第7章 名前を呼ぶ(1)
がしゃがしゃと、金属音がそこかしこから聞こえる。
ケヴィンの呼びかけに応えて現王政打倒の為に集結した有志は、首都ベレタの人口の四割に及んだという。この隠れ家に待機しているのはその一部のはずだが、それでも大層な人数だ。
彼らが今日、王都の各所で一斉に蜂起し、王とその寵妃と、腐りきった騎士団を打倒する手はずになっている。人々が帯びる剣、身にまとう鎧の立てる音は、戦いが近いという緊張感をいやがおうにも高めていた。
「デュルケン、本当にいいの?」
皮鎧を着込み髪をひとつにくくって、長剣と父の形見だという守り刀を剣帯にたばさんだレジーナが、案じ顔で問いかけて来る。
「要らない」
デュルケンは簡潔に答えた。既に昨日から何度も繰り返された問答だ。
レジーナとケヴィンは昨晩デュルケンに対して、王都で一番の鍛冶師――勿論彼も協力者である――に打たせた、風切り刃の紋章が入った長剣を渡そうとした。形だけでも正統なる王家の継承者という証を見せろとの意図だった。だがデュルケンはそれを拒んだのだ。
まだ正式な王族として認められた訳ではないから、身分にこだわる事を厭うた。体面上はそうしている。だが実際の所は、カシダに教わった護身術の中に長剣の扱いが入っていないから、使えない荷物を増やす事は体さばきの邪魔にしかならない。そんな現実的な問題であった。
武器は短剣二本。雷を操るオズ・クルのメティラと戦う際に金属の鎧は用をなさない。それどころか、ダメージを余計に増すばかりだろう。そんな見地から、皮製の胸当てと籠手だけを身につけた。旗頭としてはみすぼらしい格好だろうが、デュルケンは形式よりも実用性を重んじたのだ。
「そろそろ時間だ」
ケヴィンが部屋の扉を開け顔を見せる。正騎士、文字通りの正統なる騎士である事を主張する為にあえて白の騎士服を着たままの彼は、神妙な面持ちでデュルケンに声をかけた。
「準備はいいかい?」
まだこの男への不信感が完全に拭い去れた訳ではない。だが彼自身が言った通り、彼の潔白は、これからの戦いの中で証明されるしか無いのだろう。デュルケンは真一文字に唇を引き結んで、深く頷いた。
後にミナ・トリアの歴史に残る戦いは、日の出と共に始まりを告げた。
王都の各所に潜んでいた革命の志が一斉に街へと飛び出し、今日も今日とて巡回と称して悪事を働こうとしていた騎士達を次々拘束すると、合流し、王城へ向けて進撃を開始したのだ。
彼らの存在を知らなかった民衆は、大通りを駆け抜けてゆく武装集団を見てまず驚愕し、やがて事の次第を理解すると、近くにいる者と抱き合って大いに歓喜した。
そして集団の先頭を走る少年を目にした時、彼らの興奮は最高潮に達する。
蒼い髪に金緑の瞳。伝説のイルザ王を彷彿させる容姿は、人々にただひとつの確信を与えた。
あれは風詠士だ。今は亡きニネミア妃の御子が我々を救う為に帰って来たのだ。
それまで絶望に濁っていた民の瞳に希望の光が宿った。拳を振り上げ、まるで既に勝利したかのごとく快哉を叫ぶ。気分が昂揚するに任せて、自らも武器を取り怒涛の流れに加わる者もいた。
革命軍――そう、それは最早一軍と呼べる人数だった――はひたすらに王城を目指す。
城門が近づいた所で、城内からベルギウス配下の騎士達がわらわらとわいて出た。しかし、完全武装しているとはいえさんざん甘い汁を吸って怠慢に肥えきった騎士と、苦渋に満ちた経験をして痩せ狼のようにぎらぎらとした気迫に満ちた革命軍。どちらに利があるかは一目瞭然だ。
士気の差はそのまま戦力の差へと昇華する。今までに嘗めさせられた辛酸をそのまま返すがごとく、革命軍は続々と騎士達を打ち破っていった。
デュルケンはその先陣を切り、軽快な跳躍で敵のただ中に飛び込んでは短剣を振るう。甲冑の隙間から喉笛を切り裂かれた騎士は、あおのけに倒れて動かなくなった。
「大した腕だ」
隣に並んだケヴィンが、流れるような剣舞で昨日までの同士を斬り捨てる。
「君を育てた人物はかなりの実力者だったんだろう」
騎士には応えず、デュルケンは剣を振りかぶった目の前の敵に足払いをかけ、よろめいた相手の首筋に刃を叩き込んだ。
カシダが実力者である事は、彼に訓練を施された自分が一番良く知っている。彼が教えてくれた敵を倒す方法を、デュルケンは遺憾無く発揮した。
城門を突破して精鋭が城内になだれ込む。城を守る騎士達は突入前の迎撃した一団でほとんどだったのだろう。現れる敵は人数も少なく散発的で、大した障害にはなり得なかった。
「ベルギウスは自室にこもっている事が多い」
デュルケンの代わりに先頭に立ったケヴィンが一同を導く。
