さらば会長! 坂本雄二、暁に死す

「第一案――これは一番簡単な手法だ」

 下校時刻となり、僕らは打ち合わせた場所、校門付近の茂みに集合していた。

 鉄人の補修から逃げ切れたものは僕と雄二、そしてムッツリーニだけで、残念ながら今回秀吉は捕まってしまった。

「まず翔子がナンパされる。そこをムッツリーニがカメラに収めて、熱が冷め切らないうちに俺が翔子を責め立てる」

「雄二。最初から失敗が見えてる」

「…………霧島さんがなびくわけない」

 ナンパされてもひたすら無視する姿が目に浮かぶ。

 文月学園は霧島さんを筆頭に美女が多いし、可愛い制服も相まって、下校中のナンパ率が中々高いと聞く。

 でも今では街のいたるところに治安維持生徒会の支部が存在し、監視の目を光らせているから、ガードの硬い学校のひとつと看做されるようになってしまった。

 ただ、霧島さんに関して言えば、学校とか治安維持生徒会に関わりなく飛び切り強力なガードが施されていそうだ。何せ彼女には雄二しか見えていない。多分、比較的仲良くなった僕の顔だって、もしかすると彼女の中では黒塗りのシルエットはいけいになっているかもしれないのだから。

 ……この想像はちょっと怖いな。辞めておこう。

「話してるだけじゃ弱いな。一緒に連れ立って歩き出せば浮気現場っぽくなるか……」

 雄二はどうすれば望みどおりのカットが取れるか、まるで報道カメラマンのように真剣に考え込んでいる。

「その程度じゃ浮気と言えないんじゃ」

「明久、思い出してみろ。お前が他の女と三十秒一緒にいた時、姫路や島田はどんなことをした?」

「はっ……! 浮気だといって関節を極められた……!」

「水着の女に目を向けたら?」

「浮気だといって関節を外された……!」

「同じ空気を吸ったら?」

「浮気だといって自力整復困難な部分を自力整復困難な形に力ずくで――ってそこまではされてないよ!」

「俺は三日監禁された」

「雄二、ごめん」

 浮気の定義は人それぞれだ。楽しそうに会話をすれば浮気という人もいるし、デートくらい浮気じゃないという人もいるし、奥さんほっぽりだして愛人を実家に連れて行っても仲の良い友達で済む人もいる。

「今回の基準は法廷で争って勝てるレベルかどうかだ。週刊誌に良く乗ってる白黒写真――あの程度のクオリティは欲しい」

 ハードル高いなぁ、と僕はムッツリーニと目で会話する。

 それを察したのか、雄二はにやりと良く似合うあくどい笑みを浮かべて、

「安心しろ、勝算はある。翔子を呼び出すのは駅前のナンパスポットだし、生徒会のシフトも調節して監視の穴も作る」

 と懐からガラケーを出してメールを打ち始めた。

「――って雄二、まだガラケーなの? 早くスマホにしなよ」

「これは翔子に持たされてる専用回線だ。三十分ごとの定時連絡を忘れると後が怖い」

 現代機器の見えない首輪か……。薄気味悪い笑みを浮かべる雄二が、尻尾を振る飼い犬のように見えて情けなかった。

「…………明久。今回のオチが読めた」

 ムッツリーニが雄二に聞こえないよう、僕の耳元で教えてくれる。

「…………あのケータイ、GPS内臓タイプだ。常に居場所を監視されてる。盗聴器も……おそらく」

 こんなの絶対失敗する作戦じゃないか。

 ガラケーくびわに取り付いて、今日こそ化けの皮を剥がしてやるぜぇと鬼気迫る顔を浮かべている雄二が、もう情けなさを通り越して哀れだった。

「――行こう、雄二!」

「…………協力は惜しまない」

 僕とムッツリーニは雄二の肩を叩いて、親愛なる元クラスメイトのために出来る限りの力を尽くそうと誓った。

「なんだよ、いきなり協力的になって……」

 例え負け戦とわかっていても戦うことを選ぶ。

 滅びの美学というものが雄二の身体からは呪いのようにあふれ出ていて、ならば僕らは親友としてその背中を押してやるしかないじゃないか。

「よし、整った。行くぞお前達!」

 断崖絶壁から飛び降りるように、力強く雄二は一歩を踏み出した。




 文月学園最寄の駅前は、大都会とは言わないまでも綺麗に整頓されたおもちゃ箱のようにカラフルな作りをしていて、若い人が放課後や休日のデートスポットにしている一等地だ。

