危険な罠! 坂本雄二の大逆襲

「――明久テメェ、今朝はよくもやってくれたな!」

 昼休み、購買に行こうと腰を上げた直後に、坂本雄二という僕の敵が怒鳴り込んできた。

 言葉と手が同時に出るくらい喧嘩っ早く、知性の欠片も見られない類人猿のような顔立ちをしているが、これでも三―Aの所属で成績がいい。

 なにより恐ろしいことに、人間社会というのは間違ったことを平気でやるもので、おそらく裏で賄賂や恫喝が飛び交った結果、この男はこの文月学園治安維持生徒会という役職を手に入れて、今や圧政を強いる暴君そのものなのだ。

 ただ、位は高くとも育ちの卑しさは隠せないもので、風体も言葉遣いもそのまんまヤンキーのソレだ。そんなヤンキー崩れに絡まれて、身に覚えがなさ過ぎる僕は戸惑うしかない。

「教室を間違えてるよ雄二!」

「校門で俺の首を絞めたろうが! おかげで今まで保健室だったんだぞ!」

「雄二の首を? 僕は霧島さんの荷物運びを手伝っただけだよ」

 解けそうな縄を結びなおしてあげただけだ。中身が限りなく人に近い形状をしていたから、首のところで結ぶと結びやすかったです。

「あの中には俺が入ってたんだよ! 気付いてたろテメェ!」

「……霧島さんは一緒に登校していたと言っていたけど」

 雄二が濡れ衣を被せようとしてくるので、ポツリと僕は呟く。

 途端に教室中が静まり返った。例外を除けば男ばっかりの教室で、一緒に登校なんてワードは爆弾に等しい。

 このクラスの男子生徒は誰もがモテない。

「ボスは――いや、坂本は我らを裏切った……!?」

「よりにもよってあの霧島さんと……!?」

「そういえばコイツは人を裏切りの道具にしか考えていないやつだった……!」

「知ってはいた。知ってはいたが、校内でイチャつかなければ殺すくらいで許してやろうと思っていたのだが……」

 だから、こんな風に方々で不穏なセリフが飛び交い始める。

 それに、と僕は付け加える。

「この文月学園は学生恋愛全面厳禁だもんね。まさかそれを取り締まる側の雄二が、霧島さんと登校デートしてるわけないと思ったんだけど」

「きたねぇぞ明久……!」

 卑怯汚いは敗者の言葉だ。

 雄二が会長として横暴を行う治安維持生徒会とは、文月学園が去年から掲げた「学生恋愛の全面禁止」という校則を徹底的に取り締まる実行部隊だ。雄二は僕のクラスのモテない男子を言葉巧みに勧誘し、いつの間にか彼らを妬み嫉みで洗脳して配下に収めてしまったのだ。

 この空間で雄二は間違いなくサル山の大将なのだけれど、裏切りで疑心暗鬼が芽生えればどうすっころぶかは判らない。

 歯噛みしながら雄二は引き下がって、ったく、の一言でその場を流した。

 環椎亜脱臼を「ったく」で流せる頑丈さくらいが雄二の取り得だ。

「一体どうしたというのじゃ」

「…………教室に殺気が漂ってる」

 購買でパンを買って来たらしい、秀吉とムッツリーニが周囲を警戒しながら教室に入ってきた。

 秀吉はこのクラスで数少ない綺麗どころで、校内一番の美秀吉びしょうじょと評判の秀の吉おんなのこだ。

 隣に立つ一眼レフを首から提げているのがムッツリーニで、このクラスで数多いエロどころで、校内一番のエロと評判のエロだ。

 僕と秀吉とムッツリーニは三年間変わらずFクラスだった。この学校は成績順位にAからFまで教室を割り振られるから、つまり秀吉とムッツリーニの成績はあまりよくないということになる。