「この中庭を抜けた先の別棟だ」
だが、中庭に出た瞬間、デュルケンはぴんと背筋が強張るような危機感を覚え、金緑の瞳をすっと細めて立ち止まった。
庭を見渡す。水が涸れ用をなさなくなった噴水。手入れが行き届かず伸び放題の草木。一見、ただの荒れ果てた中庭だ。しかし、この感覚は。
警告を発しようとした時には遅かった。中庭を囲む建物のあちこちからばらばらと矢の雨が降り注ぎ、盾で防げなかった者、身をかわしきれなかった者が、射抜かれて倒れた。
咄嗟に身を寄せ合う生き残った者達を始末せんと、今度は黒服の男達が姿を現す。デュルケンが感じた危機感の正体はこれだったのだ。
「毒蛇までお出ましか!」
ケヴィンが長剣を正眼に構え、彼らを待ち受ける。その時、こちらに向けて走り寄る黒服ではない人物の影が、デュルケンの視界の端に入った。
「くたばれ、名ばかりの風詠士など!」
ぎらりと光る刃が自分に向けて振りかざされたのだと悟った時には遅かった。革命軍の一員のはずの男が、血走った目でデュルケンを見すえて刃を振り下ろす。
刺される、と思った瞬間、デュルケンは後方に突き飛ばされていた。男と自分の間に金髪の青年が割り込み、低い呻きの声をあげる。
ケヴィンだった。自らの長剣で刃の軌道を逸らし、心臓に刺さるのを避けたのだ。とはいえ、刃は彼の太腿に深々と突き立てられていた。
それでも、彼は無様に倒れる事をせず、
「……メティラに情報を流していた裏切り者は、君か」
やけに冷たく低い声で言い放つと、剣を一閃。男の首を一撃ではね飛ばす。頭を失った胴体がどうと地に倒れ伏した。
「――ケヴィン!」
デュルケンは青年の名を呼び、がくりと膝をつく彼の身体を抱きとめた。彼の名を呼ぶのは初めてだった。いや、カシダ以外の人間の名前を呼ぶ事自体が、デュルケンにとって初めての経験だったのだ。
黒服と革命軍の乱戦に陥った中庭から建物の陰へと、ケヴィンを引きずってゆく。パルテナは、肩車をした時も眠りに落ちて寄りかかって来た時も、あんなに軽かったのに、成人男性というのはこんなにも重いものなのか。場違いな思考が浮かびかける。
「ケヴィン、しっかりして!」
レジーナが後をついて来て、青年の顔をのぞき込む。ケヴィンはうつろな目を開き、不安を前面に押し出したデュルケンとレジーナを順繰りに見回した。
「……デュルケン」
荒い息をつきながら彼は言った。
「これで、僕の冤罪は、自ら晴らす事が、できたかな」
「もういい」
デュルケンは叱りつけるような口調でそれだけを絞り出した。本当は「疑ってすまなかった」と続けるべきなのに、人との関わりを避けて生きて来た心は、ただその一言を口にする勇気すら持ち合わせていない。それが酷く悔しくてならなかった。
だが、ケヴィンは聡い人間だった。
「わかっているよ」
デュルケンの全てを受け止めるように弱々しく微笑み、そして痛みに顔を歪める。
恐らく、今回も刃に毒が塗られていたのだろう。それも麻痺毒など甘いものではない、放置すれば人を死に至らしめるような種類のものが。
「後は任せて」
どうにかできないか。思案に暮れかけたデュルケンを現実に引き戻したのは、レジーナのきっぱりとした声だった。デュルケンの手をケヴィンから引き離し、青年の身体をうけおって、まっすぐに少年を見つめる。
「この人は私が救ってみせる。あなたは先に進みなさい」
「だが」
「お願い」
躊躇する少年を叱咤するようにレジーナは強く告げた。
「メティラとベルギウスを倒して、パリィを助けて。それをするのは、風詠士の末裔、私達の希望のあなたであって欲しいの」
レジーナの言葉はどこまでも切実で、眼差しはどこまでも真摯だ。見下ろせば、ケヴィンも苦痛を堪えて、デュルケンへひたすらに熱い視線を注いでいる。
デュルケンはひとつ頷き、立ち上がる。
「……生きてくれ」
この戦いが終わったら友になれるかも知れない二人に短く言い残し、少年は地を蹴り、別棟へ向けて走り出した。
その背を見送ったケヴィンが深く長い息を吐いて、全身の力を弛緩させる。
「生きてくれ、か」彼はぽつりと呟く。「未来の王にそう言われては、果たさない訳にはいかない約束だね」
「そうよ」
レジーナが持ち合わせた布で傷を負った太腿を強く縛り、応急で毒を出す用意をしながら、ひときわ憤慨した様子で告げた。
「だから死んだら怒るわよ。デュルケンだけじゃなく、パリィも、私も」
直後、さっと唇をかすめた柔らかい感触に、ケヴィンは苦笑を浮かべるしか無かった。
「それは恐いな」
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