 僕らなんかは一緒くたに「商店街」と呼んでいるから、意図せず格を下げてしまっているのだけれど、よくよく見ればそれらの配置は実に計算されて作られていることがわかる。

 大通りには映画館や衣料品店、ケーキ屋などが立ち並んで、そのどれもが女性向けだから自然と行きかう女性の顔が華やいでいる。

 反面、僕らが足しげく通うようなゲームセンターにゲームショップ、牛丼屋に替え玉もきくラーメン屋などは裏路地一本入らなければわからないようになっていて、まるで町全体からカップル以外の男は来るな、と言われているようにも思えた。

「ここがナンパスポットなのは知ってるだろ?」

 替え玉の効くラーメン屋に程近い裏路地に身体を寄せて、僕らは手際よく撮影機材のスタンバイを行う。一瞬を撮り逃さないため――というよりは加工をやりやすくするため、今回は写真ではなくビデオ撮影だ。

 ムッツリーニがビデオカメラ、僕はガンマイクを握り締め、雄二は周囲に気を配りつつメールで霧島さんを誘導している。

「そういえば須川君がここの担当だったって聞いたけれど」

 須川君は3―Fのクラスメイトで、生徒会の前身となる異端審問会で会長職を任じられていた生徒だ。かつては女子生徒からの侮蔑を一身に集める最底辺の人間だったけれど、雄二の手が入ってからは着々と出世し、今や文月学園にはなくてはならない有力者になったらしい。

「あいつは良く働くからな」

 文月学園周辺に配置された生徒会の支部には、その功績に応じて担当官が配置されている。もっとも危険度の高いこの駅前は、特に武断派の須川君の管轄に置かれたというわけか。

「だが72時間監視し続けて、昨日倒れた。ストレス性の胃潰瘍だそうだ。あいつがいない今がチャンスだ」

 そりゃあモテない男が三日続けて大量のカップルを見続けたらそうなる。

 誰のせいだよ、という言葉をぐっと飲み込んで、僕はガンマイクを構えなおした。

 ……ムッツリーニの用意した指向性集音マイクは実に高性能で、行き交うカップルの華やいだ会話が耳元で鳴り続ける。僕も胃潰瘍になりそうなくらい、砂と血を吐きそうな甘い会話ばかりだ。

「来たぞ、翔子だ」

 雄二の緊迫した声に顔を上げる。

 大通りを挟んだ道を、柔らかそうな白いセーターに身を包み、珍しくGパンを履いた霧島さんが歩いていた。

「あれ、私服?」

 パンツルックだからだろうか。いつもと雰囲気が違っていて――思わず見蕩れてしまう。細身ながらしなやかな身体のラインが浮き出ていて、大人っぽくもどことなく活動的だ。しかも顔立ちはおとなしそうないつものつんとしたクールビューティーだから、柔らかそうな肢体とのギャップが著しい。

 まず行き交うカップルの男連中が二度見し、そして女の人が振り返って小さく歓声を上げる。霧島さんのいるところだけ明らかにオーラが違う……!

「どこかで着替えたのかな――って雄二!」

 ぽかんとだらしなく口を開けていた雄二の顎に、気付けのアッパーを叩き込む。

「み、見蕩れてなんかイナイヨ……」

 どうやら霧島さんの新たな一面に相当動揺してしまったらしい。綺麗に顎を捕らえて下顎骨から頭蓋底に抜ける確かな手ごたえがあったにも関わらず、雄二は痛みも怒りも口調も忘れておろおろみっともなくうろたえていた。

「し、しかし、翔子が着替えてきたのは指示通りだ。あんな格好は予想外だったが、制服姿じゃナンパの対象になりにくいからな」

「学校終わりにデートするみたいだ」

「デートじゃない! 喫茶店で3―Aのクラス方針を話し合って、その後息抜きに映画でも見ないかとメールで送っただけだ!」

「一人だけ青春楽しんでるんじゃねぇアッパー!」

 こいつは! 全校生徒に恋愛禁止を押しつけながら自分だけはデートを満喫してやがる! 許すまじ雄二!

「ち、違う、こんなことこれが初めて初めてなんだ……。だから翔子も気合入れてきたんだ……。頼む、信じてくれ明久……!」

 僕に向かって信じてくれとは雄二も堕ちたものだ。

 権力を手に入れてからこっち、どんどん人間が小さくなっていく親友に言いようのない悲しみを感じながら、珍しく抵抗しない雄二を僕は容赦なく踏みしだく。

 雄二! お前はそんな小さな男じゃなかったはずだ……!