「雄二が霧島さんと登校デートをしたっていう――」

「黙れ、その話はもういい」

 雄二が僕の頭をわしづかみにして立ち上がる。

「場所を変えるぞ。ちょっと頼みごとがある」

「雄二が?」

 僕ら三人、目をぱちくりさせて雄二を見た。リーダーシップを取りたがるガキ大将みたいな人間だから、命令はしても頼みごとはしない。

 何か裏がある、と猜疑の目で見つめた僕に、雄二はいつになく真剣な顔をして言うのだ。

「もうお前たちに頼るしかないんだ。――助けてくれ」

 これマジで裏があるな、と僕は長い付き合いから判断して、話半分に聞こうと心に決めた。



「翔子が浮気している」

 屋上に出て腰を落ち着けるなり、雄二は声を潜めて切り出した。

 まるで悪事の相談みたいな格好だけれど、話をする場所に屋上を選んだ時点でロクでもない話だろうなという予想はできていた。

 どこにいても盗聴と盗撮の危険性があるここ文月学園において、この屋上だけは例外といえるスペースだからだ。

 機械と保健体育にはめっぽう強いムッツリーニが盗聴盗撮を主導しているから、無理を言って秘密の会話が出来る場所を屋上に拵えてもらったのだ。

 おかげで今や、屋上は文月学園の伝説のスポットになっている。屋上で告白するとOKが貰えるというのだ。たんに告白すると即座に生徒会に情報が流れ、数分後には治安維持生徒会が飛んできてご破産になるだけなのだが、そのせいで秘密の交際を始めるとしたら屋上しかない。

 自然、大概記録に残せない上、情報漏洩も許されないタイプの僕らの密談も屋上で行われるようになった。

「ありえんじゃろう」

「…………ありえない」

「あっても別に大変な事態とは思えない」

 しかし、雄二の切り出した話題はかつてないほど荒唐無稽すぎて、僕を含めて誰も相手にしなかった。

 霧島さんは不幸にも幼少期に雄二に洗脳されてしまったらしく、雄二なしでは生きられない人だ。今日だって一緒に登校したいがあまり、気絶させて縄で縛って家から引っ張ってくるという恋する乙女っぷりを発揮している。

 そんな霧島さんが雄二以外の男と付き合おうとしているなんて、想像するだけ無駄というものだ。

 秀吉などはもう殆ど興味を失ったらしく、おにぎりのビニールをあけてずいぶんと美味しそうに口に運んでいた。可愛すぎる。

「まあ、そうだよな……」

「ノロケかこのっ!」

「…………明久にいえたことか!」

「姉上から聞いたが、ムッツリーニも最近とあるAクラスのK藤とアヤしいと聞くのぅ」

「…………そっ、そんなことない!」

「秀吉、昨日貰った新一年生(男子)からのラブレターはちゃんと返事したの?」

「何で知っておる!? というか(男子)とつけるな! わしは男じゃ!」

「だぁぁ! 黙れ、俺の話が先だ!」

 収拾がつかなくなった会話を無理やりジャイアニズムで打ち切って、雄二は再び深刻そうに話し出す。

「正確にいうなら、翔子を浮気させる」

 酷い男だ、と本心から侮蔑できる。あんな可愛いくて頭が良い女の子から迫られて、このクズは未だにはっきり返事をしていないのだ。

 確かに霧島さんは見かけによらず押しの強いところがある。でもせいぜいちょっと過労で倒れたり呼吸困難に陥ったり全身を強く打ったりするだけじゃないか。そんなのが引き換えなら誰だって我慢して当然だ。

