるくらいだ。
――ちょうど今みたいに。
「僕らはもう最終学年三年生なんだから、少しの時間も惜しいよねムッツリーニ!」
「…………まったく。うかうかしていると時間はすぐに過ぎ去る」
肩を並べて走るムッツリーニと、僕は去年よりは幾分窮屈に感じられる学園生活を嘆きあう。
三年生になってまず驚かされたのは、自由時間のあまりの少なさだった。
授業のコマ数が増え、補習も増え、抜き打ちのテストも増え、参考書も増えた。
文月学園は進学校だから当然といえば当然なのだけれど、スケジュールは一杯、生徒たちの追い詰められ方も一杯一杯となると、まったく息苦しくて仕方がない。
「でも最近はこの窮屈さも、先生たちの熱意の表れだって思うんだ」
意外、という顔でムッツリーニが目を見開く。
僕だって自分の変化に驚いている。少なくとも去年の僕からは絶対に出てこない言葉だろう。
「僕らはもっと、この学校で学ばなくちゃいけないんだ。勉強だけじゃない、礼儀や作法や――尊敬とかの、人として大切な様々なことを」
卒業まであと一年。まだ一年もある。たった一年しかない。
どう感じるかは人それぞれだろうけど、僕の場合は後者だ。ちゃんとした学力を身につけることで先生たちの熱意に応えるのは、生徒側の義務だとすら思うのだ。
僕は必ずや先生たちの愛情に百点満点を返してみせる。――学生恋愛の全面禁止という校則を変えてみせることで!
「…………明久は変わった」
「そうかな。うん、そうかも知れない」
「…………もうバカとは呼べない」
ムッツリーニがどこか寂しそうに、けれどまっすぐ目を見て笑うものだから、僕も少し照れてしまった。
「…………でも明久。忘れないで欲しい。疲れたときは立ち止まっていい。足を止めて休む時間も人には必要」
「――!」
確かにムッツリーニの言うとおりだった。
頑張ることは大切だけれど、リラックスする時間だって持たなくちゃ健全じゃない。走ってばかりじゃ大切なところで失敗してしま――殺気!
「ちぃ、吉井! 学びたいなら粛々と補習を受けんかバカモノ!」
ムッツリーニに促されるまま速度を緩めたその瞬間、怒声と一緒に鷲のように巨大な手が僕の後頭部を掠めた。
振り向かなくても判る――鉄人が背後にまで迫ってきている!
「ハメようとしたねムッツリーニ! 油断も隙もない!」
「…………本心からだ! もう諦めろ明久!」
僕らは鉄人に追いかけられている真っ最中だった。
鉄人こと西村教諭は文月学園きっての強面教師で、学生時代はトライアスロンとレスリングで鳴らしたという剛のものだ。
アスリートもかくやという迫力と体躯を持っているものの、その担当教科は体育ではなく「補習」。そのせいか成績の悪い僕たちをどこか目の仇にしている節がある。
今日だって昨日の授業をサボった分の補習をさらにサボった分の補習を受けさせようと、もうかれこれ十分近く逃走劇を繰り広げている。
人一人を肩に担いだままだというのに、まったくなんという脚力だろう。
ちなみに鉄人に担がれたまま微動だにしない、屍のようなアレは雄二だ。
いつもは僕と一緒に最後まで生き残ることが多いのだけれど、雄二は今日一日廃人同然で、逃走劇の幕が開けるなりあっけなく陥落した。昨日の霧島さんとの
「――! ムッツリーニ!」
「…………判ってる!」
一階に駆け降りたところで、これから部活なのだろう、大量のバスケットボールを運ぶバスケ部員を見つけた。
タイのノースタントを売りにするアクション映画のように僕らはボール籠を飛び越えると、何事かと身を硬くする下級生を無視して、籠に入ったボールを鉄人に次々投げつけまくった。
動きが少しでも鈍くなれば――と期待を抱いたが、直後に僕らは絶句する。
鉄人は右手一本で、瞬く間にいくつものボールを撃墜してみせたのだ。
「少年易老學難成! 一寸光陰不可輕! 未覺池塘春草夢! 階前梧葉已秋聲!」
――まるで必殺技みたいなことを叫びながら。
格闘ゲームで難しいコマンドを入れなければ見れないような大技だ。
「せめて常用漢字を使ってよ鉄人!」
「やかましい! 書き下し文に直して一万回は音読しろ!」
「
「
「
「
「正解だがルビで会話するんじゃない! 少しはその意味を考えろ!」
――結局、二手に分かれた後も、僕はさらに十五分に渡って追い回されることになった。
2
「なんじゃ、逃げ切れたのか。相変わらず諦めが悪いのう」
どうにかこうにか校門までたどり着くと、そこに秀吉がいた。
秀吉は僕に少し咎めるような視線を向けてくる。昨日は秀吉だけが鉄人に捕獲されてしまったのだった。一顧だにせず見捨てた僕たちを恨んでいるのかもしれない。
ただ、鉄人からの逃走は自己責任というのが暗黙の了解だから、秀吉はそれ以上責めてきたりはしなかった。
「逃げることも人生には必要だと思う――って、秀吉、もう下校するの?」
肩を並べて歩き出してから、僕は違和感に気付いた。
秀吉は通学鞄を手に持っていた。これは珍しいことだ。秀吉は根っからの役者バカだから、この時間は演劇部にいるはずなのに。
秀吉が部活をサボるというのは結構な大事だった。
「明久と同じじゃ」
「同じ?」
「時には逃げることも必要、という意味じゃな」
何か部活で嫌なことでもあったのだろうか。今年部長に就任したはずだから、その責任の重さに嫌気が差してしまったとか?