「…………! 雄二、明久、食いついた。チンピラまがいの男三人から声を掛けられてる」

 暴力を一切気に留めず、鼻血を流しながらひたすら霧島さんの撮影に没頭していたムッツリーニが報告してきた。あとでテープをコピーしてもらおう。

「なんだとあいつら許さねぇ!」

「作戦を忘れるんじゃないダブルアッパー!」

 チンピラという言葉に単シナプス反射で飛び出しかけた雄二を、今日三度目の綺麗なアッパーで掣肘する。

 ほんと足を引っ張るなこいつ!

「悪かった明久……。少し頭に血が上ってた……」

 脳が揺れてようやく作戦行動中であることを思い出したらしい。なんてバカな男だろう。

 ムッツリーニの言うとおり、霧島さんはチンピラと形容していいガラの悪い男たち三人に取り囲まれていた。

 映画館前の広い場所で、恋人たちが待ち合わせに良く使う場所だ。綺麗な霧島さんと、対照的に粗野なチンピラ三人の組み合わせは良く目立った。

 霧島さんは徹底的な無視を決め込んでいる。――いや、そこに人がいると認識していない可能性すらありうる。

 基本はいつものすまし顔だけれど、おそらくは雄二との逢瀬を想像しているのだろう、時折幸福そうに口角を上げては時計に目を落としている。

 遠目には幸せな恋する乙女そのもの――なのだけれど、今回ばかりは状況が悪すぎた。

 高性能マイクをつけている僕には良くわかる。

 猫なで声から始まったチンピラの口調が少しずつ苛立ってきているのだ。僕らはじっと静かに見守っていたけれど、三十分も経つころにはいよいよチンピラたちも我慢の限界を迎えつつあった。

「あいつらただじゃすまさねぇ顔覚えたからな二度と外歩けない体にしてやる……」

 ……ただ、それ以上に、僕の頭の上でひたすら呪詛の言葉を吐き続ける雄二のほうが恐ろしい。

 この展開は充分予想していたけれど、霧島さんがどうのという以前に、雄二の忍耐力からも作戦失敗が確定的だとは思いもしなかった。

「いい加減にしろコラァ!」

 四十五分口説き続けて、ほんの一瞬たりとも反応がなかったことに、ついにチンピラたちが撃発した。

「限界だ雄二、行こう」

「…………作戦失敗。これ以上は危ない」

「ち、しかたねぇか」

 言いながらも、すでに雄二は拳に石を握りこんで完璧な戦闘体制を整えている。

 なんていうか、結局雄二の株をあげるだけのような作戦に成り下がってしまった気がする。予想通りだけど。

 が、僕らが一歩踏み出した瞬間、

「待ちたまえ!」

 と大きな声がマイクを通さずに響き渡った。

 見ると、通りがかった背の高い男が、チンピラと霧島さんの間に立ちはだかっていたのだ。

「あれは――!」

「須川!?」

 昨日胃に穴が開いて、今は病院で寝ていなければならない須川君じゃないか!

「あいつ、病を押して任務に精励するとは……!」

 計算違いだクソっと、さらりと雄二が外道なことを言う。やっぱり須川君をストレスで潰そうとしていたのか。パワハラに躊躇がない。

 でもこれで僕らが飛び出していくことはできなくなった。

 雄二がチンピラを退治して、そこに霧島さんが陶酔した瞳を向ければ、須川君の目には生徒会長の許しがたい背任行為として映るだろう。

「こうなったら須川がボコられるまで待つしかねぇ」

 負ける前提で話し始める雄二とは裏腹に、僕は須川君を応援していた。

 女の子が見てさえいれば、猫が溺れる冬の川にだって飛び込むのが須川君だ。

 女の子が見てさえいれば、不良に絡まれる他校生徒をも助けるのが須川君だ! 

 女の子が見てさえいれば、異世界の魔王だって倒して見せるのが須川君だ!!

 二つの要素を同時に重ねるのが難しいと常々ぼやいていた彼だけれど、心に秘めた正義感モテたい気持ちは誰より強いことを僕は知っている!