 大きければ大きいほど重くなる。物理学では常識の話だ。

「いいか、これは明久、ムッツリーニ、秀吉にだって無関係な話じゃない。お前たちが将来困らないように今から準備しておく必要があるんだ」

「霧島さんに雄二がどうされようが僕らには無関係だよ」

「そうじゃない、いいか明久。離婚には有責というものがあってだな」

「何で僕が離婚で困るんだよ!」

「浮気したほうに罪がある」

「だから僕は浮気はし――」

 つぅ、と背中を冷たい汗が流れた。最近こういった話題になるたび妙に気分が悪くなる。

「明久」

 固まった僕を問い詰めるように、雄二が身を乗り出してきた。

「……お前、断れたのか?」

「う、く……」

「四ヶ月、か。姫路と島田も限界じゃないか……?」

「ぐっ……!」

 去年――僕はクラスに二人しかいない女の子の、そのどちらからも好きですと言われた。

 聞き流してばかりのラノベ主人公にはなりたくない! から、僕はちゃんとその気持ちを受け止めた。

 片方に告白し、もう一人に別れを――告げようとしたところで、直後に文月学園全恋愛活動厳禁の詔が下されて曖昧になってしまったのだ。

 そのままずるずると月日は過ぎ、結局どちらにもちゃんとした返事はできていない。

 校則以外にも理由はある。

 かたや薬物のプロフェッショナル、かたや関節技を極めしものサブミッショナルだ。どちらかに不義理を働けば僕は死んでしまうんじゃないだろうか。

「お前の場合それだけじゃすまない」

 それだけじゃすまない? クラスの女子二人からアプローチを受けたというのは僕の人生で唯一無二の栄誉で、誇らしくもあるけれどどちらかといえば申し訳なく、むしろ謙虚になってしまう事柄だ。

 決して僕はモテるタイプじゃないし、それくらいは自覚している。

 だから、それ以外から好意を寄せられた記憶なんて――。

「玉野が危ない」

「特殊すぎるから! 絶対そういうのとは違うから!」

「島田葉月」

「公的機関に捕まるから! 捕まった上に美波にゆっくり殺されるから!」

「久保と――ハクショイ!」

「ちょっと待って聞こえなかった! すごい大事そうなところ聞こえなかった!」

「吉井玲」

「畜生! 僕の姉さんだよ! 見ないで! 僕の家庭の恥部を見ないでぇ!」

「船越教諭」

「まだ諦めてなかったのか! 教師(46)は禁断すぎるでしょうよ!」

「鉄人」

「そんなエピソード一話たりともなかったよ! 適当に名前挙げればいいと思うな! 屋上こい雄二ぃ!」

「……とまあ、明久には誘惑が多い。二人から一人を選べないのに、こんなに多くの女性(?)から惚れられてしまっては将来に危険を残すばかりだ」

「(?)ってなにさ」

「明久は知らなくていい。――で、ずるずるなし崩し的にいい顔をしているうちに」

 すっと雄二が指先を僕の胸元に当てて、底冷えのする声で言い切った。

「グサリだ」

「――!」

 思わず息を呑んでしまった。ナイフを模した指が水平に肋間を通るように形作られていたこととか、ちゃんと両方の肺をトントンと貫いて失血死ではなく窒息死を狙っていることとか、そういう無駄にリアルな仕草もそうだったけれど、何よりその仮想ナイフの延長線上に一瞬誰かの顔がチラついたというのが大きかった。

 姫路さんだったか美波だったか、もしかすると姉さんとか船越教諭……?

「ムッツリーニもヤバイ。というか、もっと危ない」

 バクバクと不整脈を起こして蹲る僕を無視して、雄二は今度はムッツリーニに水を向ける。

「…………俺は何も」

「このところ工藤と二人で下校しているらしいな」

「ムッツリーニ、なんてことを!」

「…………ち、違う! あの道には何も仕掛けてない! 生徒会にも情報は漏れないはず!」

「工藤が木下に喋り、木下が翔子に喋り、翔子が俺に喋った」

「…………!」

 まあそうだよね。今日日女の子はみんないろいろ繋がってるLINEしてるようなものだよね。

「会長として審問会を開こうと俺は思ったんだが」

 ムッツリーニがガタガタと震えだす。審問会は端的に言えば処刑だ。僕もそうだけれど、ムッツリーニだって何度も見ているし、執行者として参加した経験も数多い。

 一度捕らえられれば何をされるか――だけに恐ろしい。

「が、ムッツリーニ。二人での下校中に、他の女に気を取られたそうじゃないか」

「…………あれは……! 一瞬の芸術が目の前にあったから……!」

 大体想像はつく。その名のとおり、ムッツリーニは盗撮盗聴も辞さないエロの求道者だ。

 同時に一瞬の突風に身体が反応しまう生粋のカメラマンでもある。おそらくはパンチラとか、そっちに向かってカメラを構えてしまったのだろう。もっと予想するなら、多分工藤さんではないパンチラにカメラを向けてしまったか。工藤さんはスカートの下にはスパッツを履く人だから。

