第3章 カシダのギター(3)
ごろごろと空が啼く夜がおとないを告げた。
時折窓の外がまぶしく光ったかと思うと、腹の底まで響く轟音が空気を震わせる。
桶をひっくり返したかのように激しく降り続ける雨音は、眠りを妨げるのに充分だ。
これが夜中まで続くのだろうか。辟易しながら、デュルケンはもう何度目かわからない寝返りを打った。
トル・メダの加護を失ってから、ミナ・トリアでは天候も正常さを失ったという。季節外れの豪雨に見舞われたかと思えば、何日も日照りが続いて、農作物がたちどころに元気を失くす。
かつては風詠士が風を導く事で台風は必ず進路を外したものだが、今は年に幾度もミナ・トリアを襲撃し、王都から遠い辺境の里では、家屋が流される事も当たり前になっている。幼い頃、カシダに連れられて、災害の爪痕が生々しい村の様子を密かに見に行った事があった。
家を失い、家畜も畑の作物も根こそぎ持って行かれた、汚泥だらけの地面にへたり込む人々。自然の驚異と、風詠士がいない事でもたらされる災禍。
それらを目の当たりにし、驚きで金緑の瞳を見開く幼いデュルケンの肩に、カシダは手を置いて力強く言い聞かせたのだった。
『忘れるなよ。彼らを助けてくれる人間はいない。これが今のこの国の現状だ』
では、どうすれば良いのか。
問いかけに、カシダはほの苦い笑みを浮かべるだけで、答えてはくれなかった。
風詠士でありながら風を治める力の無いデュルケンを責めるつもりなど、カシダには一切無かったのだろう。だが、あの惨状は今も脳裏に焼き付き、それをもたらした人間への怒りをくすぶらせる。
それが実の親で、頼りにしていた育ての親を死に至らしめた相手だと思うと、更に複雑な感情が、胸の内で渦を巻く。そして行き着く考えはいつも、愚かな実父をこの手で討つしか無い、という答えなのだ。
ふつふつと沸き立つ苛立ちに、再び寝返りを打った時。
小さな軋みの音と共に、部屋の扉が開く気配がした。
また雷が落ちる。外の雷光が室内を眩しく照らした瞬間、「きゃん」と悲鳴をあげて身をすくませる、ぬいぐるみを抱えた寝間着姿の少女が映し出された。
「……何をしている」
十数秒かけて空を叩く轟音が去った後、デュルケンは呆れた吐息を洩らした。
子供達は、男子と女子それぞれの部屋に分かれて寝ているはずだ。レジーナら世話役の女性達も、一部屋に人数分のベッドを押し込んで過ごしている。デュルケンだけが、不意の泊まり客の為に用意されていた客間を単独で使わせてもらっている訳だが、ここに訪ねて来る子供など一人しか思い当たらない。
「眠れなくて」
暗闇の中でパルテナの細い声が聞こえ、ぎゅっとぬいぐるみを抱き締める気配がした。
「雷は音が大きくて恐いの。だから」
とたとた、と。足音が近づいたかと思うと、ベッドの中に小さな温もりが滑り込んで来た。あまりにも無邪気かつ無防備な行動に、デュルケンは返す言葉を失い、慌てて少女に背を向ける。
こんな真夜中に年頃の男の部屋にやって来るなんて、子供といえど、遠慮も危機感も無さ過ぎる。初めて出会った時、デュルケンによって生死の崖っぷちに立たされた事を、少女は忘れているのだろうか。
そこで、そうだ、と思い返す。この少女にはわからないのだ。生死の境目が。
「あったかーい」
こちらのそんな思考などおかまいなしなパルテナの声が耳に届く。
「デューは、パパみたいで安心する」
ぎゅうっと背中にしがみつかれると、花の匂いが近くに漂う。途端、心が落ち着き所を見失い、うろうろとさまよい始めた。
父親みたいなどと言われた。こんなにも周囲に対して常にぴりぴり気を張っている人間と共にいて「安心する」と言うのも、感覚がずれている気がする。しかも、せいぜい兄妹程度の歳の差しか無い相手をつかまえて「父親みたい」などとは、これまた大概だ。
そこまで考えた所で、自分が腹を立てているのは父親みたいだと言われた事に対してだ、とデュルケンは気づいた。むしろ、パルテナに頼られた事、安心すると言われた事に関しては、胸の奥がうずくような気恥ずかしさを覚えている。
暗闇の中で一人赤面していると、背中越しにパルテナの寝息が聞こえて来た。本当に安心して、あっさり寝入ってしまったらしい。
雷雨の喧騒が遠ざかってゆく。それと同時にデュルケンにも眠気の衣がそっと覆いかぶさり、うつらうつらと眠りに誘われてゆく。
夢の中で見た光景は、カシダを父として慕った、つつましいながらも幸せな日々。
燃えるような髪のカシダが薄荷パイプをくわえながら、慣れた手つきでギターを奏でていた。
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