「…………戦い始めた!」

 ムッツリーニも女性しか撮らないというポリシーをまげて、須川君の一世一代の大舞台を追いかけている。

「…………須川に高く売れる! ローンで!」

 ま、まあ高校時代唯一の武勇伝になりそうだしね。

 三対一の不利な状況にあって、須川君は一歩も引かなかった。もともと体格はいいし、雄二ほどではないけれど頑丈な構造をしているし、何より悪鬼羅刹ばかりの異端審問会を率いていたFクラスきっての過激派でもある。

 そんじょそこらのチンピラに囲まれたくらいで根を上げるやわな根性ではない。――のだけれど、身体にいつものキレがなく、じりじりと押されているように見えた。

「そうか、須川君は病み上がり――っていうか病んでる途中だ!」

 下手すると穴が開きっぱなしかもしれない!

 時折苦痛に顔を歪ませて、腹をかばいながら相手の打撃を掻い潜っている。やっぱり相当の痛みが――!

 足をとられて倒れこんだところを、ひたすら足蹴にされる。もう立つ体力が残っていないのか、まともな抵抗も出来ていない。

「もうだめだ、雄二」

「待て明久。ちゃんとくたばってからだ」

「もうくたばってるよ!」

「念には念を入れる」

 鬼!

 しかし僕は見た。気を失ったと思われた須川君の瞳が、まだらんらんと輝いて死んでいないことを!

 須川君はきりっと霧島さんの美貌を目に納めると、

「俺は負けなぁぁぁい!」

 と三人分の体重をひっくり返して立ち上がったのだ。

 それが不意打ちになった。そして、不意打ちから先は須川君Fクラスの独壇場だった。

「愛ゆえにパンチ! 俺を見てキック! せめてヒト科並みの扱いをヘッドバッドォ!」

 須川君、最後のは卑屈すぎる! あってるけど!

 次々に渾身の叫びを繰り出す須川君の執念に、ついにチンピラたちが逃げ出していった。すごい、須川君! 今君は人生勝ち組の扉に手を掛けているよ!

「ちぃ、生き延びたか。しかしこれで作戦成功の芽が出てきた」

 ……雄二が見ていなければ、だったけれど。

「自分を助けてくれた相手の誘いは断りにくいからな。二人で喫茶店にでも入ったところを即座に抑える。須川も校則違反で失脚させて一挙両得だ。――勝手に働くやつは無能に劣る」

 霧島さんは心の清らかな人だ。雄二が絡むと少し暴走するだけで、いつもは極めて善良な優等生でもある。

 たとえ相手が須川君であろうとも、最低限の慈悲は見せてしまいかねない。

「くっ! 雄二、このやり方はやっぱり良くない! 霧島さんの人生に汚点とトラウマを残させるわけには!」

「サ店に入るまでだ我慢しろ明久!」

 飛び出そうとするが雄二に羽交い絞めにされてしまう。見れば僕を掴む腕がぶるぶる震えていて、雄二も相当の葛藤の中にいるらしいことは明白だった。

 このままでは霧島さんが雄二の姦計にはまってしまう! それも予想以上に最悪の相手と!

 叫ぶか雄二を説得すなぐるか迷っているところに、

「…………待て、明久。心配なさそうだ」

 とムッツリーニが冷静に告げてきた。

 確かに二人はいつまで立っても動く気配がなかった。

 ガンマイクが拾ってくるのは、先ほどのチンピラと対して変わらない須川君の口説き文句だけだ。どうやら須川君は、目の前の美人が霧島さんとは気付いていないようで、ひたすらヘイそこの彼女、お茶しようぜ、もー照れちゃって! と話しかけている。

 そこに一切の返答がない。

「哀れすぎる……」

 多分霧島さんは、須川君の存在そのものを認識していない。あんなに頑張ったのに……。

 やがて須川君も諦めて、痛みを思い出したのかお腹を押さえて立ち去っていった。遠くで救急車のサイレンが聞こえたから、命に別状はないと思う。

「僕は今日の須川君ヒーローを忘れないよ」

 須川君にとってはきっと、これから続く長い長い人生の中で、今の一瞬だけがただ一度きり、唯一のチャンスだっただろう。

 それだけ「悪漢に絡まれる美女を助ける」というシチュエーションは希少なのだ。

 何百万人の中で一人にだって与えられることが難しい、才能よりありがたい神様からの贈り物。

 相手が霧島さんでなければ……いや、雄二がこの世に存在していなければ、須川君はきっとささやかな思い出を手に入れていたはずだ。

「…………一応一部始終は録画した。ナンパ失敗だから売れないかも」

「いや、良くやったムッツリーニ。ナンパしてるところだけ残してあとは捨てていい。須川を追い落とすのに使うから、俺が買う」

「…………判った。カメラが穢れるから、今から消す」

 一切の救いがない。せめて須川君の雄姿は僕一人の心に大切にしまっておこう。

 改めてガンマイクを構えなおした僕のポケットで、スマホがぷるぷると震えた。

 この振動はメールだ。誰からだろう。

雄二を撮っておいて気付いているぞ

 ――霧島さんからだった。

 凍りついた顔を悟られないように、こうなりゃ持久戦だと息巻く雄二から、僕は目を逸らすしかなかった。



 結局僕らは日没まで、三時間も近く粘ることになった。

 ずっと回し続けていた撮影機材のバッテリーはとっくの昔になくなって、何の証拠も残せないと判っていながら、ただひたすらに霧島さんを動かせる人物の登場を待つしかなかった。