「みなまでは言わないが、結局工藤が怒って先に帰ったらしいな。あまりに哀れで審問会にはかけなかったが」

「…………芸術を理解しないほうが悪い! それに工藤は爆笑してた……!」

「あの後大変だったらしいぞ」

「姉上から聞いたが、確かに工藤と相当長く話し込んでおったのう」

 秀吉には双子のお姉さんがいて、それが雄二の話に出てきた木下優子さんだ。そういえばムッツリーニが怪しいという情報も秀吉は持っていた。

 追い詰められて顔を真っ青にしたムッツリーニが、おそるおそるといったように声を絞り出す。

「…………ど、どうせ笑っていただけだろう」

「いや。泣いていたらしい」

「ぐっふっぅ!」

「ムッツリーニぃ!!」

 いつもの鼻血ではなく冷や汗の海に倒れこんで、まさかの現実のヘヴィさに潰されきってしまった。

 工藤さんはスレンダーな身体で水泳部に所属する、実践派を自称する女版ムッツリーニだ。いつもあっけらかんとしていて、快活に僕らにギリギリのエロトークを振ってくる。

 犯罪スレスレのムッツリーニを唯一許してくれる人かと思っていたら、まさかの恋する乙女全開じゃないか……!

 こんなの立ち直れない、立ち直れないよ雄二……。

「しかし雄二よ。明久やムッツリーニが浮気で有責になるといっても、わしは関係ないじゃろう?」

 脱水で息も絶え絶えになったムッツリーニを介抱しながら、秀吉が怪訝そうに尋ねる。

 確かに秀吉にはあまり浮いた話はない。

「秀吉は毎日いろんな男子生徒からラブレターを貰っているけど……」

「そこを指摘せんでくれ!」

「ああ。確かに秀吉は毎日十通近い男子からのラブレターを貰っているが、特定の相手がいるといったウワサは聞かないな」

「だからなぜそこを何度も繰り返す! わしは男といっとるじゃろう!」

「しかし、浮気した側だけでなく、その浮気相手にも慰謝料は請求できるんだ」

「わしは浮気相手ではなかろう!?」

「つい先週のことだ」

 悔しそうに拳を握り締めて、雄二は語りだす。

「俺たち治安維持生徒会は、かねてより内定を進めていた秀吉ファンクラブの過激派を一斉検挙することに成功した。恋愛禁止だからな、対象はカップルだけじゃない」

「そんなものわしは知らんぞ!? ――って明久、何故危ない、ギリギリだったという顔をしておるのじゃ!?」

 秀吉ファンクラブはもう今年で三年目になる伝統ある地下組織だ。秀吉の写真や小物の収集や共有を目的としつつ、抜け駆けを厳しく監視する規律正しい組織だったはずだ。ちなみに僕とムッツリーニも創立者兼大幹部として運営に携わっている。

 が、このところ僕とムッツリーニは対治安維持生徒会戦線のゲリラ活動に忙しく、少しおろそかになっていた点は否めない。

 そんな中、新一年生が大量に入会し隙が生まれたところを、雄二たちに付け込まれてしまったというわけか。

 ファンクラブ会員には3―Fの生徒も多いから、ヤツらの大半が裏切ったことになる。ゲリラ戦線にも影響が及びそうだと僕は警戒を強めて、とりあえず裏切ってそうなヤツらを後で粛清しようと心に決めた。