「……しかしいつまでもサボってはいられんのう。かといって夜道を歩く勇気は……」
深刻な顔で悩みだす秀吉が、ぶつぶつあれでもないこれでもないと呟く。
「どうしたのさ秀吉。顔色が少し悪いよ?」
「な、なんでもないのじゃ。疲れが溜まっておるだけじゃろ。それより明久、おぬしはもう帰宅かの?」
「ううん、これからムッツリーニと戦略会議をするんだ」
ポイントデルタは昨日も訪れた駅前の一角にある。時間的には徒歩で充分間に合う距離だ。
「それは昨日手に入れておった、雄二との取引についてかの?」
「そうそう。使うタイミングが難しいからね、もっとも効果的な公開時期を考えなくっちゃ」
雄二が記した「登校中の恋愛活動解禁令」は、僕たちゲリラ戦線が勝ち取った最初の戦果だ。今までは草の根活動で同志を増やしてきたけれど、それも行き詰ってきている。ここらで一大勢力とするために、もっとも有効な形で発布しなければならなかった。
「よくやるのう……」
呆れ半分、感心半分といった口調で秀吉は言う。
秀吉は僕が主催する「対治安維持生徒会ゲリラ戦線」のメンバーではない。何度も勧誘はしているのだけれど、一貫して中立の立場を崩さないのだ。
「秀吉も仲間に入らない? いくら霧島さんが怖いからって、雄二の校則はやりすぎだよ」
「まあ、わしも思うところがないわけではないが。あやつら、演劇部の演目にまで口を出してくるのじゃ」
かなり検閲が厳しい、と秀吉はため息をつく。
文月学園演劇部は、秀吉の愛らしさと演技力、最新のVRシステムを使った演出効果で学生とは思えないほどクオリティが高い。
文化祭の時だけではなく、コンスタントに毎年三回ほどの公演を行っているのだけれど、その演目がこのところ生徒会主導で勝手に決められてしまうというのだ。
「ほれ、今までは恋愛モノが殆どじゃったろ。ロミオとジュリエット、シンデレラ、ミザリー……」
秀吉を始め女子部員が多いから、部内でアンケートをとれば当然有名どころの恋愛劇が多くなる。まあ脚本家に癖が強いのがいるらしく、シンデレラとジュリエットみたいなごちゃ混ぜの展開になることも多いけれど。
ただ、そうなると恋愛という言葉に敏感な生徒会が見逃すわけもないのだ。
彼らは学生恋愛の現行犯を容赦なく検挙する組織だが、同時に恋愛を助長する可能性のあるものも徹底的に学内から排除しようとしている。
男子生徒が隠し持つ
演劇部も例外ではないということか。
「結局、今度は何を演ることに?」
「忠臣蔵」
「わぁ渋すぎぃ……」
ロミジュリ、シンデレラときて忠臣蔵……。名作なのは判るけど少なくとも女子高生が演じたがる演目ではないだろう。
「わしは嫌いではないからの、
「だったら秀吉も戦おうよ。目指せ学生の自由恋愛!」
「……でも正直、ラブレターの数が減ったのは助かっておるのじゃ」
「くっ!」
そうだった。秀吉は今でも毎日のように男子生徒から熱烈なラブコールを受けていて、本人はそれをとても迷惑がっているのだった。秀吉が中立を貫く一番の理由でもある。
美しさは罪――と雄二は言っていたけれど、本当にそのとおりだ。秀吉には抗いがたい魅力がある。
こうして肩を寄り添わせて下校するのは本当に幸運かもしれない。……もうちょっとだけ、触れるか触れないかくらいのところまで近寄ってもいいんじゃないかな……。
「――アキ、秀吉。学生恋愛の現行犯で検挙するわよ」
背後からかけられた声に、僕はぎくりとして振り返った。登下校中、異性間で三十センチ以内に立ち入れば即校則違反だ。言い逃れはできない――。
「なんだ、驚かさないでよ美波」
ほっと胸を撫で下ろす。立っていたのは、悪戯っぽく笑う島田美波だった。
美波は手足がすらりと長い健やかな体つきをした、快活な女の子だ。親しみやすい笑顔が魅力的で、とても可愛いと僕は思う。特に柔らかでいい匂いのする髪をポニーテールにしているのが個人的にとてもポイント高い。