「ねえ雄二。もう……いいんじゃないかな」

「まだだ……誰かいるはずなんだ……一瞬だけでも翔子を振り向かせられる、俺以外の誰かが……」

 雄二はすっかり抜け殻のようになってしまっている。

 この三時間は霧島さんの愛の証明だったと思う。

 ひっきりなしに様々な男が寄ってきた。イケメンから金持ちから、不細工から中二病まで、ありとあらゆるジャンルが選り取りみどりだった。アイドルとかセレブとか、ニュースで見たことのあるような人まで集まってきていた気がする。

 その全てに霧島さんは無視を貫き通した。

「重すぎるんだよ、翔子……」

 どう考えてもありとあらゆるスペックが雄二より上という男たちを、霧島さんはことごとく、ひとつの例外もなく袖にし続けた。

 つまりそれは、、というプレッシャーに他ならない。

 雄二は自己中心的で唯我独尊で傲慢な性格をしている。しかし、例えば二時間前に来たアラブの石油王然とした褐色肌の美男子とか、一時間前にフェラーリで乗り付けてきたアメリカのお騒がせアイドルタレントとか、そういうものと自分を比べられるほど無知ではない。

 最初こそどこか誇らしげにしていた雄二も、リンカーンが横付けされ、入れ替わりにフェラーリが停まり、ロールスロイスとベントレーが割って入ったあたりで歯の根をガタガタさせて青ざめていた。

「おかしい、おかしいぞ翔子……。相手はセレブだぞ、アイドルだぞ、どうして靡かない!」

「……雄二しか、見えないから」

 ぎょっとして顔を上げると、霧島さんが雄二の目の前に仁王立ちしていた。

 怒ってはいない。むしろどこか誇らしげに胸を逸らせて、

「……浮気、しなかった」

「き、気付いてたのか?」

「……最初から」

「明久ァ! 裏切ったな!」

「言いがかりだ! 雄二のケータイにGPSが仕掛けられてるんだよ!」

 胸倉を掴みあげてくる雄二を引き剥がして、僕は専用携帯をもぎ取って眼前に突き出してやる。

「そんなはずはねぇ! GPSは取り外したし、盗聴器も壊したはずだ! 毎日何か仕掛けられてないか一時間掛けて調べてる!」

 気付いてたのか……。

「明久が俺を売ったとしか思えねぇ!」

「誤解だよ! 助けて霧島さん!」

 霧島さんはこくりと頷いて、雄二を振り向かせると、その胸元をトントンと叩いて言った。

「……雄二の心音なら、簡単に聞き分けられる」

「ヒィッ……!」

「……毎朝、聞いてるから」

 ちょっと大人な爆弾発言を可愛らしく口にして、言っちゃった、みたいに霧島さんは頬を赤らめるのだけれど――ちょっと遅かった。

 とんとんと恥らうように雄二の胸元を叩くその指は水平を模っていて、まるでナイフのようだったから。

 ――グサリ、だ。

 昼間雄二に宣告された恐怖の未来が蘇ってくる。雄二も同じ未来を見たらしい。胸を掻き毟って苦しみだす。不整脈だろう。

「……私は、浮気しない。だから雄二も、浮気しない。わかった?」

 胸を締め付けられる痛みでもう声が出ないのか、雄二は蹲ってこくこくというかびくびくというか、首を上下させるだけだった。

「……じゃあ、今から打ち合わせ下校デートする」

 悶え苦しむ雄二を引きずって、足取り軽やかに立ち去ろうとする霧島さんに、僕とムッツリーニはご所望のテープの一切合財を提供すると、形ばかりの挨拶をして別れた。

「たすけてくれ、あきひさ……」

 チアノーゼで真っ青になった顔で、雄二が呻く。

 人には出来ることと、出来ないことがある。

 僕もムッツリーニも、聞こえなかったことにした。

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