「その中に今年入った一年がいてな。ほら、さっき話題に出てたラブレターを出した一年だ」

「…………ファンクラブは抜け駆け厳禁のはず……! もはや統率も取れていない……!」

 息を吹き返したムッツリーニが怒りをあらわにする。秀吉ファンクラブは、ムッツリーニが管理運営する写真売買のムッツリ商会の上顧客でもあるから、雄二の摘発は大きな資金源を潰したことにもなる。

「当然、俺たち生徒会はそいつを徹底的に審問会ごうもんした。――が、あいつはそれでも折れなかった! 何を失ってもいい、魂を奉げても秀吉を手に入れるんだと息巻いている!」

「き、聞きたくなかったのぅ……」

 華奢な肩を抱いてガタガタ震える秀吉がなんとも愛らしい――じゃなくって。

「で、でも雄二! 流石にそれは秀吉に責任があるとは思えないけど」

「判らないか明久。――美しさは罪なんだ」

「こじつけじゃろう!?」

「……それと最近、学校の周りで卒業生の常村が目撃されている。折角受かった大学にもあまり通ってないらしい。大学デビュー失敗だ秀吉は人の人生を狂わせる!」

「ヒィッ……」

 常村って誰だっけ、と僕はすぐには思い出せなかったけれど、秀吉には相当インパクトの強い名前だったらしく、大きく息を吸い込んだまま固まってしまった。

「どうしたの秀吉、すごい表情になって――マズい呼吸が止まってる! 心肺蘇生!」

「…………胸は俺が押す!」

「息は僕が吹き込む! どいてムッツリーニ!」

「…………そっちも譲れない!」

 ムッツリーニと場所を争っているうちに、秀吉は自力で生還してしまった。Fクラスを体験していれば誰だって心肺停止くらい自力で乗り越えてしまう。惜しいことをした……。

「こんな風に、明久は曖昧なことが、ムッツリーニはエロいことが、秀吉は秀吉であることがそれぞれ有責になる」

 返す言葉がない。

「だから俺が身体を張ってでも、お前たちのために処世術の真髄を見せてやりたいんだ!」

「雄二……!」

 誰かのために身体を張る――かつて二年間を共にした坂本雄二からは、一生掛かっても聞き出せないような台詞だった。

 立場が人を変えるのだろうか。三年になって、雄二はきっと大きく成長したのだ。

「しかし処世術の真髄とはなんじゃ……?」

「雄二がいつも霧島さんにやってることじゃないかな。正座とか土下座とか」

「…………とりあえず謝ってる」

「首輪を付けられて喜んでいたのう」

「お前らは俺をどういう目で……!」

 僕らが披瀝した真実に青筋を立てた雄二は、しかしいつもなら暴力に訴えるところを深呼吸の二三回で収めて、

「計画は最初にいっただろ」

 と説明を続けた。やっぱり成長しているのだ。うかうかしていられない――。

「翔子に浮気させて、その現場を押さえる! そうすればあっちが有責だ! 法廷ならこっちが優位に立てる!」

 前言撤回。性根はやっぱりどうしようもなくゲスだ。

「その計画には乗れないよ! 霧島さんの気持ちが一番大事じゃないか! 雄二はどうでもいい」

「つべこべ言わず素直になったらどうなんじゃ。雄二はどうでもいからのう」

「…………美人は宝。雄二はどうでもいい」

 こめかみに青筋がもうひとつ増え、今度は気持ちを抑えるのにさっきの三倍の深呼吸を必要としていた。

「これは翔子のためでもあるんだ。学生恋愛禁止で押さえ込んでいたが、このところ我慢が効かなくなってきている。今日も寝起きと気絶が同時だった! 俺の命がヤバイ!」

 ホンネがちらりと見えた気がしたけれど、僕はあえてそこに食いつかずに先を促す。

「霧島さんが校則に引っかかりかねない?」

「そうだ! あいつの成績にも関係するし、なによりこのままエスカレートすれば治安維持生徒会会長の俺まで指導力を失ってしまう……あっ!」

 にやりと僕はほくそ笑む。失策に気付いた雄二が恨みがましく睨みつけてきた。

「やるじゃねぇか明久……お前、成長したな……!」

 二年生の頃まで僕と雄二はクラスメイトだった。騙し騙されの関係はその頃から始まっていたけれど、なんだかんだ力を合わせて、学校の権力や上級生の圧力といったものと戦ってきた。