その髪を美波は最近少し伸ばしているのか、去年に比べて幾分大人びた印象を受ける。今みたいな悪戯な笑顔を見せられると、アンバランスさにどぎまぎしてしまって仕方がない。
「この道、監視されてるから気をつけなさいよ?」
「ムッツリーニがそこそこ監視の穴を作ってくれてるから大丈夫だよ」
「よくやるわねぇ、あんたたちも……」
美波はゲリラ戦線に正式に所属しているわけではないけれど、何かにつけ便宜を図ってくれる、数少ない協力者の一人でもあった。
「島田よ、わしと明久では校則違反にならんと思うのじゃが」
「冗談よ冗談。ウチが秀吉を密告するはずないじゃない。――今は同志なんだから」
「重大な誤解をしておらんか!?」
同志……? なんのことだろう。もしかすると僕の知らないところで別の組織が立ち上がっているのだろうか。
いや違う、と僕は頭をフル回転させる。いつまでも鈍感なままじゃいられない。
「そうか、二人とも胸が薄ぴょほぅ」
言い終わる前に首が司馬慰みたいにグリンッてなった。数字で表すと百八十度くらい。
知ってるかな。司馬慰って人は三国志で有名な人だけど、真後ろに首を向けられたんだって。でもそんなことしたら死ぬよね、今の僕みたいに。
「アキ。口は災いの元よ」
鮮やかな手並みでグリンッした美波が、ぱんぱんと手をはたいて言う。もともと美波はプロレス技が得意だったけれど、このところは洗練されすぎて
「それと、この間頼まれた件で報告があるんだけど」
「良光君と土屋さんのこと?」
「そうよ。上手くいったみたい」
「良かった、心配してたんだよ!」
久保良光君と土屋
ちなみに良光君と僕は学年の垣根を越えて親しくしている。いわばヨッシー、先輩、の間柄だ。新入生歓迎会のとき、僕は初めて反生徒会運動を起こしたのだけれど、良光君はその時加勢してくれた唯一の味方だったのだ。
いまや彼はゲリラ戦線になくてはならない存在になっている。なかなかストレスの溜まる仕事だから、もう嫌だこんなはずじゃなかったと大泣きするのが玉に瑕だけれど。
そんな良光君のお兄さんは、治安維持生徒会副会長を努める久保利光だ。文月学園男子生徒の中では一番成績がいい秀才でもあり、生徒会では雄二ほど武断的ではないものの、その活動を理論と手続き面で支える屋台骨の一つになってしまっている。
兄弟で争う――運命とはいつだって厳しく、辛いものだ。
「アキっていつもあんなことしてるの?」
美波に頼んだのは、その良光君と土屋さんのデートをセッティングすることだった。
ゲリラ戦線の草の根活動を端的に言い表すなら、つまり恋のキューピットになることだ。
生徒会の監視の穴を見つけ出して安全なデートスポットをリークする。告白の場を用意し、そこの安全を確保する。ラブレターに使える暗号文を作成したり、検挙しようとする生徒会の戦闘員を身体を張って止めたりする。
――その他にも悩める男子に
「土屋さんが結構積極的だったからね。ムッツリーニの妹だし、暴走して情報が漏れないかとひやひやしていたんだ」
今回は土屋さんから持ち込まれた相談だったのだ。あの子は意外にも恋愛にアグレッシブなタイプで、どこか後先考えないところがあったから、そのまま放置してしまえば破局は確実だったろう。
なんとか助力したかったのだけれど、僕と良光君の接触はかなり警戒されてしまっていて身動きが取れなかった。だから生徒会の監視の緩い、ゲリラ戦線に所属していない美波に協力を頼んだのだ。
ちなみにこの一連の流れはムッツリーニに内緒にしている。あれでシスコン気味なところがあるから、今後も情報漏洩には気をつけないといけない。
「アキらしくて良いことだとは思うけど、ほどほどにしなさいよね」
美波がちょっとすまし顔をして、僕と秀吉の間に割り込んできた。
「忙しそうにしてると、心配になっちゃうんだから」
「み、美波。身体が近いよ、校則違反になっちゃうんじゃないかな……」