 でも三年になって状況と立場が大きく変わった。

 Aクラスに上がった雄二はすぐさま僕たちを裏切り、自らの保身――霧島さんとの交際解消――のために学校の権力に擦り寄ったのだ。

 結果、学生恋愛禁止という無茶な校則で霧島さんのアプローチを押さえ込み、同時にそれを実行面で執り行う治安維持生徒会という暴力組織を作って自らに権力を集中させた。

 僕はそれに対抗し、姫路さんと美波の思いに応えるべく、そして全校生徒に恋愛の素晴らしさを教えるために、校則撤回を求めてゲリラ活動を開始した。

 けれど、流石に長くFクラスを率いてきた経験もあってか、雄二の政治工作と弾圧は一部の隙のないものだった。

 思い返してみれば雄二のやり方はまず政治工作ありきだった気がする。暴力と利益を使い分けて徹底的に根回しを行い、戦う前に圧倒的な優位を形作ってしまうのだ。

 性質を同じくするとはいえ、まさか元2―Fの異端審問会をそっくり取り込んでしまうとは思ってもみなかった。

 こうして強固な組織を作り上げた雄二に、僕は新学期初日の新入生歓迎式典で正義の御旗を掲げて挑んだけれど、周りの生徒殆どが校則賛成派というまさかの展開に敗北し、以後周囲の白けた視線に耐えながら孤軍奮闘せざるを得なくなってしまった。

 雄二は人の心を踏みにじる悪の権化だ。しかし、手腕だけは優れている。そこは認めなければならない。

 だから、僕だって雄二と戦うためにたくさん勉強したのだ。趣味のゲームだってなるべく教養になるものに絞った。桃鉄とか、三国志とか、そっちのほうに手を出すようにした。

 いつまでも騙されっぱなし、やられっぱなしでは、正義の改革は成功しない――!

「雄二、取引をしよう」

「取引、だと?」

 かつての僕からは絶対出てこない言葉だ。

 雄二が怪訝そうな顔で周囲を見回す。誰かが入れ知恵しているのではと疑っている様子だが、これは僕の独創だ。

「すぐに校則を撤回しろなんて言わない――少し範囲を狭めてくれないかな」

「ほう」

 声を上げたのは秀吉だ。かつてないほど交渉らしい交渉だから、らしくないとでも思ったのだろうか。

 一方で雄二は、流石に安易に返事はせずに思案顔になる。利害を計算しているのだろう。この手の計算は早いのだ。まったくつくづく友人にはしたくない。

「どこまでだ?」

「校内に絞ろうよ。登下校は解禁して欲しい」

「大きすぎる! 全国津々浦々、至る所まで目を光らせるのが治安維持生徒会の役割だ」

「でも、登下校中の恋愛を解禁すれば、今朝みたいに雄二が首絞められることもなくなるよ」

「あれはお前のせいだろう!」

 雄二は頑強に抵抗して見せるが、長い付き合いのせいか僕はそこに妥協の色を感じ取る。あれは多分、もう落としどころを見定めた振る舞いだ。

 ならばここは押すしかない。

 恋を求める秀吉ファンクラブが壊滅してしまったのは痛手だが、一方でゲリラ戦線を支える細々としたネットワークは構築できつつある。このネットを担うのは女子生徒が主力で、雄二に勘付かれていない自信があった。

 何せ雄二の実行部隊は異端審問会が前身で、彼らは二年間かけて積み重ねてきた悪事のせいで女子生徒からはゴミのように見られている。情報は流れない。

 けれど大きな勢力として自立するにはあと一押し必要で、そのためにはここでひとつ、僕自身が大きな実績を作らなければならないのだ。

「何をたくらんでる、明久」

「僕は今の校則に反対してるだけだよ雄二。でも無理なのはわかってるから、ほんのすこしだけ生徒に安らぎを与えて欲しいと思うんだ」

 完全撤廃はゴールだ。限定解除させたという実績で勢力を高めて、少しずつ前進する。雄二の政治手腕に対抗するには地道な努力を続けて、まずは大きなチャンスを作り出さなければいけない。

 僕だって成長しているのだ。

「……登校中だけだ」

「校則の適用は校門からが判りやすいじゃないか!」

「下校後、放課後が一番危ない! 学校だって一番警戒する時間帯だ!」

「学業に専念させるための校則だろ、校外は個人の時間じゃないか!」

「学生である以上学校の看板背負ってるんだ! いついかなるときも清く正しく美しく! これが俺たち文月学園の校訓だろう!?」

「初めて聞いたよそのモットー! ましてや雄二は全部ダメじゃないか!」

 胸倉をゆすりあう交渉を続けても、これ以上の妥協点は見出せそうにない。それに相手は雄二だ。交渉術と格闘術を融合させるテクニックは僕では適わない。周りに武器になるものはないし、不意打ちも難しい。

「判った、折れるよ。登校中だけでいい」

 でも僕は手ごたえを感じている。相手に勝ったと思わせるのが大事だ……!

「そうか、判ってくれたか……。じゃあ計画に全面協力してもらうぞ」

「うん。どうするの――」

 腰を落ち着かせようとした瞬間、僕はギリギリのタイミングで気付くことができた。

 雄二が今まで、右手をポケットに入れていたことに。

「待った雄二! ――その妨害電波発生装置ジャマーを今すぐ止めて、今の宣言をもう一度言うんだ!」

 ちっ、と鋭い舌打ちを雄二が漏らす。

「ムッツリーニ、録音は?」

「…………ダメだ、機械ごと死んでる!」

 いざとなれば口約束でごまかすつもりだったのだろう。こちらの録音を読んで先んじてジャミングをかけるなんて、およそ人のやることじゃない。

「まったく、友達を信用しないなんて!」

「そっちも録音してたじゃねぇか!」

「これはムッツリーニの趣味だよ! 偶然スイッチが入ってただけだ! ほら早く宣言するんだ!」

 新しい機材を取り出して、今度はガンマイクまで導入する。雄二の肉声は誰にでもわかりやすい証拠だ。すぐにでも校内放送で流してやる。

「登校中の恋愛を許可する」

「ここに来て裏声使うんじゃない!」

「てめえ、殴りやがったな明久!」

「素直にならないからだ!」

 再び挨拶は胸倉から、の交渉が再開されてしまう。

 一向に証拠を残そうとしない雄二に、結局僕らは文書にすることに決めた。

 定規を使おうとしたり、消せるボールペンを隠し持っていたり、わざと漢字を間違えたりと、あれこれと姑息な手段を用いてくる雄二と格闘しながら、どうにか一筆したためさせたときには、もう昼休みなんてとっくに終わっていた。

「お前のせいでサボりじゃねぇかバカ明久!」

「卑怯な手をつかうからだよダメ雄二!」

「クラスが変わっても相変わらずじゃのう」

「…………多分一生このまま」

 多分僕らはこの後、サボリの罪で鉄人に連行されるだろう。雄二と机を並べるのは久々になる。

 すこし懐かしいな、と思っていたら、同じことを雄二も考えていたらしく、頭を掻きながら照れくさそうに言った。

「まあ、こんなのがいつものことか。――仕方ねえ、作戦開始は放課後から行う。今のうちに計画を教えておくぞ」

 ただ、その後に続く雄二の計画はあまりにゲスで性根を疑うものばかりで――正直、友達とは絶対言いたくないなと僕は改めて心に刻み込むのだった。

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