「ウチは秀吉と一緒に歩いてるだけだもの。大丈夫よ」
「いやれっきとした校則違反なんじゃが!?」
にやにやと頬を緩ませる美波に僕は押されっぱなしだ。このところ美波のアプローチがかなり際どくなってきている気がする。
こんなにも動揺してしまうのは理由がある。去年、僕は美波に告白されたのだ。
返事はまだしていない。というか、美波にちゃんと返事をするために僕はゲリラ戦線を立ち上げたのだ。
でも、そう――答えは「ごめんなさい」だ。
それだけは決まっている。そして美波も知っている。
ちゃんとした言葉で儀式めいたことをしたわけじゃないけれど、僕が好きな人は姫路さんだから、それだけは覆すことができないし、してはいけない。
決して美波のことが嫌いなわけじゃない。いや、むしろ大好きだ。誰より頼りになるし、誰より可愛いと思うし、誰よりも尊敬しているし、誰よりも近くにいるとドキドキする。ただの友達としてではなく、女性として。
姫路さんと比べているわけじゃない。どっちがどれだけ、という程度の問題じゃないし、どっちが早かったという問題でもない。
ぜんぜん判りやすい言葉にはできないのが心苦しい。
そう、このところ美波を想うと胸が痛い。
心臓が不規則に脈打って――ああ、これ本当に病気のやつじゃん!
「どうしたのアキ、突然胸をかきむしって」
「ちょ、ちょっと心臓がね。
「……ウチにドキドキしちゃったんだ?」
「ぐっふ!」
美波が小首をかしげて小悪魔のように微笑む。とても可愛い。けど、可愛ければ可愛いほど僕は追い詰められていくような気がする。
「でも本当に、たまには休んだほうがいいわよ。身体を壊しちゃったら心配するじゃない」
「ありがとう美波……。でも、ここで戦わないと返事が」
「それに、あんまり頑張りすぎて校則撤回されたら――ウチ、アキにフられちゃうじゃない」
「がっふ!」
ぶっこんでくるなぁ美波ィ! ドキドキを越えて僕の心臓止まりそうだよ!
「苦しいなら心肺蘇生しようか? 人工呼吸もつける?」
いけない、告白して以降オープンになった美波は、全力全開でアクセルを踏み込むことに一切の躊躇がない。
コーナーなんて曲がるつもりはない、死なばもろともだ! みたいな迫力すら漂っている。そして一緒に乗っているのは間違いなく僕だ……。
「背中擦る? あっためてあげようか? それともやっぱり人工呼吸?」
「……おぬしら、わしが隣にいること忘れておるじゃろ?」
「あ――」
ジト目の秀吉にようやく気付いて、美波は顔を真っ赤にして飛びずさった。
アグレッシブだといっても美波はもともとは恥ずかしがり屋だ。霧島さんに比べれば場所は弁えるほうだから、二人っきりにさえならなければ救いの手がある。ありがとう秀吉、わりと本気で助かった……。
「ウ、ウチ用事思い出した! 先に行くわね!」
顔をぱたぱた仰ぎながら美波が駆け去っていく。
今のはかなり危なかった。あと少しで死んでいた。
「島田もずいぶん変わったのう」
美波の後姿を見送りながら、感慨深げに秀吉が言う。良い変化なのかどうかはあえて言うまい。でも、素直すぎる美波というのはそれはそれで恐ろしいということを、僕は声を大にして言いたい。
と、曲がり角の前で美波が立ち止まった。赤い顔をしたままこちらを振り向いて、ほんの少しもじもじと逡巡してから、
「ウチ、それでもアキのこと好きだからっ! ――じゃ、じゃあね!」
「げふぅ!」
僕は崩れ落ちた。くそ、ハートがビクビク
「安心せい明久、AEDは常備しておる。気を確かに持つのじゃ」
手馴れた様子で服を脱がし、秀吉が身体に電極を貼ってくれる。薄れゆく視界の中で、秀吉の沈痛な声が落ちてきた。
「おぬしも大変なんじゃな……」
バクン、と身体中を電気が流れていった。
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